第13章 七刻の零拍(後編)
カレンの部屋には、紅茶の香りがまだ残っていた。
テーブルの上で、触れられていないカップが静かに湯気を吐いている。
がたっ。
椅子が鳴った。
ヴォイドが立ち上がる。
誰も、すぐには口を開かなかった。
ヴォイド
「ここから先は、俺がいると話が歪む」
レイファは言葉を返さない。
ただ、視線を外さずに――小さく頷いた。
ヴォイド
「少し外す」
その瞬間。
スレイが音もなく椅子から滑り出て、
ヴォイドの腕を掴んだ。
スレイ
「……!」
言葉はない。
ただ、“行かないで”と書かれたみたいな目。
もう片方の手で、必死に首を横に振る。
白羽が慌てて小声で。
白羽
「ス、スレイさん……!?」
シオンは状況が分からず、
白羽の袖を引っ張ったまま目を丸くする。
ヴォイドはスレイを見下ろし――
ため息ひとつ。
次の瞬間、
腕が、するりと外れた。
掴まれたはずの感触だけが残って、
スレイの手は空を掴む。
スレイ
「えっ、ちょっ……!」
ヴォイドは振り返りもせず、軽く手を上げた。
ヴォイド
「骨は拾ってやる」
スレイ
「やだその言い方!!」
言ってから、
自分で声が大きかったことに気づき、
口を押さえる。
……遅い。
レイファは一瞬だけ瞬きをし、
何も言わずカップに視線を落とした。
感情は見せない。
だが、空気がほんの少しだけ緩んだ。
そこへ、カレンが一歩前に出る。
視線はヴォイドへ、言葉は業務の形。
カレン
「……こちらへ。
施設をご案内します」
ヴォイドは一拍置いて、軽く頷く。
それ以上は何も言わない。
カレンが扉を開け、ヴォイドが続く。
閉まる扉。
静かな音のはずなのに、
それだけで部屋の性質が変わった。
残されたのは四人。
レイファ。
白羽。
スレイ。
シオン。
レイファは紅茶のカップに目を落とし、ひと呼吸分の間を置く。
そして、顔を上げた。
レイファ
「――では」
視線が、白羽とスレイを順に捉える。
レイファ
「ここからは、あなた達と私だけの話です」
スレイはまだ扉の方を恨めしそうに見ている。
白羽はその横顔を見て、言いたいことを飲み込んだ。
シオンは黙って、二人の袖を握りしめる。
レイファ
「難しいことを求めるつもりはありません」
一拍。
レイファ
「あなた達が、何を背負ってここに立っているのか」
レイファ
「それを、確認します」
◇
レイファは、一度だけ全員を見渡してから、
最初に――シオンへ視線を落とした。
シオンは、変わらない無表情で見上げている。
レイファ
「……では」
一歩、距離を詰める。
近い。
思ったより、ずっと。
シオン
「?」
レイファが、シオンの前に立つ。
むにっ。
両手で、ほっぺたを包まれる。
白羽
「え」
スレイ
「え」
ぐに。
むに。
シオン
「……あー……」
抵抗はない。
表情も、大きくは変わらない。
ただ、
口の形だけが、
少しずつ変えられていく。
むにー。
むにゅ。
その様子を見て――
白羽
(な、なに……
この光景……)
シオン
「……うー……」
声だけが、
ぽつりと漏れる。
白羽
(……か、かわっ……)
思わず、心の中で声が出る。
スレイ
(いや、
かわいいとか言ってる場合じゃ……)
白羽
(無理……
かわいい……)
白羽の視線は、
完全にシオンに釘付けだった。
頬が、
左右に引っ張られるたび、
その無防備さが強調される。
スレイ
(……あ、
だめだ……
これ……浄化される……)
むに。
むに。
数秒後。
レイファは、静かに手を離した。
シオン
「……?」
何事もなかったように、
元の顔に戻る。
レイファ
「……問題ありません」
白羽、スレイ
「何が!?」
一拍。
白羽
(……よかった……
でも……)
白羽
(もう一回見たいとは……
思ってない……
思ってない……)
スレイ
(……思ってるよね?
今の間……)
シオン
「……んー……
おわった……」
◇
次に、白羽。
レイファが一歩、近づく。
近い。
思った以上に、近い。
白羽
(……っ)
息を止めてしまう。
整った顔。
長いまつ毛。
薄く引かれたライン。
控えめな色のリップ。
白羽
(……化粧……
ちゃんとしてる……
大人……)
むにっ。
白羽
「――っ!?」
ほっぺたを掴まれ、距離がさらに縮まる。
視界が、レイファで埋まる。
白羽
(ち、近……
目……逸らせない……)
むに。
むに。
引っ張られるたび、
視線も、呼吸も、逃げ場がない。
白羽
(……匂い……
紅茶じゃない……
大人の人の……)
頬が一気に熱くなる。
耳まで赤い。
むにゅ。
一瞬、指に力。
――何も起きない。
あるのは、
自分が子どもだと突きつけられる距離だけ。
手が離れる。
白羽
「……っ、はぁ……」
俯いたまま、動けない。
そこへ。
シオン
「……おとなの……
かいだん……のぼる?」
白羽
「ち、違う!!」
スレイ
「いやー……」
にやり。
スレイ
「白羽ちゃん、
こりゃ大人知っちゃった顔ですね」
白羽
「何も知ってません!!」
即答が、
逆に怪しかった。
◇
最期に、スレイ。
スレイは、ゆっくりと姿勢を正した。
一度、深呼吸。
そして――目をつむる。
スレイ
(く、来る……
ほっぺ……)
顎を少し上げ、
覚悟を決めた顔。
――むにっ。
スレイ
「ぴやっ!?」
腹だった。
いきなり、つままれた。
スレイ
「ちょっ!?
そこじゃ――!?」
反射的に跳ね上がる。
がたん。
椅子が倒れる。
シオン
「……ムニ姫」
白羽
「し、シオンちゃん、
それは言っちゃだめ!」
スレイ
「な、なんで
毎回そこなんですか!?」
スレイは慌てて、
自分のお腹を両手で押さえた。
スレイ
「い、いえ!
誤解しないでください!」
一歩、前へ。
スレイ
「これは、その……
だらしないとかじゃなくて!」
白羽
(あ、いつもの始まりました)
スレイ
「適度な、
健康的な……」
シオン
「……いいかえ……」
スレイ
「ほら!
最近そういうの、
可愛いって言われません!?」
胸を張る。
スレイ
「むしろ、
魅力の一種というか……!」
レイファ
「却下します」
即答。
スレイ
「早っ!?」
スレイ
「今、
説明の途中――」
レイファ
「必要ありません」
淡々。
スレイ
「ちょっとくらい
考えてくださいよ!」
レイファ
「考慮する要素がありません」
スレイ
「そんな……!」
白羽
「……論理的敗北ですね……」
シオン
「……きれい……」
スレイ
「じゃ、じゃあ
この話は一旦置いておいて!」
勢いで話題を変える。
スレイ
「白羽ちゃんのさっきの
顔真っ赤なのは
どう説明するんですか!」
白羽
「なっ!?」
白羽
「そ、それは今
関係ないです!」
レイファ
「白羽さんは、
規定違反を正当化していません」
スレイ
「そこ!?
そこが分かれ目なんですか!?」
レイファ
「はい」
即答。
スレイ
「ぐっ……」
完全に黙る。
スレイは、
その場にしゃがみ込み、
お腹を押さえたまま小さく呻いた。
スレイ
「……世知辛い……」
誰も、否定しなかった。
◇ レイファの判断
レイファは、紅茶のカップをテーブルに戻した。
小さな音がして、場が静まる。
レイファ
「結論を述べます」
白羽が背筋を伸ばし、
シオンはほっぺをさすり、
スレイはまだお腹を押さえている。
レイファ
「顔に触れた際」
白羽とシオンを見る。
レイファ
「衝動的な反撃、
力の暴発、
拒絶反応はありませんでした」
白羽
「……はい……」
レイファ
「白羽さん」
白羽
「は、はい」
レイファ
「あなたは、
距離と存在感に動揺しました」
白羽
「……っ」
レイファ
「ですが、
それを理由に
力へ逃げることはしなかった」
淡々。
レイファ
「自覚があります。
問題ありません」
白羽は、ほっと息を吐いた。
レイファ
「シオンさん」
シオン
「……?」
レイファ
「あなたは、
触れられても迷いませんでした」
一拍。
レイファ
「判断を要する以前に、
心が安定しています」
シオン
「……だいじょうぶ……?」
レイファ
「ええ。
最も安定しています」
シオンは、小さく頷いた。
レイファの視線が、下がる。
スレイ。
レイファ
「腹部に触れた際」
スレイ
「……はい……」
レイファ
「あなたは、
驚き、
言い訳し、
自己正当化を試みました」
スレイ
「……全部言うんですね……」
レイファ
「事実です」
即答。
レイファ
「ですが」
一拍。
レイファ
「力には、
頼りませんでした」
スレイ
「……」
レイファ
「理屈で逃げる癖はあります」
スレイ
「あります……」
レイファ
「ですが、
踏みとどまれる」
視線が、三人を順に結ぶ。
レイファ
「だから――」
レイファ
「あなた達は、
ここにいて構いません」
静かな宣告。
白羽
「……それが……
判断……なんですね……」
レイファ
「はい」
レイファ
「触れられたとき、
何を選ぶか」
レイファ
「それが、
すべてです」
スレイ
「……顔ムニと
腹ムニで……?」
レイファ
「ええ」
即答。
スレイ
「納得いかない……」
白羽
「……でも……」
白羽
「ほっぺむにむにと
お腹ムニムニで
災厄の運命が決まるって……」
白羽
「すごくないですか……?」
スレイ
「軽すぎません!?
世界の話ですよ!?」
シオン
「……むに……
すごい……」
レイファは、
ほんの一瞬だけ考える素振りを見せた。
そして。
レイファ
「問題ありません」
真顔。
レイファ
「世界は、
単純であるべきです」
白羽
「単純……」
スレイ
「ほんとに……?」
レイファ
「複雑にした結果、
多くの世界が壊れました」
静か。
レイファ
「ですので」
一拍。
レイファ
「――私は、
かつてそう教えられました」
それ以上は語らない。
だが、
その一言だけで十分だった。
レイファ
「以上です」
再び、紅茶に手を伸ばす。
白羽
「なんか、
許された気がします」
シオン
「……むに……
よかった……」
スレイ
「……納得はしてませんけど……
生き残った感はあります……」
部屋の空気は、
ひどく穏やかだった。
世界の運命は、
ほっぺとお腹で決まった。
◇ 展望ベランダ/夜
夜風が、展望ベランダを撫でていた。
白い床に、
コツコツ、と音が響く。
ヒールの音。
一定で、迷いがない。
二人分だ。
先を歩くのはカレン。
その半歩後ろを、ヴォイドが歩いている。
施設案内は、すでに終わっていた。
説明も、必要な分だけ済んでいる。
――残ったのは、時間だけだった。
足音が止まる。
カレンが、振り返る。
カレン
「……ここから先は」
一瞬、言葉を選ぶ。
カレン
「お二人で、話された方がよろしいかと」
ヴォイドは何も言わない。
ただ、わずかに視線を動かす。
その先に――
レイファがいた。
ベランダの縁に立ち、
夜景を背にしている。
背筋は伸びているが、
力は入れすぎていない。
カレンは一歩下がる。
それだけで、
場の主導が切り替わった。
カレン
「私は、これで―――
失礼しますね」
返事は待たない。
足音が遠ざかり、
静けさが残る。
レイファ
「……ヴォイドさん」
呼ばれて、
ヴォイドが視線を向ける。
距離は、近い。
演習場でも、
長官席でもない。
誰の視線も届かない場所。
しばらく、言葉はなかった。
レイファは、ただ立っている。
待っているのではない。
見せている。
鎧も、剣もない。
判断と責任だけを背負った、現在の姿を。
ヴォイドは、
そのまま黙って受け取る。
沈黙が落ちる。
長い。
だが、不快ではない。
積み重ねた時間が、
そのまま間に横たわっている。
レイファが、
小さく息を吸う。
ほんの少し、
肩の力が抜けた。
レイファ
「……お久しぶりです」
声は整っている。
だが、言い慣れてはいない。
レイファ
「あの時以来……
ですから……」
一拍。
レイファ
「……十年ぶり、でしょうか」
疑問形。
確認しているのは、
年月ではない。
――自分が、
ここまで来た時間だ。
ヴォイドは、すぐには答えない。
数えなくても分かる。
長いようで、
短い時間だった。
ヴォイド
「……そうだな」
それだけ。
レイファの視線が、
一瞬だけ揺れる。
失望ではない。
安心に近い。
覚えていた。
同じ場所に立っている。
それだけで、十分だった。
ヴォイド
「……ガルドから、
話は聞いている」
一拍。
視線が、一度だけ交わる。
ヴォイド
「判断する側に立ったな」
評価ではない。
確認だ。
レイファ
「……はい」
短く、確実に。
レイファは、一度だけ呼吸を整える。
レイファ
「……本題に入ります」
声の温度が、
一段、落ちる。
レイファ
「カレンから、
すでに概要は聞いているでしょう」
レイファ
「X-0マテリアルが、
管理局の保管庫から持ち出されました」
簡潔に。
断定。
レイファ
「行き先は――
因果観測第2研究所。
通称、サイト2」
レイファ
「内部協力者の存在が、
ほぼ確実視されています」
ヴォイド
「……心当たりは?」
レイファ
「あります」
短く。
それ以上は、言わない。
レイファ
「ですが、
現時点で断定はできません」
一拍。
レイファ
「この件は、
終徴管理局単独で
扱える範疇を超えています」
一拍。
レイファ
「白羽さん。
シオンさん。
そして、スレイ」
静かに、続ける。
レイファ
「先ほど、
彼女たちの状態を確認しました」
ヴォイドは、
その意味を理解している。
レイファ
「戦わせたわけではありません」
レイファ
「誓わせたわけでもない」
レイファ
「ただ――」
一拍。
レイファ
「触れられたとき、
何を選択したか」
レイファ
「それだけを、
見ました」
淡々と。
レイファ
「力に逃げなかった。
衝動を解放しなかった。
世界を壊そうとしなかった」
レイファ
「勇敢ではありません」
レイファ
「前進でも、
英雄的判断でもない」
顔を上げる。
レイファ
「ですが――
災厄に近づく者が、
最後まで失ってはならないものです」
レイファ
「彼女たちは、
今はまだ壊れていない」
レイファ
「――それで、
十分だと判断しました」
一拍。
レイファ
「しかし」
声が、
わずかに低くなる。
レイファ
「このままでは、
ゼロ因子に接触する前に
命を落とす可能性が高い」
事実として、
言い切る。
レイファ
「私は、
その結末を
選ばせる立場にはありません」
一歩、踏み出す。
レイファ
「ですが、
当局の長として
前に立つこともできない」
視線が、
ヴォイドを捉える。
レイファ
「私が近づけば、
因果は定まり、
事態は取り返しのつかない形で
動き出してしまう」
一拍。
レイファ
「――それが、
最悪の結果を招くものであっても」
レイファ
「だからこそ」
レイファ
「世界の調律役である
あなたの判断が、
必要なのです」
頭を下げる。
深く、
だが過剰ではない。
レイファ
「この世界の均衡のために」
レイファ
「そして――
彼女たちが、
壊れずに進めるように」
レイファ
「どうか、
力を貸してください」
それだけ。
ヴォイドは、
しばらく何も言わない。
夜景を一度だけ見て、
再びレイファを見る。
ヴォイド
「……話は分かった」
一拍。
ヴォイド
「その判断に立った。
それで十分だ」
◇ タナトスロア内部/出立準備区画
装備は、すでに整っていた。
白羽は外套の留め具を確かめ、
シオンはヴォイドの影に寄り添うように立っている。
スレイは肩を回しながら、深く息を吐いた。
――あとは、出るだけ。
そのときだった。
「……ヴォイドさん」
呼び止める声。
全員が、同時に振り返る。
そこに立っていたのは、レイファだった。
長官席でも、
指揮官としての位置でもない。
ただ、
剣を携えたまま、
一人の剣士として立っている。
レイファ
「少し、お時間をいただけますか」
ヴォイド
「……用件は、昨夜で終わったはずだ」
レイファ
「はい」
一拍。
レイファ
「ですから、これは――
私個人の願いです」
その言い方に、
スレイが露骨に顔をしかめる。
スレイ
「……嫌な予感しかしないんだけど」
カレン
「せ、先輩……
声、抑えてください……」
レイファ
「私と、
手合わせを、
お願いします」
一瞬。
空気が、止まった。
白羽
「……え?」
スレイ
「……は?」
カレン
「……えええっ?」
シオン
「……ぱぱとたたかう……?」
スレイ
「ちょ、ちょっと待って!?
今、“手合わせ”って言った!?」
カレン
「れ、レイファ長官……!
それは……その……!」
スレイ
「いやいやいやいや!!
今から!?
このタイミングで!?」
白羽
「え、ええと、
あの……
世界の命運が」
シオン
「……つよいひと……
ふたり……」
なぜか、
少しだけ目を輝かせている。
ヴォイドは、
騒ぎを気にした様子もなく、
ただレイファを見ていた。
昨夜と同じ。
量るような視線。
だが、
そこに管理者を見る目はない。
そして――
ヴォイド
「分かった」
短い返答。
その一言で、
全員
「えええええええ!?」
◇ 演習区画・通路
レイファの背中を先頭に、
スレイ、カレン、白羽、シオンの四人が続く。
通路は広く、
音がやけに吸われる。
足音だけが、規則正しく残る。
スレイ
「ね、ねえ……
このあと、ほんとにやるんだよね……?」
白羽
「……一騎打ち、ですよね」
白羽は言いながら、
自分の声が震えているのに気づき、息を整えた。
シオン
「……わくわく……」
楽しそう。
カレン
「……はい。
長官の“個人的なお願い”です」
事務的だが、
一瞬だけ視線が泳ぐ。
自分も落ち着いていない。
スレイ
「“個人的”って言葉、
こんなに怖くなることある……?」
しばらく沈黙。
スレイ
「……でもさ。
冷静に考えて……
ヴォイドさん相手って、
相当じゃない……?」
白羽
「は、はい……
正直、想定外でした……」
スレイ
「だよね!?
普通、“手合わせ”って
もっと安全確認とか――」
自分で言って、首をすくめる。
そんな“普通”が通じないのは分かっている。
スレイ
「それに……
長官の、あの噂……」
カレン
「先輩。
それは――」
スレイ
「聞いたことあるでしょ?
まず身体能力からおかしいって話!」
白羽
「……身体……?」
スレイ
「握力が人間じゃないの!
百キロどころじゃなくて、
鎧ごと“ぎゅっ”!」
シオン
「……つぶす……?」
スレイ
「そう、それ!」
スレイ
「次に権力!
男の側近が百人以上いて!」
白羽
「ひゃ、百……!?」
スレイ
「全員、命令一つで無言!
名前も番号で呼ばれてるって!」
カレン
「先輩……!」
スレイ
「で、極めつけが未婚の理由!」
シオン
「……りゆう……?」
スレイ
「求婚してきた相手、
全員――」
わざと、間。
スレイ
「切り刻まれてるらしいよ」
白羽
「……っ!」
シオン
「……ばら肉……?」
スレイ
「しかも、それだけじゃない。
ちゃんと――」
身を乗り出す。
スレイ
「ステーキにして食べるんだって!」
白羽
「た、食べ――!?」
スレイ
「結婚相手は全部、
“晩ごはん”になるらしい!」
シオン
「……はらぺこ……?」
スレイ
「で、焼き加減は――」
一拍。
スレイ
「…………え?」
首が、
ぎこちなく横を向く。
いつの間にか。
レイファが、
息がかかる距離に立っていた。
灰青色の瞳。
一切の感情がない。
レイファ
「続けてください」
スレイ
「…………」
白羽
「…………」
シオン
「…………」
スレイ
「……え、
あ、えっと……
レ、レア派で――」
レイファ
「ミディアムです」
即答。
スレイ
「そこ訂正するんですか!?」
レイファ
「重要です」
淡々。
スレイ
「じゃ、じゃあ
男の奴隷が百人――」
レイファ
「百二人です」
白羽
「増えた!?」
レイファ
「“奴隷”ではありません。
部下です」
スレイ
「言い換え重っ……!」
スレイ
「じゃ、
切り刻――」
レイファ
「しません」
即答。
レイファ
「人は、食べません」
一拍。
スレイ
「ですよね!!」
レイファ
「硬いので」
スレイ
「……具体的すぎません?」
――一拍。
スレイ
「……ん?」
もう一拍。
視線が、戻る。
スレイ
「……それ、
やわらかかったら……」
こつん。
乾いた音。
拳骨。
スレイ
「いったぁ!?」
レイファ
「噂話が過剰です」
淡々。
レイファ
「盛るなら、
事実に寄せてください」
スレイ
「どこをですか!?」
レイファ
「焼き加減」
スレイ
「そこじゃないです!!」
白羽
(方向性が迷子…)
シオン
「……にんげん。
食べないみたい……
よかった……」
レイファ
「――着きました」
前方に、
演習区画が開ける。
白い床。
遮蔽物のない空間。
レイファは、
そこで一度だけ足を止めた。
振り返らない。
ただ、静かに言う。
レイファ
「それと―――」
レイファ
「誤解している方が多いようですが」
一拍。
レイファ
「私よりも弱い相手には、
興味がありません」
その先にいる相手の名を、
口にする必要もない声。
スレイ
「……」
白羽
「……」
シオン
「……つよい……」
レイファは、
何事もなかったように歩き出す。
◇ 演習区画
扉が閉じる。
――ご、と。
重い音が、
白い空間に低く残った。
遮蔽物のない床。
影の落ちない照明。
逃げ場の存在を、
最初から否定する設計。
スレイ
(……これ……
観戦席って空気じゃない……)
白羽は、
一歩だけ下がる。
巻き込まれないためではない。
立ち会う覚悟の位置。
シオンは、
ヴォイドの背中から目を離さない。
カレンは端末を開き、
安全域――該当なし、を確認して息を呑む。
レイファは中央まで進み、
静かに足を止めた。
背中を向けたまま。
レイファ
「……ここなら、
遠慮はいりません」
振り返る。
そこにいるのは、
長官ではない。
剣士だ。
レイファ
「始める前に、
一つだけ話させてください」
声は静かだが、よく通る。
視線が、
観戦側――白羽たちへ向く。
レイファ
「タナトスロアの印は、
七つの線と、
一つの輪から成っています」
白羽とシオンの視線が、
レイファの胸元へ動く。
一方、スレイとカレンは、
無意識に自分の胸元を見た。
レイファ
「この輪について――」
レイファ
「七つの線は、
災厄の発生段階を示す指標です」
レイファ
「観測、兆候、干渉、抑制……
そのすべてを越えた先に、
輪があります」
一拍。
レイファ
「ある人に、
問われたことがあります」
レイファ
「閉じている輪と、
開いている輪。
それらの違いは……と。」
スレイが、思わず口を挟みそうになり、
白羽に止められる。
レイファ
「当時の私は、
答えられませんでした」
視線が、ほんのわずかに落ちる。
レイファ
「ですが、
今なら分かります」
剣に、手をかける。
レイファ
「閉じた輪は、
世界が人を管理しようとした形です」
レイファ
「人を守るために、
人を縛るという選択」
断定。
レイファ
「開いた輪は、
人が人を救おうとした形」
レイファ
「管理ではなく、
信頼に委ねるという選択です」
一拍。
レイファ
「終徴管理局の輪は閉じている。
そう―――
これがこの組織の意味」
白い空間に、
その言葉が沈む。
レイファ
「私は、
その答えを出してしまった組織の、
長です」
指先が、柄をなぞる。
レイファ
「だからこそ―――」
レイファ
「世界を管理する側に立つ者が、
世界の外に立つ存在と
向き合わなければならない」
レイファ
「その責任を、
言葉だけで済ませることはできません」
剣先が、正中へ。
レイファ
「ヴォイドさん」
レイファ
「貴方は、
管理者でも、
被管理者でもない」
レイファ
「世界の調律役です」
一拍。
レイファ
「だから、
貴方にだけは、
刃を交えて確かめたい」
レイファ
「この閉じた輪の重さを、
本当に預けていいのかを」
レイファ
「タナトスロアが選んだ答えが
間違ってないかを」
剣先が、静かに上がる。
短く、結ぶ。
レイファ
「私は―――」
一拍。
レイファ
「世界を背負う場所に
立ちます」
白い演習区画が、
完全な静寂に包まれた。
ヴォイドは、しばらく何も言わなかった。
ただ、
レイファの剣先を、静かに見ている。
やがて、視線が上がる。
ヴォイド
「……十分だ」
それだけ。
次の瞬間。
ヴォイドは、構えた。
鞘走りの音が、
白い演習区画に響く。
ヴォイド
「来い。」
声は低い。
ヴォイド
「世界を背負うなら――」
一拍。
ヴォイド
「その重さを、
受け止めてみせろ」
空気が、完全に張り詰めた。
――開戦。
◇
踏み出した。
床を蹴った感触が、
意識に届く前に――
間合いが、消える。
剣が横に走る。
首を刈る軌道。
確信。
――届く。
その瞬間、
世界が、わずかに遅れた。
刃が皮膚に触れる直前、
視界の端で、
ヴォイドの重心が沈む。
――届かない。
次の瞬間、
剣は空を切っていた。
遅れて、
背後の壁が裂ける。
白い装甲が、音を立てて崩れ落ちた。
止まらない。
返す刃。
斜め。
肩から胴。
また、世界が遅れる。
――違う。
遅れているのは、
世界じゃない。
私だ。
刃は、
ヴォイドの身体をすり抜ける。
避けられた、というより、
そこにいない。
詰める。
歩幅を詰めるんじゃない。
距離を、消す。
突き。
喉。
心臓。
――後ろ。
気づいた瞬間、
背後の空気が変わる。
剣を引く。
身体を捻る。
紙一重。
剣先が、
ヴォイドの前腕に触れた。
ガン、という音。
金属。
――硬い。
白羽の息を呑む音が、
遅れて聞こえる。
でも、
皮膚は裂けていない。
血も出ていない。
(……分かってる)
知っている。
この人は、
斬れるとか、斬れないとか、
そういう場所にいない。
それでも。
足を落とす。
低く。
一気に。
足払い。
――躱される。
跳ぶ。
空中で剣を振る。
床が裂ける。
着地と同時に、
返し。
――届いた。
……はず。
刃が、
首元を掠める。
掠めた、
はずなのに。
皮膚は切れない。
空間だけが、
薄く歪む。
(……やはり)
剣を、
下げない。
まだ、
余裕はある。
呼吸も、
乱れていない。
次は、
速さを削らない。
踏み出す。
世界が、遅れる。
――一拍、早い。
刃が、
唐突に間合いの内側へ現れる。
横薙ぎ。
突き。
返し。
連続。
ヴォイドは、
殴らない。
蹴らない。
ただ、
当たらない位置に在り続ける。
床が割れる。
壁が歪む。
カレンの声。
「蒼命、展開!」
蒼い光が、
視界の端で揺れる。
(……まだ)
まだ、足りない。
拍を、
削る。
零刻《無拍》。
一閃。
二閃。
三閃。
同時。
三方向からの剣撃が、
一つの結果として世界に落ちる。
空間が、悲鳴を上げる。
床が割れ、
天井に亀裂が走る。
衝撃波。
蒼命の防壁が、
震える。
でも、
届かない。
ヴォイドは、
一歩も動かない。
(……それでも)
剣を、
正中へ。
足を揃える。
姿勢を、正す。
空気が、
一段、沈む。
ここから先は――
戻れない。
息を吸う。
胸の奥が、
熱い。
「――《七刻零拍》ッ!!」
叫びは、
世界そのものを裂いた。
踏み込み。
斬撃。
回転。
返し。
追撃。
踏み換え。
納刀。
七つの工程が、
“過程”を失い、
結果だけが世界に叩き込まれる。
時間が、止まった。
音が消え、
風が死に、
光の進行すら遅れる。
――否。
世界が、
処理を諦めた。
次の瞬間。
破壊が、
遅れて噴き出す。
床が、面で剥がれ。
壁が、内側から弾け。
天井が、悲鳴を上げて崩落する。
剣圧が、
衝撃波となって走り、
演習区画全域を蹂躙した。
蒼命の防壁が、
青白い光を歪ませながら悲鳴を上げる。
それでも、
押し返す。
――その中心で。
血を滲ませながら、
レイファは剣を下げなかった。
《七刻零拍》の余熱が、
まだ空間に残っている。
床は裂け、
壁は砕け、
天井は落ちかけたまま――
“遅れて来る破壊”が
いまにも演習区画を飲み込もうとしていた。
青白い光がが軋む。
あと一拍で、
崩壊は現実になる。
そのとき。
ヴォイドが、
静かに手を前へ出した。
掌を開く。
指先を揃える。
それだけだった。
――零絶《因果超越・終断》
音が、消えた。
否、
音が生まれる前の経路が断たれた。
破壊が、
破壊として成立するための理由を失う。
走っていた亀裂は、
途中で“次”を失い、止まる。
宙に舞っていた破片は、
落ちるための因果を断たれ、
そこに留まったまま意味を失う。
剣圧の余波は、
空中でほどけることすら許されず――
最初から存在しなかったものとして処理される。
レイファの奥義が刻んだはずの結果が、
その掌の前で
一つずつ終端を指定されていく。
《七刻零拍》は、
打ち消されたのではない。
――続くことを許されなかった。
世界が支えるのをやめた瞬間、
レイファの身体が
一気に自分の重さを思い出す。
喉が、熱い。
肺が、うまく膨らまない。
視界が、
白に滲む。
(……っ)
踏ん張れない。
膝が折れる――
その前に、
足元の床が
遠くなる感覚。
身体が、
静かに後ろへ持っていかれる。
倒れ方に、勢いはない。
ただ、
世界に立つ理由を失っただけ。
どさっ。
背中が床につく。
天井の白が、
視界を満たす。
呼吸が、
浅くなる。
剣が、
指から滑り落ちた。
甲高い音が、
遅れて響く。
レイファは、
それでも目を動かした。
視界の端に、
ヴォイドがいる。
手はまだ、
前にかざされたまま。
――この一撃で、
すべてが終わったのだと。
世界が、
そう判断したのだと。
レイファは、
仰向けのまま、
小さく息を吐いた。
悔しい。
けれど――
どこか、納得している。
心は穏やかだった。
――決着。
◇ 演習区画・戦闘直後
壊れた音が、
ようやく完全に止んだ。
床に走る亀裂も、
崩れた壁の破片も、
もう、動かない。
静寂。
あまりにも、静かだった。
レイファは、
しばらくその場に――
倒れたまま、天井を見ていた。
剣は、
すでに手元にない。
視線だけが、
白い天井を捉えている。
――終わった。
そう理解するのに、
ほんの少しだけ、時間がかかった。
その瞬間。
視界が、
ゆっくりと歪んだ。
息を吸おうとして、
胸が、うまく膨らまない。
指先が、
冷えていく。
「……っ」
声にならない音が、
喉の奥で潰れる。
次の瞬間。
身体が、
さらに力を失って、沈んだ。
床に預けていたはずの背中が、
落ちていく感覚に変わる。
――支えが、消えた。
そう思った、その直後。
背中に、
確かな感触が重なる。
硬い腕。
外套の布。
後ろから、抱き留められていた。
ヴォイドが、
無言で支えている。
片腕で、
肩と背を包むように。
逃がさない力で。
レイファの指が、
無意識に動く。
視界の端にある、
彼の外套を――
ぎゅっ。
掴んだ。
呼吸が、
一気に乱れる。
胸の奥で、
何かが切れた。
レイファ
「……っ……」
声が震える。
抑えようとしても、
止まらない。
涙が、
仰向けのまま、
頬を伝って零れ落ちた。
長官の顔ではない。
判断者でもない。
ただ――
一人の、少女だった。
レイファ
「……いっぱい……」
声が、幼い。
レイファ
「いっぱい、頑張ったんです……」
胸に、
顔を埋める。
レイファ
「怖くて……」
レイファ
「でも……逃げたくなくて……」
言葉が、
昔の形に戻っていく。
ヴォイドは、
何も言わない。
ただ、
彼女の背に、
そっと手を置いた。
軽く。
確かに。
それだけで、
十分だった。
ヴォイド
「……強くなったな。レイファ」
短く。
評価でも、
慰めでもない。
“認めた”という事実だけが、
そこにあった。
しばらく、
時間が流れる。
泣き声が、
少しずつ、静まる。
呼吸が、
ゆっくりと整っていく。
ヴォイドの外套を掴んだまま、
レイファはしばらく動かなかった。
額を、
その胸に預けたまま。
完全に、
体重を預けている。
呼吸が、
少しずつ落ち着いていく。
それでも、
指は離れない。
レイファ
「……ねえ、ヴォイドさん?」
声が柔らかい。
いつもの長官の声じゃない。
レイファ
「覚えてる?」
少し間を置いて。
レイファ
「……昔さ」
レイファ
「あたしが、
勝ったら……
なんか、すごいこと言ったやつ」
外套に、
額をすり、と擦りつける。
逃げない距離。
レイファ
「……あの時、
笑ってたよね」
ヴォイドは、
何も言わない。
ただ、
小さく、頷いた。
それだけで。
レイファ
「……ずるい」
小さく、
笑い混じりに。
でも、
声はどこか楽しそうだ。
レイファ
「……髪もさ」
少し身体を起こして、
自分の髪を指でつまむ。
淡い銀灰色の、
長くなった髪。
レイファ
「伸ばしたんだよ」
ちら、と上目で見る。
レイファ
「似合ってる?」
答えを、
ちゃんと待つ目。
ヴォイドは、
視線を落とし――
短く、頷く。
ヴォイド
「……ああ」
それだけ。
レイファ
「……えへ」
満足そうに、
また胸に顔を埋める。
レイファ
「タナトスロア作ってさ……」
声が、
少しだけ小さくなる。
レイファ
「……そしたら、
急にいなくなるんだもん」
外套を、
ぎゅっと掴む。
レイファ
「……ずっと、
寂しかった」
言い切り。
泣かない。
でも、誤魔化さない。
レイファ
「だからさ」
顔を上げる。
目は、
真っ直ぐ。
レイファ
「近づきたくて」
レイファ
「いっぱい勉強したし」
レイファ
「いっぱい強くなった」
少し、照れる。
レイファ
「……ちゃんと、
見えるところまで来たでしょ」
ヴォイドは、
少しだけ、息を吐く。
ヴォイド
「……そうだな」
肯定。
それだけで、
全部が報われる。
レイファ
「ふふ……でしょ」
嬉しそうに、
また身体を預ける。
レイファ
「……だから、
今日は……」
一拍。
レイファ
「……ちょっとだけ、
子供でいていい?」
答えを待たない。
ヴォイドは、
何も言わず――
そのまま、動かない。
拒まない。
ただ、
そこにいる。
それで、十分だった。
◇
しばらくして。
――じー……。
柱の影。
四つの影が、
綺麗に横一列に並んでいた。
白羽。
スレイ。
カレン。
シオン。
誰も、喋らない。
ただ――
見ている。
白羽は、
息を殺して。
スレイは、
口を半開きにしたまま。
カレンは、
眉をひそめつつ、視線は逸らさない。
シオンは、
首を少し傾けて。
――じー……。
シオン(小声)
「……ぴとって……」
白羽(小声)
「……シオンちゃん、
言わなくていいですよ……
今は……」
スレイ(小声)
「……これは……
見ちゃうよね……」
カレン(小声)
「……業務外ですが……
目が離せません……」
その瞬間。
レイファの動きが、
ぴたりと止まった。
背中。
腕の位置。
距離。
――視線。
見られている。
自分に向けられた
“無言の四方向”を、
一瞬で理解する。
レイファ
「…………」
ゆっくりと、
首だけを回す。
視界の端。
柱の影に――
四人。
レイファ
「~~~~~~っっっ!!」
声にならない悲鳴。
爆発。
顔が、
一気に真っ赤になる。
ばっ、と、
ヴォイドから飛び退く。
レイファ
「ち、違う!!
今のは、その……!!」
完全に動揺。
耳まで真っ赤。
その間。
スレイが、
ゆっくりと、
満面の笑みを浮かべた。
スレイ
「……なるほど?」
一歩、前に出る。
スレイ
「長官。
今までの分――」
にやり。
スレイ
「……いやあ。
これはもう、
しっかり見ちゃいましたね」
白羽
(……尊死……)
スレイ
「日頃の威圧と説教と規則指導の数々!
全部、帳消しになる可愛さでしたね!!」
白羽
「ス、スレイさん!?」
レイファ
「なっ……!!
そ、それは……!!」
そこへ。
カレンが、
恐る恐る……しかし。
カレン
「……あの……
私も……」
レイファ
「……カレン?」
カレン
「正直に申し上げますと……」
一拍。
カレン
「……非常に、尊かったです」
レイファ
「――っ!!?」
スレイ
「だよね!?」
レイファ
「ぜ、全員!!
業務に戻りなさい!!」
声は大きいが、
迫力はまるでない。
顔が、
まだ真っ赤だからだ。
スレイ
「いやあ……
今日の演習、
一番の収穫でしたね」
白羽
(こくこく……)
スレイ
「だってさ」
指を立てる。
スレイ
「“最強の長官にも、
素の顔がある”って分かったし?」
カレン
「……皆、
少し安心したと思います」
レイファ
「……っ」
言い返せない。
その横で。
ヴォイドが、
何事もなかったように、
指を伸ばす。
トン。
額を、軽く。
ヴォイド
「……まだまだだな」
レイファ
「――っ!!」
びくっと、肩が跳ねる。
スレイ
「……え、今の何?」
白羽
「……すごく……
距離、近くないですか……?」
シオン
「……なにか……
たいせつなこと……?」
レイファ
「ち、違います!!
今のは、その……!!」
顔が、
一気に真っ赤になる。
シオン
「……えへ……」
レイファ
「……っ……」
悔しそうに、
でも少しだけ笑って。
レイファ
「……次は……
勝つもん……」
小さく、
でも、はっきり。
ヴォイドは、
一歩、下がる。
そして。
ヴォイド
「……ああ。
いつでも来い」
一拍。
レイファ
「……っ」
一瞬だけ、
言葉に詰まる。
それから。
レイファ
「……ねえ、ヴォイドさん?」
小さな声。
レイファ
「あの時の、約束……」
視線が、
わずかに揺れる。
レイファ
「……まだ、有効だよね?」
疑ってはいない。
ただ、確かめたいだけ。
ヴォイドは、
少しだけ間を置いて。
小さく、頷いた。
それだけ。
レイファ
「……っ///」
一気に、
顔が真っ赤になる。
レイファ
「……ばか……」
小さく。
でも、確かに。
その場にいた全員が、
なぜか笑った。
演習区画に残ったのは、
戦いの痕ではなく――
再会と、
次へ進むための余白だった。
◇ タナトスロア内部/出立準備区画・朝
朝の光が、
高い天井からまっすぐに落ちていた。
白い床に、
長い影が伸びる。
白羽は、
少し落ち着かない様子で周囲を見回している。
白羽
「……本当に、
もう行くんですね……」
スレイ
「今さらでしょ」
軽く笑いながら、
背中の装備を叩く。
スレイ
「昨日あれだけ派手にやって、
今日は普通に出発」
白羽
「ら、落差が」
シオンは、
床に映る自分たちの影を見ていた。
シオン
「……あさ……
気持ちいい……」
ヴォイドは、
少し離れた位置で立っている。
いつもと同じ。
だが、空気は明るい。
そこへ。
足音が響く。
迷いのない、
はっきりした足取り。
レイファが現れた。
長官服。
背筋は伸び、
表情は穏やかだ。
――硬すぎない。
レイファ
「おはようございます」
白羽
「お、おはようございます!」
スレイ
「おはよーございます、長官」
軽口。
むしろ、
ほんの少しだけ口元を緩めた。
その横に、
カレンが並ぶ。
カレン
「出立ゲートは、
すでに開放されています」
カレン
「補給物資と通信端末は、
規定より多めに積みました」
スレイ
「カレン……
あんた、気が利くじゃん」
白羽
「カレンさん……」
シオン
「……いっぱい……」
カレンは、
少し照れたように視線を逸らす。
レイファは、
一歩前に出る。
レイファ
「昨日の件を踏まえ――」
一瞬、
言葉を区切る。
そして。
レイファ
「あなた達は、
タナトスロアの
“管理対象”ではありません」
白羽が、
息を呑む。
レイファ
「ですが」
視線が、
全員を順に捉える。
レイファ
「世界を進める力として、
私は、あなた達を信じます」
言い切り。
スレイ
「……おお」
白羽
「……はい!」
シオン
「……いく……」
レイファは、
最後にヴォイドを見る。
ほんの一瞬。
昨夜の距離は、
もうない。
だが。
レイファ
「……帰ってきたら、
また話をしましょう」
業務でも、
感情でもない。
約束の形。
ヴォイドは、
小さく頷く。
それだけ。
カレンが、
一歩前に出る。
カレン
「皆さん」
少し、間を置いて。
カレン
「……ご無事で」
カレン
「それと」
一瞬だけ、
笑う。
カレン
「できれば、
また、楽しい話も持ち帰ってくださいね」
スレイ
「了解」
白羽
「……はい!」
シオン
「……たのしむ……」
レイファ
「――では」
いつも通りの声。
長官としての声。
レイファ
「いってらっしゃい」
そう言って、
一歩、前に出る。
……近い。
思ったより、
距離が近い。
(あ、ちか……)
胸が、
変な音を立てる。
今さら、
何を緊張しているのか。
何度も、
向かい合ってきた相手なのに。
それなのに。
(もう……
行っちゃうんだ)
ほんの一瞬、
その考えが浮かんだ。
だから。
無意識に、
もう一歩――
――つまづく。
「……っ」
足が、引っかかる。
体勢が、
前に崩れる。
(やば――)
思うより先に、
身体が動いた。
距離が、
一気に、消える。
やわらかい感触。
あたたかい。
――あ。
理解するより、
先に。
ちゅっ。
小さな音。
触れたのは、
一瞬。
でも。
頬。
確かに。
ヴォイドの。
(――――っ!?)
時間が、
止まる。
レイファの思考が、
真っ白になる。
近い。
近すぎる。
息。
匂い。
体温。
全部。
次の瞬間。
レイファ
「~~~~~~っっっ!!!」
顔が、
一気に熱くなる。
ばっと、
飛び退く。
レイファ
「ち、違う!!
今のは、その……!!
事故だから!!」
必死。
否定が、
早口になる。
でも。
胸の奥が、
うるさい。
(……ふ、触れちゃった……)
(頬……)
(やわらか……)
一瞬。
誰も、言葉を失った。
次の瞬間。
スレイ
「いやいやいや!!
今の段差、MVPじゃない!?
タナトスロア史に残る活躍でしょ!!」
白羽
「段差さん……
本当に、ありがとうございました……!!」
シオン
「……だんさ……
すごい……えらい……」
騒ぎ声が、
遠い。
レイファは、
自分の手を見る。
指先が、
微妙に震えている。
視線を逸らす。
でも。
頬が、
ゆるむのを、
止められない。
ほんの一瞬。
唇に残った、
感触を思い出してしまう。
レイファ
「…………」
顔を覆いたい。
床に埋まりたい。
それなのに。
心のどこかで。
(……キス……)
その横で。
ヴォイドは、
何も言わない。
ただ、
一歩、下がって――
いつも通り、
小さく頷いた。
それだけ。
それなのに。
胸が、
きゅっと鳴る。
カレンは、
少し離れた場所で、
その様子を見ていた。
何も言わない。
ただ、
そっと微笑む。
(……よかったですね、長官)
レイファは、
深く息を吸う。
まだ、
顔は熱い。
でも。
レイファ
「……いってらっしゃい」
今度は、
少しだけ柔らかく。
ヴォイドは、
背を向ける。
ゲートが開き、
朝の光が差し込む。
レイファは、
しばらく、その場に立っていた。
頬に、
そっと触れる。
まだ、
あたたかい。
レイファ
「……ばか……」
小さく。
でも。
口元は、
隠しきれないくらい、
乙女だった。
朝の光の中で、
それぞれが、次の道を歩き始めていた。




