氷華の由縁
先日の舞踏会の騒動は、多くに知れ渡ることとなった。
あの断罪劇はデミトリオスの独断によるもの。本来ならばアーシェン公爵が正式な告発を経て貴族会議の場で裁きを進めるはずだったが、デミトリオスは血筋を酔いしれるまま言いつけを失念。姑息なことに家族の前では聡い息子として振る舞っており、公爵家の威信が揺らいでいる最悪の状況で軽率な断罪を実行した結果、ヴァレンティア公爵家はザハリー男爵だけでなく他の家門からも侮られるようになってしまった。
“祖父の名に泥を塗る出来損ない”
“婚約者を踏み台に下品な女を侍らせた卑劣な男”
デミトリオスに対する辛辣な噂が広まり、アーシェン公爵が息子の尻拭いに奔走する中“ヘスリンド男爵家が事を起こしたのはデミトリオスの振る舞いが原因”だとしてヴァレンティア公爵家の教育が疑問視されるようになっていた。
嫌でも耳に入ってくる心無い噂にデミトリオスの母メロデットは体調を崩してしまい、かつての英雄グレヴィオにもじわじわ非難が向かい始めたこの状況にウラを筆頭とするクリスタリア伯爵家は黙っているつもりはなかった。確かにウラは被害者ではあるが、その責任を負うのは男爵家とそれに関わった者だけでよいのだ。
クリスタリア家が声を上げたのと同時にザハリー男爵の謀略の余波はフィリアスタ帝国全体に影響を及ぼすと判断した宰相と皇帝も介入を決定。
即座に限られた者だけの議会が設けられウラの父であるゼルフィム伯爵と、被害者として特別に席を与えられたウラは強く主張した。
「裁かれるべきはヘスリンド男爵家とリュシテナ。そして与した者だけです」
「アーシェン公爵とグレヴィオ殿はクリスタリア家や私を救おうとして下さいました。私たちクリスタリア家は……ヴァレンティア家をお守りします」
実際に公爵家乗っ取りを引き起こした者だけが裁かれるべきだとクリスタリア伯爵家は議会の場で訴えたのだ。
やつれた顔のアーシェン公爵はその言葉に感極まった表情を見せ、ウラとゼルフィムに頭を下げた。宰相は難色を示したが、無理にでもデミトリオスが傲慢になった原因を男爵が仕組んだ毒物や禁術の影響とし、公爵家に向けられている批判を男爵家に改めて擦り付ける方が収束は早いという結論に至った。
当たり前だが何事も真っ白にすることは出来ない。いずれ流れ始めるこの“結末”に疑問を抱く者もいるだろうが、ザハリー男爵が乗っ取りを企み、他家を扇動して実行したのは紛れもない事実。処刑は免れたもののザハリー男爵は幽閉されることが決定し実質死人に口なし──そういうものだ。
「クリスタリア伯爵令嬢はヴァレンティア家令息を許す……ということでしょうか」
議会が終わり、二人しか残っていない謁見室。現皇帝の補佐として同席していたラーヴァルテは宰相に問われると、首を横に振った。
「そんなことはあるはずがない。この議会はあくまで秩序のためのものだからな」
「……クリスタリア伯爵家はこの件を収束させるつもりはないと?」
「ウラ令嬢がデミトリオスに“全て返す”までは、な。“受けたものは必ず返す”──それがクリスタリア伯爵家の主義だ」
先ほど決定された内容は、あくまでも帝国全体の秩序を保つ為。公爵家に向けられた非難を男爵家へと向け直すための策に過ぎないが、ウラの思惑はしっかり反映されていた。思考を巡らせ沈黙した宰相にラーヴァルテは穏やかに目を閉じる。
「私には、それを止める理由も権利もないのさ」
それに、このくらいはしないとウラ嬢に面目ない。と笑って肩を竦める女傑に宰相は「皇帝の補佐をかって出たのは返す為か……」とため息をついたが、もう何も言わなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
議会が終わってすぐ、アーシェン公爵とメロデット公爵夫人がクリスタリア伯爵家に謝罪に訪れた。
本来なら当事者であるデミトリオスも同行するはずだったがウラが「日を改めてほしい」と伝えた為その姿はない。デミトリオスはあの一件以来、精神的に不安定な状態が続いていたのもあり、ウラの要望に公爵夫妻は最初こそ困惑したものの結局は受け入れることとなった。
クリスタリア家の応接室に通されると二人は憔悴しきった様子でウラの前に立ち、深々と頭を下げた。
「この度は愚息が取り返しのつかないことを……!ウラ嬢を傷つけた挙句、危険に晒してしまったというのに議会でも庇って頂き──本当に申し訳なかった……!!」
メロデット公爵夫人も震える声で続ける。
「私の教育不足です……!過去の栄光に酔わず、決して驕るなと何度も言い聞かせてまいりましたが……このようなことになってしまいどうお詫びすればよいのか……!」
あまりにも深く頭を下げる二人を見て、ウラは息をのんだ。思わずソファーから立ち上がってしまったが、軽く深呼吸してからしっかりとした口調で告げる。
「いけません、顔をお上げください!」
それでも二人申し訳なさそうに頭を伏せたまま上げる気配はないので、仕方なくウラは目を伏せ言葉をつづけた。
「この件の責を負うべきは、ヘスリンド男爵家とその関係者です。もちろん舞踏会での出来事は受け入れるのはとても……。ですが、あれはデミトリオス様の独断です。必死で対処に走っていたお二人が矢面に立たされることは道理に反しますし、今回の騒動は早く対処せねば要らぬ混乱を招くでしょう。これで一旦は良いのです」
ウラの言葉に、公爵夫妻はゆっくりと顔を上げた。
「……しかし……」
アーシェン公爵の声には未だ迷いが残っていた。ウラはそれを察し、落ち着いた口調で言葉を紡ぐ。
「私は公爵家を憎んではおりません。ですが──」
そう続けるウラにメロデット公爵夫人がビクリと体を震わせる。
「その代わりに、お願いが2つございます」
ウラはゆっくりと微笑んだ。二人に向けられるサファイアの目は冷たいものではなかったが、ゾッとするような決意の宿った表情だった。
「私がとても嫌な女になる事を……ご了承頂けますか?」
メロデット公爵夫人は小さく息を呑み、アーシェン公爵も表情を引き締める。
「……嫌な女、に?」
アーシェン公爵が静かに問い返すと、ウラは夫妻をまっすぐに見据える。
「これから私がしようとすることは、決して穏やかなものではありませんので」
空気が張り詰めメロデット公爵夫人は不安そうに夫の袖を握りしめた。問題を起こしたとはいえやはり息子への情が簡単には消えないのだろう。
「それは……デミトリオスにとって苦しいものなのでしょうか?」
「デミトリオス様次第でしょう……。しかし、良い事も悪い事も受けた分だけ返す。それがクリスタリア家のやり方です。──一応断っておきますが、拷問のように身体に取り返しのつかぬ傷を与えることはありません」
アーシェン公爵は沈黙しメロデット公爵夫人は不安げに夫の顔を見つめる。戸惑う二人の表情からは諦めがわずかに滲んでおり、今のデミトリオスはあまり改心を期待できるような状態ではないということがありありと分かった。そこまで堕ちたか──いや、まさか。ティーカップを口元に持っていくウラの青い目が細められる。
でも、このままハイおしまい!だなんて許されるはずがない。公爵家の立場でありながら自身の驕りで多数の者を傷つけた罪はしっかりと償わなければならないのだから。
「……それと、もうひとつのお願いについてですが」
ウラはふっと息を吐き、微笑みの仮面をつけたまま続けた。
「デミトリオス様に全てお返しする許可──私にいただけますか?」
アーシェン公爵とメロデット公爵夫人は息を呑んだ。ウラの言葉があまりにも大胆で予想を大きく超えていたからだ。同時にもう「いいえ」と言えるような立場ではない事を思い知る。
クリスタリア家──ウラが庇ってくれたのは、これが狙いだったのだ。
公爵はしばらく目を閉じ、決断を迫られていることを痛感していた。ひたすら葛藤を続ける二人を黙って見ていたウラだったが、ティーカップをゆっくりと置き一言付け加えた。
「これはお二人の判断基準にもなりましょう。──さあ、ご決断を」
悪魔か、女神か、はたまた──
その声は冷ややかでありながらもどこか甘く響いた。狩りをする蛇のように、ウラのサファイアの瞳が鋭く光り、公爵夫妻を逃さない。獲物を捕え、じわじわ絡みつくその視線に二人は身動きが取れなくなる。
怯えるように視線を泳がせていた夫人だったが、突然夫に手を強く握り返され弾かれるように夫の顔を見つめた。その目にはもはや迷いはない――ただ、共に背負う覚悟を宿した強い眼差しがあった。それまで不安と恐れに揺れていた心が、夫の手の温もりによって落ち着いていく。彼女の指先が震えながらも次第に力強さを取り戻し、夫の手をしっかりと握り返した。
「……分かった。君にすべてを任せる」
互いに視線を交わし、覚悟を決めた公爵夫妻から承諾の意を伝えられた。
ウラはそんな二人の様子をじっと見つめ、微笑んだ。そしてゆっくりと立ち上がり
「ご英断、痛み入ります」
誠心誠意、敬意を込めた礼をするのだった。
次回
バッターウラ令嬢、マウンドに入ります。