第38話 淡い期待
藤田は目を瞬かせた。
なにが起きたかわからず、呆然と立ちつくしているさなか……。
—— 得意先の娘さんと見合いしないか?
工場長の言葉が頭に浮かんでくる。
一瞬、耳を疑った。
そんなはずはない。
妄想だ。
「お見合い?」
自然と口から言葉が漏れた。
「そうだ」
工場長がにっこりと微笑んだ。
嘘じゃない。
だけど、とても信じられない。
仕事も順調、給料もそれなりにもらっている。
現状にこれといった不満はない。
満足している。
だから、必要以上に求めたら怪我のもとだ。
断りたい。
これが偽らざる気持ちだ。
だが、工場長の顔に泥を塗ったりできない。
だから、乗り気ではない思いをひた隠して快諾した。
ところが、すぐさま後悔の念が渦巻く。
工場長の顔を立てて見合いを受けたものの、心が不安で埋めつくされている。
見た目が悪くて愛想もない。
気の利いた会話などできない。
男としてなんの面白みもない。
見合いをする前から結果は明らかだ。
結論は明らか。
それと同時に思った。
断られて当たり前。
工場長の顔を立てられたなら、それでいい。
最初から期待の欠片すらなく、かえって気楽に見合いにのぞめた。
社交性の乏しい藤田に対し、見合い相手の女性である雅美はよくしゃべった。
自分のことをひたすら語り、たまに藤田に質問してくる。
放っておいても勝手に話してくれるので楽だったが、一緒にいて楽しくはない。
きっと雅美も似たような感想を持っただろう。
無口で面白くないひとだ、と。
「雅美さんがまた会いたいそうだ」
工場長の言葉に藤田は心底驚いた。
それは同僚たちも同じだったらしく、めんくらっている。
「藤田のどこがよかったんだ?」
「かなりマニアックだな」
「いやいや、誰でもいいから結婚したかっただけじゃないのか」
本人を目の前に全く遠慮がない。
藤田はいつも通り、感情を心の底に沈めて穏やかな表情を作った。
「おいおい、酷いな。おまえらは藤田の良さに気づいてないのか」
工場長が同僚たちの頭を小突いた。
「藤田の良さ? あったか、そんなの?」
同僚がおどけて言うと、笑いが起きた。
「おまえたちになくて藤田にはあるもの……。
それが見合い結婚の条件のひとつだってわかってないみたいだな」
工場長が胸を張り、同僚たちを見渡した。
誰もがぽかんとしている。
口には出さないが、同僚たちの目と表情を見ればなにを言いたいのか見当がつく。
僕にあってみんなにないものなどないと思っているんだろうな。
「ぼ、僕にはなにもありませんよ」
工場長の言葉に気をよくしたと思われたくない。
すぐさま否定した。
「謙遜するなって。
いいか、おまえら。雅美さんはな、藤田の持つ部品作成の技術と真面目さ。
それから誠実さを気にいったんだ」
「工場長、持ちあげすぎですよ」
「技術の高さは認めるけど、それがなんだっていうんですか」
「真面目と誠実って、要は言うことを聞くばかりで自分がないのと同じですよ」
同僚たちが口々に反論しはじめる。
それを工場長は手で制し、演説をするように咳払いをした。
「技術があるってことは食いっぱぐれがない、つまり生活力がある」
同僚たちが納得したようにうなずく。
「真面目さと誠実さというのは、嫁の尻に敷かれて従順になる才能があるってことだ」
工場長と同僚たちが大笑いした。
数秒の間を置き、藤田も空気を読んで笑顔を浮かべる。
なにが面白いのかさっぱりわからない。
だが、こんな思いをするのはそう長くないはずだ。
会えば会うほど退屈な男と気づき、結婚などありえないと思うようになって断ってくるだろう。
それまで待てばいい。
工場長の顔に泥を塗らず、女性に恥をかかせずに終わらせるにはこれが一番。
不名誉で恥ずかしい思いをするのは自分だけでいい。
だが、予想に反して雅美との関係はとんとん拍子に進んだ。
あっという間に婚約し、準備が整ったところで結婚が決まった。
「まかさ藤田に先を越されるなんてな」
「でもまぁ、いまの時代、離婚なんてよくある話だし」
「そうそう、結婚がゴールじゃない」
「藤田の場合、結婚は終わりのはじまりでもあるよな」
「はははっ。せいぜい捨てられないようにしろよ」
工場長がそばにいないから、いつも以上に辛辣な意見を投げてくる。
「そ、そうですね。気をつけます」
当たり障りのない言葉で話を切った。
同僚たちの言葉に見え隠れした感情は手に取るようにわかる。
決して好意的でない。
だが、それでもいいと思いっている。
見合いをきっかけに藤田の職場での立ち位置が変わった。
これまでは存在感が薄く、その場にいてもいなくても誰も気にしなかった。
ところが、見合いを契機に変化が生じた。
話題の中心にいるのはいつも藤田。
その場にいなくてはならない存在となった。
たとえ同僚たちから酷いことを言われようとも、話の輪に加われている。
存在感がなく、すみっこで暮らす人生と決別できるかもしれない。
藤田はこれからの人生に淡い期待を抱いた。
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*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています。




