アラストル
ブラッドの前にはガーロンドと四体の魔物。先ほどの角の生えた大蛇バシュム。有翼の牡牛クサリク、グリフォンに似たウム・ダブルチュ、人間より大きな狂犬ウリディンム。
どれもティアマトが生み出したと言われる怪物である。そして他の怪物が学習した経験を集積して作られた、オリジナルに近い存在。外にいた生まれたばかりの身体能力と数頼りの紛い物ではない、正真正銘のAランクの魔物がブラッドに牙をむく。
「っだぁああ。数が多いんだよ!」
振り下ろされる牡牛のハルバートを避け、空中から襲い掛かるグリフォンモドキに魔術で牽制する。左右には狂犬と大蛇が隙を窺っている。一対五という数の暴力に、ブラッドは攻撃を凌ぐので精一杯である。
「邪魔が入ったか」
「ああ?」
ブラッドの来た道をガーロンドが見つめる。4体の魔物に囲まれた状況で下手に動くことのできないブラッドはそれを確認できない。けれど、答えはすぐにわかる。
「しゃっろおお!」
ガラスにハンマーを叩きつけたような音がした。それでブラッドは彼が来たことに察するであった。ヒビは衝撃音のした後ろから広がり、反対側まで蜘蛛の巣状に結界を覆う。最後にトドメだとばかりにぶつけられた拳に結界は砕け散った。
「俺も参加させろやあああ」
聖剣をガントレット姿に戻したグレンが殴り込みに参加する。その顔は溌剌としやる気に満ちていることが分かる。
「遅かったんじゃねえか?」
狂犬にフェイントを混ぜつつ殴り飛ばして、グレンはブラッドと背中合わせで大蛇とグリフィンモドキにそれぞれ向き合う。
グレンに満ちるポジティブなマナの漲りに救出が上手くいったことは自明であった。疲労困憊であったブラッドにも嬉しそうに冗談を交わす余裕が戻る。
「きっちり仕事をやりきって来たんだ、許せ」
「おう、それなら許してやる」
グレンが来てセーレからは知らせの類はない。階下にいるはずのセーレがどうなったのか、ガーロンドは考える間でもなく理解する。
「セーレは敗れたか」
「残りの戦力はジャックくらいだろう?」
「――はっ、あの男に期待なぞするか」
ジャックの名を聞いて吐き捨てるように言い放つ。あれは生粋のサイコパスである。グレン達もそれを知ってるからこそ、ジャックがガーロンドの指揮下を離れたとしても疑問に思わない。
「それでどうするんだ?」
グレンはブラッドに手助けは必要かと問い掛ける。聞かれた彼はすぐさま答える。
「問題ねえ、行け」
「そうか、雑魚くらいは片付けてからいってやる」
そう言って飛んでいるグリフィンモドキに跳躍で近づき、マナイーターでマナを奪う。馬を上回るほどの図体がある魔物が魔術無しで飛べるはずもない。自然の摂理に従って身動きの取れなくなった所へ、グレンに蹴られてグリフィンモドキは地上に墜落する。
「『ウム・ダブルチュよ、戻れ』」
再びガーロンドが言霊を吐き出すと、墜落の衝撃で折れたグリフィンモドキの足を含む全身の傷が元通りに戻る。
「――なんだ?」
予想外な光景にグレンの動きが一瞬止まる。それに「あ、悪い」とブラッドが間の抜けた声で謝る。
「言い忘れてたわ。あいつ言霊系のアーティファクト持ってんぞ?」
「粘土板か。それを早く言えよ」
ブラッドとは違い、すぐさま端末の情報を頭から取り出せるグレン。それが当然のことである。
「悪かったって。だから援護は必要ねえ。勝手に突破してコトハの所まで行ってやってくれ」
ブラッドは重要な情報の抜けに笑って誤魔化す。ただでさえ連戦の疲れを気力で誤魔化しているというのに、グレンとしてはたまったもんではない。
「行かせると思うか? 『原初の海よ、鎖を以って繋げ』」
原初の海が空中に描かれた幾何学模様の魔法陣から鎖となって、グレンを拘束せんと駆け巡る。
「『第三限定解除。我が身こそが復讐の魔神、此処がテメエの地獄だ』」
骸骨の仮面が落ち、その下から皮膚の無い黒い男の顔が現れた。
「おいおい。テメエの相手はオレだろ? 余所見は悲しいねえ」
黒いローブの中から赤黒い炎を吐き出しながら、デスサイズを構えた魔神が牡牛を切り伏せる。牡牛は傷口から炎が広がり、そのまま飲み込まれてしまう。
「ブラッド!」
「足を止めんな! お前にはお前のやんなきゃなんねえことがあるだろ?」
自らの炎に焼かれるブラッドに、グレンは反射的に足を止める。
「そっちは任せた」
「おう、任された」
グレンが足を止めた瞬間。そこら中から飛んできた鎖に手足が縛られるが、そんなものが気を取られる程の障害にもならない。
「相棒!」
一喝と共に聖剣が無粋な鎖を喰らい尽くし、グレンはコトハの元に駆ける。彼の背中を守るように黒炎を纏うブラッドが立ちふさがる。
呼び出された魔物達はわざわざ踊り狂う鎖に飛び込む馬鹿ではなかった。即席の連携で邪魔になるくらいなら、それを距離を取って見ている。
「お前達は追いかけろ」
グレンに追いつく足のある二匹の魔物。グリフィンモドキと狂犬はどうするかガーロンドの顔を一度見ると、立ちふさがるブラッドを迂回してグレンを追う。
「ちょいと横やりが入ったが……、決着をつけようぜ? 踏み外した男」
「――いくぞ、血塗られた者」
ブラッドが間合いに入る前に、ガーロンドは手札を戻す。さらに戦闘力の増したブラッド相手に強化された眷属達でも正面からでは戦いにならない、だが牽制に徹すれば彼の妨害はできる。
「『クサリク、帰ってこい』」
ブラッドに燃やされた牡牛が新しい肉体を得て雄たけびを上げた。
「畜生がうるせえ!」
「『鎖よ、貫け』」
邪魔な障害を排除しようとするブラッドに鎖が妨害する。その背後からは気配を消していた大蛇が飛びついて来た。
「ぬるいぜ」
ブラッドは紙一重で回避する。鎖がマナのローブを貫くがそこに体は無く、空を切る。
「シャアア」
飛び上がる大蛇の姿を見もせず、ブラッドはそれにデスサイズを振るって命を絶つ。
「『バシュム――』」
「何度も同じ手が通用すると思うな!」
魔神の炎が牡牛を巻き込んでガーロンドに吹きつける。轟々と叩きつけられる嵐はガーロンドの言霊をかき消してしまった。
「『我が身よ、戻れ』」
壁となった眷属は焼き尽され、ガーロンドは自らも負った火傷を言霊で修復する。
そうして過ぎ去った嵐の後にはブラッドが続く。言霊では追いつけない間合いで彼は勝負を終わらせに来たのだ。
「さあ、終焉は近いぞ! ガーロンド!」
「そのようだな。だが、ただでは終わらん! 『終われんのだよ!』」
ガーロンドもまたこれが最後だと、自らに言霊を叫ぶ。
「デメリット付きの自己強化か……」
デスサイズを打ち込んだガーロンドの腕に傷を残す。ガーロンドにダメージは入っている、だがそれだけだ。制御できる範囲で最終解放と言える状態のデスサイズの一撃を与えて、腕を切り落とすことができない。『終われない』と慟哭する、その想いの大きさが肉体に大きく作用されていた。
「貴様もその炎は諸刃の力のようだな」
ブラッドの復讐の炎は、自身も焼く。肉体ではなく精神を燃やし尽くす炎は今も彼を炙り続ける。
「その潔さがあればこんな事にならなかっただろ」
「ここまでたどり着いたからこそよ」
もしガーロンドが持久戦に持ち込み逃げを選べば、ブラッドは不利な戦いを強いられていた。だが彼は戦友の言葉に従って、自分の使える全てを出し切って戦うと決めていた。逃げの戦いは最初から選択肢にもない。
ガーロンドは死んでいった部下に胸内で謝罪し、声を張り上げてブラッドに立ち向かう。
「「おおおおおお」」
デスサイズが肉を絶ち、粘土板が修復する。獅子の拳が打ち込まれてもブラッドは怯まず、炎を纏った拳を打ちかえす。
それは肉体と精神を摩耗させながら、周囲を巻き込んで互いを破壊しあう戦いである。
「……まだだ。まだ私の願いは叶っていない。この程度で死ねるなら――、私はここに立ってなぞいない!」
魂をすり潰しながら血を流す戦い方が、いつまでも続けられるはずがない。借り物の力を手にしたばかりガーロンドと、聖剣と長年戦い続けてきたブラッドでは地力の差があって当然。ガーロンドが宿す言霊の力は潰え、体に刻まれた傷は絶えず血を流す。
「がはっ」
突然、血反吐を吐いてガーロンドは口を押える。人間は魔物でも神でもない。アーティファクトで無理やりつなぎ合わせただけの反動はガーロンドに片膝を突かせる。
「……もう限界だ。アーティファクトってのはそうホイホイ使えるもんじゃねえんだよ」
「あ”あ”あああ」
ブラッドの額にガーロンドは力なく拳を当てる。――もう打ち込むほどの力も残ってはいない。
アラストルを解き、ブラッドは人間の姿に戻った。地獄の執行者としてではなく、現世に生きる人間として。
彼の心臓に鎌を突き刺した。
「――もう迷うなよ」
その虚ろな目はすでにブラッドを見ていない。遥か彼方の何か――誰かに向けて手を伸ばしたまま、穏やかな表情で彼は事切れた。




