第24話 別れの真相
あの声は……。
綾香は一瞬の迷いもなく、その声の正体に気づいた。
悠二……。
脳裏の悠二が思い浮かんだ。
それは綾香に別れを告げたときの姿。
別れの理由を聞いても答えない、申しわけなさの欠片も感じないあの姿……。
まかさという思いと、絶対に間違いないという確信がせめぎあう。
物音をさせないよう慎重に移動し、室外機の近くにいると思しき声の主たちの姿を探していく。
数歩進んだところで発見した。
室外機とフェンスのあいだ、人目を避けるように綾香と同じ部署で麗奈と同期の道浦飛鳥がいる。
ちょっと待って。
話の流れからすると……。
飛鳥先輩と悠二は恋人同士で、麗奈先輩が横恋慕して三角関係になってもめたってこと?
綾香は息を殺し、ふたりの様子をうかがった。
「最初は俺の上司だろう。
それから飛鳥の上司でいいか?」
悠二の問いかけに飛鳥がうなずく。
「これで終業時間には俺らの話でもちきりになるな。怖いか?」
「ちょっとね。でも、目立つ前に報告しなくちゃいけないし」
話しながら飛鳥が自分の腹を愛おしそうに撫でる。
「みんな、驚くだろうな。
この俺が結婚、しかもデキ婚だって知ったらさ」
「でしょうね。わたし自身も驚いてる、付きあって半年で結婚するなんて」
「いろいろ言われるだろうけど、大丈夫か?」
悠二が飛鳥の肩を抱きよせた。
「……怖いわ」
「だったら、報告するときに部署移動を願いでたらどうだ?
妊娠したから激務は無理だって理由をつけて」
「うん、言ってみる」
「よし、じゃあ行くか」
悠二は飛鳥の手を握り、引っぱるようにして歩きだした。
綾香は屋上から出ていくふたりの後ろ姿を穴が開くほど見つめながら、拳に力を込めていく。
付きあって半年?
ということは、悠二がわたしに別れを告げたのは飛鳥先輩のせい?
きっとそうよ。
怒りが込みあげてくる。
飛鳥先輩がわたしから悠二を奪った。
そればかりじゃない、仕事までも——。
「許せない」
爆発しそうな怒りを言葉に込めて叫んだ。
どれほど大声を張りあげたところで受けた屈辱は消えない。
我慢するんだ。
飛鳥に対する様々な感情を内側に閉じこめようとした。
素知らぬ顔で昼からの仕事に取りくみ、飛鳥とは何事もなかったように接する。
転職が決まるまでは事を荒だててはいけない。
これからなすべきことを唱え、気持ちを落ちつかせていく。
「そろそろ戻らないと」
仕上げに深呼吸をひとつ。
冷静を装い、屋上を出た。
飛鳥先輩とは仕事の接点がほとんどないから大丈夫。
息を整えてから部署に戻ると、どことなく妙な雰囲気が漂っているのに気づいた。
いつもなら午後の始業開始の前から仕事をしている。
それなのに今日は窓際の席に座っている入社二年目の市川恭子に視線が集中していた。
遠慮のない視線を浴びている恭子の目はどこかうつろだ。
いまでこそ生気を失った感じだが、昔は誰よりもはつらつとして輝いていた。
恭子が入社した一年目。
真面目で仕事ができることから同僚から慕われ、上司からの評価も高かった。
ところが、麗奈のいじめのターゲットになった二年目に状況が一変。
上司は手のひらを返したように評価を下げ、同僚たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
面倒事に関わりあいたくない上司、睨まられるのが怖い同僚たち、誰もがターゲットを避けた。
綾香も内心では辟易しながらも長いものに巻かれ、用がない限り接触を絶っている。
準備を整えて仕事をはじめようとしたところ、音声を切ったスマートフォンが震えた。
誰からだろうとディスプレイを見ると、同僚たちのグループラインからのメッセージだった。
『市川さん、急だけと今日づけで会社辞めるんだって。
これでターゲットにされた社員の退職率一〇〇%死守』
メッセージを読み、軽い嫌悪感を覚えた。
いじめの果てに退職に追いこまれたことを笑い話のように伝えてくる。
なんてレベルが低いんだと感じたのは一瞬。
嫌悪感は消え、次のターゲットに対する不安で頭が溢れかえった。
麗奈がターゲットにする基準はわからない。
日頃から麗奈に逆らわず、関わりを持たず、視界の隅にいる程度の存在でいた。
だから大丈夫と脳裏に浮かぶ。
だが、基準がわからないのだからターゲットになっても不思議ではない。
『次のターゲット、誰だろうね。
最近、誰も目立った行動を取らないから予想がつかないよ』
『やっぱり新人じゃない?』
『まかさの先輩や上司とか』
すでに仕事を始める時刻になったというのにグループラインの文字の流れが止まらない。
綾香は打つべき言葉が思いつかず、相槌を打つスタンプを送信した。
わたしがターゲットのはずがない。
だって、麗奈先輩とほとんど接点ないし。
心を落ちつかせていく。
『もし、うちらのグループの誰かだったらどうする?』
この発信が文字の流れを見事に止めた。
発信者は冗談のつもりで書いたのかもしれない。
だが、読んだ者の胸に刺さったようだ。
場が静まる。
みんな考えているのかもしれない。
自分がターゲットになったらどうなるのだろうかと。
転職先が決まるまではターゲットになりたくない。
綾香は願った。
『まさか、そんなことないよ』
『そうそう、うちらは大丈夫だって』
『麗奈先輩に恨まれる覚えはないし、逆らったりしてないし』
『大丈夫、大丈夫』
口火が切られると、一斉に安心材料を発信しはじめた。
先ほどの流れにそうなら、相槌のためにスタンプを送信する。
だが、綾香は反応しなかった。
どこが大丈夫なのよ。
だって……。
『でもさ、市川さんの場合、ターゲットにされる理由なんてなかったと思わない?』
『そうだよね。麗奈先輩と仕事の絡みなんてなかったし』
『強いて言うなら、市川さんが同期のなかで目立ってたってことくらいかな』
『それって麗奈先輩には関係ないじゃない』
『うん、うん。ってことは、適当に決めてるの? 怖っ』
綾香はスマートフォンを鞄にしまい、仕事の資料を読む振りをしながら目を閉じた。
麗奈先輩の気持ちひとつでターゲットが決まる。
そこに理由なんてない。
だから、次のターゲットが誰かなんて予測不可能だ。
でも、待って。
綾香は目を見開いた。
もし、もしもよ、理由がある人物がいればどう?
ターゲットになるんじゃない?
例えば……。
脳裏にある人物の姿が思い浮かんだ。
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*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています。




