第25話 次のターゲット
綾香は目を開け、後ろを向いた。
二列後ろの席、いまは離席しているが、そこは飛鳥のデスクだ。
同僚から送られてきたラインの内容と屋上で見聞きした情報を混ぜあわせていく。
麗奈、飛鳥、それに悠二。
三角関係にあるこの三人。
飛鳥と悠二はもうすぐゴールインする。
幸せの絶頂にあるだろう。
残る麗奈はきっとなにも知らない。
悠二にとって恋人はただひとり、飛鳥。
麗奈とは付きあっているつもりはなく、火遊び程度にしか思っていなかった事実を——。
悠二が二股をかけていたのを麗奈先輩が知ったら?
しかも本命は飛鳥先輩で、結婚が決まっていると聞かされたら?
プライドの高い麗奈の性格を考えると、答えは容易に想像できる。
飛鳥先輩は妊娠しているから、近いうちに退職するはず。
だから、ターゲットになって退職に追いこまれたとしても時期が早まるだけ。
問題ない。
綾香は席を立った。
麗奈はいつも昼休みが終わってもすぐには部署に戻らない。
トイレで化粧を直し、取り巻きたちとくだらないおしゃべりをしている。
トイレの前まで来ると予想通り麗奈たちの話し声が聞こえてきた。
タイミングを見計らってから入ろうとドアの外から様子をうかがう。
「……報復しなくちゃ。
でないと、悠二のやつ、いまでも麗奈さんに好かれてるって調子に乗るから」
取り巻きの声が腹立たしげに言うと、同意する声が次々とあがった。
肝心の麗奈の声は聞こえてこない。
「麗奈さん、なんとか言ってよ」
「わたしたちが代わりにあいつを懲らしめてやる」
取り巻きたちの怒りはおさまらない。
どこまで本気で思っているんだろうと綾香はいぶかしく感じた。
「ねぇ、麗奈さんってばぁ」
麗奈は沈黙を貫いている。
おそらく悠二に対してどうすべきが考えているのだろう。
答えが出る前のいまがチャンスだ。
綾香はドアを開け、恐る恐る入っていく。
麗奈たちが一斉にこちらを向き、睨んできた。
「あの、麗奈先輩。お話があるんです」
取り巻きたちを無視し、麗奈だけを見つめた。
「佐々木さん、なんの用かしら?」
言葉こそ丁寧だが、全身から発せられる雰囲気は警戒一色だ。
「えっ、わたしの名前、覚えていただけているなんて驚き。うれしいです」
半分は本心、残りは嘘だった。
部署内には大勢の社員がいる。
入社年代は違うし、担当する仕事も異なっていて麗奈とは接する機会はほぼない。
そのうえ、極力接しないように気を配ってきた。
だから、名前はもちろん下手したら顔すら知らないかもしれない。
それだけに、名前と顔を覚えられていたことに驚いた。
気づかぬうちに麗奈の視界に入ってしまったのは完全な誤算。
全くうれしくない。
「もちろん知っているわ。それで要件は?」
麗奈が含みのある笑みを浮かべた。
「実はお伝えしたいことがあって……」
意味ありげな言葉を投げかけ、ちらりと取り巻きたちに視線を送った。
綾香の意図を察したのか、麗奈が出ていくように手をひらひらと動かす。
すると、取り巻きたちは綾香を睨みつけながらトイレから出ていった。
「これでいいかしら?」
「ありがとうございます。ふたりきりのほうがいいと思って」
「そうなの? じゃあ、話を聞いてあげるわ」
麗奈が先を促してきた。
その余裕、どこまで持つかしら。
挑発的な思いを心に隠し、おどおどとした感じを装って麗奈をちらりと見た。
「さっき、屋上で見てしまったんです」
麗奈は綾香の言葉にまるで興味を示さない。
「坂倉さんと飛鳥先輩が隠れて会っていました」
悠二の名前を出したところで麗奈が反応した。
恨みのこもったどろっとした視線を綾香に向けてくる。
「そのふたりがどうかしたの?」
視線とは裏腹に麗奈は冷静な声で質問してきた。
「結婚するそうです」
「えっ!?」
「……ご存じなかった?」
麗奈の顔を覗きこんだ。
大きな瞳が左右に揺れうごいている。
「ど、どうしてそんな話をわたしにするのかしら?」
「坂倉さんが昼休み明けに直属の上司に報告するって言っていて。
でも、わたし、それはちょっと違うんじゃないかなぁと思って」
ほんのわずかな表情の変化も見逃さまいと細心の注意をはらった。
伝え方ひとつで麗奈に与える印象が違ってくる。
一歩でも間違えればジ・エンド。
そうなったら、余計なことを話した綾香を次のターゲットにする口実を与えてしまう。
「違うって?」
麗奈が興味を示し、答えを求めて食いいるように綾香を見つめる。
「真っ先に報告するべきは麗奈先輩なのにって。
坂倉さんはともかく飛鳥先輩は同じ部署だから、その点に気づいて指摘しないといけないと思いませんか?」
麗奈は上司より立場がうえだと間接的に伝えようとした。
本心を見透かされないようさりげなく、あくまで麗奈のために話しているのだと印象づけたい。
「……そう、その通りよ。
佐々木さん、意外と頭がいいわね」
麗奈がこれでもかというほどに微笑む。
綾香は意図したとおりに話が流れていき、ほっと息を吐いた。
「ありがとうございます。
あの、わたしにできることがあったら……」
「ないわ。
あなたは十分わたしの役に立った、もう行って」
麗奈が取り巻きたちにしたように手をひらひらと振った。
「失礼します」
軽く頭を下げ、綾香はトイレを出た。
これでいい。
きっと麗奈先輩は察したはず。
飛鳥先輩に彼氏を奪われたあげく、麗奈先輩に敗者の烙印を押したって。
絶対に飛鳥先輩を憎む。
プライドが高い麗奈先輩が黙っているはずがない。
だから、きっと、必ず……。
綾香は軽やかな足取りで部署に戻った。
翌朝、朝礼で飛鳥の結婚が発表されると、部署内は驚きと祝福に包まれた。
馴れ初めや結婚式はいつかなど質問が飛びかっている。
始業時間になっても華やかな雰囲気は消えなかった。
「今日から飛鳥がターゲットよ」
麗奈の一言がお祝いムードを一気に消しさった。
つい先ほどまで結婚話で盛りあがっていたのが嘘のように、誰もその話をしない。
そればかりか飛鳥を意図的に避け、麗奈の指示があれば業務連絡をしないなど、これまでと同じようないじめ行動をしはじめた。
部署内での飛鳥の置かれた状況を目にし、綾香はいつもどおり、いじめに加担しなければ非難もしないというどっちつかずの態度を取った。
飛鳥先輩がターゲットになったのはわたしのせいじゃない。
決めたのは麗奈先輩。
それに、耐えられなくなったとしても退職時期を早めればいいだけ。
どうせ出産間近になったら仕事を辞めるんだから。
綾香はもやもやとした気持ちをどうにか腹の底に押しこめた。
一ヶ月もすれば根をあげて退職届を出すと予想していたが、二ヶ月を過ぎても動きがない。
それでも飛鳥が日に日に弱っていく感じは、誰の目から見ても明らかだった。
口には出さないが上司も飛鳥の体調を気にする素振りをし、同僚たちも陰では心配している。
手を差しのべたくても麗奈の手前、なにもできずにいた。
そんなある日のこと——。
飛鳥が死んだ。
*月・水・金曜日更新(時刻未定)
*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています。




