第42話 こんな人生に意味はあるのか?
脳梗塞——。
耳なじみのある病気だ。
だが、それが己の身に襲いかかるとは微塵も思っていなかった。
病気になって一番心配になったのは金銭面。
だが、幸いにも雅美がいつの間にか入っていた保険が使えた。
入院治療費をはじめ、生活面でもしばらくは苦労せずにすんだ。
問題は後遺症だった。
「手に麻痺が残るって?
はははっ、じいさんへの道まっしぐら」
美紅瑠が悪びれる様子もなく言うと、追随するように雅美と義母も笑う。
「笑い事じゃないよ。
この手では、もう仕事は続けられない」
藤田の言葉に笑い声が一斉に止まった。
三人は怒りに満ちた目をし、睨んでくる。
「病気に罹ったあんたが悪い」
雅美が犯人を指摘するように指差す。
「失態をおかした責任を取りなさい」
義母が声を張りあげる。
「バイトすればいいじゃん。
前と同じだけ稼ぐならどんな仕事をしようがあたしらには関係ないし」
美紅瑠がそっぽを向く。
病気の藤田を労わる言葉は一切なし。
心配なのは自分たちのこれまでと変わらぬ生活を送れるかどうかだけ。
三人の希望に沿うのではなく、自分のためにと考えて長年務めた会社を退職してガードマンの職に就いた。
高齢かつ手が不自由という悪条件でも雇ってもらえた。
そのうえ、同僚とのコミュニケーションもそれほど必要ないので助かっている。
その代わり体力的に辛いうえに薄給、道ゆく人からの罵声などのストレスが多い。
年老いてからの生活スタイルの変化は、藤田の心身を蝕んだ。
体の節々が悲鳴をあげ、感情の起伏が激しくなっていった。
待っても待っても望む未来は得られない。
生まれきてからこれまでの全てが無意味に思えてくる。
こんな人生に意味はあるのか?
生まれてきたこと、頑張ってきたこと、なにもかも否定したくなる。
義母が死ぬより、美紅瑠が結婚するより先にわしが死ぬのではないか?
絶望しか見出せない。
無意味、無駄、絶望……。
それらを打ち消す要素も希望もない。
いやだ!
感情の底から拒否感がわきあがってくる。
※※※
もういい。
これ以上、思いだしたくない。
押しよせてくる負の感情を追いはらうように手を動かした。
すると、指先に形のないなにかをつかんだ。
それがなんであるかわからない。
だが、本能的にしっかりと握る。
ざらりとした感触を感じると同時に匂いがした。
土だ。
全身を包んでいた絶望感がすっと消えた。
わしは一体……。
記憶を辿っていくさなか、大きな音がした。
これは土蛇が崩壊したときの音だ。
じゃあ、わしは消滅せずにすんだのか。
全身に感じる痛みに耐えながら、ゆっくりと瞼を持ちあげていく。
土蛇の姿はどこにもなく、周りに土がたくさんある。
助かった。
胸を撫でおろし、辺りを見渡した。
七志の姿はない。
綾香ちゃんと合流しなくては。
そう考えたところで七志にメモを奪われたことを思いだした。
綾香ちゃんがあれを見たらどう思うだろう?
不安がよぎる。
疑いの目を向けるだろうか。
いや、それはない。
いまのわしは昔とは違う。
綾香ちゃんはわしを信用し、頼ってくれる。
七志がなにをどう言ったところで綾香ちゃんは信用しない。
大丈夫だ。
確信した。
とはいえ、できれば不安の芽は摘んでおきたい。
綾香にメモの内容を知られないようにするには、七志との接触を阻む必要がある。
やるべきことははっきりしているが、具体的な方法が出てこない。
どうすれば七志の行動を抑えられる?
非力なわしには到底無理。
あやつに対抗できるはずがない。
他になにか策は……。
頭をフル回転させているさなか、汚れた服が目についた。
良い方法がある。
あやつがわしにやったことをやり返せばいい。
腕っぷしでは敵わないから頭を使って成し遂げる。
服についた土を払った。
土蛇に襲わせればいい。
あやつはこの世界からの脱出を望んでいる。
そのうえにメモを読んだだろうから、きっとわしの言葉を信じて自ら進んで飲みこまれるはず。
七志が逃げていった方角を見つめた。
必ずこの世界から退場してもらう。
藤田は強い決意を胸に歩きだした。
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*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています。




