第44話 言いそこねた言葉
綾香は視線を左右に走らせた。
どうして気づかなかったんだろう。
冷静に状況を判断していたらすぐにわかったはず。
頭を抱えた。
『土蛇に襲われても助かる方法はないのか?』
『本当に方法はないのか?』
七志は少なくとも二度は確認するように質問していた。
それに対し、藤田が返した返答は……。
『ない。あればこれまで一緒にいた仲間を助けられた』
方法はないと言い切っている。
だが、言葉とは裏腹に藤田は土蛇に飲みこまれた綾香を助けた。
藤田さんが嘘をついていた。
綾香のなかの藤田の信頼が少し揺らぐ。
この世界に来て心細かったとき優しく接してくれ、土蛇から身を挺して守ってくれた。
仲間だと思った、信用できると感じた。
これらもすべて嘘だったのだろうか。
わらかない。
藤田さんが嘘をついた理由も目的も、これまでの言動全てがなんらかの意図があってのものなのかどうかも……。
「……急に叫んだりしてどうした?」
七志が声をかけてきた。
「えっ? あ、なんでも、ない」
綾香は我にかえり、不思議そうな顔をする七志を見た。
藤田の嘘が露見したことに伴い、頭のなかでいくつかの出来事が浮遊しはじめる。
それが次第に真実へと姿を変えていく。
『あのじいさんは信用できない』
七志は警告を発していた。
『さっき、土蛇に襲われたら脱出できないって言っていただろう』
『ええ、覚えている』
『それは嘘だ。とぐろを巻いた状態から脱出できる』
七志は断言していた。
『藤田さんが嘘をついていて、あなたが本当のことを言っているって証拠はあるの?』
綾香は七志の言葉を信じなかった。
そのうえ藤田の嘘を信じ、七志が告げた真実を嘘と言い放つ始末。
七志を全面的に信頼する必要はない。
警戒一辺倒ではなく、言葉を情報として素直に聞こう。
そのうえで真実かどうか考えればいい。
綾香は七志に対する認識を少し変えた。
「地中地獄の下に書いてある『光の玉』っていうのはなに?」
綾香は紙に視線を落とした。
紙を読ませようとする意図は依然としてわからない。
七志が地中地獄の意味を知らずにいたのなら、光の玉についても同様の可能性がある。
だとするなら、読ませることで探りを入れようとしているのかもしれない。
わたしが知るはずないのに……馬鹿ね。
心のなかで笑った。
「は? なんだって?」
七志が聞きかえしてくる。
「なにって、これよ」
紙に書かれた二行目の文字を指す。
「あ、ああ、それか……」
「これってこの世界から脱出する手がかりなの?」
先手を打たれる前に探りを入れる。
だが、七志は乗ってこない。
難しい顔をして唸っている。
まただ。
綾香は顎に手を置いた。
先ほど感じた違和感と会話のずれが思い浮かんでくる。
それがなにかを明確に指摘できない。
光の玉を知っていて探りを入れてくるなら、矢継ぎ早に質問してくるはず。
その反対も同様。
知りたいのなら聞くしかない。
ところが、七志は黙っている。
ただ黙っているのではなく、光の玉という言葉を聞きかえしてきた。
耳が悪いならともなく、そうではないのに不自然な振るまいに思える。
七志は普通とは明らかに違う。
拳銃の所持、殺し屋、奇妙な名前とその由来……。
列挙していくうちにひとつの可能性に辿りついた。
予想通りだとしたら紙はあいつのものじゃない。
前から一貫して拾ったものではないと主張していた。
ということは……。
綾香は息を大きく吸った。
「ねぇ、この紙だけど、もしかして藤田さんの?」
問いに七志は答えない。
ただ、じっと綾香の目を見ている。
「肯定ね。どうやって手に入れたの?」
七志の沈黙が続く。
「奪ったのね」
確証はないが状況から考えた答えをぶつけた。
七志は不必要に語ったりしない。
無言が不利に働いても気にせず、我が道を歩む。
優しいとはお世辞にも言えないが、冷血漢でもない。
ときおり行動でなにかを語る。
最初から七志の言葉に耳を傾けていれば、なにかが変わっただろうか。
大きな変化はなかったかもしれない。
だが、少なくとも七志に暴言を吐いたりしなかった。
騙して利用している、卑怯者などの言葉だけじゃない。
失礼な態度もとった。
謝らないと。
意を決した。
「あの、いままで……」
「俺はあんたを利用していない」
綾香の言葉を遮り、七志が唐突に言った。
「利用?」
なんの話だろうと記憶を辿っていき、ようやく思いいたった。
協力関係を解消するときのことだ。
騙して利用しようとしているのが許せないと七志を非難した。
その件を持ちだしている。
「騙してもいない」
七志の言葉に綾香はうなずく。
「あんたを騙して利用しているのはじいさんだ」
言うが早いか、七志は走りだした。
「待ちなさいよ」
七志は一方的に言い放ち、こちらの話を聞こうともしない。
まるでなにか言われるのを恐れるかのように……。
「逃げないでよ!」
まだ言ってない。
伝えたい気持ちがある。
ごめんなさい——。
綾香は言いそこねた言葉を大事に心にしまった。
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