独りよがりの愚か者
煌めくシャンデリアの下、着飾った貴族たちが優雅に談笑する。テーブルには豪華な料理と高級菓子が並び、ヴァレンティア公爵家主催の舞踏会はつつがなく進んでいる──はずだった。
ガシャアンッ!!
突然響き渡った激しい音に場の空気は一瞬で張り詰める。
デミトリオスの礼服と同じデザインを模したそのドレスを身にまとい、他家の貴族たちからの冷たい視線を羨望の眼差しと勘違いしたままデミトリオスの腕に寄り添っていたリュシテナはいきなり腕を払われ突き飛ばされた。
テーブルにぶつかった拍子に料理を頭から被り、華やかだったはずのドレスは見るも無残な姿へと変わり、大きなざわめきが広がる。大半の貴族やその令嬢たちは激しく動揺しつつも固唾を飲んで見守るしかなかったが、一部の貴族たちはリュシテナが醜態を晒していることに気づくと視線を交わし合い、扇や手元で隠した口元を愉快気に歪ませている。
好奇の眼差しを一心に受けながら、座り込んだままのリュシテナは汚れたドレスをゴシゴシと擦るが汚れは広がるばかり。おまけに倒れた時にヒールで踏みつけた箇所から派手に破けたようで、はしたなく足が露わになってしまっている。リュシテナは青ざめた顔を上げ縋るような瞳を向けた。
「ひどいデミー!!どうしてこんなことするの!?」
その声は広間に響き渡ったが、デミトリオスは冷たい目で彼女を見下ろし、吐き捨てるように言い放つ。
「勝手に愛称で呼ぶな!!汚らわしい女め!」
微かな希望をすら突き放してくる言葉をぶつけられリュシテナは息をのむ。リュシテナが望む言葉を紡ぎ笑顔を見せていた時間など無かったかのような急変に言葉が出ず、パクパクと口を動かすしかない。何故?おかしい。その二言がぐるぐると頭を回る。何もかも上手くいっているはずで、ついでに憎たらしいウラからデミトリオスごと奪えると思っていた夢は脆く崩れかけている。リュシテナは父親のザハリー男爵に乞うような視線を送ったが、同じように青ざめた顔をしたまま立ち尽くしているだけで役に立たない。その上煌びやかな舞踏会場に集う貴族たちは誰一人として彼女を助けようとはしない。先ほどと同じように狼狽えて黙っているだけの者もいたが、むしろ冷笑を浮かべる者や興味深げに彼女の醜態を観察する者ばかりである。
「底辺の男爵家ごときが、かつてフィリアスタ帝国を救い栄華をもたらしたヴァレンティア公爵家時期当主である僕を貶めようなど!身の程を弁え私の前で頭を床に付けろ!」
デミトリオスの声が広間に響き渡り、命令された護衛がリュシテナを拘束し頭を床に押し付ける。それは確かに悪しきものを断罪するものではあったが、言葉の端々には傲慢さを感じさせる違和感があり少なからずそれを感じ取った周りの貴族は眉を顰めた。ザハリー男爵は苦しげに後ずさるが逃げ場などない。
「……はは、閣下……!何か誤解をされているようですなぁ!」
ザハリー男爵は震えながら無理矢理繕った声で続けた。
「な、何か誤解が生じたかもしれません!ですが!我がヘスリンド家がヴァレンティア公爵家に敵意を持っている訳がないでしょう!」
その言葉に広間がざわめいた。男爵家の企みが公になりつつある今、必死の弁解はむしろ見苦しさを強調するだけであるというのに。
「……」
「そ、それに!!最近のウラ嬢の――」
「ウラ?そんなくだらんものはどうでもいい」
冷酷に切り捨てられたその一言にザハリー男爵や周囲のものは戸惑う。
口ぶりからして確実にヴァレンティア公爵家を乗っ取ろうとしていたことはすべて暴かれている。この企みをより強固にするには娘のリュシテナをデミトリオスの妻とする必要があった為、ウラに関する根も葉もない噂を流し貶めていた。その上デミトリオスとウラは相思相愛だと聞いていたので、てっきりこの件を重視し問い詰めてくると思い込んでいたのだが──
「公爵以下で価値もない者が俺を貶めようとするなど!根も葉もない噂で!この俺に恥をかかせようとしていた証拠はすべて揃っている!!」
デミトリオスの怒りは異常なほど激しく、その声には激情が滲む。策略に向けられた怒りではない――それは「自身を侮辱された事」に対するものでしかなかった。
とはいえデミトリオスが怒ることは無理もないし、ヘスリンド家が地位を手に入れるべくヴァレンティア家乗っ取りを企んだのは事実。だけれどデミトリオスの噂はザハリー男爵が流すより前──リュシテナがデミトリオスと接触をし始めた辺りから既に広まり始めていたものでザハリー男爵からすると明らかにとばっちりである。
実際最近のデミトリオスはやたらと地位にこだわるようになり、同時に目に余るような態度も増え他家から反感を買っていた。
加えてザハリー男爵の企みを知った父親から、あえて罠に引っ掛かる為に必ず根回しをせよ。ときつく言われていたにも関わらずそれを怠り、挙げ句リュシテナを侍らせる姿を頻繁に見せていたのも災いした。
しかしその噂──というより事実を吹聴したものがばか正直に「私が流しました」などと宣言するはずもなくザハリー男爵とリュシテナをスケープゴートに仕立て上げ、今も冷や汗をかきながらほくそえんでいるだろう。
デミトリオスが手を挙げると護衛の一人が数冊の帳簿と手紙の束を持って前に進み出た。ザハリー男爵が他家と共謀し、ヴァレンティア公爵家とクリスタリア伯爵家に行った悪事を読み上げた。
ここ数ヵ月のデミトリオスの傲慢さに反感を覚えたいくつかの家が、これを機に皇族と深く繋がり席を持つヴァレンティア家とクリスタリア家をまとめて引きずり下ろそうと考えたようだ。あまりにも無謀な目論見だが、小さいものが集まり一致団結してしまえばかなり厄介なものになる。
リュシテナもザハリー男爵から「デミトリオスを失墜させたのち公爵夫人になれば、デミトリオスを傀儡に公爵家の権威を意のままに出来る」と話され乗り気になったようで、自ら進んで他家の令息や当主を誑かし、床を共にしては見返りとして虚偽の功績を得ては「ウラは婚約者に相応しくない。夜な夜な男を連れ込んでいるふしだらな娘」などの事実無根の噂をでっちあげ、流させていた。
「ここにあるのはリュシテナが多数の男と共に過ごした記録、その見返りとして俺の虚偽の噂を流させた証拠だ。そして貴様が他家に指示した手紙も含まれている」
ザハリー男爵は唇を震わせ、拘束されたままのリュシテナも何も言えずにいる。護衛が持つ書類の束がまた広げられ、関与していた下位貴族の他家が次々と読み上げられていくと再度ざわめきが広がり、名を呼ばれた貴族の顔がこわばった。
デミトリオスは全て自身の身から出た錆のせいでこのような結果になったことを露にも思わず、本来なら猛省せねばならぬのに誇らしげな笑みを浮かべている。広間の空気は苦しいほど張り詰めていたが、リュシテナの叫び声が場を切り裂いた。
「違う!!違うのデミー!アタシはお父様に脅されて仕方なく……!アタシを助けて!」
その言葉に、ザハリー男爵の顔が怒りで赤く染まる。
「リュシテナ!!貴様、父親を売る気か!!」
しかし、リュシテナは父親の怒りを無視し、さらに声を張り上げる。
「だって本当のことだもの!アタシ悪くないわ!全部お父様がやれって言ったのよ!」
広間にいた貴族たちの視線がザハリー男爵に集中する。男爵は唇を震わせ反論しようとするが、リュシテナの絶叫がそれを遮る。
「それに!あいつらだってアタシを無理矢理……!」
「リュシー!?君から誘って来たんじゃないか……!ウラ嬢を傷物にしたいから何人か用意してくれって……!!」
そこに声を上げたのは先ほど関与したとして名を呼ばれた下位貴族の令息だった。彼の顔は蒼白で、明らかに追い詰められている様子だった。
「うるさいわね何の取り柄もないくせに!!アタシと過ごせただけで満足でしょ!!」
愚かにもリュシテナが口汚く吐いた言葉は全てを語るものであり、これ以上は時間の無駄にしかならないと判断したデミトリオスは護衛達へ指示し、互いを罵りあうばかりになった悪人達を連行させた。ザハリー男爵達は去り際デミトリオスへ「祖父の威光を被っただけの小僧が」などと吐き捨て、リュシテナは「助けてくれたらアタシを好きにしていい」と尚もデミトリオスに擦り寄ろうしていたが、ただ醜態を晒すだけに終わった。
嵐のような騒ぎが去った後、舞踏会場には重い沈黙だけが残された。
貴族たちは互いに視線を交わしながら、そそくさと帰宅の準備を始めている。主催者であるヴァレンティア家──というよりデミトリオスの機嫌を損ねることを恐れてその場を後にしようとしていた。しかしそんな気まずさを知らないデミトリオスは満足げな表情を浮かべ、断罪劇の余韻に酔っている。
──その様子を見つめる一人の執事がいた。
壮年の執事、オットーは迷うことなくデミトリオスの元へ歩み寄り、声を低くして静かに耳打ちした。
「坊ちゃま……男爵家が広めたウラ様への根拠のない中傷をここで払拭なさるべきです……!」
オットーはヴァレンティア家に長年仕える忠実な執事で、培ってきた多くの知識と冷静な判断力を持つ男だった。跡継ぎのデミトリオスを世話することは当然で、それ以上にデミトリオスの婚約者であるウラを気にかけていた。両家同士の食事会が開かれるたび、彼は彼女の好物を欠かさず用意していたほどだ。
そのオットーは危惧したのだ。デミトリオスのやり方では公爵家の憂いを完全に払うには及第点な上、何よりウラの名誉回復が全く見込めない。このままではウラに擦り付けられた汚名が半永久的に残り、舞踏会の騒動が更なる問題を引き起こす結果になりかねないのは明白だ。
断罪劇の最中、ウラのことを「どうでもいい」と切り捨てたのはきっと間違いだと、オットーは内心縋るような思いで伝えたが、返ってきた言葉はあまりにも残酷だった。
「……?何故ウラの中傷を払拭する必要があるんだ?」
オットーは一瞬、目の前の主君の言葉を疑った。それは帰宅しようとしていた周りの者達の耳にも入り、各々が思わず振り返る。
「……坊ちゃま?」
オットーの声に明らかな困惑が滲んでいる。だというのにデミトリオスは本当に分かっていない様子で首を傾げ、問いを続けた。
「どうしてわざわざ噂を否定する必要があるんだ?僕はおじい様の孫で、ウラはスノヴィリオン様の孫娘で僕の婚約者なんだぞ?」
その言葉は無邪気ですらあった。デミトリオスの言葉の意味が全く分からず、オットーの瞳は揺れている。分からない。一体何を言っているのだろう。婚約者だから、孫だから何だというのだ。あまりの気味悪さに周りにいる貴族達も青褪め口々に囁き始める。
「ウラ嬢の噂は嘘だったのか……?」
「婚約者の無実を証明しないということ……!?本気でおっしゃっているの……!?」
「この騒動が起きた原因はもはや……」
会場に広がり始めたざわめきは次第に大きくなり、不気味な波のようにうねる。
そんな困惑と恐怖が渦巻き始めた広間に、突如鋭い杖の音が響いた
「──そこまでだ」
低く厳格な声に弾かれるように一同がそちらを見やると、扉の前には杖をついたグレヴィオとデミトリオスの父親アーシェンの姿があった。
突然の来訪に狼狽えた貴族から続々カーテシーを受けるのを優しく制しているが、デミトリオスに向けられる視線は酷く冷たく恐ろしいものだった。しかし悲しきかな、デミトリオスはまたも気付かず笑顔のまま駆け寄り宣言し始めた。
「父上!グレヴィオおじい様!!僕が公爵家に仇なす愚か者を始末し──」
「この大馬鹿者が!!」
アーシェンの厳しい一喝が響き渡り、次の瞬間にはデミトリオスの頬に鋭い平手打ちが命中した。体勢を崩しよろめいた拍子に背後のテーブルへと倒れ込む。皿が跳ね、料理が一気に彼の頭上へと降り注ぐ。ソースが髪を滴り、上質な織物の礼服は一瞬で汚れた。
その様子はまるで先ほど断罪されたリュシテナのようだった。
「私が不在で、父上が体調を崩している間を狙い勝手に事を急ぎおって……!!過去の栄光を勝手に捻じ曲げ、あまつさえ他家を見下すなど……!!公爵家に敵意が向けられたのはもとよりお前の振る舞いが原因なのだぞ!!」
「だって……!僕はおじい様とスノヴィリオン様のような関係に憧れて……、ウラだってそうです!ウラも同じように──」
その言い訳は鋭い杖の音によって断ち切られた。グレヴィオが杖の先を床に打ち付けたのだ。
「ウラ嬢が私とスノヴィリオンのように何も言わずとも全て理解し、あろう事か危害すらも甘んじて受け入れると勘違いしおって!アーシェンから“男爵家の尻尾を掴むため、あえてこのような態度を取ることを許してほしい”と必ずウラ嬢に説明しておくように釘を刺されていたのを忘れたのか!!」
「それは……っ」
デミトリオスが反論する隙を与えずグレヴィオは畳みかけるように続ける。
「お前は何も伝えずウラ嬢を傷つけ、男爵どもに好き勝手させたせいで余計につけ上がらせた!クリスタリア家の者や神獣様にも危害が及ぶ所だったのだぞ!」
怒りであふれ出したグレヴィオの炎魔力が強まり広間の温度がわずかに上がったらしい。テーブルクロスの端がゆっくりと焦げ、花瓶の花が熱に耐えきれずにしおれ始める。あまりの威圧に貴族の女性は眩暈を起こし倒れかけ、男でも足が竦み動けないほどである。
「証拠品の中に、男爵の指示でならず者がクリスタリア家に侵入するためのやり取りが書かれた手紙を見なかったのか!?きちんと話していれば防衛策も講じることができたはずだろう!」
「っ、そ、れは……その……」
もうデミトリオスはまともに言葉を返すこともできない。
情けない姿に失望と悔いを混ぜたようなグレヴィオの表情がさらに険しくなり、一層大きな声でデミトリオスに問うた。
「令嬢としての最悪の事態が……ッ、ウラ嬢の寸前にまで迫っていたのを!!理解しているのか!?」
グレヴィオが言葉を詰まらせながら発したこの言葉を聞いた瞬間、デミトリオスに衝撃が走った。事の重大さをやっと理解したデミトリオスの顔はみるみる青ざめ、額を流れる汗が動揺を露わにする。これまでの自信満々な態度は消え去り、代わりに浮かび上がるのは自身の愚かさを知ったことによる恐怖。広間にいる貴族たちは誰も言葉を発さず、ただ軽蔑を込めた目でデミトリオスを見つめている。その視線があまりにも恐ろしくて逃げ出したくとも、グレヴィオがそれを許さない。
「私が築いたものが孫を歪ませてしまうとは……」
哀愁のまま吐かれた言葉。アーシェンもまた、無言で息子を見下ろしている。その瞳に宿るのは激怒だけでなく深い失望があった。
「デミトリオス……ウラ嬢は婚約者である以前に一人の令嬢だ。そして何よりお前を信じてくれていたのだぞ」
アーシェンの言葉は重々しく響いた。その言葉にデミトリオスの指先が微かに震えたが、淡々と言葉は紡がれていく。
「ウラ嬢はお前には何か理由があって冷たい態度を取っているのだと最後まで信じていた故に説明を求めた。……だがお前は父上とスノヴィリオン殿のような関係が築けて当たり前だと驕り、何も説明せず突き放した。二人の関係は多くを経験し、対話を重ねてこそ得られるものだということが、本当に分からなかったのか?」
「ぼ、僕は、ただ……」
言葉がまとまらない。今までの自信が音を立てて崩れ、茫然と動けずにいるデミトリオスにアーシェンはさらに冷たく告げる。
「お前は公爵家の未来を担う者だ。だがどうだ?今のお前はその責務を果たすどころか自らの未熟さで危機を生み出し、尻拭いすら出来ていない。お前は自らウラ嬢を――公爵家を――傷つけたのだ」
デミトリオスの胸に、その事実が深く突き刺さった。もはや否定できるものなど何一つ残されていない。
自分が犯した過ちがいかに幼稚で独りよがりだったか――それをデミトリオスが理解したときには、すでに取り返しのつかないところまで来てしまっていた。
*以下キャラの容姿のお話*
ウラ→おかっぱボブ黒髪。毛先だけ青い。目の形はネコ目?でハイライト無し。可愛いというよりお人形さん的な美しさが強め。
デミトリオス→ゆるい天然パーマ金髪とルビーのような赤目。
リュシテナ→ゆるふわじゃなくてストレートな銀髪&強気なピンク目。
ロッタ→茶色の髪。蜂蜜色のまん丸お目目(とても綺麗)。三つ編み。