オヤジ逆はなぜオヤジが言うのか
「瞬く間にまた琢磨に抜かれた」
昔F-1を見ている時に思いつた渾身のダジャレである。
オヤジギャグというのは大抵がダジャレで構成されている。
オヤジギャグとは面白くないものである。
面白ければそれはオヤジギャグとは言われない。
何故、人は年を取るとオヤジギャグを言うのか?
その答えは羞恥心と孤独感にあるのではないかと思う。
羞恥心とは読んで字の如く恥ずかしいと思う気持ちであるが、年を取ると様々な経験を重ね、多くの失敗を経ることで若い頃にありがちな万能感がなくなる、また他者との比較により、正当な自己評価が出来るようになってくる。
すなわち、見栄を張って自分を大きく見せる必要性を感じなくなるのです。
ということは自分の財産や心身の健康、社会的な評価等に関係がない失敗には無頓着になります。
つまり、恥ずかしいと思う事柄が減り、羞恥心も減るのです。
会話でのどうでもいいライトな失敗、それはスベることである。笑いをメシのタネしている、お笑い芸人等はスベることは生活に直結するため、スベることに恐怖心があるのだろう、しかし一般人からするとなんでもない日常会話でスベったところで仕事や人格の評価が下がることは普通は無いため、スベったところで痛くも痒くもありません。
ウケたらラッキー、下手な鉄砲数打ちゃ当たるだろうといった考えから寒いダジャレを連発しているフシもあるかもしれない。
ちなみに年齢を重ねて女性、俗にいうオバチャンが、「ガハハハハ」と笑い方に気を付けなくなったり、片手を肩くらいに位置に上げてから、相手に向けて「やーだぁー」と軽く降り下ろして叩くような仕草をするようになるのも同じく羞恥心が少なくなってきていることが要因だと思われます。
孤独感については、職場等、幅広い年齢層が集まる場では若い人達の会話に着いていけない、話題がない、でもコミュニケーションを取りたいし、出来れば若い子にちやほやされたいんです。
何でもいい何か話題はないか!駄目だなにもない。
そうだ「ロシアの殺し屋、恐ろしや」
なんていう残念な発言に繋がるんです。
会話に混ざれないといった、寂しさ、孤独感から暴走してしまうのです。
コミュニケーションが取りたいだけなんです。
こういったことが世のお父さん方をオヤジギャグ製造機に仕立て上げている要因だと考えます。
オジサンたちもわかっているけどやめられないんです。
もう一種の様式美だと思って生暖かい目で見てやって下さい。
哀れだからといって、オヤジギャグを拾ってツッコミは入れないでください、野良犬にエサを与えてしまう様なものです。