広がれ!エルフの森
森は、広がり続けている。
「ナル、どんな感じ?」
「う、うん。準備はまだ──」
「コトミ!誰も来てないよね」
「大丈夫だよ」
私はアンナに小声で返すと、辺りを注意深く見回した。大丈夫。大人たちは誰も来ていない。
──これより数ヶ月前のこと。
私たちエルフは、住んでいる森から出て生きていくことができない。森の中心にある神樹様の加護が働くのはこの森の中だけで、私たちはその加護のもとでしか生きられない。
「それなら、魔法で森を広げればいいんじゃね?」
私たち三人のリーダー格、アンナが突拍子もないことを言い出したのはその日の授業の後だった。
実際、森は増え続ける私たちにとって狭くなりつつある。
つい数十年前には木漏れ日権の争いで複数の家庭が戦争状態となりエルフ最高議会はエルフ法典に基づきエルフ的速やかに醜く無益なエルフ魔法の攻撃的使用を禁じたのであった。
だから、あとでナルに聞いたことだけど、アンナの発想も実は突拍子もないことではなく、大人たちも考えていたことではあったらしい。でも、問題となるのは森を広げるための魔力の確保。これもナルに聞いたことだけど、エルフ達全員で力を合わせても森を広げられるのはほんのちょっとだけ。
ナルは私たちの中では、いや、子どもたちの中でも、もしかしたら大人に混じってもずば抜けて魔法が得意な子だった。真面目で努力家だけど、どこか抜けている子で、よく私やアンナがフォローしている。そんなナルだから、アンナの言葉に真剣になって考えていたらしい。
それから数日後、私とアンナはナルに森の片隅に呼び出された。
「上手くやればできるかも!」
目を爛々とさせ語るナルに、アンナも大はしゃぎで、「それで、それで?」と続きを催促をしている。
「魔法の動力にね……神樹様の力をちょっと借りるの!」
わお。私は思いもかけないナルの言葉に少しびびった。絶対ダメなやつじゃない、それ。でも、アンナならきっと──
「面白いなそれ!」
……だよね。こういう時は私が止める役にならないと。私は続くアンナの言葉を遮るように言った。
「そんなことしたら一発でバレちゃうよ。絶対やばいって」
「ううん、大丈夫。バレない方法があるんだよ!」
私もアンナも大概適当なエルフだが、こうなった時のナルほど止めようのない存在はいない。
「──つまりね、魔法で一気に森を広げるって考えるんじゃなくて、少しだけ、魔法で木を成長させる速度を速めるの。それなら、一度に大量の魔力が必要にならずに、少しの魔力があり続ける限り魔法がずっと発動し続けられるの!それで、神樹様の出番なんだけどね、神樹様が地面を通して森全体から魔力を得て、得た魔力で加護の魔法を発動させ森全体を守っているのは知っているでしょう?」
「「知らん」」
いつも授業は不真面目に受けている私とアンナは声を揃えたが、ナルの説明は止まらない。
「全部の木から魔力を得ているわけじゃないっていうのが通説だけどね。たとえば、ホナコの木は美味しい実をつけるけど、それは魔力を神樹様に与えていないからなの。ポロロイやヘラとかは逆に魔力を多く神樹様に与えているから、渋かったりあまり美味しくない実をつけるって言われてる。木全体で作られた魔力が木自身の養分とはならず、根を通して地面に広がって、それを神樹様が加護の魔法に使うわけね。それで大事なことはね、森の地下には常に魔力があるってことなの」
とんとん、とナルは地面を足で叩いた。ようやく、私たちにも話がわかってきた。
「つまり──」
「そう!神樹様にいく分の魔力をほんの少しだけ拝借して、森を広げる魔法に流用するの!しかもね、魔法を地下で発動させるから、まず絶対バレないのよ!」
「おおー!すげぇ!ナル、いやナルナンテ様!なあコトミ?」
バレる確率が低いとなれば話は別だ。私はにやっと笑うと、「いいね。さすがナル」と言って、ナルの肩を抱いた。こういう企み、嫌いじゃない。
それから数ヶ月間、私たちは森を広げる魔法作りに夢中になった。新たに魔法を作るには、緻密な魔法式を組み立てなければならない。基本、ナルが考案した魔法式の説明を私とアンナが受け、分からないところは全部ナルに説明してもらった。要はナル特有の抜けがないか確認のダメだし係みたいなものだ。
「なあ、木が伸びてくるところに私たちエルフとか、動物とかいたらどうなるんだ?」
「それは大丈夫。魔法がやっているのは成長を早めるだけだから、そこから先は自然の成り行き通りだよ」
「あ、じゃあもし小川があったら?川底から木が生えてきたら変だよ」
「うーん……」
こういうとき、アンナの直感みたいなものは頼りになる。
「川とかに当たったら地下をこう……深く根を張らせて向こう岸まで行って、そこからまた木が生えてくるようにしたらいいんじゃね?」
「そうか!それいいね」
こうやって順調に決まることもあれば、ナルのうっかりミスで作業が数段階前に戻ることもあった。
そしていよいよ魔法を発動させる日が来た──
「よし、よし……」
ナルは魔法の最終確認をしている。アンナも側にいてのダブルチェックだ。まあ、どうせ見ているだけなんだろうけど。私は大人たちが来ないか見張るため、ぼんやりと周囲を眺めていたその時だった。
「あ!」
とアンナが素っ頓狂な声をあげた。
「どうしたの?」
慌てて、私はアンナの側へかけよる。ナルも確認の作業を中断してアンナを見ていた。
「いや~、今になって気がついたんだけどさ。外から侵入してきた動物とか、上手く排除できないかな」
アンナが言っているのは巨大な牙を持ち突進して攻撃してくる害獣イノシのことだ。最近、森の外から度々やってきては森を荒らすわ私たちを襲うわと、結構な被害があって、大人たちは森の外へ追い出すのに苦労している。
「ええー……」
とナルが不満の声を漏らした。ここにきて追加の注文が入るとは私も思っていなかった。アンナは申し訳なさそうに頭をかいている。
「私の両親、二人ともアレの退治に苦労しててさ、ナル、できる範囲でいいから、何か案はない?」
「うーん……今から複雑な魔法式を組み込むのは……」
ナルも頭を捻ってしばらくうんうん唸っていたが、少ししてパンと手を叩いた。
「そうだ!私たちは森の外に出ないから、森をぐるっと囲うように駆除魔法を、これなら単純な仕組みで……あ、森の外だと神樹様の加護が…………うーん、外側じゃなくて、少し内側にエルフ以外の大きめの動物の命を奪う魔法を仕掛けてみれば……?いやでも、魔力を使いすぎるのは……」
ぶつぶつと独り言を言いながら、ナルは試行錯誤して新たに式を組み込もうとしている。手助けになればと、私は思いついたことを言ってみた。
「ねえ、その魔法で動物から魔力を取り出せないかな?それなら、魔力の割り振りは心配いらないんじゃない?」
ナルはぱっと顔を輝かせ、「それだっ!それだよコトミ」と嬉しそうに言った。
「これなら、駆除魔法に使った分の魔力をある程度回収できるから、最終的に魔力消費は少なくて済むかも。森を成長させる一番外側の部分は常時発動させているから、ここで動物の動きを感知して、更に動物が少し奥へ入ってきた時にだけ、要するに駆除魔法を必要な時にだけ発動させて死骸を地面に飲み込んで魔力とするように片付ければ……」
再び一人、魔法式に没入したナルから私とアンナは少し離れて、周囲に誰もいないか確認をしていることにした。
それから後、私とアンナがもう見張りには飽き飽きしてきた頃。
「できたよー」
と、ナルのぽやぽやした声が聞こえた。早速、私とアンナも確認をする。特に命を奪うことになる駆除魔法の部分は入念に三人で何度も点検をし、何があってもエルフの命を奪わないことを確認した。この魔法は本番前に試験運用をして、というわけにはいかない。文字通りぶっつけ本番の発動となる。もう夕刻になっていたが、私たちは大人たちに内緒で大人たちを超える魔法を作り上げることに興奮していた。
そしていよいよ、魔法を発動させる時がきた。
「二人とも、じゃあ、いくよ」
もう日が落ちかけて暗くなり始めている。薄暗闇の中、ナルは地面に手を当て私とアンナを見た。
私とアンナは静かに頷くと、それぞれ自分の手をナルの手に重ねた。
ナルは、ぐっと力を込め魔法を発動させた。
発動の瞬間、ぎぎ、と音が鳴るような、地面がぐにゃりと歪むような、不思議な感覚に包まれた。後で他のエルフたちに聞くと、私たちと同様の不思議な、エルフによっては不気味な感覚に陥った者たちがいくらかいた。
「……上手くいったのかな」
ナルが前に言っていたように、地面の中で発動させたおかげか発動させた私たちでさえ本当に魔法が機能しているのかわからなかった。森は、いつも通りのように思える。
「……発動自体は上手くいってる……はず。あとは、森の成長速度が上がっていることを確認できれば──」
ナルがそう言いかけたところで、私たち三人を呼ぶ親たちの声が聞こえた。
「おーい!アンナ、コトミ、ナルナンテー!」
「げ、もうそんな時間か。取り敢えず、今日は解散!」
私たちは、急いでその場を離れて、それぞれの家へと帰った。
それから数日後。ナルの観察の結果、森の成長がわずかに速まっていること、害獣の駆除が上手くいっていることが確認された。更に、どうやら駆除魔法で得られる魔力がそれなりにあるようで、余剰分の魔力は森の成長に充てられているらしい。
「……というわけで、魔法は一応成功と言える……んだけど」
「だけど?」
「魔法を止める仕組み入れるの忘れちゃってて……」
ナルはやっちゃった、と首を軽く左右に振るとため息をついた。
「多分問題は起こらないと思うけど、問題が起きても魔法を止める方法がないの」
……やっちゃった。でも、確かにナルの言う通り、この魔法が害となる可能性は限りなく低い。ま、些細な問題だよね。それよりも、大人たちに魔法の存在を気づかれないことの方が大事だ。いくら善行でも神樹様の力になるものを子どもが勝手に流用したとなれば怒られるに決まっている。
「バレないかな」
「大丈夫だって。神樹様に異変が起こってる様子ないし。コトミは心配性だなぁ」
アンナはぽんと私の背中を叩くと、微笑んだ。
「最近なんでかイノシが来なくなった、って親は訳わからないまま喜んでいるよ。ナルのおかげだな」
「えへへ」
照れくさそうに鼻をかいて、ナルも笑った。
それから数百年が経ったが、今も魔法は私たち三人以外には知られることなく働き続けている。以前と比べて森の成長速度が速まったのは神樹様のお力の賜物だ、というのがエルフの中での共通認識になった。実際、遠からず当たっているので、真実を知る私たちは内心にやにやしながらその話を聞いた。
ナルは大人になるとその魔法の才能でそれなりに偉い地位についたが、今でもちゃらんぽらんな私やアンナと共に過ごす時を大事にしてくれる。
この間、久しぶりにあの魔法を発動させた場所へ三人で行ってみた。魔法を発動させた地面は昔と変わらず、何の変哲もない地面のままだった。
「地下で今でもあの時の魔法が働き続けているなんて、不思議だよなぁ」
「本当にね」
私たちが語らう横で、ナルはかがみ込んで黙って地面にそっと手を当てている。もちろん、何も起きない。
「でもさ、本当に誰にも言わなくていいの?問題が無いどころか良いことづくしだし。多分今なら、ナルがやったって言えばエルフのみんな称賛すると思うけど」
ナルは立ち上がり首を振ると、今でも変わらない、はにかみがちな笑顔でこう言った。
「いいんだよ。これは、私たち三人の大事な想い出なんだから」
「「ナル~~!!」」
その日の夜、私たちは大人になっても変わらない三人の友情に乾杯をした。酔っ払ったナルが、職場のムカつく上司のモノマネをして私たちの笑いを誘うと、職場で部下を叱りつける嫌味なナル、という設定のもと、私がナルでアンナがナルの部下になりきり、コントみたいなやり取りをやってみせたりした。もちろん、ナルがそんな振る舞いをすることはないと私たちは知っているし、ナルもそのことをわかっているから、度を過ぎた嫌味な演技っぷりに、「やだぁ~」と笑いながらも、ナルもナルの嫌味な上司になりきって、ナルを演じる私に絡んできたりした。
やがて、アンナがごきげんな歌い出すと、ナルも調子を合わせて歌い出し、私も調子外れな音程で歌に加わり、賑やかな夜は過ぎていった。
あの頃から変わらず私たちの友情はここにあり、森もまた、今も変わらず広がり続けている。きっと、永遠に。木々の葉の間から垣間見える星々と月が照らす柔らかな明かりが、私たちを包み込んでいた。