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姉と妹

6/5 母親の名前をフロステシアに変更しました。

クリスタリア家の内部には、小さな神殿を祀る一室がある。

白く上品な装飾が施され、天窓からは柔らかな陽光が差し込む造りになっており、派手になりすぎぬよう散りばめられたガラス細工が静かに輝く。

そこは代々クリスタリア家を守護する神獣──ノクティヴェールが居住する神聖な空間である。

本来ならば厳格な礼儀作法を伴い入室するべき場所。しかし、今のウラにはそんなことを考える余裕などない。

全力疾走のまま両開きの白い扉を乱暴に押し開き、部屋の中央へと駆け込む。そこでようやく立ち止まると、肩を上下させながら涙に歪む視界で部屋の奥にある神殿を見つめた。

すぐに神殿の白いカーテンの奥から驚いた様子のノクティヴェールが美しい鱗が光を受けて煌めかせながら現れ、ウラの姿を目にした途端、透き通った瞳は全てを察したように見開かれた。


「ウルー!!おいで!!」


ノクティヴェールの悲痛な声で自身の愛称を呼ばれた瞬間、抑えていた感情が限界を迎えた。ウラは声にならない慟哭を漏らしながら、こちらへ這い寄ってくるノクティヴェールのもとに飛び込み激しくしゃくり上げて泣いた。幼い頃からウラは声を上げて泣くことはなく、今も変わらず一人で耐えようとする小さな体をノクティヴェールは優しく包み込む。


「貴女の悲しみは分かっています!よく耐えましたねウルー……!!本当に、ごめんなさい……!やはり私達が無理矢理にでも止めるべきでした……!」


その言葉にウラの震えは強まる。胸の中で暴れまわる苦痛を全て受け止めてもらったことで更に溢れた涙がノクティヴェールの鱗を濡らしていく。

やはりロッタ達が密かに知らせていたのだろう。デミトリオスのことを隠し切れてはいなかった。だけれどノクティヴェール達はウラの気持ちを汲み、耐えてウラが望むようにしてくれていたのだ。恥ずかしいやら情けないやらでぐちゃぐちゃに泣き続けるウラの背を、ノクティヴェールは尾で優しく撫でながら囁いた。


「ロッタ達も……貴女の父君や母君や兄上、スノヴィリオンだってとてもとても心配していたのですよ」


クリスタリア家は先の戦で皇族との繋がりを持って以来、両親はウラがまだ幼い頃から皇帝護衛や政務に関与することが多かった。同時にクリスタリア家の仕事もこなさなくてはならず、隠居した祖父のスノヴィリオンが手伝ってもなお忙しく、幼いウラと接する時間をなかなか取ることができず嘆いていた。それを先皇帝のラーヴァルテも気に病んではいたが、息子に座を譲ったのと同時に沸いて出た様々な問題を解決するにはクリスタリア家にもどうしても力を借りざるを得ない状況であった。当初はかつての戦友、ヴァレンティア家のグレヴィオも加勢していたが、最近は体調を崩して床に臥せってしまっているそうだ。

兄がウラの面倒を見ていたこともあったが、彼もまた両親たちと同様に妹を深く愛していながら口下手でぎこちない対応しかできなかったのと、アカデミーへの入学で寮生活が始まることとなったのを機に親代わりを申し出たのがノクティヴェールだった。実際は姉妹のような関係だったが、ウラが近況を綴った手紙をアカデミーにいる兄に送ればノクティヴェールに対する羨望と嫉妬が入り混じる返信が届くほどに深い絆で結ばれていた。


だからこそ、ノクティヴェールはその慈しむ眼に怒りを沸かせる。

幼い頃から伯爵令嬢としての振る舞いを学び、多忙の両親に心配を掛けぬよう甘えを一切捨て凛と立つウラを知っている。

他の女にうつつを抜かし、問いにも答えずただ虐げてくるデミトリオスに認められるよう必死でダンスを覚え直し、豆だらけで血が滲んでしまった足のウラを知っている。

幼少から培った知識を夜通し復習し、目の下に出来た酷いクマを化粧で隠すウラを知っている。

既に細い体を更に絞ろうと、大好きな甘味や食事を徹底的に減らして体調を崩してしまったウラを知っている。

それでも尚、皆に知られたくないと振る舞ったウラを知っている。


異常だった。一刻も早く止めて守るべきだったのに、ウラが壊れるまで動かなかった愚かな自分たちを知っている。

自分だけではない。この現状を知れば、クリスタリア家の、ウラの家族全てが同じ気持ちになるだろう。

ノクティヴェールの後悔の念はやがてボコ、ボコと溶岩のような怒りに変わっていく。


「よくもやってくれましたね、デミトリオス……!」


発せられた声は低く、デミトリオスに対する憎しみは氷魔力となって溢れ出し室内を凍らせんばかりだった。しかし、ノクティヴェールの胴体にぐるりと包まれたままのウラが泣きながら訴えた。


「駄目……、違うの、ヴェリィ……私が、悪いの、っ……」


ヴェリィはノクティヴェールの愛称だ。小さい頃はよく呼んでくれていたのだが、成長するにつれ礼儀を身に着けたウラはフルネームで呼ぶようになり寂しさを覚えていた所だ。

しばらく聞いていなかった愛称で呼ばれ、幼いウラの小さな手が自分の鱗を撫でていた記憶が蘇りノクティヴェールの怒りが一瞬だけ鎮まる。ウラの言葉に応えるよう氷魔力を静かに収め、尾で一段と優しく包み込む。そうしてすっかり姉の顔に戻ったノクティヴェールは、ウラがたどたどしく言葉を紡ぐのを静かに聞いた。


「わた、わたしが……デ、ミトリオス様の気持ち、ッ……分からないっ、から」


「だから何度も理由を聞いたけど、デミトリオスは全く答えてくれなかったのでしょう?それでは改善のしようがありませんよ。どうしてウルーが悪くなるのかしら?」


「……デミトリオス様は、……っお祖父様と……グ、グレヴィオ様のような……関係に、ずっと憧れて……っ」


そこまで言うとウラは再び激しくしゃくり上げ始めた。その言葉で全てを理解したノクティヴェールは愕然とした表情で固まり、次の瞬間には天を仰ぎながら低く呟いた。


「あの小童……!」


デミトリオスはグレヴィオが語った「付き合いが長くなるにつれ、スノヴィリオンとは物言わずとも互いを理解できた」という話を酷く偏った思想に捻じ曲げ、それをウラに押し付けているのだ。まだ十数年しか生きていない小童の分際で!グレヴィオたちのように多くの経験を積んだわけでもないのに!よくもまあそんな舐めた真似をしてくれたものだ。

理由があったとしても、それを説明せず「察しろ」と言わんばかりの態度を取り、ウラが全てを理解しているかのように振る舞う。さらに婚約者以外の女を侍らせるなど、全くもって理解に苦しむ行動だがその女──リュシテナには何か訳がありそうだ。


(グレヴィオ殿……貴方の孫だというのに、ここまで違うとは)


ノクティヴェールは内心でそう呟きながら、ウラを包む胴体をさらに優しく締め直した。怒りは完全に消えたわけでもないしリュシテナの事も気になるが、今はウラにきちんと教えなければならない。


「ウルー、よくお聞きなさい。スノヴィリオンとグレヴィオ殿のようになるには貴女たちにはまだ無理です。彼らは人生で多くを学び、互いのことを深く知り、時にはぶつかり合ってきたからこそ、あのような関係を築けたのです。分かりますね?」


ノクティヴェールの声は穏やかでありながら厳しさを帯びていた。その言葉にウラは涙を拭いながら、かすかに頷く。


「デミトリオスは憧れだけを求め、ウルーに無理難題を押し付けているのですよ」


「……」


ウラの瞳が揺らぐ。ウラもデミトリオスの傲慢さに気付いているのだ。しかし、かつての温かい思い出が呪いとなり「もしかしたら次は優しい婚約者に戻ってくれるのではないか」という希望を捨てきれずに縋りついてしまっている。だけれど、壊れて泣き出してしまった以上、もう潮時なのだ。


「……ウルー。グレヴィオ殿からあの話を聞いた時、一緒にスノヴィリオンもいましたね?デミトリオスはすっかり忘れている──スノヴィリオンの言葉を思い出してごらんなさい」


ノクティヴェールはウラの瞳をじっと見つめながら静かに促した。

ウラは未だ悲しみで痛む胸に手を当て、記憶を辿るように目を閉じる。


スノヴィリオンの言葉──それは、グレヴィオとの関係を語る中で彼が微笑み口にしたものだった。

幼いウラとデミトリオスが目を輝かせながら二人の話を聞いていた時の、まだ温かく優しい記憶。


『スノーとは付き合いが長くなるにつれ、何をせずとも互いが理解できるようになったな』

『その境地に至ったのは、どんなことでも互いに言葉を尽くしたからだ』


「……お祖父様は……」


ウラの声は震えていたものの確かな思いが込められていた。泣き腫らした顔を上げるウラにノクティヴェールは深く頷いた。


「思い出しましたねウルー。スノヴィリオンはただ黙っているだけでは何も伝わらないと教えてくれたのです。デミトリオスがその本質を忘れている以上、どれほど努力しても傷つけられるだけです。それに──」


ノクティヴェールの言葉に、ウラは涙を拭いながら頷いた。理解をするには、ただ行動を共にするだけでなく、心を開いた対話が必要なのだ。ノクティヴェールは静かに息をつき、ウラの肩を尾でそっと抱いて強い意志を込めたまま続ける。


「理由があれば相手を傷つけていいことなどありません。──もうとっくに分かっていたでしょう?ウルー」


氷の刃のように鋭く揺るぎない優しさを帯びるその言葉は、ウラの胸に巣食う苦しみを取り除き、サファイアの瞳から再び堰を切ったような涙を溢れださせた。

どうしてだろう。本当は分かっていたのに、ずっと見ないふりをしていた。今ならあの時無意識に遮ってしまったロッタの言葉が何だったのか分かる。ノクティヴェールと同じ事を言おうとしていたのだ。


それは間違いなくウラを呪縛から救う言葉だったのに。


「ああ……ロッタ……皆……」


きつく口止めされてもウラを救おうとしてくれていたのに、自身にとりつく呪縛で突き放して、結果余計に後悔させてしまった。あまりにも申し訳なくて、情けなくて、涙が止まらなかった。


「ウルー、後悔する必要はありません。貴女はずっと、必死に耐えてきたのだから。」


ノクティヴェールの慈愛に満ちた言葉に涙はますます溢れる。しかし今の涙は、これまで抑え込んできたものが解き放たれるような感覚で胸が温かい光が満たされるようで。


「……ロッタも……お父様達も……私を助けようとしていたのに……」


かすれた声で呟くウラに、ノクティヴェールは優しく頷いた。


「そうですよ。皆ウルーが苦しんでいるのを知って、貴女を救いたいと強く願っています。……でもウルーがその手を取らなければ誰も助けることはできませんよ──ねえ、そうでしょう?」


呼びかけるような言葉を皮切りに背後の扉がバン!と豪快に開け放たれ、涙目のロッタ達がノクティヴェールとウラの元に駆け寄ってきた。温室を後にしたウラを追ってきたものの、入室していいものかと扉の前でずっと待機していたようだ。

お嬢様、お嬢様と一斉に抱きつかれ、ノクティヴェールもろ共もみくちゃにされる。

皆がおいおい泣きながらおしくらまんじゅうしているところへ遊んでいると勘違いしたウラの愛犬が畳み掛けるように乱入。混ぜて!と全員の顔をまんべんなく舐めてきたものだから輪をかけ大騒ぎになってしまったが皆一様に笑いだし、ウラもやっと泣き腫らした顔を笑顔にしたのだった。


その日の夜、ウラはノクティヴェールとロッタを伴い、帰宅した両親と祖父に改めて事の顛末を話した。

母親のフロステシアはあまり構えなかったことでウラが抱え込むようになってしまった事を後悔し抱き締め、父親のゼルフィムと祖父のスノヴィリオンと共に“明らかに子が苦しんでいるのに見守る判断を取ってしまったのは放置したのと同義だ”と誠心誠意謝罪をした。

特にスノヴィリオンは過去の功績がウラを苦しめる原因になってしまった事を酷く気に病んだが、デミトリオスが勝手な解釈をしただけだとウラは祖父達を恨んだりはしなかった。

かつて戦いを制した皺だらけの手を白く柔らかい両手で包み訴えてくるウラにスノヴィリオンは涙し、感極まった様子で豪快に孫娘を抱き上げその場を回ったのだった。


この日やっと家族はウラの手を取ることが出来た。

それは同時にボロボロにされたウラの心を強固なものにし、クリスタリア伯爵令嬢としての矜持を甦らせたのだった。





次回は多分デミトリオス視点になります。

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