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24話 『壊滅』


「レック!」


 怒号にも似た激しい叫び声が響き渡る。

 光に飲み込まれたレックが吹き飛ばされ、そのまま背中から落下していく様をケンはただただ呆然と眺めていた。

 人肉の焦げた臭いと魔物の腐臭が入り混じる。


 魔物はまた笑った。それは、レックだけに向けられたものではなかった。この場の全員への嘲りである。

 僕たちは遊ばれている。仕留めたネズミを弄ぶ猫のように。僕たちを目まぐるしく動かして楽しんでいるのだ。僕たちは最初から手のひらの上だったのだ。


 魔物は開いたラフレシアの花をこちらに向けてきた。腐臭が風に乗って僅かにケンのところに漂ってくる。


(次はーー)


 僕だ。


 花の中心が急激に光りだす。心臓の音が張り裂けそうなくらい鳴り響き、見開いたその眼には迫りくる危機が映る。


 魔物の咆哮が鯨波のようにケンに押し寄せてきた。その時、怪しい薔薇色の花が光を放った。

 時が止まったような感覚に襲われ、直撃の一途を辿る光線をただただ見つめる。


「スキル・土壁!」


 しかし、それを遮るようにして躍り出たライアンが地面に手をつき、石壁を作り出す。

 幾重にも重なった分厚い石壁が、光線の進行を阻む。


(駄目だ)


 ミシミシと亀裂音を立てながら、一つ目、二つ目、三つ目と破壊されていく。石壁を無に帰さんと、次々と繰り返される光線。

 ライアンは眉を顰めて耐え続けていたが、それも時間の問題であった。ゆっくりと息を吐き捨て、それから振り返ることなく静かに呟く。


「おい、坊主」


 低い声で発せられた呟き。けれども他を威圧するような重圧感が、いつもの威厳がそこには含まれていなかった。

 ケンは続く言葉に耳を向けたくなかった。どうしてもしたくはなかった。聞いてはならない。直感的にはそう理解しているのに、その思いを無慈悲に打ち砕き、ライアンは言葉を続けた。


「ーーメルと共に逃げろ」


 『逃げろ』ーーこれをそのまま受け取ったなら、ケンは脱出してメルを安全な場所へ移した後、またここに戻ってくれば良いだけの話だった。そして今度はレックとライアンを連れて逃げれば良かったのだ。

 しかし、状況は明らかにそうではない。その一瞬の間に、今もなお壁を壊され続けるライアンはどうなっているだろう。黒焦げになって横たわっているレックはどうなるというのだろうか。

無事ではない。無事では済まされない。

 確かに、今脱出すれば、確実にメルとスラチーとケンは助かる。しかし二人は絶対に帰っては来られない。


 この状況下での『逃げろ』はもはや『見捨てろ』を示していた。


「逃げろ」


 また一つ壁が壊された。

 迫りくる死に立ち向かいながら、静かに呟いた。何物にも怯えない強い意志が籠った呟きだった。


「でも……」


 ケンは首を振って躊躇いを露にする。見開いた目が、震える唇が、体がそれを全否定している。

 できない。できるわけがないと。


「でも」


 でも、どうすれば良いというのだろう。この状況をどう打開していけばいいのだろう。散り散りになった意識の中、必死に考えても答えは出てこない。

 今も刻々と終わりの時間は迫ってきている。なのに、考えても考えても考えても、どうしても答えが出てこないのだ。


 ああ、結局のところ、僕は無力だったのだ。僕は、ただ突っ立っているだけの何もできない傍観者だったのだ。メルとスラチーを連れて逃げる覚悟も、ライアンとレックを助け出す算段も、あの食人植物を倒す力もない。

 躊躇って動けない。一番最悪のパターンじゃないか。わかっている。わかっているのにどうしても動けない。

 犠牲になる人間がいてはならない。その理想がケンの脳裏に雁字搦めになって縛り付けているのだ。


「逃げろ」


 できない。見捨てて逃げるなんてできるわけがない。


「逃げろ!」


 壁が壊されていく。だけれども動けない。


「何をやってる、早く逃げろ!」


(あっ)


 しかしそんなケンの中途半端な躊躇いは、振り返ったライアンの必死の形相を前に崩れ去っていく。

 彼の睨みつけるような冷ややかな視線。幾度となく向けられてきた視線。スラチーを奪い去ろうとしていた視線……ラウル町を出た直後、ガルムの群れと戦っていた後に向けられた視線。


 あの時、彼はこう言っていた。『お前、本当に付いてくるのか』と。


 ケンはその時、付いていくと言った。

 生活の基盤のため。情報収集のため。技を習得するため。今後生きていくための知識を、常識を知っていくため。

 ケンは彼らに付いていくと言ったのだ。

 ライアンが何も言わずに去っていく姿を見て、ケンは安心した。振出しに戻らなくて済んだと。数々の打算が、台無しにならなくて良かったと。


(僕はーー馬鹿だ)


 愚かだった。

 彼が自分を歓迎していないと思っていた。レックたち最強のパーティにはふさわしくないと、そう思っていた。

 だが、彼が言いたかったのはそんなことではない。


 彼はガルムとの戦闘をケンに見せた。

 あの戦いの何を見ていたんだ?あの身の毛もよだつような鋭い爪、獰猛な牙、威嚇する表情をもっとちゃんと見ていただろうか?


 彼が言いたかったことは、もっと別のところに置かれていた気がした。


 最後の壁が破壊される。それと同時に現れた無数の茨が宙を散開し、ライアンの体に次々と突き刺さる。

 全身から血を垂れ流したライアンは、それでも斧を構えて悲鳴を雄叫びに変え、突き刺さり貫通した茨を切り裂いた。


「行け……ここは俺がやる」


 力の籠っていない、低くて小さな呟き声。もう体力も限界に近づいてきているのが、ケンにはわかった。

 追い打ちをかけるように茨がライアンの体を貫いていく。それでも決して屈しない彼はまさしく死を恐れない勇猛果敢な戦士であった。


「いいから行け!」


 最後の力を振り絞り、ケンに怒鳴り声をあげた。

 もう良いと。自分を捨ててでもメルを救えと。怒りを含んだその声に、切実に混ざりこんだ願いをケンは感じ取る。

 しかし、


「ーー嫌だ」


 やはり、彼らをおいてはいけない。

 わかってしまったから。彼の冷ややかなその視線に気づかされてしまったから。


「嫌だ」


 なおさら放ってはおけなくなった。

 死にかけている人が、救わねばならない人が、今目の前にいるのだ。側から込み上げてくる熱いものを噛みしめ、己を奮い立たせる。


「嫌だ!!」


 ケンは胸の奥底から騒ぎ立てる恐怖を振り払い、がむしゃらに走り出す。己の体一つで、愚直に、わき目も振らずに、敵に向かってひたすら走る。

 魔物がまた笑った。何の力もない小さくて弱々しい存在へ向けて笑った。お前に何ができると、高々と天を仰いで嘲笑している。


(笑え。もっと笑え。嘲り笑え。笑っていろ)


 僕が弱い存在だと。何もできないと。油断して笑っていろーーその方が好都合だ。

 ケンは立ち止まる。冷たい床と靴が擦れる音と共に、立ちはだかる巨大な食人植物を仰ぎ睨む。


 目の前に倒れている人がいる。今にも倒れてしまいそうな人がいる。

 僕は彼らを放ってはおけない。結局、何も変わらない答え。しかし、今のケンには意味合いが違っていた。


 思い出したことが一つある。昨日見た夢の内容。その一部を。

 漠然とした記憶の中からぽつりと、か細く浮かんできた朧げな言葉。今もケンの脳裏に浮かんできているのに、雲のように掴めない。だけど、体が覚えている。何回も練習した身に覚えのないこの言葉を。この絶望的な状況を切り開く力を。


 どうして今になって思い出したのか。これが上手くいくのか。それはわからない。わからないが、もうこれしかない。


「聖霊よ。我に炎の祝福を」


 やってみるしかない。ごちゃごちゃ考えている暇はない。今はただみんなを救うためだけに生きろ!

 そして叫べ、声高に!


「喰らえ!『ヘルガイア』!!」


 大きく振りかぶった右腕から現れ出たのは、轟轟と燃え盛る巨大な炎。渦巻く炎の暴力はやがて龍へと姿を変え、振るわれた指先に従い魔物に喰らい付いたのだった。


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