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25話 『英雄』


ーー僕はヒーローになりたかった


 ピンチの人を助け、みんなから称賛される。そんなカッコいいヒーローになりたかった。

 でも現実にそんなものは存在していなくて。平凡な日々を送っていた。それが自分の生きる道なんだと疑うことなどなかった。

 このまま一生を終える。そう思っていたんだ。


 だから、胸の底から湧き上がってくる恐怖を振り払ったとき。巨大な敵を睨みつけたとき。助けを必要としている人のために戦おうとしたとき。


 何かが音をたてて崩れ落ちていくのを感じたんだ。




****




 轟轟と燃え盛る炎が、龍へと姿を変え魔物に喰らい付く。獰猛な牙に噛みつかれた食人植物は爆発音とともに体を焼かれ始める。

 全身を覆い尽くすほどの巨大な炎が、辺り一帯を地獄へと変える。先ほどの笑い声は消え去り、悲鳴となって遺跡中に木霊する。必死に茨でかき消そうとするも尽きることのない炎が伝染して、伝染して、伝染して全てが焼かれていく。

 永久の灼熱。冷たい石壁を赤く染める業火。

 ケンは悶え苦しみ叫びながら、辺りに火をまき散らす敵の姿を見つめていた。


(な、なんか出た!)


 目を見開いたケンは、自身が放った魔法を前に呆然自失になる。

 こんな魔法を唱えられるのかと自分で自分を疑いさえした。

 上手くいくかわからなった。雷に打たれたかのように思い出した、根拠も何もないものだった。無我夢中だったとはいえ、まさか本当に唱えられるとは思ってもみなかったのである。


 呼吸は粗くなり、波打つ心臓の音が騒がしく鼓膜に響く。ケンは黒焦げになって倒れているレックに視線を移した。


(でも)


 今はそんなことを考えている時ではない。とにかく敵はかなり怯んでいる。この好機を逃してはならない。

 ケンは粗い呼吸のままレックの元へ急ぎ、痛々しく焼けた腕を肩に担いだ。


「お、もい」


 レックの体を引きずりながら運ぶ。

 かなり重い。かなり重いが途中で止まろうとは思わなかった。一刻も早くこの場を抜け出したくて、メルとライアンが倒れているところまで急ぐ。


「チー!チッチ!」


 スラチーが飛び跳ねながら甲高い鳴き声を上げている。見ると、青色の玉を触手で掴んでいた。抜け出しの玉だ。杖から取り出したようだ。


 あそこまでだ。あそこまで行けば、すぐに抜け出せる。ケンは重たい体を引きずって、暗雲から差し込む希望の光に向かい、必死に足を動かす。

 今もなお食人植物の悲鳴が轟いている。

 いける、とケンの表情が自然と綻んだ。


 しかし、その希望に再び陰りが生じた。


(あ、あれ?)


 視界が歪んだ。

 必死に繰り出していた足が覚束なくなり、立ち止まる。眉を顰めて耐えるも、立っていられなくてその場に膝をつく。免れられぬ不快感がケンの体に襲い掛かった。


(嘘だろ)


 世界がぐらつき、上下がわからなくなるこの感覚。頭が地面に引き込まれてしまいそうになる。全身の力が段々と失われていく倦怠感。

 一度味わったことがあるからわかる。これは魔素欠だ。こんな時にどうして、と考えることなく心当たりはある。しかし、そんなことを気にしてはいられない。


(動け!動けよ)


 絶え間なく押し寄せる苦しみにケンは歪んだ視界を睨む。足を動かそうとも力が入らない。視界はどんどん歪み、気が狂いそうな吐き気に苛まれる。

 意識が遠のいていく。だが気を失うわけにはいかない。今は死んででも、彼らを外に連れ出さねばならない。


 震える膝に鞭を打って立ち上がり、不確かな足取りで前に進む。呼吸が乱れ、心臓が張り裂けそうになる。


「ぜったいに」


 諦めてなるものか。

 止まってはならない。止まれば終わる。薄れゆく意識の中で、ケンは何度も何度も自分にそう言い聞かせた。

 恐ろしいのだ。ここまで来て、みんなを失ってしまうような気がして。恐ろしくて立ち止まってなどいられなかった。なんとしても、みんなで生きて帰る。その一心で前へ前へと進んでいく。


 後方から、凄まじい雄叫びが聞こえてきた。放たれる殺気が波動となって、全てを震え上がらせる。

食人植物がこちらを睨んでいた。今もなお燃え続ける業火に焼かれ、憤怒の視線をケンに突き刺している。茨を地面に叩きつけ、薔薇色のラフレシアがいくつも花開く。


(早くしないとーー)


 ーー道連れ。

 脳裏を掠めたこの言葉が、ケンを恐怖に震え上がらせる。背筋が凍り付き、命の危機を悟った。

 しかし急く気持ちとは裏腹に、足取りは重くなっていく。視界もほとんどがぼやけている。朦朧とする意識の中、焦燥だけが積もり積もっていく。


 ラフレシアの花が急激に光りだした。亀の歩みを進めるケンに、情け容赦は存在しない食人植物の本気。振り返らなくてもわかる。完全に殺しに来ている。


 最期かもしれない。でもそれでも諦めるわけにはいかない。最後の力を振り絞り、満身創痍の体で必死に足掻く。

 そんなケンを包み込むように、陰も残らぬ白い輝きが無慈悲にも放たれた。

辺りが真っ白になる。ぼやけていた視界にはもう何も映らない。


(あっ)


 背中に強い衝撃波を感じる。途端に突き飛ばされて襲い掛かってきた浮遊感に、時の流れが緩やかになっていくのを感じた。ケンの脳裏に走馬灯のように記憶が巡っていく。



 終わりか。終わりなのか。また僕は死ぬのか。また僕は何も果たせないまま死んでいくのか。救いたい命があった。失いたくない人達が助けを必要としていた。けれども助けられなかった。ここまで来て、中途半端に終わってしまうのか。


 平凡な日々を過ごしていた。

 でも異世界に来て何かが変わると思っていた。魔法も使えるようになったし、戦えるようにもなった。もしかしたら、長年抱いてきた夢も実現できるんじゃないかって期待していた自分もいた。

 幻想だった。結局僕は、助けられなかった。力があったのに。好機があったのに。それを活かしきれずに死んでいく。

 僕は最期まで何もできなかった。ここで、僕は朽ち果てる。


 ああ。でもな。


 レックは右も左もわからなかった僕にいろんなことを教えてくれた。

 メルには魔法を教えてもらった。いたずらをされたこともあったけど、楽しかったな。

 スラチーにも助けられたな。一緒に戦って敵を倒して。撫でられて頬を赤くして。可愛かったな。

 ライアンはずっと怖かったけど、僕たちのことを考えていてくれた。

 たった一日だったけど、みんなと出会えて僕は幸せだった。


 僕は終わる。僕はヒーローにはなれない。

 ただそれでも。もう体は動かない。自分が無力だってわかりきっているのにそれでもだ。僕は思わずにはいられなかった。


ーーみんなを助けたかったな、と。




「荻風の舞」




 何も見えない世界の中で、風が吹いた。頬を微かに撫でる清々しいそよ風。全てを包み込んでくれるような優しい風。

 生死の狭間にあった朧げな意識を集めて目を開く。その紅色の瞳に映ったのは、一人の男の影だった。



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