26話 『剣聖』
ぼやけていた景色が段々と晴れていく。ケンは朧げな意識の中、目の前に立つ男の姿を見つめる。青色の鎧に身を包んだ一人の男。長い金髪が、石壁の冷たさを運ぶそよ風にたなびいている。
彼の凛々しい顔がこちらを向いた。その静かで鋭い表情には、威厳のようなものが宿っている。
彼の周りに微かに、そして確かに流れている空気。それがどうにもこの場には似つかわしくないように思えた。慌ただしく巡り巡る世界の中で、そこだけ時が緩やかになっているような。そんな感覚をケンは覚えた。
「大丈夫か」
ふいに、男の声が耳に響く。穏やかで落ち着いた声。しかし、鋭い表情から生み出される威厳に、心臓が縛り付けられそうなほどの緊迫感があった。
「は、はい」
瞬きをした。目の前の男を見つめた。肩にかかるレックの重みを感じる。手を握って開く。ケンは呆然と自分の中にある感覚を噛みしめる。当たり前のように思えることが、今のケンには信じられなかったのだ。
生きていることが奇跡のようにも感じた。
ケンは唖然とした表情を浮かべて頷くほかなかった。
「いやー、さすがっすね。光線を流すなんて。見事っす」
聞き覚えのある調子の良い高い声が聞こえてきた。振り向くとそこには長身の青年が立っていた。彼は緑色の髪をかき上げ、拍手をしながらこちらにやって来る。
「レ、オンさん?」
「ちっす。昨日ぶりっすね。ケンさん」
緑髪の青年、レオンは額に指を当てながら明るくそう言い放つ。ケンは彼のエメラルドのように煌めく瞳を不可解な表情で見つめる。
どうして彼がここにいるのだろうか。
確か彼は別のダンジョン攻略をしていたはずだ。それがどうして、こんなところまでやってきたのだろうか。
そんなことを考え、不可解な表情でレオンを見つめる。そんなケンを他所に、彼は目の前で静かに腰を下ろし、瞑目した。
「スキル・癒しの聖霊」
淡い緑色の光が宙に発生する。その光は雪のように揺らめき、ケンとレックに触れた。すると触れた先から全身に光が伝わっていく。
不思議と力が湧いてきた。苛まれ続けていた不快感が緩和され、虚ろな瞳に生気が宿る。レックの黒焦げの体にも、徐々に綺麗な皮膚が再生していくのがわかる。
「ここにいる理由は後で説明するっす。とりあえず今はここから出ましょう」
目を開いたレオンが、ケンに代わってレックの腕を掴む。そして細身の体とは思えないほど軽々しい動作で、レックを背負い立ち上がった。
深い青色の鎧を身に着けた男が視線をこちらに送る。
「そちらは頼んだ」
「了解っす。気を付けてくださいね~」
静かに頷いた男を一瞥し、レオンはケンの腕を引いてその場を離れようとする。しかし、引かれる腕を見つめながら、ケンはすぐさま立ち止まる。
「待って、ください。一人で戦ってはダメだ」
危険すぎる。あのレックたちですら敵わなかった相手。それをたった一人で立ち向かうなど、到底許せることではなかった。
レオンもレオンだ。彼はレックたちの強さを知っているはずだ。見ていなかったのだろうか。彼らの惨状を。それなのに一人で戦わせるなど正気とは思えない。
「一緒に逃げましょう」
あの強敵相手だ。簡単に逃がしてもらえないかもしれない。だがそれしか道はない。あれは戦ってどうにかなる相手ではないのだ。そういう次元ではない。今は皆が無事に逃げ切ることを考えるべきだ。
「大丈夫っすよ」
しかし、そんな思いを優しく包み込むようにレオンは静かに呟いた。柔らかに目を細め、目の前の男を見つめる。
静寂を取り巻く風が頬を撫でた。冷たく穏やかな風が、身を焦がすような灼熱をかき消す。男は瞑目し、鞘に納めた長剣に手を添える。金属の擦れる音が響く。
「なんせ、彼はこの国最強。『無敗の戦士』って言われた、剣聖様その人なんすから!」
強敵が雄叫びをあげた。怒りに任せた叫び声が長く、長く遺跡に轟く。今までとは比べ物にならないほどの尋常ではない雄叫び。恐れをかき消すかのように必死に叫んでいる。
無数の茨が金髪の男ーー剣聖に襲い掛かる。宙を埋め尽くすほどの大量の茨。それに対し剣聖は悠長に前進し、長剣を構える代わりに一言、呟くように言い放った。
「荻風の舞」
剣聖を取り囲む風に茨は弾き返され、受け流され、切り落とされていく。素早く力強い猛攻の数々は、しかし彼には届かない。尽く退けられ、彼に何一つ意味もなさずに散っていった。
剣聖は敵を睨みつけて徐々に歩調を速める。彼の身体はスピードを増し、やがてすべてを無に帰す鋭い風となって敵との距離を縮めていった。彼の軽やかな足取りが辺りに疾風を巻き起こしている。
迫りくる剣聖。それを阻止せんと今度は、無数の茨の影に隠れていた巨大な茨を、剣聖の頭に叩きつけてきた。
人の胴体の何倍も大きい茨の攻撃が、地面に叩きつけられる。衝撃音と共に飛び散る石の破片。それと当時に砂埃が舞った。
砂埃で悪くなった視界が段々と晴れてきた。しかし、そこには潰されたであろう剣聖の姿はなかった。手ごたえを感じられなかった食人植物は周りを見渡す。
「どこを見ている」
ふいにどこからか声がした。周りを見渡していた食人植物は真下を見下ろす。するとそこには長剣を構えて瞑目している戦士の姿があった。
何かを察知した食人植物は咄嗟にラフレシアの花を剣聖に向ける。しかし、それも無駄であった。
「終わりだ。スキル・風剣乱舞」
あっという間だった。強敵の動きが鈍る。まるで時が止まったかのような一瞬の静寂が辺り一帯を包み込んだ。
崩れ落ちていく。顔が、茎が、茨が、花がーー全てが一気に切り刻まれ、砕けた岩のようにボロボロと音を立てて崩れていく。抵抗することも悲鳴をあげることも許されず、鮮やかに刈り取られていった食人植物は、やがて肉片の山へと姿を変えた。
優しいそよ風が吹いた。冷たく穏やかな風に金髪をたなびかせ、剣聖は剣を振って鞘に納めた。
(すごい)
ーーこれが剣聖。
ケンは目を見張って、男を眺めた。
あの食人植物の強さは尋常ではなかった。あのレックやライアンたちでさえ太刀打ちできないほどだ。紛れもない強者だった。
それなのにあの男ーー剣聖はいとも簡単に倒してしまった。茨の攻撃もあの光線も、敵の攻撃を全て弾き返し、何の苦もなく、息を切らすことも汗を掻くことさえもなく、鮮やかに、華麗に、迅速に、圧倒的な力をもって倒してしまったのだ。
彼の戦いを見て、ケンの胸底から熱い何かが込み上げる。震える手のひらを見下ろし、握りしめる。
「ね?言ったでしょ?彼なら大丈夫だって」
レックを背負ったままレオンが調子の良い声で自慢げに言い放つ。そして
「早く、ここから脱出しましょ。いい加減この人たちをこのままにしとくわけにもいかないっすからね」
首を回してレックとライアンたちを一瞥した。ケンを催促するような目つきで見つめてくる。
「彼は……」
「ん?あー、剣聖様っすか?彼なら何か調べ物があるって言って、ここに残るみたいっすよ。まあ、あの人ならどこにいても死ぬことはまずないんで、気にすることはないっすよ~」
カラカラと笑い冗談めかしてそう告げるレオン。しかし、ケンは彼の言うことが冗談には聞こえなかったことに身震いした。
ケンは握った拳を見つめ、静かに目を閉じた。そして頷いたケンはレオンに続いて、ライアンたちがいる場所に急いだ。
「チ!」
スラチーがこちらに飛び跳ねてきた。そのままケンの胸に飛び込み、弱々しく鳴き声を上げる。
ケンはすすり泣くように頬を摺り寄せるスラチーを撫で、微笑みを浮かべる。この子にはかなりの心配をかけたなと反省せねばなるまい。
「チ」
スラチーが触手で抜け出しの玉を取り出す。ケンたちは円になって固まり、レオンが玉に念を送る。
青色の鋭い光が遺跡を照らす。ケンはまだ少し残っている倦怠感と安堵の中、最後に遠くで立ち尽くしている剣聖の姿を眺めた。
彼の凛々しい佇まいをその紅の瞳に焼き付け、より一層強さを増した光と共にケンたちは姿を消したのだった。
いつも本作品を読んでくださって、ありがとうございます。
突然ではございますが、自分なりに考えた結果、誠に勝手ながらここで一つの区切りとさせていただきたいと思っております。
評価や感想を頂ければ幸いです。
ここまで応援してくださった方々、本当にありがとうございました!




