1話 『転生』
ざわめく人々の声が強くなっていく。目を瞑っているからだろう。暗くて何も見えない。
(ここはどこだ?)
いつもとは違う不思議な感覚に、葉山健は徐々に目を開く。
「ここはどこだ?」
同じ疑問を繰り返す。目を開いてみたものの、結局どこだかわからないのだ。
出店が立ち並ぶ商店街、レンガ造りの中世ヨーロッパ風の建物、歩く獣人。どれをとっても、元居た日本の風景とはとても似つかない。
「どうなってるんだ?僕は……」
健は自分の体を確かめるように触る。何の変哲もない体だ。確かトラックに轢かれてそのまま気絶したような気がするのだけど、特に異常をきたしているところはない。
「あんなに痛かったのに、もう痛くない」
何が何だか理解できない健は、あたりをもう一度見回してみる。すると、後方にあった住宅の窓に顔が映っている。しかし、目の前のそれは、紅色の髪と瞳をした青年であった。どことなく芸能人の海斗君に似ている。
「誰だ、これ」
右手を上げ、首を横に振る。頬を引っ張って、ぺちんと放した。
(うん、僕だ。服装も変わっている)
「えっ。もしかしてこれって」
(本で何回か見たことがある。ヨーロッパ風の街並み。様々な風貌を持つ異種族。変化した己の姿。馬車が横行する時代錯誤感。間違いない)
「俺、異世界転生しちゃったのか?」
そう、葉山健は異世界に転生したのだった。
「って納得できるか!」
健の叫び声は高々と晴天に響き渡る。待ちゆく人々が健を冷ややかな目で見ていたような気がするが全く気にならなかった。
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時間の経過というのは素晴らしいものだ。人々の心に安寧を与えてくれる。
さっきまでパニック状態に陥っていたというのに順応してきたのか、以前の冷静さを取り戻し石段に座り込む。
「とは言えな~」
落ち着いていてもここは異世界。何があるかわからない。
前世で読んだ異世界転生物の小説のおかげか、ある程度の予備知識はある。しかしながら、いざ転生したとなるとどう行動していけばよいのか、わからなくなるのも無理はない。
何かマニュアル的な物があれば良かったのだが、それもない。
(そうだ。それこそ、その主人公がしていたことを真似してみよう。とりあえず、何もわからないのであれば、情報収集だ。日本語が通じるかは怪しいけど、通りすがりの人に聞いてみよう。あっ、あの人とか人柄が良さそう)
「あの、すいません」
「ん?」
「この町って、何という名前なんでしょうか?」
「不思議なこと聞くなぁ。ここは、ラウル町だよ」
(良かった通じるみたいだ。ラウルっていうんだ)
「あぁ、なるほど。あんた、冒険者かい?」
「冒険者?」
「あれ、違うの?マント姿をしていたから、そうじゃないかって思ったんだけど」
褐色のマントが背中を覆っている。
健の服装は、特にこれといった特徴のない布のシャツとズボンであり、いかにも駆け出しの冒険者のような外見だ。武器なども持っていない。
「あぁ、はい。そうです。でも駆け出しの冒険者で、この町のことはよく知らなくて」
否定しても仕方がない。せっかく相手から聞いてきてくれたのだ。ここは、とりあえず話を合わせておくが吉だろう。
「それなら、まずは冒険者ギルドに行かないとな」
冒険者ギルド。
受験勉強そっちのけーーではなく、休憩の間にやっていたゲームで良く出てきた奴だ。冒険者にクエストを斡旋してくれて、達成度や難易度によって報酬が得られる場所である。
「その場所を教えていただけませんか?」
そこで新たに、情報が得られるかもしれない。それに、たぶん僕は一文無しだ。まずは、生活の基盤を整えなければならない。
「あぁ、いいぞ。ここを真っすぐ行ったら、教会がある。そこを右に曲がった突き当りがギルドだ」
「わかりました。ありがとうございます」
「おう。頑張れよ」
男性は手をあげて去っていく。健は下げていた頭をあげ、顎に手を添える。
冒険者ギルドってことは、ここはRPG風の世界観なのかもしれない。今の男性も懇切丁寧に情報をくれたし。
「そうか、冒険者ギルドか」
健は言われた通りの道順をたどっていく。流れていく商店街や人々を再度見渡し、本当に異世界転生したのだなと実感する。
「あれは、キャベツ。ピーマン。それにトマトか」
店に並ぶ野菜や果物を呟きながら、首をひねる。それらの下には中国語みたいに角ばった文字が書かれていた。
不思議なことに、その見たことのないはずの文字がわかるのだ。
「なんか服装も変わってるし」
健はポケットの中に手を入れて、何も入っていないことを確認する。ここに来る前に持っていたスマホや財布、参考書はすべてなくなっていた。まあ、持っていたところで、役に立つかどうかわからないが。スマホも多分圏外だったろうし。
そんなことを考えながら歩いていると、何やら遠くから讃美歌のような歌声が聞こえてきた。俯いていた顔を上げると、教会が見えてきたのだ。
そして、そこを右に曲がると、立ち並ぶのは武器屋と防具屋。ケンは鎧や剣を身に着けた人々の間をおずおずと歩く。
「確かに、この先にギルドがあるみたいだ」
おそらく、冒険者達はここで武器と防具を揃えて、旅やらクエストやらに向かうのだろう。それに、よく見たら行きかう人々も剣や鎧だけでなく、杖を持った神官らしき人や、弓を背に携帯しているレンジャーっぽい人もいる。
冒険者と言っても、いわゆる様々な『職業』があるみたいだ。
「これすごいな」
防具屋に窓越しに掲示されている鎧にふと目が留まる。
静かに、厳かに構えるその鎧は、鋼の体に重い威厳を宿している。
健の内側に、長らく眠っていた何かが燻る。
(カッコいい。こんな大きな鎧初めて見た。僕もこんなの着て魔物なんかと戦ってみたいな~。あっ、でも僕の場合だと、重すぎて一歩も動けなかったりして。それに……)
飾られている鎧の下を見る。そこには白いプレートに何やら、文字が書いていた。文字というより正確には文字と数字なのだが、おそらくはこの鎧の値段なのだろう。
(聖金貨15枚と金貨10枚……か)
この世界での通貨みたいだ。正直、聖金貨とか金貨とか言われてもあまりピンとこないが、めちゃくちゃ高いことは理解できる。当然、今のポケットマネーで買えるわけがない。
夢がかなう日は来ないだろう。
窓越しに鎧を見つめていたが、口惜しく下唇を噛んで、先を急ぐ。
そして、しばらく進むと今度は木造の建物が目に入ってきた。
「ここか」
大きい。僕の家の何倍あるのだろうか。数多の冒険者が集まるのだから、そうあって然るべきなのだろうが、それにしても大きい。
屋敷のような建物の前に立ち尽くしていると、真ん中のこれまたどでかい扉がゆっくりと開く。中から出てきたのは、斧を持った2メートルを超える巨漢、そして、いかにも魔法使いっぽいハットと、紫色の服を身に着けた女性だった。
「どけ、坊主」
「は、はい」
威圧するような太い声に、慄いた健は道を譲る。男はどすどすと建物の中から出て、教会のある方向へと向かっていった。
「ごめんね~」
青髪の魔女が、微笑みながら手を振って、巨漢の後をついていった。健はしばらく棒立ちになる。
「すごい筋肉だったな。強そう。さすが異世界」
健は自身の体を見つめる。体つきは前世とは違って若干逞しくなっているが、それでも先ほどの男に比べると、貧相に思える。
「もしかして、冒険者って結構危険?」
(まぁ安全だとは思ってなかったけど、あれくらい屈強に鍛えないと厳しいのだろうか。でも、普通の女性もいたし、案外平気かも?いや、でもなぁ。かすり傷とかならまだいいけど、目も当てられない状態で帰還とかだったら、どうしよう。あれ、ちょっと不安になってきた)
「そんなところで、何してるにゃ?」
振り向くと、開きっぱなしの扉から一人の獣人が小首をかしげていた。
制服を着た三毛猫風の獣人だ。くりくりとした愛らしい目で見つめている。
「君、冒険者にゃの?」
「は、はい。そうです」
「なら、中に入るにゃ~」
気抜けする語尾で促され、建物の中に入る。獣人に話しかけられるなんて一度もなかったので、少し緊張してしまった。
「わぁ、すごい」
外から想像した通り、中は広かった。そしてテーブルに座って、たくさんの冒険者たちが、がやがやと会話をしていた。
「こっちに来るにゃ」
そんな冒険者たちの雑音の中、健は右側の受付へと案内される。彼女は受付側に回り、椅子に座る。
「冒険者ライセンスは持ってるかにゃ?」
「冒険者ライセンス?」
「そう、クエストを受ける時に必要なものにゃ。もしかして、クエストは初めてかにゃ?」
「実はその通りなんです。その、恥ずかしながらそのライセンスのこともよくわからなくて」
「冒険者ライセンスは、冒険者のステータスが記載されているもので、それがないとクエストを受けられないにゃ」
(ステータス。そんなものがあるのか。ということは自分にも、そのステータスとかあるのかな。あるのならすごく気になる)
「どうして受けられないんですか?」
「無理して高難易度のクエストを受けさせないためにゃ。ギルド側としても冒険者に、怪我や絶滅はしてほしくにゃいし」
(なるほど。つまりその冒険者のデータをもとに、クエストを斡旋してくれるってことか。その辺はしっかり考えてくれるんだな)
「すみません、知識不足で。その冒険者ライセンスって、今作ることはできるんですか?」
「作れるにゃ。どうする?作る?」
「ぜひ、お願いします!」
(やった。自分のステータスが見れる。どれくらいなんだろう。弱くなければいいけど。っていうか、見方がわからない。後で教えてもらおう)
「それじゃ、銀貨1枚になりますにゃ」
「へっ?」