呪文と隠し部屋
休憩を終えてグレンとブラッドが地下へ続く階段を下りる。一階部分は完全に安全地帯となっており自発的に魔物が進入してくることはない。だがそこから一歩でも出れば魔物が徘徊する戦闘エリアとなる。
「中位悪魔か」
地下に入ってすぐの廊下を進んだ先は、戦闘が出来るだけの広さの空間と金属製の扉がある。その扉の前には槍を携えた大人サイズの悪魔が立っていた。
「中位の下も下。外にいる雑魚と変わらねえな」
グレンは特に警戒する様子もなく門番の魔物に近づく。さらに慣れた手付きで右腕のガントレットの収納された爪をスライドさせマナを纏う。
「通行料はお前らの命でいいよな」
「ケケラッケララ」
龍の最上位ボスから作られたドラゴンのクロ―付きガントレットは、人工の魔剣に変質しておりアーティファクトに似た効果を発揮する。
爪を構えてゆっくりと近づいてくるグレンに、魔物は自前の武器で応戦する。だが悲しきかな、グレンと相対するには技量が圧倒的に足りない。
「『砕けて燃えろ! 龍爪!』」
魔物が振り回す金属製の武器を、グレンは右のガントレットで受け止めてそのまま力任せに砕く。竜人のグレンが龍の素材を使った爪を扱う。そこにマナが加わる事によって人工魔剣は龍の爪としてこの世に顕現する。
グレンは呆気に取られる悪魔の心臓に爪を突き刺し、爪から発するマナがドラゴンのブレスが如く魔物を焼き尽くした。
「派手にやるじゃねえか」
「やる事が山積みなんだ。無駄に戦闘を長引かせるつもりはない」
道中一度も使わなかった龍爪を使用したのは、さすがに中位の魔物となると武器を使った方が早いからだ。聖剣であるマナイーターはゴーレムやスケルトンのようなマナで動く魔物に対しては一撃で無力化できるが、それ以外の相手には攻撃力が足りない。それを補うために変態女に頭を下げて作ったのが龍爪だった。
「さすがクラン最強」
「サードには絶対勝てないがな」
「そもそも戦う前から負けてねえか?」
グレンは龍殺しのサードには勝てないと公言しているが、聖剣の封印無しの全力戦闘ならクランの誰が勝ってもおかしくないと考えている。どいつもこいつも聖剣の本質が怪物すぎた。
「それで地図ぐらいは頭に入ってるな?」
「いやいや、城の広さがどれだけあると思ってんだよ。端末を確認しながら進むつもりだったに決まってるだろ」
当然な事の様にグレンは言うが、それは無理難題だとブラッドは否定する。この城のサイズは階層だけで言えば地下二階地上5階の計7層ダンジョン。ブラッドの方に道理があるように聞こえる。
「あ? ファーストもセカンドもこれくらい暗記するぞ」
「秀才様と一緒にすんなよ。シックスとか絶対覚えられないぞ」
「あいつは直感で正解を導き出せるからいいんだよ」
「あいつもあいつでおかしいよな。なんで適当な勘の的中率が8割超えてんだ」
本能で生きる小人に二人の常識は通用しない。クランの幸運の女神であるシックスだが、同時にトラブルメーカーでもある。周りと一緒に運を高めるか、周りから運を奪うか、それこそ神のみぞ知る。
「おっさんの長所ってなんだろうな」
「おいおい――――、こんなハードボイルドな紳士に向かってなんて毒を吐きやがる」
白髪混じりのオールバックを整え無精髭を撫でながらブラッドは決め顔をする。ここがダンジョンで無ければタバコも咥えていただろう。
「ハッ」
「なんだよ、その顔は」
ブラッドが若い頃から知っているグレンは、ひょうきんな彼を鼻で笑う。そんな中年の無駄話を聞き流していると目的の部屋の扉と思われる場所までたどり着いた。
「――戯言は仕舞いだ。ここにセーレの紋章があるはずだ」
そう言って顔を引き締めたグレンが木製の扉に手を掛ける。一度ブラッドの顔を見るが特に反応はない、中に人型の生物がいないのだろう。グレンはギギギと錆びついた音を立てて扉を開いた。
「壊れた木箱に小麦を入れる穴だらけの麻袋。あっちの割れてる残骸は壺か――、たしかに食糧庫のようだな」
そこら中に転がる保存用に使われていたと思われる舞台演出の残骸。エントランスと同じくボロボロなカーペットに血のような赤黒い汚れが残っている。
「こっちはワイン樽ね。中身はっと――――、おいおい並々と入ってるぞ」
ブラッドが部屋の片隅に並べられた破損していない大きな樽を揺らすと、中身の詰まった重たい反応が返ってきたことに驚く。
「カルトの連中が偽装のために隠してたんだろ」
「まあダンジョンの中に転がってる樽の液体なんか見つけても持ち帰ろうとは思わんわな」
それらしい不審物はこの樽以外見当たらない。グレンもブラッドのほうに近づき、コンコンと樽の中身を確かめる。
悪魔とアンデットが跋扈するダンジョンのワインを持ち帰ろうなんて、まともな神経をしていれば躊躇する。これがポーション用の容器か宝箱のようなお持ち帰りくださいといった風貌ならいざ知らず。
「おそらく、その先に紋章があるはずだ。樽の下に引きずった跡と、資料によるとそこには樽の残骸が転がっていただけだと書いてある」
「儀式用の予備とバリケードって訳か」
探偵のようにグレンは目敏く樽の傍を調べる。樽にはどこぞのメーカー元を示す製造情報と思われる箇所が削り取られ、ダンジョン産ではないことがわかる。足元に目を向けるとカーペットが樽を動かした方に皴が残っていた。
「証拠品として一部を回収して脇にどけるぞ」
「りょーかい」
グレンとブラッドは左右に別れて一つずつ樽を移動させていく。百キロ近くある重量を中身が無いかのように軽々しく持ち上げるが、これはグレン達冒険者や軍の歩兵が着る強化スーツの補助があるからだ。さながら人間フォークリフトのように次々と樽を持ち上げては調べ終えた場所に移す。
「それにしてもこんだけ運び込むとはご苦労なことだ。魔の森と鉱山の事を考えれば荷車で出入りするのは簡単か」
「だろうな」
動物資源と鉱石資源が豊富な量エリアが同一ダンジョン内に存在し、ダンジョンそのものの入り口以外に警備は存在しない。冒険者の目に気を付ければ荷車の出入りは可能だろう。
「この熱意を真っ当な方面に生かせばいいんだがな。黄昏症候群の被害者には酷な話か……」
「オレらも他人事とは言えないけどな」
ワイン樽を石レンガの床に置いて、グレンは虚空を見つめる。その目には複雑な感情が浮かぶ。
過度なマナに触れて生き残った者が罹る黄昏症候群。死者と生者が入り混じる黄昏世界を覗き見た者を指している。
グレンのように帰ってこれる者もいるが、楽園派のようにカルトに身を落とす者も多い。
常日頃過度なマナに触れる機会が多いアンダーエールのメンバーも他人ごとではない。聖剣のおかげで耐性が高いとしてもだ。
「なあ、グレン。こいつがそうじゃねえか?」
「ん? たしかに血のようなもので模様が描かれているな」
ブラッドが最後の樽を持ち上げると、その下の床には資料に書かれていたセーレの紋章が刻まれていた。長い時間で風化しているが、どこか禍々しさを感じさせる色と雰囲気に存在するはずがない鉄臭さが鼻に突く。
「見つかったのはいいが、これをどうすればいいんだ?」
「これ自体が転移陣の役割を持っているんじゃないかってのがゼロの推測だが――――、そういうことか」
何か思いついたグレンは部屋の隅に隠されるように置いてあったワイングラスを手に取る。それで樽からワインを掬い、紋章の上に置く。
「なるほど、ここの酒は転移用の貢ぎ物だったのか」
「おそらくな。だがここからどうするか」
ワインを捧げマナを流してみても、紋章はうんともすんとも応えない。頭脳労働は担当外だとブラッドは早々にグレンに任せて自分は煙草を吸い出した。
おっさんの所業を無視してグレンは自分の端末から資料を読み直すことにする。あれへの罰は後日だと心に刻んで。
「こいつを使うには条件が足りてないのか……。時間と月齢――、いやこれはただの転移陣でしかない。悪魔召喚の条件は関係ないはずだ。だとしたら……」
「あっ……」
「なんだ、ブラッド?」
煙草を吹かすブラッドが自分の持つ聖剣を見て何か思いつく。
「動力にマナ、対価としてワイン。最後に足らないのは呪文じゃないか?」
「それだ! でかした! 資料には『盗まれたものや隠された宝物、その他あらゆる物事に関して真摯に語る』とある」
グレンは「それならば」と端末をしまい紋章の前に屈み手を着く。
「準備はいいか?」
「おう、いいぜ」
ブラッドはいよいよかと煙草を地面に投げ捨て、火を踏み消す。
「『願望の悪魔セーレに願う。我らが求めるはこの先に隠されし場所。この先へ通ずる道を我らに示せ』」
グレンの呪文にセーレの紋章が応える。紋章の上に置かれたワインがグラスの底から虚空へ消えていく。その虚空はさらに広がり、グレン達を飲み込む。
飲み込まれたグレンが見たのは祭壇と血塗れの人間。その亡者はグレンに救いを求めて手を伸ばす――、絶望と苦痛に歪んだ顔で。