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削除を決めた夜

 真っ暗闇が追いかけてくる。

 わたしは精一杯走るけれど過去から追ってきたそれはとても足が速くて逃げきれない。

 わたしはすぐにつかまってしまって奈落の奥底に閉じ込められる。

 出入り口の戸に鍵がかかる。


 その暗闇の中でわたしは泣くこともできずに呆然とする。

 何も見えない。何も聞こえない。

 そこはずっと前のあの日に閉じ込められていた場所とよく似ている。


 そうだそこは誰もわたしを必要としない世界で、お前なんかいらないと世界中が言っていて、みんながわたしに背を向ける。


 わたしがどんなに大声で叫ぼうと出入り口の戸を叩こうと、血を流そうと涙を流そうと、誰も知らない振りでそっぽを向いてて、そしてわたしはいつしか忘れられてひっそりと干からびて死んでいく。


 そんなの嫌だ絶対に絶対にだからわたしは必死になってここから出して出してと悲鳴を上げる何もない何もない何もない何もない何も何も何も何も何も何も何もないこの場所から、誰か。


 誰か。




◆◇◆




「ルーナちゃん」


 声はとても遠くから聞こえた。

 ヴーっと低い機械音と手から伝わって鼓膜を揺さぶる振動の向こうからだから実質聞こえてないのと同じだし無駄だし聞く必要もない。


「ルーナちゃんって」


 だってわたしはもうどこにもつながってないから聞こえたところで意味がない。

 わたしに期待する人はいない。

 わたしを必要とする人なんて誰もいないし、その声も本当の意味でわたしを呼んでないしわたしにできることなんて何もないし、だからわたしはただ掃除をする。


 床を掃く、モップをかける、ポリッシャーを動かす、棚を拭いて消毒してほこりを払って前出しして補充して雑誌を入れ替える。

 ただただ無心に手だけを動かす。


「…………」


 いつの間にか店長はいなくなっている。

 気にせず掃除を続ける。

 そのまま続けて、自分の意識から人を追い出す。世界を消す。誰もいなくなれ何もなくなれ滅べ消えろ。

 わたしはすべてを拒絶する。


「この街には愛がない!」


 聞き覚えのあるフレーズが聞こえてきてわたしはふらりと顔を上げた。


「なあおいわかるだろ大将? 俺たちが生きるのに一番必要としているものが。いや、生きる目的が! それが愛だ! それなのにこの街にはそれが欠けていやがんだよ、なあ?」

「はあ、はは。その、かもしれませんねえお客様……」

「なんでだ。なんでみんなそれがわからないんだ……なによりも大切なことが……」


 今日のドワーフはいつもよりさらに酔いが深かった。

 ドロドロに煮崩れた肉じゃがみたいにレジカウンターにしがみつくようにしてへたり込んでいる。

 もう疲れたとその全身で言っている。

 疲れた、もう嫌だ、何も見たくない、聞きたくない。

 目の下のクマが、ぼさぼさのひげが、弛緩した腕が、そう言って泣いている。


 こんなところにわたしがいる、と思った。

 ずっとずっと前からいたのにわたしは全然気づいていなかった。

 そしてもう一つ気づいた。

 とても大事なこと。


「何もないんだこの街には。あるのは隔絶と、軽蔑だ。だがそれは何もないと一緒なんだ……」

「わかります」


 わたしは思わずそう声を上げていた。

 ドワーフが、ふらふらとこちらに弱い視線を向ける。


「わかりますよ、あなたの気持ち。とてもよく」

「ル、ルーナちゃん?」


 急に割って入ったわたしに店長がうろたえた声を出す。

 でもわたしは気にしなかった。


「つらいですよね。たくさんの重みに堪えて頑張ってもそれに報いてくれるものはない。死にたくなっても止めてくれる誰かはいない。逃げ出したくても結局逃げ出すことすらろくにできずに惰性に甘んじた今だけが残るんですもんつらいですよね」


 ドワーフは目を見開いていた。

 その目が潤んで口がぽかんと開いた。

 赤ん坊のあどけない顔にも似て見えた。


「わたし気づいたんです、掃除が好きな理由。店を綺麗にすることが好きなわけでも無心になれるのが好きなわけでもない、きっとわたしができる唯一の支配なんです、わたしが動かせる唯一の現実なんです、ゴミ失せろ消えろ死ね燃えろ、多分そういうことなんです」

「ルーナちゃん、一体……」

「でも、そんなの本当はただのごっこ遊びでしかなかった。いやもちろん知ってましたよ現実じゃないもの妄想なんて、本当はもっと、ちゃんと! しっかり見据えるべきだった……本当にやるべきこと」

「ルーナちゃん!」

「わたしたちはわたしたちを掃除すべきだったんだ」


 それなら本当にすべてが片付く。


 雄叫びが上がった。

 ドワーフが立ち上がって両腕を振り上げていた。

 もう酔いなんてどこにも残っていないかのようだった。


 ドワーフになぎ倒されて商品棚が倒れた。

 ポテトチップスとグミの袋が転がる。


「お客様!?」


 ドワーフは止まらない。

 さらに棚を倒して雑誌を蹴り飛ばし奥へと踏み込んでいく。


 轟音。

 絶叫。

 もみ合う音、

 舞い上がるほこりにそれらの中かすかに聞こえる有線放送の音。


 わたしはふらりと店を出た。

 背後ではまだ騒音が続いていたけれど、知ったこっちゃなかった。

 ドワーフは自分の掃除を始めたんだ。

 わたしはわたしで自分の掃除を始めなければならない。

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