0話 『プロローグ』
――僕はヒーローになりたかった。
こんな夢を誰もが抱いたことがあるかもしれない。ピンチの人を助け、みんなから称賛されるカッコいい憧れの英雄。僕は本気でそれになりたかった。
「ありがとうございました」
しかし、現実は当然、僕たちに力を与えることはしないし、ピンチの人を救えるシチュエーションなどは存在しない。昔ヒーローごっこをして遊んでいた友達も、いつしかみんな社会の中に溶け込んでしまった。そして、僕も同じようにして段々と、夢を諦めていくようになった。
今はこうやって本屋で参考書を買って、受験勉強に勤しむ毎日を送っている。
「ねぇ、あの映画見た?」
「見た見た!海斗君マジイケメンだよね!」
「それ!『お前を救って見せる』ってセリフ、マジ最高」
道を歩けば、地元の女子高校生の会話が聞こえる。笑い声が遠くなっていく。
平和だ。
毎日学校に行き、飯を3食しっかり食べられて、温かい布団で寝る。何不自由なく、とまではいかなくとも、暴力を振るわれたり、明日死ぬかもしれない恐怖におびえるたりすることもない。
先人たちが築き上げてきた平和を、否定するつもりはない。平和は良いことである。
「どうして泣いてるの?」
目の前に、一人の男の子がいた。
「風船が引っかかっちゃたの……」
見上げると、木の枝に赤い風船が挟まっている。
「ちょっと、待ってて」
買ってきた参考書を地面に置いて、木に登る。木登りは得意だったので、簡単に風船の紐をつかむことができた。
「あとはこうして」
風船が割れないように、紐を左右に揺らして枝から離す。
「よっと。ほら、取れたよ」
そのまま木から飛び降りて少年に手渡した。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
少年は笑顔を見せ、その場を去っていった。と思ったら、交差点に引っかかってしまったようだ。
「あらま」
口角を少しだけあげて、信号待ちの少年のところへと歩いていく。
そう、平和である。
僕はきっとこれからも、この平和を享受していくのだろう。普通の人生を送るのだろう。
そして、そのまま人生を終えるのだろう。
そう思っていた。
赤色の信号。赤色の風船。行き交う人々。騒がしい会話。携帯のなる音。コンビニから流れる音。ひんやりとした風。バスの発車音。行き交う車。その中で確かに聞こえてくる荒々しいエンジンの音。
信号が青に変わる。歩き出す少年――
「危ない!」
でも、もしも。もしも、迫りくるトラックから小さい子供を守ったとして
「おい、人が轢かれたぞ!」
「救急車!」
「マジ!?」
「なんてこった、おい。あのトラック逃げたぞ!」
僕の人生は何か変わるのだろうか?
ざわめく群衆の音が小さくなっていく。朦朧とする意識の中、葉山健はゆっくりと目を閉じた。