第13話 この世界の先輩
綾香は周辺を警戒しながら歩きつづけた。
曇りがかった空を見ても時間の経過がさっぱりわからない。
日頃から正確な腹時計だが、この世界ではなぜか通用しないようだ。
空腹を感じない一方で気疲れと恐怖心が増していく。
どうして誰もいないの?
辺りにはあの見知らぬ物体はおらず危険はないが、味方になってくれそうなひともいない。
先ほど襲われていた女性が最後のひとりだったのではないかと考えて寒気がした。
こんなところでひとりぼっちなんて絶対にいや。
誰でもいいから探そうと歩く速度をあげた。
常に警戒を怠らず、ほんの少しの変化も見逃さないよう周囲に視線を巡らせる。
ここはどこなの?
わたしはどうしてしまったんだろう。
周辺に危険を感じないせいか、不意に思い浮かんだ。
その答えが判明すれば、今後どうしていくべきか指針になりそうな気がした。
だが、なにひとつわからない。
それはつまり、地図を持たず世界を旅するも同然。
道に迷い、疲れ果て、精魂尽きてしまう。
まさか、この世界で一生を終えるなんてことないわよね。
不安をあおる疑問を横へ置き、現実を直視した。
この世界では太陽が隠れ、植物は枯れ果て、生気の欠片すらなく、人間を襲う不気味な物体が出現する。
「ああ、もう、やだ。余計に不安になったじゃない」
綾香は激しく首を振った。
疑問への答えが見つからないどころかヒントすらない。
どうしろっていうのよ。
いらだち混じりに足で大地を蹴った。
それが合図だったかのように数メートル先の大地の表面が波打つ。
「地震?」
綾香は微かな揺れを感じ、身構える。
波打つ大地がより一層激しく揺れうごき、一部分の土が盛りあがっていく。
長さにして四メートルほど、蛇のような形をしている。
それを目にし、綾香は恐怖に震えた。
女性を飲みこみ、肉体を消滅させたあの蛇のような物体だ。
脳裏にそのときの状況がありありと思い浮かぶ。
わたしもああなっちゃうの?
死にたかったはずなのに、どうしてこんなにも怖いの?
足が立っていられないほど震え、その場に座りこんだ。
違う、あの物体が怖いだけ。
死なんて恐れていない。
ちらりと物体に目をやった。
這うように進んでこちらに向かってくる。
怖い。
逃げないといけないという思いを押しのけ、頭が恐怖で埋めつくされていく。
蛇のような物体が迫りくる。
逃げることも抵抗することも頭にない。
ただ、恐怖心に支配され、流れに身を任せる。
物体が綾香の目前までやってきたところで、先頭部分が鎌首をもたげるようにして伸びあがった。
襲われる。
本能が告げた。
助けて!
本能が求める。
だが、自力ではどうにもできない。
観念し、消滅するそのときを迎えようとした。
物体が綾香の斜め上から急降下。
先頭部分がふたつに裂けていく。
飲みこまれてしまう!
目を閉じようとしたとき、視界の隅に影が走った。
何者かが横っ飛びしてくる。
なにが起きたのか考える余裕はなかった。
何者かに体当たりされ、綾香は大地を転がる。
その数秒後、急降下してきた物体が地面に激突。
大きな音をさせ、元の姿である土に戻った。
綾香は体を起こし、物体が崩壊した場所を見つめた。
先ほどまで生き物のように動きまわっていたのが、いまでは何事もなかったように静まっている。
状況が把握できずに気が動転しているさなか、男のうめき声が聞こえてきた。
「誰?」
綾香は我にかえり、声の主を探した。
物体が崩壊した付近に土を被った小柄な老人が寝転がっている。
髪についた土を払いながら立ちあがり、ゆっくりと近づいてきた。
「大丈夫だったかい?」
老人が手を差しのべてくる。
「ええ、おかげさまで。ありがとう」
綾香は老人の手を借りて立ちあがった。
「とんでもない。この世界では助けあわんとな」
老人が微笑む。
「あの、ここってどこなんですか?」
「……この世界に来たばかりなんだな」
「ええ。なにがなんだかわからなくて途方に暮れていたんです。
そうしたら物体に襲われて」
綾香は物体が崩壊して土に戻った箇所を指した。
「ああ、あれか」
「知っているなら教えてください」
「もちろん。全部話そう。そのまえに……わしは藤田。お嬢さんは?」
「わたしは綾香、佐々木綾香です」
綾香は軽く頭をさげた。
「よろしく、綾香ちゃん。じゃあ、話をしようか」
藤田は思案するように空を見あげ、一拍間を置いて話しだした。
「わしはこの世界にきてしばらく経つが、詳しいことは未だにわからん。
確かなのは、この世界が現実世界とは根本的に違うということだ」
「もしかして、妙な物体のことですか?」
「そうだ。わしはそいつを勝手に土蛇と呼んでおる」
「土蛇……」
確認するように口に出して言ってみた。
「突然、土が蛇のような形になってひとを襲うなんて現実世界ではありえん」
「わたし、目撃しました。
あのあと、どうなるんですか?」
「あのあとって?」
藤田が確認するように質問してくる。
「ひとを飲みこんだあとです」
「綾香ちゃんはどう思う?」
「土蛇が崩れて土に戻ったあと、飲みこまれたひとはきれいさっぱり消えてしまって……うーん」
綾香は腕を組んだ。
「消滅したんだよ、この世界から」
「それって死んだってことですか?」
質問をし、唾を飲みこんだ。
知りたいと思うのと同じくらい答えを聞くのが怖い。
不思議な気分で答えを待った。
「わからない。
何人にもその質問してみたが、明確に答えられる者はいなかった。
謎のままだ。
ただ、ひとつだけわかっていることがある」
「なんですか?」
「土蛇に飲みこまれたら、死ぬ以上の苦痛を味わう」
藤田が苦々しい表情を浮かべた。
「だからですか?」
綾香は聞いてみた。
質問の意図がうまく伝わらなかったらしく、藤田が不思議そうな顔をしている。
「苦痛を味わうってわかっていたから、わたしを土蛇から守ってくれたんですか?」
「ああ、そうだ。
この世界に来て途方に暮れている者同士、助けあうのは当たり前」
「でも、一歩間違えれば藤田さんが襲われていたかもしれないのに」
ありがたさと申し訳なさが混じりあう。
「気にしなくてもいい。
さっきも言ったけど、助けあいだ。
わしは綾香ちゃんより長くこの世界にいる。
だから、先輩として助ける」
藤田が安心させるように綾香の肩を叩いた。
「ありがとうございます。
わたし、藤田さんに出会えてよかった」
「わしもだ。どうだろう、一緒に行動しないか?」
藤田の言葉に綾香は嬉しさがこみあげてきた。
ひとりぼっちの孤独を回避できるだけでなく、助けてくれる存在がそばにいてくれる。
綾香にとってメリットしかない。
だが、藤田にはデメリットだらけ。
申し出を受けいれるのに気が引ける。
「わたし、足手まといにしかなりませんよ」
「なにを言っているんだ。いるだけで心強い」
藤田が即答した。
「本当に?」
「もちろんだ」
「ありがとうございます。
藤田さんと一緒なら、ここから脱出できる気がしてきました」
小さいながらも希望の光が見えた。
自然と笑みが溢れる。
だが、現状をよく知っているせいか、藤田の顔はどこか晴れない。
「まずは仲間を集めよう」
「ほかにもいるんですか?」
「きっといるはずだ。
この世界に次々とひとがやってきては土蛇に襲われて消滅していく。
だから、そうなる前に合流しなければ」
藤田が辺りに視線を走らせている。
「そうですね、探しましょう」
綾香は拳を固めた。
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*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています。




