綻び
「よくお似合いですよお嬢様」
「ふふ……ありがとう皆」
爽やかな風が吹き花を揺らす午前。クリスタリア伯爵の自室でウラは侍女達に身支度を整えてもらっていた。
艶やかな黒と青の髪色と真っ青な瞳に映えるよう、黒と白を基調としたシックなドレスが仕立てられている。地味になりすぎないよう銀色の刺繍があしらわれ、アクセサリーは小さな雫型に加工された金剛石を身に付け落ち着いた気品を漂わせており、大人びた雰囲気のウラによく馴染んでいる。
一通りの仕度を終えドレッサーの前で要望以上の仕上がりにしてくれた侍女達の手腕に満足した様子で微笑むウラ。けれども、鏡越しに映る侍女たちの表情は次第に暗く沈んでいく。その変化に気づいたウラは、「困った子たちね」とでも言うような微笑を浮かべ彼女たちの方へと振り返った。
「もう……こんなに綺麗にしてくれたのにどうしたの?」
「お嬢様……本当にデミトリオス様とお会いするのですか?」
泣き出しそうな表情を浮かべながら、一人の侍女が口を開いた。
彼女の名はロッタ。ウラより少し年上で、クリスタリア家に仕えてまだ日が浅いものの、仕事を覚えるのが非常に早く効率化にも長けており、その腕前が評価され早々にウラ専属の侍女を任されるまでになった女性だ。
それをロッタは驕ることもなかった上、時には水の入ったバケツに足を突っ込んで花壇に突撃したり、ウラの愛犬の散歩を任されるも肝心の愛犬を置き忘れて出掛け血相を変えて戻ってきたりとコミカルなドジを見せる彼女をウラをはじめクリスタリア家の家族や侍女たちは皆頼りにしている。
「ロッタの言う通りですお嬢様。やはり旦那様と奥様にお伝えなさった方が……」
「スノヴィリオン様にご相談されては?」
ロッタに続くように他の者もぽつりぽつりと訴え始めるが、ウラは頷かずに彼女らを窘める。
「いけないわ、今お父様達は皇帝陛下から御召出しを賜っているの。きっと大事な用件でしょうし、こんなことで邪魔をしたくないわ。それにデミトリオス様……ヴァレンティア家はお爺様の代から大きな縁があるのよ」
先の戦で皇女の窮地を助けたことが評価されたクリスタリア家は、今もなお王室との繋がりを強く持っており、悪しき王から解放され新生したドレヴィシア王国との繋がりもある。
それ以上にヴァレンティア公爵家とクリスタリア伯爵家の縁は根強く、孫の代になっても交流は続いていた。二人が幼い頃から家族ぐるみの付き合いがあり、その過程でデミトリオスがウラを見初めたのだ。歴史が二人を結びつけたと言っても過言ではないだろう。
幼い二人は祖父達が残した功績を家庭教師からしつこいほど学び、今でも一字一句違わず朗読出来るほどだ。特にデミトリオスはこの話を好み、祖父のグレヴィオに話をせがんでいたのを覚えている。
その度グレヴィオは相棒のスノヴィリオンのことを「付き合いが長くなるにつれ、物言わずとも互いを理解出来た」と称して笑った。心で通じ合う二人の姿にウラもデミトリオスも憧れ、互いに愛し支えることを望むようになっていった。
慎ましくも確実に交流を深める二人を祖父や家族は優しく見守り続け、去年正式に婚約を結ぶこととなったのだが──
「お祖父様に心配をおかけしたくないし……それにデミトリオス様にも理由が──」
「お嬢様!!」
ウラの言葉を遮るようにロッタが手を握ってくる。愛らしい蜂蜜色の双眸は涙で潤んでいた。
「婚約者のお嬢様を蔑ろにし、別の女を伴ってくるデミトリオス様を信じるのですか!?」
ウラはロッタの言葉に一瞬怯んだが、深く息をついて彼女を見つめ返した。涙を溜めたロッタの必死な瞳が、胸の奥に響く。
「ロッタ、私は……デミトリオス様を信じたいの。もしかしたらまだ私に至らぬ所があるのかもしれないわ」
動じぬように努めるものの、ウラの声にはどこか躊躇が混じる。その微妙な変化を見逃さなかったロッタは、さらに強く手を握りしめてきた。
しかし、彼女が言葉を続けようとすることをウラは許さなかった。「ロッタ」とただ一言、けれども伯爵令嬢としての重さを込めた呼びかけによってロッタ達はぐっと言葉を飲み込まざるを得ない。
一瞬の静寂ののち、ウラは微笑み立ち上がった。“もうこの話は終わり”という意思表示である。その言葉はきっと自分の仮面を引きはがしてしまうだろうから。
ウラの意思を汲んだロッタ達は再び使用人の顔に戻った。目元を真っ赤にしたロッタも頭を下げ、デミトリオスが待つ温室へ向かうウラの後を伴っていく。
背筋をピンと伸ばし、長い廊下を無言で歩いていく。途中ロッタが背後でぐすん。と鼻をすすると、ウラの胸に痛みが走った。
ロッタの言う通りだ。心から心配してくれる彼女を泣かせてまで婚約者を信じていたいと願い、言い訳を探している自分に嫌気が差した。
それでも、どうしても愛を育んでいた日々を、デミトリオスの優しい瞳を忘れることが出来ない。
(どうして何も言って下さらないの?デミトリオス様──)
べっとりとした焦燥感が足取りを重くする中、ウラは微笑みを貼り付けたまま温室へと向かうのだった。