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出会い





断っておくが、ウラが愛のない婚約に耐えられなくなり身投げをしようとした訳ではない。

何故こうなっているのか──事の発端はロッタが紅茶を用意する為部屋を出ていってすぐのことだ。


「あらあら……駄目よクォーリ」


換気で開放された窓から吹き込む風によって翻ったカーテンに、愛犬のクォーリが噛みつき引っ張り始めたのだ。綿菓子のように柔らかい白毛を揺らし楽しそうに遊ぶのは大変可愛らしいが、如何せん牙はある。あれよあれよとカーテンが悲鳴を上げ始めたので、ウラは優しくクォーリを諭した。


「だめだめ。もうおしまい、ね?」


頭を撫でてあげればクォーリはすんなりと離す。ウラは「良い子ね。ありがとう」と言いつつ、ロッタがまだ来ないのを確認するとクォーリに抱き付き、その毛深い首に顔をしっかりと埋め深呼吸した。昨日侍女達と一緒に洗ったおかげで太陽の匂いがする体毛の柔らかさといったら。これを堪能すれば多少緊張も解れるというものだ。ウラはほんの一瞬だけとても大きな隙を見せ、すぐに淑女の姿に戻る。さっと手鏡を出し、化粧の乱れや髪飾りがずれていないかを確認する。よし、問題なし。


「またお願いね?」


机にしまっておいた犬用のおやつを与えるとクォーリは自分のテリトリーへ戻り、伏せた姿勢で前足に挟んだおやつを堪能し始めた。

その様子を見つめながら、ウラは再び窓際に立ち、庭の景色に視線を移す。今日は雲一つない晴天だ。時折吹く風が、フロステシア自ら世話をしている庭園の花々を優しく撫で、露を輝かせる。


そろそろ新たな婚約者となる人が来るかしら。

ロッタは何の茶葉で淹れてきてくれるのかしら。

何か忘れている事はないかしら。

何がお好きで、どんな趣味をお持ちなのかしら。

ドレスにおかしいところはないかしら。

私の目、冷たいって思われないかしら。


どれほど考えを巡らせても、実際に会うまで分からない。だが、一生を共にする相手となるなら、少しでも早く理解しておきたい。


だからこそ、この顔合わせは重要だった。


既に最悪の例(デミトリオス)を経験している以上、あれを上回る者はそうそういないはずだが……


と、そう思った時だろうか。

突然強い風が吹き、カーテンが大きく翻った。カーテンの解れていた糸が側にいた髪飾りに引っかかり、ウラの黒髪ごと引っ張った。


「痛っ!!」


鋭い痛みが走る。ウラは反射的に頭を引くも、風の力で更にカーテンは無遠慮に引っ張ってくる。ウラは慌てて手を伸ばしカーテンの動きを押さえ込むが、絡んだ糸は知恵の輪のようで全く取れない。

強く引けば外れるかもしれないが、髪飾りが壊れてしまう恐れがあった。この髪飾りは母のフロステシアから送られた一点もので、ウラが非常に大事にしているもの。加えて糸がどこに絡んでいるのかが全く分からず、おっかなびっくりな手先でもたついているうちに再び風が吹き、嘘のように髪飾りは髪から外れ、カーテンの糸に絡まったまま今度は窓の外に翻った。

悪戯っ子のように靡くカーテンに振り回され、陽光を反射しながら今にも落ちそうに揺らぐ銀細工の髪飾り。視線がそれを追いかける間に、ウラの体は自然と動いていた。


「待って!」


ウラは躊躇なく手を伸ばす。取り戻さなければ。あの髪飾りは本当に大切なものなのだ。

けれど、ウラは前後不覚になりすぎていた。ただ落ち着いて、カーテンを部屋の中へ引っ張れば良かっただけなのに──


それを考える余裕もなく、ウラの体は呆気なく窓枠を超えた。



──そして現在に至る、という訳だ。

飼い主の窮地にけたたましく吠えだしたクォーリの声に気付き、走って戻ってきたロッタが手を掴んでくれなければ落ちていただろう。

けれどロッタの力では持ち上げる事は出来ず膠着状態のなか二人の手は痺れ始め、カーテンは嫌な音を立て裂け始めている。


「だめ、ロッタ……ッ!貴女まで落ちてしまうわっ……!!」


「だとしても放せませんッ……!!……あっ!!皆っ!!下にシーツを張ってぇぇ!!お願い早く!!」


ロッタの悲鳴を聞きつけ下で作業をしていた侍女達が気付いてくれたらしく、何人かがスーツの調達とゼルフィムに報告に向かい、男手はロッタに加勢しようと屋敷の中へ駈け込んでいく。


だけれど、二人の手はもう限界だった。


「あ──」


騒ぎを聞きつけたゼルフィムと使用人が部屋に駆け込んできたのと同時。ウラが掴んでいたカーテンが大きな音を立てて裂けた。

突然ガクン!とバランスを崩した弾みでロッタとウラの手は呆気なく解かれ、ウラの体は重力によって地面へと引っ張られていく。


そこから全てがスローモーションのように遅く見えた。

ロッタが目を見開き、悲痛な顔でこちらに手を伸ばしている。

その後ろからゼルフィムも必死の形相でウラの手を掴もうとするが、届かない。

上からも下からも悲鳴が木霊してぐわんぐわんと反響する。


二人の顔を見るにシーツの準備は整っていないのだろう。

ウラの自室は二階の高さ──地面に叩きつけられたら大怪我は避けられない。

もしくは──


(いやだ。こんな大事な日に、私ったら)


空中に投げ出され、何もかもが遠ざかって、ゼルフィムの叫びが耳を突き、ロッタの手は虚空を掻く。しかし、命の危機に瀕しているというのにやたらと思考は冷静だった。何もかもがスローになった世界で、ウラは後ろに目をやった。


ああ、もうすぐ地面だ。

来るであろう強い衝撃に備え、ウラは目を固く閉じた。


──が、身に感じたのは違う衝撃だった。



「オラアァッ!!」


「あッ!!?」



固い地面とは明らかに違う感触──それが人の腕だと気付くまでには大分時間がかかった。

直後、聞こえなかった周囲の声が一気に耳に飛び込んでくる。「お嬢様!ご無事ですか!?」「誰か!お医者様を!」と慌てふためく侍女達の声。まだウラには落ちる最中の感覚が残り、心臓の鼓動も速かったが、何とか固く閉じていた目を開く。

そこでやっとウラは、自身を抱きかかえ仁王立ちしている男性の顔をまじまじと見る事が出来た。


「無事ぃ……ですかね?」


強く、それでいて優しさもある低い声で問いかけられる。

日焼けした肌。鍛え上げられた厚い胸板と体。少し癖のある黒髪には魔力が宿り、所々金色のメッシュが入る。もみあげから顎にかけて繋がった様な髭に、月のような銀と星の如く輝く金のオッドアイ。

ウラの小柄な体など容易く包んでしまうほど、遥かに大きい身体を持つ年上の男がそこにいた。

あまりにも神秘的な姿に驚いたウラは目を見開き硬直したが、ハッとしたように髪を押さえ、静かに息を整えて答えた。


「……は、はい」


「そいつぁ良かった──あ。良かったで、すぞ?」


おどけたように笑い、ちょっと変な敬語で話すその大男からは、ほんのり男性用の香水が香った。



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