9話 『ファイヤーボール』
「はい!じゃあ魔法の授業を始めていきたいと思いまーす」
「よろしくお願いします!」
既視感のあるくだりに、若干疲労の様相を見せつつ、ケンは相変わらず気の抜けた声で右腕を高々と伸ばすメルに向け、大きな返事をする。
なんだかんだ言っても、異世界の王道、魔法を覚えられるのだ。ケンは騙されたことを忘れ、嬉しさと期待に胸を躍らせていた。
「覚える魔法は『ファイアーボール』!取得難易度Fの超基礎魔法だから、焦らず、気楽にやっていきましょー」
やたらとテンションの高い彼女だが、やっと教えてもらえる魔法『ファイアーボール』のほうが気になるケン。そんな彼の表情を見るや否や、メルはその意思を汲んだように咳払いをして、挙げていた腕を下ろして手を叩く。
「じゃあ、まず最初にやることなんだけど。ケン君、君は魔素については知ってる?」
「魔素ですか?」
魔素。それは人間の体内で常に生成される物質で、魔法を使うための魔力の素となるものだ。これが無いと魔法やスキルは使えない。
「はい、知ってますよ。ここに来る前に、レックさんに教えてもらいました。魔力についても知ってます」
「ん。それなら話が早いね~」
彼女は人差し指を立て、それからその先をくるくると回す。
「知っての通り、その魔力を使って魔法を出すんだけど、具体的にどうやればいいのかまでは知らないよね。今からそれを説明していくね~」
そして、メルは腕を伸ばし、大木に向け手を目いっぱいに広げる。草原を駆ける風が二人の頬に打ち付ける。
「それじゃ、まずはお手本から」
普段の柔らかな目が、表情が、静かに研ぎ澄まされた鋭さに変わっていく。
「見てて」
かざした手から現れたのは、握りしめるには少し大きいほどの水の塊。いとも簡単に生み出されたそれは、その小さな空間に渦を収めている。
彼女は一切表情を変えず、その狙いを大木の幹に定めた。
「ウォーターボール」
掛け声と共に放たれた水玉は、秘めた渦を開放し、螺旋状に風を切る。そしてそれは勢いよく幹の真ん中に命中し、円形の皮を抉って辺りに飛び散る木片へと変えた。
レックが放った雷刃ほどではない。しかし、思ったより勢いがあったので、歓声を上げられずにはいられなかった。
感心の意を示すため、彼女の方を向くと目がかち合った。すでに先ほどまでの鋭さは消えており、いつもと同じ柔らかな雰囲気に戻っている。
レック同様、メルも自身の魔法に得意げな顔で自慢してくるのかなと思っていたのだが、そんな彼女の態度を見て、少し意表を突かれたケン。彼女の言葉を借りるなら、超基礎魔法だからだろうか。一人前の冒険者ならできて当然と言わんばかりの顔で、こちらを見ている。それはそれで誇示の表れな気もするが、今は置いておこう。
「これは、ウォーターボールっていってね。水属性の基本魔法なんだ~。でも、ごめんね。本当は、ファイアーボールの方が良かったかもだけど私、水属性だから使えなくてね。でもでも、大体要領は一緒だから気にしないでね~」
(なるほど、自分の属性によっては使える魔法とそうじゃない魔法があるのか)
ケンは火属性であるため、ファイアーボールしか使えない。
メルは水属性であるため、ウォーターボールしか使えない。
おそらくはそういうことだろう。
ケンは頷き、次の指示を待つ。
「っとまぁ、お手本見せてみたんだけど、今度は一からやり方を教えてあげるね……はい、まずは手を前に出して」
ケンは言われた通りに手を大木に向けてかざす。しかし、先ほどから緊張しきっているからだろうか。腕と顔に力が入ってしまう。
「こらこら。最初に言ったけど、魔法は力むと上手くいかないよ~。リラックスリラックス。深呼吸してー」
息を吸い込む。肺に暖かで新鮮な空気が入り込んでくる。
息を吐きだす。意識が統一され、段々と精神が研ぎ澄まされていくのを感じる。
(これだ。この感覚)
そして、心の乱れが完全なくなった時、ケンは徐々に目を開いた。
「落ち着いた?」
「はい。大丈夫です」
「よし!いい感じだね。そのまま次に行くよ~。あっ、開けてもらって悪いけど、もう一度目を瞑ってもらえる?」
弱まる風。草原の揺れる音。
直後に訪れた静寂の中、かすかに流れる空気を感じ、ケンはゆっくりと目を閉じる。
「目を瞑って、それから息をゆっくりと吐いて」
耳元でささやかれる。ささやかれる声は高いのに、少し低くて。
くすぐったさはない。むしろ心地いいくらいだ。
「心に意識を集めて……そう、ゆっくりと」
無音の意識をさらに集中させる。
「ゆっくりと」
徐々に深みへ。
「息を吐いて」
息を吐きだす。
「内なる存在を見て」
内なる存在?なんだろう。それって。
「もっと」
内側に眠るもの。
「もっと」
わずかに光を感じる。
「もっと深く」
いや、それは光というより灯火に近い。小さな灯火。
「意識の深いところ」
少しずつ少しずつ、ぼんやりとした形が絞られ、くっきりと整えられていく。
「それは何?」
あぁ、分かった。これがそうか。
「それは?」
こんにちは。初めまして。魔素さん。
「そう!それを、手のひらへ」
弾ける衝動に胸を駆られる。
胸から生じたその衝撃を腕へ!腕から手のひらへ!
「そしてこう言うの」
『ファイヤーボール』
ケンの手のひらから確かに感じる力。とてもとても熱い力。湧き出る手汗が瞬時に渇いていく。油断したら、燃える痛みに意識が途切れてしまいそうだ。
(でも)
でも、ここまで来たんだ。そうはさせない。
途切れそうな意識を、歯を食いしばって耐え、燃えてしまいそうな手をもう片方の手で支えて踏ん張る。
(いける!)
腕全体に力を込め、イメージするは火の塊。それを阻止しようとする痛みを振り払い、ようやくケンはそのイメージを形にする。
(できた!)
赤い光がケンの顔を照らす。痛みには慣れ、開かれた目には、感動からか、火に照らされているからか、きらきらとした輝きが映っている。
しかし、それも束の間。文字通りの火の玉を睨みつけたケンは、すぐさま大木へと視線を移す。
(あとはーーメルさんと同じことをするだけ!)
火の玉を放つ。反動で熱風と衝撃がケンの紅の髪を思いっきりかき上げ、体を後ろに倒そうとしてきたが、それには何とか耐え、魔法の動向に目を向ける。
放たれた火の玉は、後方に火花を散らして一直線に進み、大木に衝突。そしてそのまま幹に大きな窪みを作る。
(やった!できた!)
成功した。初めてだったけれど、できた。できるかどうかわからず、不安だったけどできたのだ。
ケンは喜びと達成感に包まれ、自分もやればできるんだと拳を強く握るーーしかし
(あっ)
すぐに拳を見つめていた目が、木のほうに向けられる。火の玉が衝突した場所から火事が起こっているからだ。
火を木に向けて放ったのだ。それは当然そうなる。
「やばっ。メルさん!水を!さっきの!早く!」
わたわたと慌てふためき、助けを求めて振り返るケン。しかし、当の彼女は眼を見開き、黙りこくって燃える炎を見つめている。
「あの……メルさん?」
こんな事態だというのに反応が薄い。どうしたんだろうと思い、様子を伺っていると、肩をプルプルと振るわせ始めた。
(あれ?怒ってる?)
いや違う。よく見たら、怒って黙りこくっているというよりは、開いた口が塞がらないっていう感じで……。
「す、ぃょ」
震えた唇から、かすかに聞こえたぼやき声。何を言ったかわからない。
ケンは聞き返そうと耳を彼女のもとへと近づける。すると急に両肩を掴まれ、ものすごい勢いで顔を上げる。
「すごいよ!ケン君!」
「へ?」




