“呪いの印”という生き物
彼女にその不吉な“呪いの石”の写真がメールで送られて来るようになったのは、“呪いの石”の写真が流行る前だったのそうだ。
送り主のメールアドレスには心当たりがなく、しかも数通送って来ると変わる。メールアドレスなんかいくらでも作れるから、きっと同一人物なのだろう。
そのメールには件名も文も何もなく、ただその呪いの石の画像のみが貼ってあった。大きな○の中に、崩れた“呪”の文字に見えないでもないような、そんな印が赤のインキで描かれている奇妙な石。
彼女は不気味には思っていたが、それを大して気にしていなかった。
「何処の誰かは分からないけど、きっとくだらない嫌がらせね。この程度なら、可愛いものだわ」
当時の彼女にとって、その写真は“呪いの石”などではなく、変わった印のついた単なる石の写真に過ぎなかったからだ。
が、それからしばらくが過ぎて状況が変わってしまった。
例の巨大匿名掲示板を中心に、呪いの石の写真として、彼女に送られて来ている石の写真と同じ印のついた石の写真が話題になったからだ。
しかも、そこには『この呪いの石の写真を持っているだけで、悪い事が起こる』という説明が様々なエピソード付きで語られていた。
何処の誰が投稿し始めたかは不明だったが(まぁ、匿名掲示板だから当たり前なのだけど)、それを読んだ人々は面白がったらしく、恐らくは創作だろうエピソードを加えていった結果、そんな事になってしまっていたらしい。
そして、それによって、彼女に送られて来たそのメールの写真は、“他愛のない嫌がらせ”から、性質の悪い“彼女を呪う写真”に変わってしまったのだった。
もちろん、本人も馬鹿馬鹿しいとは思っていた。けど、それでもどうしても気になってしまうのが人間というものだ。
少し悪い事があると、直ぐに“呪いの石”を連想してしまい、なんとも気持ちが悪い。関係はないと思いながらも気になってしまう。
そんなある日の事だった。
その呪いの写真を彼女に送り続けていた犯人が分かった。
それは合コンの折に彼女がふった男で、どうやって彼女のメールアドレスを知ったのかは分からないが、そのような性質の悪い悪戯をしていたらしい。
何故それが分かったのかというと、理由は簡単だ。思いの外、“呪いの石の写真”が流行った事に気をよくしたその男はついつい自慢話をしてしまったらしいのだ。
「あの“呪いの石”を流行らせたのは、俺なんだぜ」
と。
それならば、彼女に呪いの写真を送っていた犯人もほぼ間違いなくその男だろう。何しろ、流行る前から、その呪いの写真は彼女に送られて来ていたのだから。
犯人が分かってしまうと、彼女の気分は一気に良くなった。
これは淡白な彼女の性格のお陰もあったのかもしれないけど、「やっぱり、単なる悪戯だったか」と思うだけで、もう悩まなくなったらしい。
ただし。
“呪いの石の写真”は気にならなくなったが、そんな悪質な嫌がらせをし続けていたその男は許せない。なんとかして仕返しがしたい。彼女はそう訴えたのだった。
仕返しがしたいというのは、あまり褒められた話ではないけれど、確かにそんな性質の悪い悪戯をしておいて何のお咎めなしというのも癪に障る。
その男の為にもならないだろう。
がしかし、その男が明確な罪を犯している訳ではない。
ただただ、“変な印のついた石”の写真を彼女に送り続けただけで、しかも自分の仕業だとバレてからはもう送って来てはいないのだとか。これではお灸をすえることは難しい。
そこで私達は“呪いの黒宮さん”を頼ることにしたのだった。
「くだらない話ねー」
と、この話を聞き終えるなり黒宮さんは言った。
彼女は呪いが使えるという噂のある大学の女生徒で、それで彼女に呪いの依頼をする人間までいるらしい。
だから私達も彼女を頼ったのだけど、彼女は開口一番にそれを否定し、「迷惑しているのよ」とすら言った。
私達は大学から離れた喫茶店に彼女を呼び出したのだけど、何故かその点だけは彼女から評価された。
「もし大学に訪ねて来ていたら、それだけで“呪詛返し”だったわよ」と。
意味が分からなかったのだけど、私達の不思議そうな顔を見たからか「“誰かを呪いたがっている”なんて噂が広まったら、あんたらにとってもマイナスって意味よ」と教えてくれた。
「くだらない話だけど、確かにその男はむかつくわね」
コーヒーを一口飲むと、彼女はそのような事を言って、何やら考え込んだ。
「面倒くさいから普段なら断っているところだけど、ここ奢ってもらっちゃったし、今は機嫌が良いから、てきとーな嫌がらせをするだけで良いって言うなら、受けなくもないわよ、その話」
そしてそれからそんな事を言うのだった。
“てきとーな嫌がらせ”
それが何を意味するのか私達には分からなかった。それで「呪いをかけるの?」と訊いてみたら、「だから、私は呪いなんて使えないってば!」と叱られてしまった。
がしかし、それから彼女は続けてこんな事を言うのだった。
「ま、でも、“呪い”って言っちゃえば呪いかしらねぇ」
どっちなんだ、一体……
私達は合コンがあると言って、例の男を誘った。まさか罠だとは思っていないのだろう。その男は上機嫌でのこのこと合コンにやって来た。そして黒宮さんを見つけると直ぐに目の前の席に座った。私は彼女の隣の席だ。
黒宮さんは冷たい印象はあるけど、綺麗な黒い長髪の美人だから、彼なら狙って来ると思っていたのだが案の定だ。
しばらく飲んで話して、場の雰囲気がそろそろだれてきたタイミングで黒宮さんが言った。
「そう言えば、“呪いの石の写真”って知っている? 崩した“呪”みたいな印のついた石の写真なんだけど」
すると、彼は面白そうな表情を浮かべた。
「知っているよ。ネットで話題になっているやつだろう?」
自慢したくして仕方ないといったような表情だ。その顔に向けて、彼女は言った。
「あの石に描かれているあの印ってね、実は本当に禍々しものなのよ。言うなれば、一種の生き物みたいなものでね」
その言葉に、彼は今度はおかしそうな顔を見せた。
“あの石の印は、俺が考えたものなのに、何を言っているんだ、この女は?”
そんな表情だ。それから、馬鹿にした感じで彼は言った。
「へぇ、そうなんだ。もっと詳しく話を聞かせてよ」
それに黒宮さんは澄ました顔で「いいわよ」と返して、こう続ける。
「あの“呪いの印”はね、人の邪な感情を利用して増殖するの」
「へー」とそれに彼。
さっきよりももっとおかしそうな顔だ。明らかに黒宮さんを馬鹿にしている。
「つまり、人の負の感情のエネルギーを吸収するってこと?」
それに彼女は「いいえ、少し違うわ」と返す。
「この呪いの印は、誰かを呪えるって事になっているでしょう?
だから、誰かを憎んでいる人間、何かを恨んでいる人間は、この呪いの印を書いて誰かに送る。
それってつまりは、自身をコピーして増殖しているってことになるでしょう? この印は、人間の脳内に生息し、そうやって増殖していく、そういった類の生物なの。
トキソプラズマって知っている? 鼠に寄生して操り、猫に食べさせて猫の体内で繁殖するって寄生虫。この呪いの印は、ちょうどそんな感じで人間に寄生して繁殖をするのよ」
その彼女の説明で、彼は少しだけ表情を変えた。予想していたような答えじゃなかったからだろう。
けど、表面上は余裕を崩してはいなかった。
「ふーん。面白い発想だね。でも、それって生物って言えるのかな?」
「言えると思うわよ」と、それに黒宮さんはあっさり返す。
「ウィルスは生物とはされていないわよね。自己増殖ができないからって。でも、これには多くの反論がある。生物に含めるべきだと。
この“呪いの印”もそれは同じ。自己増殖はできないけど、人間の脳に感染すれば、増殖ができる。さっきも言ったように、邪な感情を利用して……」
そう黒宮さんが説明した瞬間、少しだけ、彼の表情に恐怖の色が浮かんだような気がした。
彼女はまだ続ける。
「実はね、私、その写真の石に描かれた印と同じ印があるのを知っているのよ」
俄かに彼の表情が歪む。
「この日本には“失われた神々”がたくさんいるって知っていた?
遠い昔に征服されて消えていった少数部族の神様達。
そういった神様の中には、自分達を征服した人間達を激しく憎み、祟った神様もいるわ。そして、そんな神様のうちの一柱が残した印とこの印はほとんど同じなのよねー」
そう言った後で、彼女はその神様の祠があるのだという森の場所を言った。それを聞くなり、明らかに彼の表情が恐怖で歪むのが分かった。
もちろん、黒宮さんが言った森は、彼の家の近所にある森だったのだ。
つまりそれで、彼は自分の脳内にその“呪いの印”が寄生し、繁殖する為に“呪いの石の写真”をばらまかせたと、そう思ってしまったのだろう。
私はその表情を見て、思わず笑ってしまいそうになった……
「……てきとーに思い付いた話をしただけなんだけど、けっこー効いていたわねぇ。実害はあまりなかった訳だし、まぁ、あの程度で許してやりなさいな」
帰り道。
黒宮さんは笑ってそう言った。
「でも、てきとーに作ったにしては、よくできていたわ」
私がそう言ってみると、彼女は笑った。
「そりゃ、本当の話だもの」
「え?」とそれに私。
それから悪戯っぽく微笑むと、彼女はこう続ける。
「ま、半分は、だけどね。
誰かを呪う言葉たちは、人間の脳に寄生して繁殖しているのよ。それこそ本当のウィルスみたいに。
実際、ネット上にはそんな負の言葉が飛び交っているでしょう?
そして、その繁殖した呪いの言葉達は、時として暴走し、何の罪もない芸能人を自殺に追い込んでしまったりするのよ」
それから少しだけ彼女は寂しそうな表情を浮かべた。
なんとなく、その表情は彼女には似合っていないような気がした。
「呪いの言葉の感染は、濃厚接触を回避する事じゃ防げない。電子信号で感染するからね。本当に厄介。ワクチンでも開発されないかしらねぇ」
そしてその似合わない顔のまま、彼女はそう続け、
「まぁ、無理か」
と、いつもの表情に戻ってそう言い終えたのだった。