3話 愚者と蛇
これが例え仕組まれたモノだとしても、アオの決意は揺るがない。アヤメの救出はもちろんのこと、研究内容を知るために、アオはゲームの世界に飛び込まなければならなかった。
「なにされっかわかんねーけど、どんと来い!」
アオは勢いよく立ち上がり、その場でまぶたを閉じると両腕を思いきり横に広げた。
……しかし何も起こる気配はない。ジークはやれやれと言わんばかりに首を横に振ると、
『そんな物騒なもんじゃないぞ。手の甲を俺に近づけてくれ』
とあきれた顔でメッセージを表示する。ミミはズコーッと効果音が聞こえてきそうな、ズッコケをかました。ゲームのことになると、いつもこのテンションらしく、アオはミミの行動に突っ込んだりしない。
「そ、そうなのか!スマンスマン」
アオはそう言いながら、左手の甲を端末に近づける。ミミは「何が起こるんだろう」と囁くと、座卓にストンと顔をのせて、目を見張らせる。
『さぁ、始めるぞ』
アオが生唾を飲み込む。緊張しているせいか、左手が少し震えているようだった。
『支配に反逆する者よ、その意思を我と貫き通し、愚者としての生を全うせよ』
その時、端末から眩いばかりの青い光を出て、体感したことのないような突風が巻き起こる。
それでもアオは、左手を前に出したまま、しっかりと踏ん張っていた。どうやら普通の風ではないのか、座卓の上にある物は全く動いていないようだった。
そんな中、ミミは不思議そうな顔をして、アオを見つめている。
「ミミ!大丈夫なのか?!」
「大丈夫って何が?」
やはりこの風は、アオだけが感じているモノだった。
「ジーク!!これはいつになったら、終わるんだ!」
『きた!アオ、きたぞぉ!!!!これが、これが──』
光の隙間から、僅かに見えたその文字。次の瞬間、端末が真上に吹っ飛び、風が一気に止んだ。
「フォオオ!むっちゃ、カッコいい!!!!」
「すっげぇ……なんだこれ」
二人の目線の先、座卓の上に端末を持ってストンと着地したジークは姿かたちが、コウモリそのものであった。
しかし、翼に見えたソレは、マントのように羽織った学ランだった。その布地は所々切断されていた。
頭部以外は人間の体のようで、腰には大きなダガーを据えている。衣服自体は派手なモノではなく、全体的に黒系統の色でまとまっていた。
「実に心地いい……これがバディか!全身に力が溢れてくる!」
ジークは人間のような大きな手を、何度も握りしめるようにして見つめる。その目は、マスコットキャラクターのように大きく、やたら平面的だ。
「ジーク!あたしにも何かカッコいい服とかないのか?こっちはずっと左手出して待ってん……ん?」
アオは何か言いかけて、ずっと差し出していた左手を顔の前まで持ってきた。
「なんだ、このカードみたいなマーク。えーっと、ザ、ざーふぉーる?」
その時、ミミがスッと立ち上がり、自分の顔をアオのすぐ近くまで寄せてくる。
「アオちゃん、それはTHE.FOOLだよ!このイラストはきっと、タロットの愚者。ずいぶんコミカルなイラストだけどね」
左手の甲には、ハンコのように押された愚者のタロット。その絵は真っ赤に染まっており、ミミが知っているカードよりもコミカルであった。
「それは、愚者の烙印。すなわち、契約の証だ。これでアオが俺のことを、ようやく操作できる」
「愚か者?ジークちゃん、アオちゃんは愚か者じゃないよ!」
ミミは怒った顔をジークに向ける。アオは左手の甲をジロジロと見ていた。
「考えてもみろ、すでにある世界の秩序を俺とアオだけでぶっ壊しにいくんだぞ。傍から見たら、『愚か』だろ?」
ジークはそう言うと、手に持っていた端末を、アオの顔の前に差し出した。
「なるほどね……愚者ってのはどーでもいいんだけど、このスマホっぽいモノをどうしろっていうんだ?」
「わかりやすく言えば、コントローラーだ。俺は操作される側だから、アオに渡しておく必要がある。」
アオは左手で端末を手に取る。すると、液晶からコウモリのアイコンがなくなっているのがわかった。その代わり、RPGの行動選択のようなメッセージが縦に三つ出てきた。
▶︎展開・縮小
▶︎分析
▶︎情報窃盗
「おぉ!これがジークちゃんのスキルなんだね!」
またもやアオの聞いたことのないゲーム用語が、ミミの口から出てくる。アオは「スキルって何だ」と呟き、ミミに質問しようとした。しかし、
「アオ、知らないことはゲームの世界で実践してみよう。自然とわかってくる」
ジークはそれを止める。アオは言いかけたその口を閉じて、コクリとうなずいた。この部屋でこれ以上、ミミとゲームについて話していてもキリがない。
「ジーク、あたし思ったんだけど、こんなモノがなくても一人で動けるんじゃないか」
「アオ、それは無理なんだ。俺はデータでしかないから、自律して行動することは不可能に近いだろうな」
「嫌じゃないの?そーゆー立場。これじゃあ相棒じゃなくて、あたしの使いみたいじゃないか」
ジークは少し難しい顔をして、腕を組む。
「『アッシュ』に限らず、ゲームの主人公やプレイヤーは、そういう立場なんだよ。しょうがないだろ?」
アオは納得できないように、口をへの字に曲げて端末を見つめる。
『アッシュ』に限らず、RPGというゲームジャンルは、誰かの指示を受けたゲーム内の人やモンスターがその通り動くだけ。それはジークも同じで、この行動選択の指示によって動く方法しかなかった。
「でもそんなのやっぱり──」
「アオ、すまないが少しの間、休ませてくれないか……バッテリー切れが間近だ」
ジークはそう言うと、羽織った学ランを大きな手で掴む。すると、まるでコウモリが翼を閉じるように、自身の体を包み込んだ。
「ジークちゃん、コレはどういうスキルなの?」
「えーっとな……これはスキルじゃないんだ」
そう言うと、ジークはそのまま端末の中へ、飛び込むように入っていく。その体が端末に入った瞬間、見慣れたアイコンが表示された。
「おおぉ!ねぇアオちゃん、まるで本物のコウモリみたいだね!」
「だな。……なぁジーク、RPGの専門用語はもういいよ。そろそろゲームの世界に行く方法を教えてくれないか」
『そうしたいのは山々だ。だが、今は少し休ませてもらってもいいか?』
ジークは契約前と同じように、端末の液晶にメッセージウィンドウを表示させる。またもや興奮して目を輝かせているミミを余所に、アオは質問を投げかける。
「じゃああたしは、姉さんの部屋を掃除しようかな。ミミ、手伝ってくれないか?」
「もちろん、もちろん!」
ミミは物凄いスピードでアヤメの部屋に入っていくと、中から「早くー」という声がリビングまで聞こえた。アオはやれやれと言わんばかりの顔でジークに目を合わせる。
『いつもあんな感じのテンションなのか?』
「あぁ、あんまり気にすんなよ」
二人は再びアヤメの部屋に向かった。
二人が部屋に入ると、ミミはモニターの液晶を一枚一枚、手で拾っていた。アオはそれを見て微笑むと、ミミの隣にしゃがみ込む。
「ミミ、掃除してくれてありがとう」
「えへへぃ。こういうの危ないしね。あ、あとは煤を払いたいな」
ミミはそう言って、ジャージの煤を少しだけ手で払う。今まで全く気にしていなかったが、アオとミミの下半身は煤だらけになっていた。
「わっ!全然気にしてなかった!」
アオはそう言いながら、急いで玄関へ行く。すると、二人のスニーカーを靴棚に置き、その場で煤を払い始めた。
「ミミ!ホウキとちりとり持ってくよ!」
「うん!おねがーい」
「ジーク、一旦ここ置いてくぞ」
アオは、すぐ横にあったホウキとちりとりを手にし、ジークをスニーカーの上に置いていく。そして、アヤメの部屋に行ってしまった。
『おいおい、ちょっと待て!っておい……。そういやこの状態から声出せないもんな』
ジークはバッテリーを消耗しないよう、アオが来てくれるまで眠ることにした。
「アオちゃん、ちょっとの間だけどお別れだね」
ミミが書類を拾いながら、悲しそうな顔で言う。
「大丈夫、ジークはちょっと頼りなさそうだけど、あたしならやれる。それに、どうせすぐ帰ってこれるさ」
アオはとびきりの笑顔でミミに答えた。どんなに挫折しそうでも、今までこの笑顔で乗り越えてきた。
──この先、ミミはいない。
立ち向かわなければならない現実が目の前を塞ぐ。
アオの決意は固かった。固かったが、今にも揺らぎそうなくらい、中はボロボロであった。
この性格とその場の勢い、パワーで今まで何とでもなってきた。しかし、予想すらつかないこの先の世界に、足を踏み入れる勇気が足りていないことを自覚した。
──あたしは本当に姉さんを救えるのか……?
「アオちゃん?アーオちゃーん!大丈夫?なんかボーッとしてるけど」
「あ、あぁ別に何でもないって。さっさと掃いちゃうね」
アオはミミの言葉で我に返ると、残りの煤をまとめてちりとりに入れた。そして、そばにあった大きなビニール袋にドサっと入れる。
少し掃除しただけではあるが、煤はだいぶなくなり、散らかっていたモノもある程度整頓できた。
「ねぇアオちゃん、そろそろジークちゃんの話、聞かない?」
「ちょっと待って、靴のとこに置きっぱでさ」
アオは玄関まで行き、スニーカーの上からジークをつまんだ。すると、顔の前まで持ってくる。
「おーい、ジーク」
『ZZZ』
ジークはすっかり熟睡モードである。人間でいう鼻の辺りから、はなちょうちんのようなモノをプクーッと出していた。
「ったく、しょうがねぇなぁ。あたし達も少し休んで──」
「きゃーっ!!何するの!!」
突然、ミミの悲鳴が聞こえた。アオは、その声と同時にきびすを返すと、アヤメの部屋に勢いよく入っていく。
一瞬、何が起きているのか理解できなかった。ミミは首根を掴まれ、宙でバタバタともがいていた。その視線の先にいたのは、アオと瓜二つの顔をした女性であった。
顔だけではない、黒い髪やその髪型までも、まるで鏡の中のアオであった。見分けがつくとすれば、ソレの服装くらいであった。
「テメェ何もんだ。その手をミミから離しやがれ!さもないと……」
「アハハッ!ちょっと待ってよ、ホントに血の気の多い子だなぁ。おまけにアタシそっくりで、超可愛い」
女の声はアオよりも高かった。しかし、初めて聞く声にしては、妙な既視感を覚えたのだ。
その声は間違いなくどこかで聞いたことがあり、それを思い出す時間は必要なかった。間違いなくビデオ通話のヘビのアイコンの正体だ。
「声変えてもバレてんだよ!テメェか、姉さんをさらったやつは……!!!!」
「ワーオ、マジ?ぶっちゃけその通りでーす!てことでさ、とりあえずこんな汚いところで話すのもアレだしー……」
ヘビ女は何かを言いかけたところで、後ろを向くと掴んでいたミミをモニターに向かって叩きつけた。
「四人でお茶でもどう?」
「テメェふざけるな!ミミに、何しやが……な、何だよこれ」
ヘビ女は再びアオの方を向いて、ニヤリと気持ち悪い笑顔を見せる。
なんと、モニターにぶつかったはずのミミの体は、ボロボロになったモニターの中に吸い込まれていた。その体には、どす黒い煙が煤を撒き散らしながら纏わりついていく。アオの顔はサーッと青ざめた。
「何が何だかわかんねぇ……おい、ジーク!!起きてくれ!!」
パニックになったアオの叫びに、ジークは答えようとしてくれない。
「ジーク?へぇ、もう契約は済んでるんだぁ。それなら話は早いね」
そう言うと、アオに一歩、また一歩と近く。
「やめろ、来るな!来るんじゃねぇ!」
アオは恐怖のあまり、後ずさりする。得体の知れない存在の、全てを飲み込むような感覚に襲われそうになる。それは今まで一度も感じたことのない絶望、人生で初めて敗北を確信した瞬間になった。
「逃げられないよ」
アオはとどめの一撃を食らったように、その場で腰を抜かしてしまった。それでも体を引きずるようにして、逃げようとする。しかし、決してヘビ女には背を見せず、真正面を睨み続けていた。
「あたしに何する気だ!この化け物!」
「チューッ!だよ」
ヘビ女は後ずさりするアオの顎の先をクイっと持ち上げると、一方的な口づけを交わす。アオの口の中に潰れたトマトをかじったような感触が広がった。
しかし、それがわかった時には、
──なんだこれ……
アオは落ちるように眠りについた。
「……はぁ。やばー、この子超タイプ。ヤバいなぁ、可愛すぎるなぁ。お嫁さんにしたいなぁ」
アオの口から離れると、そばに落ちたジークを真っ赤な目でじっと見つめる。
「あぁ、君は……あの時はよくもやってくれたねぇ。ゲームの世界でぶっ壊すから、覚悟しておいてね」
そう言って、眠ったままのジークを掴むと、モニターに向かって思い切り投げる。ジークもミミと同様、煙の中に吸い込まれていく。
「さて……と。はぁ……ヤバい、ヤバいなぁ。この子のためにも、ストーリーのセッティングをさっさと済ませなきゃね!」
ヘビ女は、アオを脇の下に抱え込み、軽い足取りで煙の中に入っていく。
「それじゃあ、ゲームスタート!だよ」
どうやら、ゲームオーバーではないらしい。