第47話 原因を作った者
綾香は七志を視線を送り、それから迫り来る危機に目を向けた。
土蛇の先端が裂け、襲いかかってくる。
もう逃げられない。
綾香は覚悟を決め、逃げずにこの場に留まった。
飲みこまれてしまった先にどんな未来が待ちうけているのかわからない。
前のように誰かが助けてくれるのか、それとも消滅してしまうのか。
視界の隅に七志の姿が見える。
いつものように斜に構えて偉そうな素振りがない。
どこか悲しげだ。
ごめんなさい——。
七志に伝えそこねて飲みこんだ言葉を咀嚼していく。
紙の件で七志のことを勝手に勘違いしたうえ、批難してしまった。
それだけではない。
藤田に対する警告に耳を貸さず、七志を悪者と決めてかかった。
これからは藤田さんを信用しない。
常に警戒心を持ち、何事にも疑いを向ける。
気持ちを新たにして最初に疑いを持つべき事案が発生した。
七志が土蛇を引きつれて走ってくる。
前にも同じことがあった。
あのときは意地悪をされた、邪魔者を消そうとしているなどと考えた。
だが、本当のところはわからない。
いまにして思うと、土蛇に襲われても脱出できると身をもって体験させようとしていた可能性がある。
そうすることで藤田の嘘を証明しようとした。
だとするなら、今回も同じように土蛇に襲わせようとしているのには、なんらかの意図があるはずだ。
それが綾香にとって利益があるとは限らないが……。
信じてみよう。
これまでずっといやな思いをさせてきた。
謝る代わりに七志の行動に協力する。
その結果どうなろうとも恨まない。
もし無事土蛇から脱出できたら、どうして襲わせたりしたのか聞いてみたい。
でも、きっと話してくれないだろうな。
これまで早合点して暴走してきたから。
土蛇が急降下し、綾香を飲みこむ。
ずっとそうだった。
いろいろやらかしてはあとで後悔する。
今回もあのときも……。
意識が少しずつ薄れてていく。
※※※
綾香は出社してすぐに屋上に向かった。
重い……。
いつもは軽々と歩く道のり。
それなのに、今日はとてつもなく重く感じる。
背中に鉛、足には枷があるかのように重い。
だが、実際にはそんなものは見当たらない。
心がそう感じているだけ。
屋上に出て真っ直ぐにフェンスの前に立った。
視線を正面からゆっくりと上げ、雲ひとつない青空を見つめる。
空の爽やかさとは対照的に心中は人生で最強の台風に見舞われていた。
飛鳥の死は自殺と処理された。
原因は過労に伴うストレス。
間違ってはいないが、それだけではない。
いくつもの要因が重なった結果なのだろう。
そのなかのひとつがわたし——。
ため息をつく。
飛鳥先輩を次のターゲットになるよう仕向けなければ……。
わたしが転職するまで平和に過ごしたいと思ったばかりに……。
罪悪感が襲ってくる。
麗奈が周りを味方につけ、綾香は悪者になってしまった。
それ以降、同僚たちがよそよそしい態度を取り、裏では激しく綾香を批難する。
この状況では予定通り転職が決まるまで仕事を続けるのは難しい。
退職届を提出しようかな。
無職になる不安よりも、仕事を継続して味わうストレスのほうが辛い。
気持ちが定まりつつあるなか、屋上のドアが開いた。
辺りを気にしながら麗奈がやってくる。
まだ綾香の存在に気づいていない。
逃げなければと本能が危険信号を発する。
足を忍ばせて場所を移動しようとしたとき、ばちりと目があった。
「なんだ、いたんだ。誰もいないと思ったのに」
麗奈は少しも悪びれる様子もなく言いながら、持っていたタバコをポケットにしまった。
「どうぞ吸ってください。わたし、もう行きますから」
一分一秒でも一緒にいたくない。
綾香は背を向けた。
さっさと立ち去ろうと歩きだしたとき——。
「もしかして、死のうとしてた?」
笑いを含んだ声で麗奈が聞いてくる。
「えっ?」
「当たりでしょう。
あんなことがあったんだから、死にたくなって当然よ」
声がとても軽い。
なにを言ってるんだろう、このひとは。
怒りを通りこして呆れた。
いまの苦境を作った張本人である麗奈が、いけしゃあしゃあとしている。
「飛鳥が死んだのは間違いなくあなたのせい。
だから、死にたくなるのが普通よね」
麗奈が綾香の真正面に回りこんできた。
逃がさないとばかりに睨んでくる。
「あなたがわたしに告げ口さえしなかったら、いまごろ飛鳥は結婚の喜びに浸っていたのにね」
痛いところを突かれて綾香はなにも言い返せない。
「いいことを教えてあげる。
飛鳥、妊娠していたんだって。
つまり、あなたはふたつの命を奪ったってこと。
あっ、これ、極秘情報だから黙っていてね」
嬉しそうに微笑み、口元に人差し指を当てた。
知ってるわ。
心のなかで答える。
なにもわざわざ言わなくてもいいのに。
傷口をえぐってなにが楽しいの?
「飛鳥、あの世であなたを恨んでいるでしょうね」
「……わたしが悪かったかもしれません」
「かもじゃないわ。全部あなたが悪いのよ」
麗奈が綾香を指差す。
「麗奈先輩も同罪ですよ」
退職すると決めたからか、それとも我慢の限界に達したのか、思ったことが口から飛びだす。
「変なこと言わないで。
わたしのどこに罪があるというのよ」
口から唾を飛ばしながら麗奈が早口でまくしたてる。
「飛鳥先輩をターゲットにしたのは誰ですか」
「それは、あなたが告げ口をしたからで……」
「わたしは真実を伝えただけ。
実際に飛鳥先輩を選んだのは麗奈先輩じゃないですか」
綾香は自分でも驚くくらい言い返している。
これまでなら決して反論したりしなかった。
麗奈に従うように言いなりになっていただろう。
それは麗奈も同様だったようで、まさかの反撃に遭ってたじろいている。
「結果はどうあれ、原因を作ったのは間違いなくあなたよ」
「でも、ターゲットに選んだのは麗奈先輩の意志。
わたしじゃありません」
綾香が言い返す。
その数秒後、麗奈が高笑いをした。
なにがおかしいのかさっぱりわからない。
首を傾げていると、麗奈が勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「いいえ、あなたよ」
もう一度、綾香を指差す。
わたし?
綾香は心臓に強い衝撃を感じた。
*月・水・金曜日更新(時刻未定)
*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています。




