6話 『ライアン』
三体の魔物が立ちふさがっている。ガルムの群れだ。口尻に皺をよせ、舌と唾液を汚らしく垂らし、今にも襲い掛からんと低い体勢を取っている。
「ふん」
それに相対するは、雄大豪壮な大男――ライアンである。彼は、まるで子犬を相手にするかのような嘲笑にも似た息を短く切り、黒鉄の戦斧を両手に構える。その鍛え上げられた肉体には、これ以上の防具は必要ないと、鉄製の胸当てのみが装備されている。
「犬っころが。かかってこい」
挑発は空しく響き、両者にらみ合いが続く。息をのむ光景の中、先手を打ったのはガルムの群れだった。ガルムは低い体勢から、さらに膝を曲げて飛び跳ね、そして、ライアンめがけて一直線に突進してきたのだ。獰猛な牙をむき、鋭い爪で大地を蹴って進んでくる。しかし、ライアンはピクリとも動かない。ガルムが近づいてくるというのに、斧を構えているだけなのだ。
「遅い」
彼は何を言っているのだろうか。イノシシにも引けを取らない猛進が、遅いはずがない。ただ、ガルムの攻撃を受け入れるだけの大男にしか見えない。このまま、そうなってしまうかのように思えた。
だが、現実は違った。
彼は、ガルムが間合いを詰めてくるのを待っていたのだ。自分の斧が届く領域に。確実に敵をしとめるタイミングを。
ガルムの猛進より早く、上半身を後ろに反る。それから、下っ腹に、胸に、腕に、手に力を巡らせ、体全体をまるで鞭のようにしならせて、一気に斧を振り下ろしたのだ。
大地が蜘蛛の巣のように砕け散る。当然、それを受けたガルムはひとたまりもなかった。もはや形状をとどめてすらいない頭を蜘蛛の巣の真ん中に置き、ピクリとも動かなくなってしまった。たった一撃だった。
「ほう、逃げないとは大した根性だな」
普通、こんなのを目の当たりにしたら、一目散にして逃げるのが生物の性であるはずなのだが、残りの二匹のガルム達は、決して引くことはなかった。ひょっとすると、魔物の生態は普通の生き物のそれとは、全く違うものなのかもしれない。
仲間の犠牲に目もくれず、その隙をついて、今度は二匹同時に攻めてきた。ライアンは斧を振り下ろしてしまっているため、即座には対応できない。一旦引いて態勢を整えた方が賢明な判断であるが、彼が取った行動は、逆に距離を詰めることだった。
彼は猛々しい太腿に力を入れ、片方のガルムに突っ込む。振り下ろした斧をサイの角が如く、晴天に突き上げる。しかし、ガルムはステップを踏んで華麗にかわし、獰猛な牙でライアンの首に狙いをつけた。
ガルムも一筋縄ではいかない、ということだろう。ライアンの攻撃を見切ることに成功したようだ。喉奥が見えるほど口を裂き、唾液を横に垂らしながら飛んでくる。
「甘い」
だが、それはライアンも同じである。身の毛もよだつガルムの相手など、一枚も二枚も上手である彼にとって、赤子の手を捻るようなものだろう。ライアンは、斧から片手を放して来たるガルムの首根っこを掴み、力を加えていく。
ギシギシと縮んでいく首が、苦痛の声を上げることさえも許さない。必死にもがくガルムの抵抗空しく、ライアンは、そのまま本当に捻りつぶしてしまった。武器だけが彼の武器ではないことを、ガルム達は知らなかったようだ。
「残る一匹……」
ライアンは、その場を動くことなく周りを見渡す。もう一匹が目の前から姿を消している。逃げ出したのだろうか?
否、ガルムが逃げ出すなど、決して起こりえない。それは、一匹目の惨事を目の当たりにして、それでも攻撃してきたことで証明されている。
では、どこに?
血塗られた手から、一筋の雫が滴り落ちる。その雫が、赤色のざらついた地面に落ちる前に、ライアンは静かに口を開いた。
「スキル・土槍」
後ろに回り込み、剥かれた牙が不気味に光る。飛び跳ね、鋭い爪で攻撃せんと振り下ろした前足が、しかし、空ぶったのだ。魔物に認知機能があるのかは知れたことではないが、なぜ攻撃が当たらなかったのか、理解に数秒はかかったようだ。
そう。土塊の槍が突き刺さっているのだ。ガルムの爪よりも固く、鋭い槍だ。地面からガルムの腹を貫通しているため、足をばたつかせ足掻くことしかできていない。
おびただしい量の血が、ガルムの腹から噴き出す。その鮮血は止まることなく流れ続け、黄土色の土に赤色を飛散させる姿は、圧倒的な強者に挑んだ愚かな魔物の末路を描いていた。ガルムは悲鳴を上げ、苦痛に悶えながらも必死に足掻くが、逃れる術は残されていない。
「終わらせてやる。楽にな」
ライアンは動くことのできない哀れな魔物を振り返り、黒鉄の斧をゆっくりと持ち上げた。そして、振り下ろされた斧の後には、もがき苦しむガルムの悲鳴は消えていた。
彼は軽く息をつき、ズボンのポケットから布切れを取り出す。それから、戦闘に使った斧の刃を拭った。かくして、ライアンは三体の凶暴な魔物――ガルムの群れをたった一人で、しかも無傷で退治して見せたのだった。
「おい、お前ら。そこにいるんだろう」
ライアンの野太い声が木々を揺らす。その声にびくっと反応して出てきたのは、ケンとレックとメルだった。
「ばれてたのか」
レックは右手を金髪頭の後ろに回し、いたずらっぽく笑う。
「そんな大きな声を出していたら、当たり前だ」
ライアンは呆れたようにため息をはいた。
「もう、探したんだからね~。それにしても、やっぱライアンってすごいよね~。攻撃力が半端じゃない」
呆れ顔のライアンに近づき、メルは彼の腕の筋肉に数回タッチする。しかし、ライアンはそのことは意に介さず、ケンの方へと向かってくる。先ほどの戦闘を見た後だからだろう。ケンはまたもやびくつき、見下ろされる視線から目をそらす。
「お前、本当に付いてくるのか?」
相手を震え上がらせるような低い声で尋ねてきた。相変わらず、無愛想にこちらを見ている、ような気がする。
「おいおい、新人を連れてくるってのには、お前も反対してなかっただろ?どうしたんだよ急に」
レックは手を前に広げ、腕を組んで佇んでいるライアンに寄っていく。やはり、質問には答えずにじっとこちらを見下ろし続けている。
(たぶん、僕が答えないと終わらないやつだ)
怖い。彼が何を言いたいのかもわからない。だけど、何か言わなくてはならぬのなら、答えは一つだ。
「い、行きます!行かせてください!」
顔を無理にでも上げ、そらしていた目を合わせる。小さく弱々しい声を、それでも精いっぱい張り上げて目の前の大男に告げる。彼は黒い瞳でしばらくこちらを見つめていたのだが、ようやく重たそうな口を開いた。
「そうか」
それだけ呟き、踵を返して先に進んでいってしまった。彼の後ろ姿を眺め、ケンは張り詰めた息を腹底からゆっくりと吐き出し、ほっと胸を撫でおろす。パーティ追放とかだったらどうしようと思っていたのだが、歓迎はされなくとも、パーティにいさせてもらえるようだ。
もともとこの冒険は、宝を手に入れて生活の基盤を整えることと、この世界の情報を収集する目的で来たのだ。それがおじゃんとなってしまえば、また振り出しに戻ることになる。同行が許されて安心する。
「き、緊張したぁ」
「おー、よしよし。怖かったね~。お姉さんが慰めてあげよっか?」
またしてもメルが冗談を言ってきた。今度は騙されまいと、「いや、いいです」と丁重にお断りすると、メルはすげない態度に口を尖らせた。
「まぁ、あいつはあんな感じだけど見つかったし、気を取り直して出発しようぜ!」
「はーい」
(そういえば、まだ全然進んでない)
ライアンを探していたため、結局ラウル町あたりをウロチョロしていただけである。かなり探し回って、あれから時間も経っているのだが、ラウル町に戻るには数分で事足りるほど、全く進行がない。
「はい!」
しかし、そう愚痴をこぼしていても仕方ない。幸先の良いスタートとは言えないが、今度こそ、ライアンを加えた四人は雑木林を抜け、何もない林道を進み続けていくのだった。