歪んだ令息
デミトリオスは執事のオットーと共に馬車に揺られていた。手には自ら用意した花束、贈り物が入った豪華な箱。これは許しを乞うために必死でかき集めた贈り物の数々。すべて、ウラに渡すためのもの。
しかし、デミトリオスの胸を占めるのは焦燥と自己弁護。あれほどグレヴィオやアーシェンに叱責されながら、公爵令息である自分がなぜこうなったのかを未だ理解出来ないままでいる。
(僕はフィリアスタ帝国の全ての貴族の上に立つべき存在なのに……僕は男爵達の企みを暴いたんだぞ!?何故謝罪をしなければいけないんだ!ウラだって偉大なスノヴィリオン様の血を継いでいるのだから僕を理解すべきで、隣にいるべきで──)
そんな言い訳を繰り返しながら、根本的な過ちから目を逸らすばかりだった。
──二日前、デミトリオスの自室に両親が訪れた。
ノックも無しに押し入ってきたアーシェンとメロデットの厳しい表情は、デミトリオスに抗う余地を一切与えないと示していた。
「ウラ令嬢へ謝罪をしに向かいなさい。私達は同伴しない」
その言葉を突きつけられた瞬間、デミトリオスは思わず目を見張った。両親がウラとの関係修復に協力するのは当然だと思っていたのに、その期待は無残にも砕かれる。
「……そ、そんな!父上と母上がいればきっとウラも……」
突き放され情けない声が口から漏れたが、そんな息子にメロデットは静かに首を振る。
「私たちがお前に助け舟を出すことはありません。これまでの行いを振り返って何が過ちだったのか、何を失ったのかを理解しなさい」
メロデットの目は厳しく、それでいてどこか寂しげにも見えた。アーシェンも狼狽える息子を見下ろしながら静かに告げる。
「言っておくが、お前の振る舞いが全てを決定することを努々忘れるんじゃないぞ」
両親の言葉はこれまでの行動を一層浮き彫りにし、焼き鏝を押し付けるよう深く刻まれる。
それでも尚、馬車に揺られるデミトリオスは同伴しなかった両親に対しふつふつ沸く苛立ちを隠しきれず、爪を噛んでいる。
(父上も母上も僕を見捨てるのか……!?僕は偉大な公爵家の跡継ぎなのに……!)
反省とは程遠く、ただ自分が不当に扱われているという憤りばかりが腹の奥に募る。とはいえデミトリオスも幼い頃は祖父たちの栄光に憧れていたものの、このように歪んだ思想を持っていたわけではなかった。
「僕もいつかおじいさまみたいになるんだ!」
幼い頃のデミトリオスは純粋にそう願い、誇り高き公爵家の名に恥じぬよう努力を続けていたのだ。けれど、祖父グレヴィオとスノヴィリオンの武勇伝を讃え、血を継ぐ孫としての羨望を浴び続けるうち──
「公爵家の血を継ぐ僕こそが、貴族の頂点に立つべきだ」
「僕が正しい。僕の決断こそが帝国のためになる」
自分自身を同じ偉大な存在だと錯覚し始め、デミトリオスはみるみるうちに歪んでいった。そして今、歪んだ信念を持ったままウラの元へ向かっている。爪を噛みながら窓の外を睨みつけるという幼稚さを隠そうともせず。
(ウラもスノヴィリオン様の血を継いでいるのだから、僕の全てを理解し従うべきなのに。スノヴィリオン様の孫の癖に努力が足りないんじゃないか!?リュシテナの事だって、尻尾を掴む為にやったことだと全部理解してくれていると思ったのに!)
自分勝手な責任転嫁をひたすら無言で繰り返すデミトリオスの様子を、無理矢理同伴を命じられた執事のオットーは静かに見つめながら、あえて何も言わなかった。
長年仕えてきた彼はとっくに理解しているから。デミトリオスがウラへの贈り物をかき集めている時には、もう。
この馬車が向かう先──クリスタリア伯爵家で、きっとデミトリオスは破滅を迎えることになる事を。
****
「……ようこそいらっしゃいました。ヴァレンティア公爵令息」
不愛想な門番に通され、デミトリオスとオットーは伯爵家へ足を踏み入れるが、屋敷の中は異様なほど静かだった。
本来公爵家の令息が訪れたとなれば屋敷の者は恭しく迎え入れ礼儀正しく振る舞うはずだが、ウラはおろかゼルフィム伯爵やスノリクシア夫人は出迎えては来ず、待ち構えていた侍女たちは無言でデミトリオスを見つめているだけ。茶髪で蜂蜜色の目をした侍女筆頭に敬意はまるで感じず、冷ややかで敵意すら含んでいる異常な空気に怯みデミトリオスは傍らのオットーに目線を向けたが、オットーは目も合わせてくれなかった。彼の背筋は伸び、表情も変わらない。けれど、その沈黙の奥には確かな意図があった。
(公爵家の跡継ぎとして、自身の驕りが招いた結果にどう振る舞いますか?)
デミトリオスがこの状況をどう乗り越えるのか。
冷たい視線を浴びせられ、返されてもなお、品格を保てるのか。それとも──
オットーは、ただ静かに見定めるのみ。
「オットー様、ようこそお越しくださいました!お嬢様も喜ばれます!」
「ああロッタ殿、皆さま。この度は──」
侍女が、オットーにだけ深く一礼する。
他の侍女たちも彼に対しては礼儀正しく敬意を込めた態度を崩さず、令息であるデミトリオスをほったらかしに会話をし始める。デミトリオスは突然無礼な態度取られ頭に血が上りそうになるが、歯を食いしばってどうにか耐える。怒りを露わにすれば更に立場を悪化させ、本当に次期公爵の座が危うくなる。それだけは避けなければならないのだ。だが、公爵令息である自分が執事よりも軽んじられる屈辱は今のデミトリオスには到底受け入れられるものではない。
(僕はウラの婚約者で公爵令息だぞ!?僕を差し置いて執事に挨拶をするなんて……!!)
とはいえ、侍女たちの対応は至極当然のことである。オットーはあの舞踏会にてウラに降りかかった謂れのない噂を払拭すべくデミトリオスに進言してくれた。それに対し侍女やクリスタリア伯爵家は彼に最大限の感謝と敬意を示しているに過ぎない。一方で、デミトリオスはウラを傷つけた張本人でありながら、屋敷に足を踏み入れてから一度たりとも自発的な謝罪を口にしていない。あの沈黙の時間は、まさにそれを待っていたのだ。故に『謝罪もしない無礼な公爵令息など相手にする価値はない』——侍女たちの敵意を一身に受けるのは、当然の報いでしかなかった。
結局俯いたまま謝る素振りすら見せぬデミトリオスに呆れたのか、侍女はオットーを別室に通し、デミトリオスをウラが待つ応接室に案内し始める。
(……ここは耐えろ。ここで余計なことを言えばもっと面倒になる。とりあえず……ウラにだけ謝っておけばいいだろう)
ウラに誠意を見せるふりをして、宥めすかして済ませる──そうすれば侍女たちの態度も多少は軟化するだろう。贈り物だってたくさん用意した。有名な店からかき集めた高価な宝飾品やドレスを自ら運んで渡せばウラも機嫌を直すだろう。どうせ結婚するのは確定事項なのだからこんな事に時間を掛けたくない。
(ウラだって、僕の事を愛しているのだから多少の事は大目に見るべきだ。──そうか!わざと理解してないふりをして、父上やお祖父様に告げ口までして僕を困らせて……)
常人ならそのような考えには至らないはずだが、デミトリオスは心底そう信じていた。ウラは冷たい態度を取っているのは構ってくれなかった事に怒っているだけだと。
やがて胸の奥底で煮えたぎる憤りは次第にどす黒くなり、デミトリオスの口元はもはや貴族らしい優雅さとは程遠く、歪んだ思考に酔いしれる者の笑みを浮かべ始めていく。
カツ、カツと目の前を先導する侍女──ロッタの背を、デミトリオスは真っ赤な瞳で睨みつけた。
(今は好きにするがいいさ。ウラと結婚したら──まずはこの侍女たちを徹底的に躾直してやる)
公爵令息たる自分を軽んじたことを、骨の髄まで後悔させてやる。侍女風情が次期公爵を蔑ろにするなどあまりにも愚かで許しがたい。侍女は自分の足元にひれ伏し絶対忠誠を誓うべき存在である。
ウラが正式に公爵夫人となれば彼女の侍女たちは当然自分の支配下に置ける。その時こそ思い知らせてやるのだ。次期公爵の自分を軽んじるとはどういう事か──身をもって理解させ、二度と逆らう気すら起こらぬように。
彼女たちの態度を改めさせるのではない──泣き喚いて懇願するまで痛めつけて、服従させる。最終的には皆、自分の前にひれ伏さざるを得ないのだから。
デミトリオスは服の胸元を整えながら、舞踏会で行われた断罪劇の時のように恍惚とした笑みを浮かべた。
やがて扉の前でロッタが立ち止まり、こちらへ向き直ると丁寧に頭を下げた。どうやらウラのいる応接室に着いたらしい。
「どうぞ、お入りくださいませ」
応接室の扉が静かに開かれ、デミトリオスは意気揚々と入室した。
きっと頬を膨らませた可愛らしいウラがいるに違いない。
「デミトリオス様が男爵達の悪事を白日の下に晒す為に奮闘していたのは分かっておりますが、構って下さらなかったから私寂しかったのですよ」と訴えてきたのを優しく抱きしめてやり、この贈り物を渡して宥めすかそう。
ウラは僕の事を愛しているからすぐ機嫌を直してくれる。これで次期公爵の座は安泰だ。
ああ、ついでに結婚式の日取りも決めてしまおう。侍女たちの教育も急がねばならない。
侍女の無礼な態度を正すのにちょうどいい。ウラが許してくれれば父上と母上も、お祖父様もさぞ喜ぶことだろう──
だが、だらしない顔で妄想に浸っていたデミトリオスの目に飛び込んできたのは──
足音高らかにやってきた自分に目もくれず、優雅に紅茶とマカロンを味わうウラの姿だった。
思い描いていた"婚約者"の姿とは違い贈り物の箱を落としそうになるも、取り繕うように咳払いをし、贈り物を置き、無理矢理ウラの向かいに着席することでやっとこちらを見てくれたが、視線がぶつかった瞬間デミトリオスの妄想と歪んだ思考が大きな音を立ててぶち壊された。
サファイアの瞳からは婚約者に対する恋焦がれるような熱は感じられず、デミトリオスに用意されたティーカップには茶渋がこびりつき、淹れられた紅茶はだいぶ前に注がれすっかり冷めきっていた
「あら──いらっしゃったのですね。デミトリオス様」
ウラは温かい紅茶を口に運びながら、静かに微笑む。唇の端だけを僅かに吊り上げる仕草は優雅な令嬢のものに違いなかったが、何の温かみを持ち合わせてはいなかった。
明らかな"拒絶"──
ウラはわざと自分を困らせてなんかいない。愚かにもデミトリオスはそこでようやく自分が絶望的な窮地に陥っていることを悟ったのだった。