あなたは何者ですか?
こんにちは。Q輔です。
さて。
それでは、ただ今より、エッセイを書きます。
現在僕は、「ファイナルジャッジ!」という作品を連載をしています。
物語の舞台は、現世とあの世の境目、賽の河原。物語の主人公は、「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める、三途の川の渡し守。
三途の川の渡し守たちの職種は、いわゆる船頭だけではありません。主人公の職種は、最終決断補助者。賽の河原には、時々、生者とも死者ともつかぬ、彷徨える者が、ふらりと訪れる。その彷徨える者たちに交渉をして、説得をして、時にはお説教までして、生きるか死ぬかの最終決断に導くというのが主人公のお仕事。
というお話なんすけどね。
すんごい面白いお話なんすけどね。
え~っと、宣伝はこれぐらいにして、本題なんすけどね。
この作中で、主人公は、生と死の境を彷徨う者たちの個人情報を、首からぶら下げた不思議なタブレットで検索し、特定をします。その際、個人を特定する必須入力項目として、必ず三つのことを相手に質問します。ひとつめは、名前。ふたつめは、年齢。
そして、三つめが、存在意義。
存在意義を確認する時、主人公は相手に、
「あなたは何者ですか?」
という質問を投げかけます。
作中では、たまたま『存在意義』という表現をしていますが、これは別に『自己認識』や『アイデンティティー』という言葉に置き換えてもらっても、厳密には違う意味なのかもしれませんが、僕的には何ら問題ないです。
この設定、実は、けっこー昔にクソ安い居酒屋で、うだつの上がらない友人たちとスルメイカをしゃぶりながら低級酒を呑んでいた時、『自分のアイデンティティとは何だろう?』という話題になったことがもとになっています。
「例えばさ。今ここでコロっと死んでさ。三途の川の向こう岸に渡る時に、分厚い帳面を持った渡し守に『魂の本人確認をします。あなたは、何者ですか?』って聞かれたらどう答える?」
なんつって言い出したやつがいたのだ。
渡し守 「わりーね、全員に聞く決まりなんでね。閻魔様がうるせーから」
自分 「地獄行きが前提っすか? え~っと、私は……私は……」
渡し守 「ほらほら、後ろがつかえてんだよ。さっさと、ひと言でお願いしますよ」
と、せかされた時に何と答えるか? というお題だった。ま、酒席の戯言ですわ。
私はドライバーです。私は大工です。私は教師です。私はエンジニアです。大半の連中は、自分の職業を答えた。自分の子供が地元の高校野球でちょっと有名なやつは「私は○○の父です」と答えた。仕事はそこそこに、趣味に人生の重きを置いているやつは「私は登山家です」と言った。「バンドマンです」と言うやつもいたな。懐かしいなあ。あいつら今頃、何してっかなあ。
この当時、「私は登山家です」って答えたやつが、僕の目には、すごくカッコよく映った。詩人です。釣り人です。草野球のピッチャーです。宗教家です。運動家です。旅人です。このように、仕事以外の何かを、自分のアイデンティティとしている人物が羨ましく思えた。
ちなみに、この時の「あなたは何者ですか?」というお題に対する僕の答えは、
「私は会社員です」
でした。
まわりのみんなは、自分が想像していた以上に、一気に興醒めをした。
「私は社畜です」
と、正直に言わなくてよかったと、心から思った。
なお、この話は、もう十年以上も前の僕の思い出話だが、当時から、僕のまわりには、こういう質問に対し、「私は、私です」とか「私は何者でもない自分です」とか答えるようなタイプの人物はいなかった。
それは、僕が、そのタイプの人物が大の苦手で、意識して避けていたからかもしれない。申し訳ないが、学生さんならまだしも、いい歳をこいて「私は何者でもない自分です」と言うようなオッサンと付き合う器が、昔も今も、僕にはない。
はっきり言って、そのタイプの人たちが、薄ら怖い。それは遥か昔に、僕がそういうタイプの典型のような人間だったから、安易に親しくなって、あちら側に引きずり戻されるのを恐れているのかもしれない。ははは。
「何者でもない自分」は、決して自由なんかじゃありませんよ。大海原に浮かぶ帰り港なき小舟は、決して自由に漂っているわけではないのです。あれは、単純に遭難をしているだけです。
あなたは何者ですか?
てか、ちゅか、今だったら、何と答えるかなあ。
「私は、なろう作家です!」
なんて堂々と言える境地には、未だ至っていないしなあ。きゃは。
あなたは何者ですか?
「はいっ! 私は、恐妻の下僕ですっ!」
やべえ。ズバリ過ぎて、涙が出てきた。
てか、真面目な話、やっぱり相も変わらず「私は会社員です」と答えるかな。
あの頃は、いささか恥ずかし気だったけど、今なら胸を張って言えるかも。
さて。
ちゅうわけで、あなた。
あなたは何者ですか?
ブックマーク等ありがとうございます。更新の励みとなっております。