胸のカタナはケルンで鐘を鳴らす その4
「この辺りで良いだろう」
「おう」
針井はエンジンニアと対決した銀行付近からだいぶ離れた路地裏に着陸した。針井がカナの手を離すと、カナはすぐさま距離を取った。今になって、異性と触れた気恥ずかしさがやって来たらしい。
「もうあんな事をするなよ。助けるためとはいえ、女の子は単に足手まといになる」
「うるさい。ていうか、まずなんで変態みたいな恰好でいるか教えてや。ジュン」
「……やっぱりバレてたのね」
「声聞けばわかるわ。正直、その恰好はいかんと思うで。明日からクラスメイトが全員無視し始めても文句言えへんで、キミ」
「誰にも言うな、頼むから」
針井は弁明より先に、保身が出てきた。マスクで顔は隠れているものの、その声色はいつになく焦っている様子がうかがえる。
「まぁええけど……。とりえあえず、病院や。ほら、さっさと行くで。怪我もそうやけど、頭も心配や。ジュンは疲れていたんやろ? 気づいてあげられなくてすまんな」
「いや。病院はもういい。傷口は細胞を電気で活性化して止めた。精神も正常だよ。それよりエンジンニアを倒さなくちゃいかん」
「はぁ!? 何言うてんねん、キミ!」
カナは驚天動地として、すぐに怒り狂うような声を出した。しかし、針井はそれに聞く耳を持とうとせず、
「礼さんが馬鹿をやりやがった。アイツ、変な約束をしやがって」
「阿呆! あんな約束は破ればええねん! 礼もそこまでアホちゃうやろ!」
「どうだろうね」
針井はスマホを取り出し、LINEで古椅子の会話記録を表示する。そこには、『自分の行為で針井に危険が及んだこと』を謝るような長文のメッセージが残されていた。針井がいくつもメッセージを送る。『今どこにいるのか』、『エンジンニアの約束はもちろん破るつもりなんだろう?』と言ったような内容である。しかし、それらは既読になっても、返信が来ることはなかった。
「本当に阿呆だな、アイツ」
「嘘やろ? 本気で行くんか!?」
針井はスマホのディスプレイを暗転させる。そして、コスチュームの汚れを払い、しわを伸ばす。
「たぶん、もし木曽川公園に礼さんが現れなかった場合に、エンジンニアはそこで虐殺を行うだろう。近所と言ってしまったのも悪い。近所って言葉は嘘だが、辺りの住宅を破壊しつくしてもおかしくないな。礼さんは、そう言うのを見逃せないんだ。自分のせいで誰かが死ぬなら、死んだ方がマシだって、立ち向かうだけ立ち向かって、死ねばエンジンニアも満足するだろうと考えているだろう」
「な、なら、とにかく連れ戻して、警察を呼ぶんや」
「その警察がどうしようもなかっただろ。侍すら負けたんだ。警察は、今日もシコシコと一時停止しなかった車両や違法駐車車両の取り締まりをやってるよ」
針井とカナの近くの道路で、今ものんきな警察は違法駐車がいないかくまなく散策していた。点数稼ぎのためなら彼らは容赦がなく、とくに終焉竜巻ナンバーやキョートナンバーを見つけたときには問答無用で向かっていき、因縁をつけることだろう。
「だ、ダメや! 行くな! 行ったらアカン! 死ぬで!」
「しょうがない。あの化け物を殺せるのは、日本で俺一人くらいらしい」
「でも、お前が死んで悲しむのはお前一人ちゃう。なんか策があるはずや。だから、もう少し考えよう」
カナが針井の腕を掴んだ。針井が軽く振り切ろうとすれば、カナの力はさらに強くなる。針井はブルブルと腕を振るうが、カナの握力は中々のもの。無理に引っ張ったところで、カナはギロリとした視線すら止める気配がない。
針井は少し反論に困った。女子への耐性がなかったのも原因はある。女の子が自分のことを思い、体に触れるほど心配をする。針井の中にある異性への情動が激しく反応した。
「そうだな。でも、礼さんが死ぬ方が多くの悲しみを生むだろう。アイツはモテるし、家族にも愛されている。それに、俺が死んで礼さんが悲しむのは構わないが、礼さんが死んで俺は悲しみたくない。もしかしたら、向こうもそのつもりかもしれないな。だから、どっちが死ぬかの競争だ。俺は死んでも礼さんに借りを作るつもりはない」
「アホ!」
カナは針井に張り手を食らわせた。パチンッ! と良い響きが鳴る。針井もマスク越しだったものの、少しひりひりとした痛みが伝わって来た。
「死ぬなや馬鹿! つーか礼だってお前みたいな馬鹿ちゃうわ! 何事もなく、あんな約束は無視しとる! 既読無視はジュンがこんな変態みたいな恰好で街を歩いとるからや! 単に嫌われたんやでキミ! 現実に目を向けぇや!」
「これは礼さんがデザインしたんやで」
「えっ、マジなん? それは引くわ……。明日から礼への態度考え直そ」
針井は古椅子の尊厳を低くした後悔をしつつ、続けた。
「ま、という訳だから。行くよ」
「……」
カナは強情なネコか犬のような顔で針井の行動を拒んだ。針井が腕を動かしても、それを固定して離さない。
針井は仕方ないので、カナの顔面を殴った。それほど強くはしていないが、それでも人間は顔を殴られた時のショックは大きい。脳という重要な場所に直接の衝撃が入るからだろう。カナは一瞬、思考を停止した。
針井はその隙に腕を抜き、そのまま空へ飛び去った。
「こ、コラーッ! 女の子の顔殴るなや! おらーっ! 降りてこい屑野郎! フェミニスト団体に訴えてもええんやで! 明日から女性専用車両が増えるで!」
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夕暮れの木曽川公園。小学生くらいの子供が「きゃっきゃきゃっきゃ」と鳴きながら友人たちと遊具で戯れている。ランニングや犬の散歩で辺りをうろつく住民たちもいる。田舎町の公園でも、人通りはそれなりにあった。
子供たちの中に、頭一つ抜けて大きい男が立っていた。古椅子礼。針井の相棒で、椅子の男だった者である。
彼は子供たちの姿を見て、とっさにこの公園を選んだことを後悔した。もちろん、針井との約束通りに、自身の近所ではない場所を落合とした。しかし、周囲の人込みは計算外だった。
「よう。お前だな」
激しいエンジン音と背中から排気ガスを出す男、エンジンニアは意外に静かな登場だった。周りの子供たちが、上半身が裸で、胸にエンジンが填め込まれたエンジンニアを愉快に笑って見せた。しかし、エンジンニアは嘲笑を見向きもしなかった。
「確かに、タッパはあるな。鍛えているのか? 筋肉もそこそこ……」
「柔道、空手、ムエタイ、少林寺、サンボ、骨法、ブラジリアン柔術、カポエラも少し」
「なるほど。それは強そうだ」
エンジンニアは興奮したみたいで、エンジン音が激しくなる。
「場所を変えよう。子供が見ている」
「知るかボケ!」
エンジンニアはその巨体で古椅子に突進した。古椅子は急な展開に体が動かず、エンジンニアの体当たりをまともに食らった。エンジンニアは拍子抜けな展開に驚いた顔で、体当たりを止めたが、古椅子はそのまま明後日へと飛んでいき、金属の遊具に衝突した。
「えぇ……。避けれもしないのか……」
すでに意識も薄れかけている古椅子に、エンジンニアは呆れ果てた。
そして、流石の展開に周囲の反応は騒がしくなる。子供たちはあっけらかんと2人の対決を眺め、大人たちは子供たちを連れてエンジンニアから離れていく。そして、少なからず110番通報をする保護者たちもいた。
「おいおい、あーっそう言う事か。なるほどね。俺は騙されたわけだ。にしても、本当に来るってのが解せないな。逃げればいいじゃないか」
「……」
古椅子にはエンジンニアの声が聞こえていない。もし聞こえていても、彼は口を動かす余裕はなかっただろう。
「まぁいいや」
エンジンニアは手のひらにエンジンの熱を集めて、古椅子へ手を伸ばす。
ガソリンと空気の混合で爆発を起こし、それで力を得ているエンジンには、膨大な熱量を持つ。爆発が起こる燃焼室では、それこそ1500度以上の温度になる。バイク(車でも)には様々な冷却方法があり、それを用いてエンジン表面を100度くらいにするのが一般的だ。
しかしエンジンニアはその熱を利用して、体のどこか一部に放出できる。また、冷却に使うエンジンオイルを高熱状態で噴射することも可能だ。ちなみに、エンジンオイルを冷却水として使うのは、いわゆる油冷と呼ばれている方法だ。今では、排ガス規制によって姿を消したが、錆のついた過去のテクノロジーに心を惹かれるマニアという物は、どこにもいる。エンジンニアもそうだった。
「お休み」
エンジンニアがそう言い、古椅子へと高熱の手を下ろす。
すると、小さな落雷がエンジンニアに落ちた。
そしてすぐ、空から急降下をした針井が、エンジンニアへ蹴りを入れる。エンジンニアはそのまま体勢を崩し、しばらく転がった後、背中を地面につけた。
「本当に木曽川公園に来てるとか馬鹿じゃねーの!? キックアスやバットマンに憧れてるんじゃねーよ糞ナード! 一度背骨を折ってやろうか!?」
「す、すいません……。自分も死にかけてみると、本当に後悔しました……」
古椅子はようやく聞いて喋れるくらいに意識を戻したらしい。それに針井は安心しつつ、古椅子を連れてエンジンニアから距離を取った。
針井の登場に、周囲の子供たちは大いに盛り上がった。空を飛ぶ黄色い変態がやって来たからだ。しかも安いデザインな上にボロボロの格好。子供はクールとは思わないだろうが、間抜けな姿に見えるに違いない。そこそこに成熟した小学生らしいが、みんながみんな興奮し「行け変態!」だとか「どっちも変態だけど頑張れ変態!」と歓声を送っていた。
「またお前か」
エンジンニアはゆっくりと起き上がる。拍子抜けな顔をしていたさっきまでとは打って変わり、今はそこそこに楽しそうな顔だ。
針井は少し怯えるが、エンジンニアの周囲にある小人への指示を伝えて、恐怖を紛らわした。
「言っておくが、次に逃げたら、ここにいるガキの頭と首を千切って投げ飛ばす。絶対に外さないぞ。それに、助けに来たそこのデカいやつの四肢も投げ飛ばす」
「やってみろ、この半裸変態野郎!」
「テメエのがよっぽど変態だ! 黄色い猥褻物が!」
吠えながらエンジンニアは針井に飛びかかる。針井はそれを避けようとしない。古椅子を人質に取られるとか、攻撃に巻き込まれるのを防ぐためだ。
踊れ、小人よ!
針井が小人にそう指示を出すと、エンジンニアは動きが大きく逸れ、アルミの遊具に突っ込んでいった。
「!???」
パニックを起こした小動物みたいに間抜けな顔でその現象に驚くエンジンニア。対して、針井は次第に余裕が生まれる。
よし、もっと踊れ!
エンジンニアの手が、自身の足の膝に接着した。彼が抜こう抜こうと力を込めるが、それは全く離れる様子がない。ついに、力の入れ過ぎで転げ落ちる。すると、今度は両足が接着されて立つことさえ敵わなくなる。
「磁力……ですか?」
「たぶん。踊っている小人のパートナーを探してやると、力の流れが分かるんだ」
しかし、本当は磁石だけで接着しているわけではない。エンジンニアの磁力によって接着させた部分に小人たちの急激に運動を与え、数万度の高熱を発生させた。それにより、彼の接着した部分の金属は溶け、そしてまた急激に冷やすことで金属は一気に固体化する。つまり、溶接の要領である。
エンジンニアは自身の手が溶かされたことを察したが、何とか踏ん張って抜こうとする。しかし、彼の手のひらと膝は接着ではなく一体化したも同然。無理に力を入れれば、どこが傷つくか分かったものではなかった。
針井と古椅子が間抜けなエンジンニアの姿を見て、久しい安心を覚えると、付近でパトカー音サイレンが鳴っているのに気付いた。誰かの通報が今になって効いたらしい。
「逃げるか」
「あっ、自分バットマンのお面持ってきたんです。お土産の。付けておきますね。これで、自分の姿が隠せます」
針井が「勝手にしろ」と言うと、古椅子は少し笑ってそれを付けた。子供たちが「変態が増えた!」とか「怖い! 怖い変態!」などと騒いでいる。
「おーい、変態! お前の名前なんて言うの!?」
「あー、エレボルなんてどうだ? カッコいいだろ」
「だっせーっ! お前なんて変態で良いだろ! へーんたい! へーんたい!」
「ふざけるな。これは普通に俺が考えたアイディアだぞ。もう一度考えてみろよ」
「いえいえ、普通にダサいです」
「黙れ、Mr.chair」
「でも、胸にエンジンを秘める男はセンスいいだろ?」
横からエンジンニアが会話に参加すると、針井はエンジンニアの顔面に蹴りを入れた。針井には、ついさっき敗北した彼が易々と会話に参加できるエンジンニアの胆力がわからなかった。
しばらくして、市民に誘導されてくる警察の声が聞こえてきた。2人はすたこらさっさと空中へ逃げていく。そして、子供たちはそんな彼らの後姿を素敵な声援で見送った。「じゃあな変態!」「また遊びに来いよ、変態!」「実は変態って言われてちょっと喜んでいただろ変態!」
2人は笑顔で手を振るなどして、彼らの声援にこたえつつ、空へ消えた。