表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

空と草原の竜皇女 ~婚約破棄からの草原直送ですわー!~

作者: 杉戸 雪人

わたくしの名はディアーナ。大陸は東に腰を据えるルドラス帝国の第七皇女。わたくしには政略の駒としての価値しかなく、父である皇帝ビレドにとっても数ある娘の内の一人でしかございません。


それでも、それでもわたくしは期待に胸を躍らせています。なぜってわたくしの婚約者であるフィンドル辺境伯のご令息――ユリウス=フィンドル様は美男子ですし、性格もお優しいと評判なのです。何度かお会いしてその人となりも分かっていますし、きっとわたくしの少しばかり粗野でおっちょこちょいなところも受け止めてくださることでしょう。


と、思っていたのですが。


「ここここ婚約破棄ですのー!?」


ルドラス帝国が内憂外患に陥っている中、フィンドル辺境伯は数ある貴族の中でも極めて献身的な態度で忠義を尽くしていたはずでした。昨日の今日までラステーヌ辺境伯領を治めていたはずですが、電撃独立宣言! 新たな国の名はラステーヌ王国となりました。ラステーヌ王国はかつてルドラス帝国が滅ぼした国――つまりつまり、独立という形での復活ということ!


ラステーヌは新たな国王を、いえ女王を立てました。


その名もリュシティア=ラステーヌ。お父様が滅ぼしたはずのラステーヌ王家の生き残りがいたということです。


……。


……それはまあ良いでしょう。争いの世においてはそういうこともありましょう。問題はそこではありません。


女王の夫がユリウス=フィンドル様だというのです。


……。


「寝取られッ!」


領土は取られ、婚約者も取られ、あんまりですわ。いえ領土は取り返されたと言うべきでしょうか。はあ、どうしてお父様は戦争がお好きなんでしょう。取れば取り返されるでしょうに。


「ユリウス様……結婚した暁には共に飛竜に乗ってアクロバット飛行を楽しみましょうってお約束したのに……」


……。


思い返してみれば、ユリウス様のあの時の笑顔、少しぎこちなかった気がしますわ。もしかするとユリウス様にとってわたくしとの結婚は不本意なものだったのでしょうか。悲しいですわ。


月夜の窓辺にしおれる赤き花とはわたくしのこと。ルドラス王家に伝わる炎の赤髪も今に燃え尽きて灰色になってしまいそうです。こうしているうちにいつかおばあちゃんになってしまうのでしょうね。


いいえ、このまま朽ちてしまうはずはありません。奮起したわけではありませんが、別にわたくしが何をしてもしなくても、政略の駒としては使えるのです。どこかの働きっぷりの良い辺境領主の褒美となるか、はたまた和平交渉なり同盟関係強化の道具となるか。


……。


西側諸国に飛竜――優秀な血統だそうです――が流出したのがついこの間のことで、踏んだり蹴ったりのお父様はカンカンでしょう。わたくしのような平民出の母から生まれた皇女が比較的ぞんざいに扱われたとしてもおかしくはない。そう、ないのです。


と思っていた矢先、想い人を取られた悲しみにひたる間もなくお父様からお達しがありました。


『シスカルの第三王子と結婚せよ』


シスカル――北方遊牧民の集合体であるシスカル王国のこと。ルドラス帝国とは定期的に戦争していますが、これがなかなかお強いらしく、互いに国境を綱引きしているそう。シスカルは弓に長けた方々なので、飛竜さえ撃ち落してしまうと聞いたことがありますわ。可哀そうに。


……。


シスカルの王子との結婚ということはつまり、和平交渉に使われるということですわね。わたくしは平和のための礎になるのでしょう。それは喜ばしいことです。これ以上飛竜が弓矢の餌食になることもないのでしょう。


……それは良いとして。


「ド田舎ッ!」


草原と草原と草原しかない――あっても険しい谷や崖!――というあの国に嫁ぐんですの……? 昨日の今日までラステーヌ辺境伯領のオーシャンビューでユリウス様とハネムーンを満喫する未来がありましたのに!


これはお父様に抗議いえ懇願せねばなりません。せめてもう少し都会の――。


などと抗議できるはずもなく。


最後にお父様のお顔を拝見したのは帝国有数の辺境伯ダイン=リューガルが帝国の飛竜の研究資料を持ち出し青天のへきれき大脱走をした直後でした。海を挟んだ南方にある砂漠と魔物と竜の巣しかいない未開の大陸に竜王国リューガルの設立を宣言した直後でしたわ。リューガル辺境伯は開墾の難しい土地を切り開く術に長けているということでしたから、もしかしたら砂漠を森に変えるかもしれません。まあ難しいでしょうけれど。


それにしても、やってくれましたわね皆様方。お父様も大概破天荒ですが、皆様のそれも負けてはいません。おかげさまでお父様はカンカンを通り越してガンガンでした。ガンガンと玉座を剣で殴りつけていたのです。恐ろしや恐ろしや。周囲の兵士達もその矛先が自分に向かいやしないかと戦々恐々でしたわ。


「第七皇女ディアーナよ」

「はははははいお父様ままま」

「お前には期待しているぞ」


期待しているなんて初めて言われました。帝国がこうなる前ならいざ知らず、今さらそんなことを言われるとかえって怖いです。『お前には』という言い方が重すぎて聞かなかったことにしたい捨ててしまいたいぐらい。ぽーい。


かくしてわたくしはお父様とついに目を合わせることもなく、ルドラス帝国から人質兼花嫁として草原の帝国シスカルに向かうのでした。





広すぎる平面が二つ並ぶ世界。


まずは足元に一つ、緑色。


そして頭上に一つ、青色。


正面には宮殿――帝国のものに比べると質素に見えますわね――がありました。宮殿の門の前にはたくさんの暗い髪色の方々が並んで私を出迎えています。


草原と青空に挟まれたわたくしの髪はさぞ映えたことでしょう。これでもお姉様たちに次いで美しいと評判なんです。シスカルの老若男女の皆様も、わたくしを見て感嘆の声を上げているではありませんか。


「なんて美しいんだ」

「火が流れているようだ」


そうでしょうそうでしょう。帝国では比較対象がいましたが、ここでは唯一無二の赤き花ですから。案外、ここでの生活も悪くないかもしれませんね。きっと、シスカルの王子様――第三王子ですが――もわたくしを見て満足してくださることでしょう。


一人の青年がわたくしの元へと歩み寄ってきます。他の方々に比べて青が際立つ美しい衣装をきていました。


ふんふん、ユリウス様に比べると少し物足りなくはありますが、悪くはない顔つきですわね。目元が少し鋭いですが、剣や弓を持った時は様になりそうです。17歳と年下ですが、背筋もピンと伸びていて男らしさがありますわ。ユリウス様に比べるとほーんの少し物足りないですが。


「お待ちしておりました、ディアーナ様。私はトリクの子、ロドと申します。以後、よろしくお願いいたします」

「ロド様……! 私もお会いできる日をずっと待ち望んでいました……!」

「そうですか」

「……は、はい」


……。


なんというか、社交辞令の一つぐらいあっても良さそうなものでしたが、第三王子ロド様は必要最低限のことしかおっしゃりませんでした。お住まいはあそこになりますとか、生活のことは侍女長にお聞きくださいですとか、本当に必要最低限。


もう少し何か言うことはありませんの? 故郷を去って遠路はるばる飛竜に乗って来たわたくしを慮る言葉の一つや二つ、あってもいいんじゃなくって? ユリウス様ならもっと色々とおっしゃってくださったのに……。


いえ、きっと緊張されていたのですわ。赤色の髪の乙女なんてきっと初めて見たことでしょうから。そうに決まっています。





ロドという男はわたくしの好みとは正反対の男でした。寡黙で、不愛想で、髪の色は暗いし、伏し目がちで目つきが鋭い。


ああ、ここに来てからもう何度日が昇ったことでしょう。数えると憂鬱になりそうなので考えないことにしています。ため息。


「姫様。ロド様はきっとシャイなお方なんですよ」


と言うのはわたくしの側仕えのマルー。わたくしと共に飛竜を駆り、ド田舎国家に左遷された哀れな娘。彼女は自らわたくしに同行することを志願した稀有な存在でした。まあ、自分から言ってこなくても連れていくつもりでしたけれど。


色々と気遣いの言葉をかけてくれるマルーですが、今のわたくしには竜耳南風(りゅうじなんぷう)。聞く耳なしですわ。


「ごらんなさいマルー、この二頭の飛竜を。そこがどんな辺境の地であろうと、二人揃えば満足なのです。今もこうして首をからませ合い、尾を揺らし、子孫を残す気満々ですわ。こんな立派な竜舎(りゅうしゃ)まで用意されて、夜伽の準備もばっちりでしてよ」


ロドはわたくしには気を配りませんが、わたくしたちが乗ってきた飛竜の扱いは丁重なものでした。まあもちろん? つがいの飛竜も和平交渉の材料ですから? 丁重に扱うべきものだということは分かっています。ここはルドラス帝国よりも寒いですし、冬を越えられない可能性だってありますし。


生き物を大切にするという点では、わたくしもロド様が嫌いではありません。むしろ好感が持てました。竜は馬とは違うのでしょう? なんて当たり前のことをお聞きになったりもしましたが、それもどういった環境が竜にとって適切なのかを把握しようとしてのこと。そうした意味では、わたくしが求める理想の夫像の一つは少なくとも満たしているのです。一つだけ、ですが。


「ルドラスと覇を競うシスカルの王子が、三男と言えども王子がどうしてこう奥手なんですの?? 剣を片手に『俺のものになれ』ぐらい言えませんの??」

「皇帝陛下じゃないんですから……」

「別にお父様みたいな男性が好きというわけではありません! 極端な例として出しただけであって、わたくしは単にもう少し向こうから話しかけてくださったり、話しかけずとも寝所に入ってくるなりしないのかという話をしているのです!」

「はあ。もういっそのこと姫様からアプローチをかけてみては?」


……。


わたくしは昔から、あまりお話が上手ではありませんでした。特に男性とは。気の利いた言葉や振る舞いというのは殿方に任せるばかりで、わたくしは皇帝の娘としてお姉様方よりも遥かに劣っていました。緊張すると言葉が出てこなくて、頭も回らなくなって、無言。相手がお話になれば「凄いですわ!」「そうですわね!」と適当な相槌を打って、よく分からないまま話が終わる。お母様と同じで、にこにこと愛想よく振舞うことだけはできたけれど、それ以上はない。


きっと、ユリウス様もこんなわたくしに愛想よくするのは大変だったのでしょうね。ユリウス様の新しいお相手は、さぞ知性にあふれたお方なのでしょうね。


……。


「マルー」

「はい」

「わたくし」

「はい」

「頑張りますわ!」

「ご武運を」





聞けば「狩りに行かれた」。

聞けば「魔物退治に向かわれた」。

聞けば「はぐれ馬をお探し中である」。


という具合に、なかなか足がつかないロド様。わたくしを避けているのかしら、なんて弱音を吐くつもりはありません。冷静に考えて、そんな弱音を吐いている内に烈火のごとくお怒り中のルドラス皇帝から「子はまだか!」と恐ろしい手紙が届くやもしれません。ロド様の都合なんてこの際知ったことではなくってよ!


……と、収穫がありました。我が配偶者たる王子を探していると新情報が手に入ったのです。


「ロド様は時折、早朝に竜舎の方に足をお運びになられます」


ですって。


「足を運ぶ場所が間違っていましてよッ!?」


と叫ぶと、教えてくださったロドの側仕えの方が「申し訳ございませんッ!」と平謝り。


「あ、怒ってはいなくってよ?? ごめんあそばせ??」


とは言ったものの、実際わたくしは怒っていました。


ロド様の御身が危険だからです。ルドラス帝国の飛竜がいくら人馴れして大人しいとはいえ、一口で人間のあばらを粉砕できますし、尻尾を振れば首を折ることができるのです。ふとした拍子に逆鱗に触れてしまえば、たちまちお亡くなりになることでしょう。そして、わたくしも即刻首を落とされるやもしれません。戦争ですわ!


「そもそも……竜舎におひとりで入ってはなりませんとお伝えしておりましたのに……!」


思い出して、わたくしの怒りが倍増します。彼はわたくしとの約束を反故にしたのです。わたくしが唯一お願いしていたことを、ロドという男は破ったのです。


怒りに任せて竜舎の扉をバンッ! と開けてしまいたい気持ちもあったのですが、そんなことをすれば飛竜は驚き近くにいた人間の首をはねてしまうかもしれません。それは避けるべきでしょう。


わたくしは極めて慎重に、心を落ちつけて、息を整え、そーっと扉を開きます。


いなければまあ、いいでしょう。もしいたら……どうしましょう。すぐに連れ出して、その胸をどんどんと叩いてやりましょうか。


そんなことを考えていると、声が聞こえてきました。


「美しいな、君は」


それはロド様の声でした。わたくしは突然の言葉に天に舞い上がりそうになり、もういやですわロド様ったら突然そんなことをおっしゃるなんて……と言いそうになり、彼の声が私とは別方向に向けられているのだと悟ると、別の意味で叫びそうになりました。


「君に乗りたい」


ななななんですって!? わたくしという存在がありながら、ロド様いやロドッ! いったいどこぞの女に乗ろうとしているんですのッ!?


「いいだろう?」


だめに決まってますわッ!?


そしてわたくしは扉を全開にし、その光景に愕然としたのです。


「ディ、ディアーナ様……?」


普段は鋭い目を丸くするロド。こんな彼の目は初めてでした。ロドの伸ばした手が触れているのは彼女――飛竜のベル。隣でぐっすり寝ている夫竜――名前はアロ――のことも忘れて、ベルは満更でもないという顔をして、あごを撫でられるがままになっていますわ。


……。


……寝取られッ!?


アロは妻を、わたくしは夫を、寝取られた……?


……。


「ロド様」

「は、はい」

「お話があります」

「……はい」


その時、わたくしは初めてロドの手を取りました。まあ、取ったというよりは握り締めたのですが。





日の出間近の薄明りの空、草原に吹く柔らかな風が、少しはわたくしの怒りの火を抑えてくれています。こういうところはわたくしも嫌いではありません。


「……」

「……」


わたくしは無言でした。ロド様もそう。自然だけがわたくしたちに語りかけて、「早く何か話せ」と言ってきます。余計なお世話でしてよ。


「……」

「……」

「……ディアーナ様、お話とは?」

「……え?」


そういえば、お話があるって言ったのはわたくしでしたっけ。うっかり。


お話お話……何を話したかったのでしょう、わたくしは。


ああそうそう、勝手に竜舎に入ったことですわ!


「ロ、ロド様? どうして勝手に竜舎にお入りになったのですか?」

「それは……その、申し訳ございません。竜に触れてみたかったのです」

「……。お気持ちは分かりますけれど、危険だとお伝えしていたはずです」

「……はい」

「ど、どうしてわたくしに聞いてくださらなかったの? 言ってくだされば触れ方も、乗り方だってお教えして差し上げましたのに……!」

「それは……すみませんでした……」


それからロド様は謝るばかりで、わたくしの問いに真正面から答えてはくれませんでした。はぐらかすような言い方でのらりくらりと。お父様の前でそんなことをしたら一発で首をはねられてしまいますわね。


なんて思っていると、だんだん心の中の火が燃え盛ってくるのが分かってきました。私の火に油を注いでいるのがなんなのか、最初はよく分からなかったのですが、ロド様を見ているうちにその理由が分かったのです。


「どうして、わたくしの目を見てくださいませんの……?」


ロド様と目が合わない。それはもう驚くほどに。人が目を合わせないというのはやましい気持ちがあるからに違いありません。さっきのは竜でしたが、実は愛人がいたりしてわたくしに隠れてこそこそと逢瀬を重ねているんでしょうね! ふん!


「それは……」


なんですの。この際言いたいことがあったら何でもおっしゃってくださいな! なんてわたくしが言えるはずもなく、黙って彼の言葉を待ちました。


彼は意を決したように顔を上げると、相変わらず伏し目がちですがわたくしの目を見てくれました。負い目……いえ、わたくしはその目に、怯えを見つけました。


そして口を開いたロド様から発せられた言葉は思いの外長かったのです。彼はゆっくりと言葉を選びながら、おそらく正直な想いを伝えてくれました。


「初めてディアーナ様をお迎えに上がった日、私はあなたに強く心惹かれました。飛竜から軽やかに草原に着地する様は、私が想像していた帝国の姫君とはまったく異なり、美しかった。ですが、初めて目が合った時、あなたは心ここに在らずといったご様子で、どこか遠くに想いを馳せているようでした。私は確信しました。きっとルドラスに想い人がいたのだと。そして私は、そのお方よりも男として劣っているのだと。ここに来たのは、本意ではなかったのだと。そう、確信したのです。だからといってあなたに話しかけなかったのは、目を合わせなかったのは、許されないことでしょう。ただそれは全て、ひとえに私が臆病だったせいです。本当に、申し訳ございませんでした」


……。


ロド様の言葉は真摯なものでした。暗にわたくしのことを責めるようなお気持ちは、その言葉には含まれていませんでした。


ロド様は口をつぐみ、わたくしは……いえわたくしも開いた口を閉じてしまいました。





「――ということがあったんですの」


わたくしはマルーに今朝の出来事を伝えました。わたくしはロド様を誤解していたと。


「……それで、姫様は結局、ロド様に図星を突かれて、それっきり黙ってしまったと?」

「みなまで言わないでくださいな。わたくしだって何か答えなければと思いましたけれど、草原に見とれて言葉が出てこなかったんですのよ」

「なんかいい感じにおっしゃってますけど、単に予想外なことが起きて混乱してしまったんですよね?」

「……」


マルーは歯に衣着せぬ物言いをして、わたくしをじっとりと見つめました。ええそうですわ、痛いところを突かれて言葉が何も見つからなかったんですのよ。むん。


「ですが、なんと申し上げたらよいか」とマルーは言葉を探しています。今度は何を言うのかしら。


「男らしくないですね」

「え?」

「別に姫様に想い人がいたとして、気にせず自分のものにすればいいではありませんか」

「なっ、ちょっと!?」

「むしろ、前の男のことなんて忘れさせてやるーぐらいの気持ちで来てくださればいいのに。皇帝陛下なら『今日からお前は余のものだ。がはは』とかなんとか言いそうでは?」

「マルー! ロド様は紳士なだけです! お父様と比べないでくださいまし!」

「そうですか? 私はロド様に姫様をお任せするのが不安になってまいりました。頼りないというかなんというか」

「そんなことはありませんわ! わたくしたちはロド様のことをまだ知らないだけです!」


わたくしの中で、何かがめらめらと燃えてきました。マルーを睨むと、「それなら良いのですが」と笑顔で返されたのですが、何がおかしいのかしら。もう。





意外にも先に行動を起こしたのはロド様でした。「その、飛竜について教えていただけますか……?」と相変わらずの低姿勢でしたが。


まあ、「あなたはわたくしの夫なのですよ? 遠慮などなさらないで?」と言いたくもなったのですが、そこはぐっとこらえました。こういうのは段階が必要なのですきっと。


ロド様には飛竜乗りの才能があると思います。そも、飛竜のあごに触れるなど棺桶に片足を突っ込むのと同義なのですが、ちゃっかり生還するあたり生き物に好かれる稀有な才能があるのでしょう。


ですが、これだけはお伝えしておかなければ。


「竜のあごの下にある逆さの鱗――逆鱗には決して触れてはならないのですよ。それで生き残ったのはルドラス初代皇帝しかいませんので」


ロド様は目を丸くして「わ、分かりました……」とだけ言いました。そんなことも知らずに触っていたのですから本当に生きていて良かったですわ。


さてさて、わたくしはロド様の願いを叶えて差し上げることにしました。確かに飛竜を目の当たりにしたら乗ってみたいと思うのが人の性ですわよね。わたくしもそうでした。


ですが同じ年ごろの貴族令嬢の皆様方は「信じられない」といったことを口にしたものです。飛竜に乗ったとお話してみれば、「ディアーナ様は騎士になるのですか……?」と言われましたし。帝国において女性が飛竜を操るのは極めて珍しいことなのです。マルーなんて例外中の例外ですわ。


そんなことをお話すると、ロド様は「そうなのですか?」ときょとんとしたお顔をなさいました。「私たちは男も女も馬に乗りますが……」と不思議そうです。


確かに不思議でした。「女性が乗ってもおかしくないですわよね!」とわたくしが手を叩くと、驚くべきことが起こりました。


「ふ」


と、ロド様が笑ったのです。どこに笑う要素があったのかは存じ上げませんが、確かに笑ったのです。ロド様の笑顔は初めてでした。いつも愛想にはやや欠けた硬いお顔をされていますが、彼が笑うとこれが意外に……いけるのですわ。あるいはわたくしの知っている貴族令嬢の何人かは頬を染めるかもしれない、それぐらいの愛おしさがあったのです。


わたくしが無言でじっと見つめていると、ロド様は「あっ」と口を手で隠し、「失礼しました……」とまた伏し目がちな顔をなさいます。


……そうはいきませんわ。


「もっと失礼してくださいな!」

「えっ」


困惑した顔をなさるロド様はさておき、わたくしは勢いのままに竜舎から夫竜のアロを外に解放し、その太くて長い首に鞍をつけ始めます。「アロ、あなたって本当に寝坊助さんですわね」と話しかけながら。


アロは分かってるんだか分かってないんだか分からない声でぐぉぇと喉から音を鳴らしていました。「そんなのだから妻が寝取られるんでしてよ」と言うと、今度はロド様が「えっ?」と分かっていない声を出しました。自覚なし、罪な男ですわー。


ところで、竜の鞍は馬のそれよりもかなり複雑と聞きます。確かに、わたくしも竜鞍を取り付ける時は気合いを入れるからきっとそうなのでしょう。いくら頑丈な飛竜とはいえ首という繊細な部位に取り付けるわけですし、締め付けが強すぎたら可哀そうですし。


「……」

「……」


わたくしは無言、ロド様もやはり無言。ですがいつもと違うのは、彼の真剣な目がわたくしの手元に向けられていると感じることでした。いつもの無言とは違って不思議と心地いい。


飛竜に騎乗する準備ができたところで、わたくしは(あぶみ)に足をかけ、勢いで鞍に飛び乗ります。わたくしに続くようロド様に促すと、ロド様は危なげなく背中側に飛び乗りました。さすがは遊牧民の王子、身のこなしが軽やかですわ。


「行きますわよ!」

「はい!」


ロド様がわたくしを後ろからぎゅっと抱きしめます。それはもう、「しっかり掴まってくださいな!」なんて言う必要がないぐらいに。


普段の彼の振る舞いとは打って変わって遠慮のない抱擁に、わたくしの中で何かが燃えました。この感覚は、わたくしが普段一人で飛竜に乗る時には必ず覚えるものですが、今日は一段とめらめらしていました。


今日の空はきっと今までにないぐらい胸躍るものになるに違いない。なぜかは分かりませんが、確信がありました。「ふふ」とわたくしが口を隠さずにはしたなく笑ったことに、ロド様は気づいたかしら。


タン! と足で鐙を蹴ってアロに飛び立つよう合図すると、寝起きのアロは目覚め、羽ばたき、わたくしとロド様を空へと連れて行くのでした。





10年ほど前、わたくしに好意を持ってくださった貴族令息の方がいらっしゃいました。わたくしが竜に乗れると聞いた彼は、ご自分も一緒に乗ってみたいとわたくしに言ってくださいました。彼は飛竜乗りではありませんでしたが、わたくしはその気持ちがうれしかったのです。


嬉しくて、彼に好きになってもらいたくて、わたくしはわたくしにできる全てを発揮し、空を駆け巡りました。地上に降り立った彼の顔は青ざめ、胃の中のものをお戻しになりました。わたくしは「あれ??」と思った後、「やってしまいましたわ……」と後悔しました。


結局、彼は二度とわたくしに声をかけることはありませんでした。


今までそのことを忘れていたのに、どうして今になって思い出したのかしら。


「姫様、姫様、どうされました? ぼーっとして」

「え? ああ、マルー」

「はいマルーです。で、どうされました?」

「ちょっと、昔のことを思い出して」

「昔のこと?」

「わたくしと空を飛びたいとおっしゃった殿方が、わたくしと飛んだ後、もう二度とわたくしに声をかけなくなったことがありまして」


マルーは気難しい顔をして、うーんと唸った後、「昨日、ロド様とは、どうだったんですか?」と尋ねてきました。どうだった、と聞かれても、どう答えればいいのかしら。


そう、そうですわね、一言で言うなら――


「――最高でしたわ」


わたくし、殿方と飛竜に乗ったことは何度もあります。それが社交の一環でしたし、わたくしも嫌いではありませんでした。むしろ好きな方です。社交においては殿方の背にしがみつくので、それはそれは胸が高鳴るものですが、いざ飛んでみると物足りなさを感じるのです。


もっと速く飛べないのかしら、もっと違う飛び方は知らないのかしら。


……彼らからしても、わたくしはきっとつまらない女に映ったことでしょう。普段の日常会話であれば、わたくしも努めて愛想笑いをするのですが、いざ飛ぶとなったら話は別でした。


立派な貴族令嬢であればそれこそ悲鳴を上げて殿方の背にしがみつくものだそうですが、わたくしにはまったくその感覚が分かりませんでした。正直なところ、手放しでも平気だったのです。


それでも男を立てるのが淑女の勤めと張り切って抱きついては「きゃー」とか「怖いですわー」と叫んでみるのですが、どうも本気になれませんでした。本気で演じることができなかったのです。


別に物足りなくても、それでもわたくしは良かったんですのよ? でも、飛び終わった後、皆様決まってがっかりしたような顔をなさるのです。わたくしにはそれが辛かった。


唯一、ユリウス様だけがそんなお顔をなさらなかったんです。確かに物足りない感じはあったのですが、わたくしに対する態度を変えたりせず、ずっとお優しいままでした。ですから、彼と飛ぶのは悪くないな、こういうのも案外いいものだな……なんて思っていました。


そんな彼との婚約が破棄されるとは夢にも思いませんでしたけれど……。


今はむしろ破棄されて良かったと思っていましてよ。なんならユリウス様の心を射貫いたであろうラステーヌ女王様にも感謝したい気持ちです。お父様にはとてもとても言えませんが。


……。


ロド様と空を飛んでいる時、彼は言ったのです。


『もっと速く飛べないのですか?』


……。


……燃えましたわ。


「姫様」

「どうしたんですのマルー」

「ロド様がお見えです」

「まあ!」


竜舎の入口に立つ青い衣装に身を包んだ男の鋭い目は、真っすぐとわたくしを射貫くようでした。これまでが嘘のような凛としたたたずまいに、マルーも目を見張っています。渡しませんわよ?


ロド様は相変わらず恭しい態度を取りましたが、そこに負い目や引け目はなく、わたくしに近づく足取りにためらいはありません。


「ディアーナ様。今日はよろしければ馬に乗ってみませんか。飛竜に比べると物足りないかもしれませんが」


言葉とは裏腹にその目は鋭く、見る人が見れば恐れを抱くものでした。わたくしは違います。


「ロド様の背に乗せてもらえるということですか」


自分でも不思議なぐらい自然に言葉を返しました。


「そうです」

「乗ります」





シスカルが強大な国だとはお話でしか聞いてはいませんでしたが、道理でルドラスが勝ちきれないわけですわ。シスカル馬が断崖絶壁や谷を駆け降りるなんて聞いてませんわよ。


ロド様の背に身を預けたわたくしは、心の底から「きゃー!」とか「怖いー!」なんて叫びました。


叫びながら、嬉しかった。


ロド様の背中は、本当はとても大きかったのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ