第32話 見失った本来の目的
七志は耳を澄ませた。
綾香の去りゆく足音が聞こえてくる。
力強くて等間隔のリズムから、確固たる決意のようなものを感じた。
協力関係を解消する——。
押しつけられるようにしてはじまった関係だったから、解消されたところで惜しくはない。
むしろ面倒ごとから解放されてせいせいする。
だが、妙な敗北感があった。
なにをやっても、どう言っても伝わらない。
それどころかどつぼにはまってしまった。
原因は俺なんだろうな。
ため息がこぼれる。
信用のない俺がなにをやっても無駄。
プラスどころかマイナスにしかならない。
それなのに、嘘の塊のようなじいさんはなにもしなくても信用される。
世の中の不公平はいまにはじまっちゃいないが、この世界でも同じだなんてな。
足音が遠のいていき、ついに聞こえなくなった。
打つ手なしだ。
両手で頬を強く叩き、思考の流れを強制停止させた。
情報と感情で溢れかえっている脳内を落ちつかせる必要がある。
この世界、土蛇、消滅、死ねない、脱出、馬鹿な女、嘘つきじいさん——。
様々な情報が脳内でゆらゆらと揺れている。
手を伸ばせばつかめそうなのにそれができない。
だから、思考が暴走する。
普段ではありえない行動を取り、その感情に気づく。
全部を処理しなくていい。
重要なことだけに目を向けるんだ。
この世界に来て想像もしなかった出来事に遭遇し、本来の目的を見失っている。
俺はなにがしたかったんだ?
自分に問いかけてみる。
死のうとした。
すぐさま答えが浮かんでくる。
だったら、そうすればいい。
目的の変更はなし、あとは遂行するだけだ。
でも、この世界では死ねない……。
問題はここだ。
それはとてつもなく大きい。
死ぬ以上に己の存在を消滅させたくて、土蛇に飲みこまれてみたが結果は散々。
消滅できないばかりか苦い記憶をほじくられ、身体的激痛と精神的苦痛を味わった。
それならば拳銃自殺をしようとしたが、これまた失敗。
これらの出来事から、今後目指す道がふたつに絞られた。
ひとつめ、確実に消滅できる方法を探る。
ふたつめ、世界を脱出してから自殺を図る。
どちらも難題だ。
それでも死ぬためには方向性を決めなければならない。
消滅——。
これについては情報が皆無に等しい。
どうすれば消滅できるのか、そのあと肉体や精神はどうなるのかなど、追うべき謎が多すぎる。
確実なのは消滅する前段階で、思いだしたくもない過去がよみがって苦痛を味わなければならないことだ。
世界からの脱出——。
これもまた未知数だ。
そもそも、この世界から脱出できるかどうかもわからない。
たとえ脱出可能だとしても、元の世界、元の時代に戻れるか不透明。
ただ、死ねない世界以外へ脱出できる可能性はある。
消滅と脱出、どちらも目的を達成できる保証はない。
不確実で不透明。
それならば、現段階で痛みを伴う消滅は避け、脱出に賭けたほうがいいかもしれない。
決めた。
とりあえず消滅を横に置き、脱出を考えよう。
そのためには情報が不可欠。
そうなると、鍵を握るのはじいさんだ。
俺の知らない情報を確実に握っている。
協力関係の解消を受けいれたのは間違いだったのだろうか。
大きく息を吐いた。
いまさら後悔してもどうしようもない。
それよりも今後どうするかを考えよう。
情報を手っ取り早く得るには、じいさんに聞くのが一番。
だが、果たして素直に教えてくれるだろうか。
土蛇に襲われたら脱出できないと嘘をついた藤田。
おまけに、とぐろを巻いた状態から脱出可能であることを隠していた。
それだけではない。
不審な行動をとっていた。
大事そうに持っていて紙切れ、あれはなんだ?
俺が奪った部分を見て、女の態度が豹変したのはなぜだ?
これまで関係が良好とはいかないまでも、騙しただの利用しただの言ったりしなかった。
それが、あの紙切れを見た途端に態度が急変。
いままで以上の敵意を剥きだしにしてきた。
あの紙になにかある。
謎を解く鍵に違いない。
となると、下半分を手に入れる必要がある。
そのためには……。
七志は大きなため息をついたあと、頬を軽く叩いた。
情報と下半分の紙を得るために藤田と会う。
問題はそのあと。
それらを得る方法だ。
真正面から聞いたところで、じいさんは知らぬ存ぜぬを押し通すだろう。
いや、それどころか嘘をついたり、俺を陥れようとするかもしれない。
……。
ふと思考の方向を変えた。
そもそも、どうして嘘をついたり隠し事をしたりするんだ?
ふと疑問が浮かんだ。
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*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています。




