【短編】アラサー勇者の現代リスタート〜全ての耐性を極めた俺、恋も無双する〜
気休めに書いた物語です。
いつの世も、家族経営のトップを身内だけで固める会社はろくなもんじゃない。
それを独身アラサーの俺、望未勇樹は身をもって痛感させられた。
「目障りだ! さっさと出て行けよ無能がぁ!」
俺の前にいるのは、社長の息子で部長の座に胡座をかいている傍若無人。
一週間前にクビを宣告され、本日退職するまでに引き継ぎとか挨拶回りを完遂したのに、俺に向けられたのは労いの言葉ではなく悪態だった。
まったく、録音されたら一発アウトの罵声とは恐れ入る。だから優秀な社員達が次々に辞めるんだよ。
日々贅沢三昧している肥満体型は、悪意を煮詰めた言動によって、一層の醜さを醸し出している。
他者を見下す傲慢な姿勢は、よく物語の悪役で出てくる典型的で低劣な小物だった。
「今までお世話になりました」
喉元まで出掛かった不満を飲み込んで、俺は社会人として礼儀正しく一礼をする。
そして香水臭い部屋から速やかに退室し、十年世話になったビルの外を目指した。
「……遂に望未さんが辞めるのか。この会社も社長の息子が上になってから人がどんどん辞めていくし、俺も病む前に辞めた方が良いかな」
「……自分の気に入らない人達に大量の仕事を押し付けたり、クビにするとか好き勝手してるからな。さっさと見切りつけた方が賢明だよ」
自動販売機の前で黒いエナジードリンクを片手に、休憩する社員達の声が耳に届く。
全員憔悴して目の下にクマあり、退職する俺の姿を見て自分達の将来を憂いてる様子。
ちなみに彼等が口にした、社長息子が気に入らない社員の筆頭は俺の事だ。
とはいえ業務で大きなミスをしたとか、そういう理由で目を付けられたわけではない。
どうやら数ヶ月前に俺が母の葬儀で、喪主として休んだ事が癇に障ったらしい。
昔から唐突にキレ出し、周りに当たり散らかす奴だった。別に驚きはしないが……。
「ちゃんと事前に説明はしていたし、周りの負担にならないよう段取りもつけていたんだけどな」
それなのに朝礼で戦犯のように吊るし上げられ「親が亡くなったくらいで、会社に迷惑を掛けたゴミはクビだ」と言われた時は自分の耳を疑った。
「まったく、人としてどうかしているよ」
ちなみに父親の社長と母親の副社長は、好き勝手する息子を完全に見て見ぬふり。
社員達は疲弊しているのに、正に家族経営の悪い部分をかき集めた見本誌みたいな有り様だ。
「ま、俺にはもう関係ないんだけど」
過去に仕事を助けた社員達に別れを惜しまれながら、俺は薄暗い伏魔殿から明るい外に出た。
「……ああ、やっと解放された」
夕暮れの下、清々しさが胸を占める。
会社に対する思い出はろくなものがない。
休みが指で数える程度しかなくて、日付が変わるまで頑張っても残業代は出ない。この社会にありふれる過酷で、ブラックな労働環境の一つ。
女手一つで育ててくれた母の為に身を粉にして頑張ってきたが、もう気にする必要はない。
その母は既に、この世にいないんだから。
「これからどうするかな……」
まだ次の道は見つかっていない。
ガラスに映る自分の容姿は、身長170センチで平凡な容姿に加え、やや中性的な顔立ち。
専門的な技能資格は一つもなく、ただアニメやゲームが好きなオタクだ。こんな平凡な俺が果して次の職場を探せるのか。
「……いや、悩んでいても仕方ないか。こうなった以上、俺はもう前に進むしかないんだ」
母から受け継いだ『決断力』を胸に前を向く。
マンションには母の形見である、ブラウンカラーの愛猫・チョコが帰りを待っているのだ。
こうして社畜から無職になった俺は、日が沈む方角に背を向けて、新しい第一歩を踏み出した。
◆ ◆ ◆
──人生は油断ならない。
一秒後には大転落したり、思いもよらない出会いをして大逆転、なんて事も起きたりする。
とはいえ、この展開は流石に予想外。
俺は退職した翌日、なんと剣と魔法の異世界『ユグドラシル』に召喚されてしまった。
『初めまして、私は女神イリス。勇者の職務に選ばれた貴方が、元の世界に帰る方法は一つだけ。魔王を倒して世界を救うことです』
大輪の花のように美しい金髪碧眼の女神は、テンプレみたいな神託を告げ。
「……まぁ、やってみるか」
少年時代に異世界に憧れ、そして現在は無職でやる事もない俺は、即決で引き受けた。
もちろん報酬とは別に『魔王討伐したら退職した翌日の朝に戻す事』を条件に加えてもらい。
そして女神から聖剣を支給されたのだが、
『女神イリスの末娘にして、聖剣の精霊アリスです。………み、未熟者ですが、どうかよろしくお願いします』
驚くことに聖剣は女神の娘で、十代くらいの涼やかで鈴のような美声だった。
『私には沢山の技術や知識がありますので、ご主人様の戦闘を全力でバックアップします』
「お、それは心強いサポートだ」
加えて積み重ねた人生を基に、俺が獲得した能力名は【辛抱する木に金がなる】。
それは我慢した事に応じて、特定のステータスが強化される成長系の能力だった。
「よし、攻撃系はアリスに任せて俺は防御力を伸ばしていくぞ!」
『お任せ下さい、ご主人様!』
こうしてアリスと魔王討伐を目標とした、とても長い異世界冒険が幕を開けた。
◆ ◆ ◆
それから三年が経過した。
攻略したダンジョンは数えきれない。
己を鍛える為に、死にかけた回数は星の数ほど。
聖剣を破壊され、アリスを助けるために冥界を奔走した事もあった。
正直言って大変な事の方が多かった。
それでも空に浮く大陸や海底の王国等、異世界でしか見れない、幻想的な絶景に何度も魅了された。
俺は童心に帰り、この異世界の冒険をアリスと共に、心の底から楽しんでいた。
ただ一つだけある悩みの種は、
『すみませーん! 良いアイテムを渡せるイベントがないか探してたら、うっかり王国の滅亡シナリオを発動させちゃいました!』
「なにやってんだこの駄女神ぃ!?」
『……お母様が、ご迷惑をお掛けしてすみません』
ドジっ子属性女神のミスによって、災難に見舞われた王国を救う数々のイベント。
マッチポンプみたいな事で、人々の好感度を上げるのは大きな罪悪感があった。
もちろん元凶には、キツイお仕置きをしたが。
そんなトラブルに見舞われながらも進み、俺は魔族の幹部達をアリスの攻撃力と、鍛え上げた自身の『防御力』と『耐性力』で攻略。
『なんで国をふっとばす戦略魔法を受けて無傷なんだ!?』
『マグマの中を泳いでいるだと!?』
『魔族よりも化け物じゃねーか!?』
『どうなってんだ、あの勇者の身体は!?』
人と魔族からドン引きされながらも。
遂には全面戦争で、俺達は魔王城に到達した。
王の間で待ち構えていたのは銀髪巨乳のドレス美少女、実に討伐するか悩む魔王と。
『──ああ、この世界で唯一妾と肩を並べる愛しい伴侶。貴方を殺し眷属として支配する。この運命の日を、妾はずっと待ち望んでいたのよ』
「うわぁ……ヤンデレだ」
俺の盗撮写真で床も壁も天井も、全てが埋め尽くされたヤベー空間だった。
『貴方を倒して世界を滅ぼす、そしたら二人の子供で世界を満たしてあげましょう』
「この魔王、愛が重すぎる……!?」
『そ、そんなことさせません!』
俺とアリスは旅で培った全てを開放。
銀髪魔王と三日三晩の死闘の末、更地となった魔王城跡地で、彼女を聖剣で貫き勝利した。
『生まれ変われたら……その時こそ貴方を……』
最後まで愛の告白をして散った魔王は、一途な乙女だったと感心せざるを得ない。
多分魔王じゃなかったら、応じていたと思う。
そんなこんなで、世界は平和になった。
当然俺は頭お花畑のヤバい王女達に求婚されたり、国王から引き止められたが全てを辞退。
「ありがとう、良い息抜きになったよ」
『……私も最初に仕えた勇者が、ご主人様で良かったです』
別れを惜しみながらも、長い月日の苦楽を共にしたアリスを女神に返した。
魔王がいなくなった以上、争いの火種になりかねない世界最強の勇者は存在してはいけない。
それに大切な家族を元の世界に置き去りにしている。あの子を一人にはできない。
こうしてアラサー勇者は元の無職に戻り、家族が待っている世界に帰還した。
『……お母様、一生のお願いがあります』
自身の人生を変えてしまう、一番身近にいた一人の乙女心に気付かず。
◆ ◆ ◆
ザ、ザザザザザザ……。
管理者権限によりアカシックレコードの更新を開始。新規情報を元に世界を再シュミレート。
一から現代まで実行完了。全てオールグリーン。
人族・望未勇樹の再登録を完了。
凍結した世界を再起動します。
「……なんか酷いノイズが発生したけど、俺は無事に帰ってこれたのか?」
懐かしい我が家の天井をぼんやり眺める。
ボーっとする思考、まるで長い夢から覚めたような感覚だ。
部屋の中に日が差していることから察するに、今の時刻は朝なのだろう。
そのまま三年前の記憶を頼りに手を伸ばし、いつも枕元に常備している目覚まし時計を掴んだ。
「今日は7月1日の午前7時か、どうやら無事に召喚された日に戻れたみたいだな……」
もしも三年間の年月が経過したまま帰還したら、俺は伯母と従妹によって行方不明扱いされていただろうし、チョコも引き取られていただろう。
一番懸念していた問題はこれでクリアした。
次に確認しなければいけないのは、あのノイズの影響が身体に出ているかどうか。
「今のところ性別が変わったとか、小さくなったとか、イケメンになったとか、そういう変化は起きてないか。ということは世界の方に、何らかの影響が出ている可能性がありそうだな。一応スマホでニュースを調べて──」
「にゃー!」
テーブルの上に放り投げたままのスマートフォンに手を伸ばしたら、そこに愛しき猫──チョコがダブルベッドに軽々と飛び乗ってきた。
三年ぶりに再会した小さなお姫様は、喉を鳴らしながら俺の腕に擦り寄ってくる。
ピンと天に向かって立つ尻尾。目の輝きから察するに、どうやら朝食が欲しいようだ。
「まったく、おまえは相変わらず可愛いな!」
「ぶにゃー!?」
三年間我慢していた思いが爆発する。
俺は愛しいチョコを抱きしめて撫でたり、お腹に顔をうずめて、離れていた分の猫成分を十二分に堪能した。
やっぱり小さい猫は最高だぜ!
異世界のは全部ライオンサイズだったから、腕の中にすっぽり収まるのが丁度良い具合だ。
喉をグルングルン鳴らし、しつこい離せと抵抗するチョコの姿は実に愛おしい。
「にゃっ!」
執拗に構っていたら、耐えきれなくなったチョコは嫌がり、腕の中からするっと抜け出す。
そしてご飯をよこせと言わんばかりに、距離を取り扉付近でグルグル回り始めた。
「はいはい、分かったよ。ベッドから降りるからちょっと待って──ッ!?」
ベッドから出るために腰を浮かしたら、誰もいない筈の左壁側から何かに左腕を掴まれた。
オバケ!?
不審者!?
まさかストーカー王女!?
意識外からのアクションにびっくりした俺は、シーツに足を取られてバランスを崩すと左側に引き寄せられるように転倒する。
完全に倒れるのを避けるため、とっさに掴まれた左手と右手をベッドについて、隣に潜んでいた人物を上から押し倒す姿勢を取った。
「……お、おはようございます」
すると目の前にいたのは、思い浮かべたヤベーリストの人物ではなく。
──天使みたいな金髪碧眼の美少女だった。
金色に輝くロングヘア、澄んだ碧い瞳は泉のように輝いている。見た目の年齢から推測するに十代半ば、あるいは後半くらいか。
白いワンピースから覗く雪のように白い肌は、触れたら壊れそうな程に細かった。
パッと見は女神に似ている。
だが身に纏う雰囲気は全く違った。
「……えっと、キミは一体」
「ご主人様と呼んだら、分かりますか?」
「ちょっと待ってくれ。この声はまさか……」
俺の好みドストライクな清純系声に目を見張る。
頭の中では異世界で過ごした、相棒との三年間の思い出がフラッシュバックした。
「まさか、アリスなのか」
「はい、聖剣としてご主人様と三年間旅を共にしたアリスです」
「その姿は一体どうしたんだよ」
まったく状況を飲み込めない。一つだけ理解できるのは、目の前にいるのはオリハルコンの聖剣ではなく人間の少女である事。
「実は魔王を倒して返却された後、お母様にお願いして人間の姿にしてもらったんです」
「……聖剣から人の姿に」
おい、ということはまさか。
「以前話しましたよね。私は聖剣としての責務を放棄して人間となったので、もう二度と姉妹のいる天上界に戻ることはできません」
なんで、そんなバカな事を選択したんだ。
故郷と姉妹を捨ててまで、こんな冴えないアラサーの側にいる事を選ぶなんて馬鹿げてる。
彼女にそう言いかけた俺は覚悟を宿した碧い瞳を見て、喉元まで来た質問をぐっと我慢して飲み込んだ。
「ああ、そうだ。そういえばアリスは決戦前に、こう言ってたな……」
魔王城を目前に最後の夜を過ごした時の事。
聖剣の整備をしていたら、彼女から『全てが終わった後、ご主人様と一緒に暮らしたいです』とお願いをされたのだ。
しかし聖剣で寿命がない彼女は一人になる。
だから姉妹の側にいたほうが良いと、俺は丁重に断ったのだが。
「まったく、オマエはとんでもない不良娘だ。こんな魅力ゼロのおっさんについてくるなんて、流石に見る目がなさすぎだろ」
「何を言ってるんです。三年間ずっとメンテナンスを欠かさずしてくれましたし、聖剣殺しに刀身を砕かれて死にかけた際には、一睡もせずに助けてくれたじゃないですか。ご主人様には沢山の恩義があるんですよ」
それにとアリスは言葉を続けて。
「容姿なんて関係ありません。ご主人様は私にとって世界で一番大切な主ですから」
アリスが急に両手を後頭部に回してくる。
反射的に逃げようとしたら、そのままグッと力を入れて引き寄せられた。
「──ッ!!?」
アリスの『唇』が俺の額に押し付けられる。
甘い匂いと感触がダイレクトに脳を突き抜けた。
全神経が彼女に集中して、温かい体温や緊張で高鳴る心音を五感が拾う。
加速した思考で一秒が引き延ばされる感覚の中、ゆっくりアリスが離れる。
すると頭部を掴んでいた力が緩み、ハッと冷静に戻った俺は、
「ぬああああああああああああああああッ!!?」
動揺して大きく後方に飛び退く。
なにも考えずに飛んだから、姿勢は情けないレベルでメチャクチャだ。故に不格好な姿勢で、フローリングにケツを打ち付けた。
「あ、アリスさん!?」
「えへへ、どうでしたか。お母様から教わった通りに実行してみました」
「女神から教わったって、自分が今何をしたのか分かってるのか……?」
「もちろん、分かってますよ」
ベッドから立ち上がった彼女は、愛嬌がこぼれるような笑顔を浮かべ。
「初めてのキスを、ご主人様に捧げました」
極めた防御力ですら防ぐ事ができない、世界最強の口撃が俺のハートに深く突き刺さった。
「あ、アリス……」
「にゃー!」
「ぐほ!?」
俺が見惚れていると、チョコが弾丸の様に突進してきて、そのモフモフボディで見事なタックルをぶちかました。
油断していた俺は衝撃で仰向けにひっくり返り、腹の上に着地したチョコは不機嫌そうに尻尾を左右に振った。
アリスが慌てて駆け寄ると。
「ご主人様、ご飯を用意しないでイチャイチャするなとチョコ様はお怒りになってます」
「……ああ、そういえばアリスは動物の言葉が分かるんだよな」
それは聖剣だった時に有していた能力。
人の姿になっても、引き継いでいるらしい。
「良し、それじゃ朝食にしようか。確か冷蔵庫には前日に魚を買ってたはずだから、アリスが人間になった記念に俺が美味しい和食を作るよ」
「ありがとうございます、ご主人様」
立ち上がった俺は、新しい家族を歓迎する為キッチンに向かった。
◆ ◆ ◆
──アレから二年が経過した。
季節は真冬で、しんしんと雪が降り積もる人気がない昼の公園。
そこに一人で立つ俺は、目の前にあるダンジョンの入口である『鳥居』を眺めながら染み染み思った。
「……今考えると、あそこが大きな分岐点だったんだろうな」
白い息を吐き、視線を左腰に向ける。
そこに下がっているのは、転生した王族が現代にもたらした魔法に、科学が合わさることで誕生した新たな技術『魔学』の産物。
魔法補助端末兵装『〈Magic Support Device Arms〉』の片手剣だ。
これらはアリスの『願い』を叶えた女神によってもたらされた。
もしも彼女が願わなかった場合、この剣はここにはないし、ダンジョンも存在することは無かった。
だからこれらが無かった時、俺はどんな人生を歩んでいたのか想像する。
「……たぶん、無難な仕事に再就職をして、女性との出会いもなく過ごしてただろうな」
なんせ俺は初見の女性に対しては内気で、楽しませるようなトークはできないから。
実に情けない。白い吐息と共に、自身に対して自嘲気味に笑う。
「ご主人様、お待たせしました」
「お、アリス」
そんな妄想をしていたら、俺の左腕にアリスがしがみついてくる。相変わらず人目を気にしない子だ。
誰もが振り向く美貌を持つ少女は、立っているだけで注目を集める。
羨望の眼差しになんとも言えない顔をしていると、アリスは小さな首を傾げた。
「ご主人様、どうかしましたか?」
「……いや、こんなアラサーには勿体ないと思ってさ」
「もう、なに言ってるんですか。私は命を救われた時から、ご主人様に一生ついていく覚悟を決めたんです。ご自身を卑下することは、止めてください」
「ご、ごめん……」
「世界を救う決断力があるのに、いつまで経ってもご主人様は女性に対して弱々ですね」
「……返す言葉もない」
「ま、まぁ……そんな弱い一面もギャップがあって私は良いと思いますけど……」
「はは、フォローしてくれてありがとう」
「いえいえ、私はご主人様のパートナーなので」
思えば異世界の旅で、こうやって彼女はネガティブになった俺を激励してくれた。
それに何度救われたことか。
じっと見つめていたら、アリスは天使のような笑顔を浮かべる。
その飾らない純真な姿が、俺にとっては眩してくて顔をそらした。
「ご主人様、お顔が真っ赤ですよ」
「きょ、今日は雪が降ってるからさ。多分そのせいじゃないか」
「そうですか、でしたら用事が終わったら直ぐ家に帰りましょう。全耐性をマスターしていても、体調管理は大事です」
「……そ、そうだな。うん、アリスの言うとおりだ」
「今日の夕飯は、お鍋にしますね。丁度良い白菜とタラを、友奈様から本日頂く予定なんです」
「アリスは本当にうちの親戚に好かれてるよな。従妹なんて、社畜時代は生存確認する程度だったのに、アリスに会ってからは頻繁に来るようになってさ……」
「にぎやかなのは良いことじゃないですか。私は友奈様のこと好きですよ」
「毎回着せ替え人形にされてるのに、アリスは優しいな」
見た目は十代にしか見えないが、この世界でアリスの年齢は20歳の設定だ。
年齢にそぐわぬ幼さが残る可憐な容姿は、アラサーの俺と並んだ際の犯罪臭がヤバい。
現に俺達の事を知らない一般人には、先程から変な目を向けられていた。
まぁ、通報されても身分証があるし、警察で俺達の事を知らない者は殆どいないから問題はないけど。
それにしても、本当に綺麗だよなぁ……。
今抱きしめたら、アリスはこの場から消えてしまうんじゃないか。
そう思ってしまうほどに、彼女の存在は幻想的で儚い美しさを醸し出している。
「おふ!?」
「ご主人様?」
「い、いやなんでもない……」
そんなことを考えていたら、どこからか飛んできた雪玉が後頭部を直撃した。
髪についた雪を払いながら、玉が飛んできた方角をチラ見する。
すると木陰に話題となっていた従妹の友奈が、鬼のような形相で隠れていた。
は よ 用 事 を 済 ま せ ろ!
友奈は声に出さずに口を動かし、グダグダしている俺に檄を飛ばす。
しかもいるのは、彼女だけではない。
その隣には俺が所属するパーティーのリーダーである魔王そっくりな令嬢・天上院エルシアや、世界的企業の令嬢達も見守っている。
まさかの冒険者の有名人勢揃い。
しかし彼女達の姿は、数多の高難易度ダンジョンを共に攻略し、世界に名を馳せたSランク冒険者にはとても見えない。
隠れて俺達を見ている姿は、不審者で通報待ったなしだった。
……と冗談は置いといて、流石にどうなるのか気になるよな。
数日前に告白を断られた彼女達は、この物語の結末を見届けんとしている。
全員容姿も性格も文句なしの女性、全員が一番でなくても良いと懇願してきたが。
それでも全てに応える、最低最悪な選択を俺は選ぶことはできなかった。
罪悪感と痛みに苦しみながらも、俺は今までの二年間を振り返り、唇を強く噛みしめた。
「……そうだな。いい加減、俺も覚悟を決めないといけないか」
「なんの話ですか」
「いや、そろそろ答えを出そうと思ってさ」
「答えとは、一体何のことです?」
意味が分からないらしい。
アリスは首を傾げ、俺を見上げる。
それに対して深呼吸し、肺いっぱいに溜めた熱をゆっくり吐き出した。
ああ、そうだ。彼女は気づいていないようだが、答えは二年前から決まっていた。
アレからエルシアを筆頭に、色んなお嬢様方に引っ掻き回されていたけど。
俺の答えは、あの三年間を経て再会した時から、心に決まっていたのだ。
今から行おうと思う行為に対し、心臓の鼓動が大きくなっていく。
彼女なら思いに絶対に応え、全力で喜んでくれる事は知っている。
でも、それでもやはり……緊張する。手足が恐怖で小刻みに震える。
まるで心臓が胸の外へ飛び出すみたいに、何度もドッドッドッ、と激しい鼓動を打つ。
視界は狭まり、アリスの事しか見えなくなる。正直吐きそうだった。
恋愛物語の主人公は、こんな思いでヒロインと向き合うのか。
偉大なる者達に大きな尊敬を抱きながら、俺は魔王との決戦以上の覚悟を持つ。
そして腹の底から絞り出すように、
「アリス、手を出してくれ」
「はい、わかりました」
ポケットから取り出した、手のひらサイズの箱を彼女の手にそっと握らせた。
アリスは首を傾げて、俺から受け取った黒い箱をしげしげと眺める。
一般の女性なら一目でわかるアイテムだが、元聖剣である彼女は、いまいちピンとこない様子だった。
「ご主人様、これは?」
「……えっと、開けたらわかるよ」
「ふふふ、ご主人様からのプレゼントですか。とても楽しみです」
俺に言われた通り、アリスは箱に指をかけてゆっくり開ける。
するとその中にある、虹色に輝く宝石の指輪に大きく目を見開いた。
俺と視線が合う、彼女のつぶらな碧い瞳の奥は、動揺で揺らいでいた。
「驚いたかな。前にあげた時はネックレスだったけど、今回は違うんだ」
「え、ご主人様、これって……」
「アリス、君のことが好きだ。俺と結婚して欲しい」
「……っ」
俺の左腕から離れて、アリスは逃げるように距離を取ろうとする。
そうはさせないと、とっさに手を伸ばした俺は彼女を掴み、胸に強く抱き締めた。
抵抗されるかと思ったが、アリスは胸に顔を埋めて嗚咽を漏らす。
「ご主人様、私なんかで良いんですか……」
「……うん、アリスが良い。いや、アリスじゃないとダメなんだ」
「ご主人様!」
「ぶふぁ!?」
油断していなかったのだが、元聖剣の筋力で俺は地面に倒される。
まさかの攻守逆転。万が一逃げられたら不味いと思い、焦って地面に手を付き、起き上がろうとしたら──
アリスの両手が俺の頭をホールドし、その小さな唇を押し付ける。
「───っ」
思い出したのは、二年前の自室。
初めてこの世界にアリスが来た時は、ベッドの上でファーストキスを俺の額に捧げた。
今回は、狙いをわざと外さず。
確かに、俺の急所に触れる。
仲間達に見られている事も忘れ。
永遠のような、刹那のような。
曖昧な時間の流れの中。
ゆっくり離れたアリスは、
「好きです。大好きです、ご主人様」
「俺も好きだよ、アリス」
嬉しさと恥ずかしさが入り混じった。
最上の笑顔を贈ってくれた。
──その一年後、二人の間に小さな娘が産まれた。
元勇者の夫と、元聖剣の妻。
天下無敵の夫婦に与えられた次の大仕事。
それは魔王討伐やダンジョン攻略ではなく。
小さな世界を守り育てる事だった。
面白かったよ、と思ってくださった方。
是非ブクマ『★★★★★』で応援いただけると、執筆の励みになります。