胸のカタナはケルンで鐘を鳴らす その1
「これ、ジュンさんでしょ」
清水寺炎上の事件から少し経ち、高校の登校日。古椅子はスマートフォンの画面に表示したネットニュースのとある記事を針井に見せた。タイトルは『キョートで休暇中のバットマン、火事の救助に助力!』。記事の写真に針井はほんの少しだけしか映ってはいなかったが、それでもバットマンの仮面をかぶった少年が救助活動をしていたこと、貴方は誰なのですか? どこから来たのですか? という質問に「アイムバットマン」だの「ゴッサムシティー」と答えていたことが事細かに記載されていた。
針井は一瞬だけ考える様子を見せ、血の気の無い顔で反論を始める。
「いやいや。確かに俺はキョートにこそいたが、空を飛ぶなんて芸当はできないし、もし何かあっても助けるような男じゃないだろ?」
「いえ、そこは信頼してます。ジュンさんはなんだかんだで助ける人だと思いますよ……。ただ、そうですね。空を飛んでいる理屈はよくわかりません」
「だろ? 偶然に偶然が重なったんだよ」
「確かに、偶然ですね。ちなみに、仮面のお土産はどうしました? バットマンの」
「……」
針井は言葉に詰まった。自分の頭脳を必死で回して返答の言葉を探るが、どれも口を回すほどに適したものとは思えず、沈黙が続いた。
それに構わず、古椅子は続ける。
「あのお面を購入する前に、LINEで教えてくれましたよね? 『お前の好きなバットマンのお面があるからお土産にするぜ』ってメッセージ、ちゃんと残っていますよ。キョートって、たまに変なお土産ありますよね」
「本当にバットマンが来たのかもしれないじゃないか」
「言っておきますと、バットマンは普通の人間です。普通の人間ですが、鍛え上げられた武術や探偵としての能力、資金、それに最新鋭の武器を用いて戦うのです。空は飛べません。だからあれはバットマンじゃありません。どちらかと言えば、スーパーマンやグリーンランタンとかだったら分かります」
「もっと違った否定の仕方があるだろう……」
古椅子の妙なオタク癖に呆れる針井。それによって彼は誤魔化すことが阿呆らしく感じ、抵抗心を解除する。
「それで? どうやって飛んだんです?」
「わからない。ただ、小人が見えるんだ。その小人に様々な命令をすると、その通りにしてくれる。その小人たちは陽気だったり陰気にもなって、それによって働きも違ってくるんだ。例えば……」
「はぁ……」
古椅子は胡散臭いと言いたげな顔をする。針井も事実であるにも関わらず、口を滑らせていくたびに精神病者の戯言より程度の低い言葉を操っている錯覚に陥った。針井には、古椅子の疑惑の視線が棘のように痛かった。
「し、仕方ない。実践してやろう」
針井がそう豪語すると、空気中にいた小人に少し早く動くように命令した。すると、小人は指示通りに空気中で動き始め、空気中の分子と衝突を初めて光と音を鳴らした。バチッ、バチバチバチ! と弾けるような音と、目を刺激するような光の連続。
古椅子の怪訝な顔が一変した。「えっ嘘」だとか「こ、これ本当にジュンさんが?」などと騒ぎ始め、針井がそれらをすべて肯定すると、驚愕した顔を残して静かになった。針井は証明に足りたと確信し、運動をする小人を解放させた。
「いつから? まさかもっと前からできたんですか?」
「違う。気づいたのは旅行の前……入学式の後に寄り道して、家に帰ってからだな。宙に浮けたのも、救助した時が初めてだ」
「えっ、原因は何ですか? ガンマ線? 放射線を浴びた蜘蛛? それともウェポン計画? 実は宇宙人だったとか……」
「落ち着け。どれも多分違う。ただ、原因があるとすれば……」
「あるとすれば?」
「カバ……。カナと木曽川でカバを見に行ったとき、妙な感覚に襲われた。そうだな、なにかエキゾチックな粒子が俺の細胞を震わせたような……。それに、その感覚の後に、カバが消えていたんだよ」
「消えた?」
「ああ、それはもう忽然と。加えて、俺が投げ渡したリンゴが、食べられた様子もないのにいきなり潰れたんだ。しかも、音もせず。俺とカナが変だなー、って思って困惑していたら、後れてリンゴが潰れる音がしたんだ。つまり、リンゴが潰されることと音が発生するのにタイムラグがあった。まるでアベコベな時間が流れるみたいな」
古椅子は「はぁ……」と、困惑していたさっきまでと打って変わり、真剣そうな思案顔を見せた。針井はまたファンタジーな言葉を騙っていると疑われないかと身構えたが、案外に古椅子は素直にそれを受け入れている様子だ。
「ちなみに、空を飛ぶ以外には何が出来ますか?」
「ええっとだな。小人はたぶん電子なんだ。だから、さっきみたいに小人を走らせて放電なんかもできる。それに、扇風機のコンセントをむき出しにして、小人の量を調整しつつ小人を送り込むと、扇風機が回る」
「なるほど。しかしそれならば……倉石さんも何か変化があるかも」
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「うーっす、ジュン。なんや用事って」
「おはよう。針井くんに古椅子くん」
針井と古椅子の通学路から少し離れた場所に、女子の2人はいた。カナは睡魔から少し機嫌が悪そうに、そして翠は余裕があるのかのんびりとした笑みを見せて、針井と古椅子を迎えた。春の日射にカナは照らされ、眩しそうに目を細めるために、睨んでいるようにも見える。
「まぁ大したことはないんですが……」
「カナさ、小人とか見えない?」
「はぁ?」
カナはあっけらかんと口開けて間抜けな顔をする。言葉の真意を全く読み取れていない様子である。
「何を言っとるかわかるか? 翠ちゃん。あたしが頭悪いからわからんのかな?」
「たぶん、ドラッグやってるんじゃないかな……。うちのお姉ちゃん、常習犯だから私もよく知ってるよ。最初は可愛い小人と遊んでいるつもりなんだけど、次第に狂暴になるの。「さっき私の陰口言ったでしょ! 小人に聞いたから知ってるのよ!」とか言い出して、ナイフ片手に暴れだしたりするから、気を確かにしているうちに諭してあげないと……」
「おいおい。好き勝手言ってくれるな、キミら」
「ジュンさん……」
古椅子、疑心の目。
「こらこら、お前までそっちを信用するな」
針井は仕方ないと言わんばかりにそこらに小人を走らせて放電を作る。バチバチッと音と光を放つそれに、疑ってかかっていたカナと翠はあんぐりと口を開いて驚いている。
針井はそのまま壁に向けて電撃を食らわせた。すると壁は包埃を放ちながら粉々に砕け、大きな丸が残った。古い壁だったのでそれほどに硬くはなかったが、それでも人間業ではないことをそれは容易に証明できた。
「そこ、私の団地の壁なんだけど……」
「あっ! すまん!」
「というか、小人の能力を披露する意味はあったんですか?」
針井は「あっ……」とだけ言って黙り込んだ。元々はカナとついでに翠が針井と似たような能力を得たかを確認しに来ただけと、完全に失念していたようだ。古椅子は「あはは」と苦笑をしていた。
「ま、まぁこの団地ってよく取り立ての人に壊されるから大丈夫! ほら、ちょくちょく破壊されてるでしょ?」
「いや、俺はお前の家庭が余計に心配になったよ」
針井が試しに春野の団地を見渡してみると、過激な選挙活動で有名な政党ポスターや、ヒステリーな女性が子供に罵声を浴びせる姿、外国人移住者と思われる厚化粧の女性が鬱蒼とした顔で朝帰りしている姿など、あまり目に入れたくない光景が広がっていた。年季があるのか建物の景観も汚らしい。落書きや建物のヒビ、それに汚れなども目立っている。
「で、話を戻すぞ。カナはこう言った変なことが出来るようになったとかないのか?」
「いや、全くないな。強いて言えば、たこやきに餅を入れたのがお婆ちゃんにウケたことくらいやな」
「どーっでも情報だわ」
「お婆ちゃんが餅を喉に詰まらせてもか?」
「えっ、それは大変だろ。おい、大丈夫なのか?」
「嘘に決まってるやろ」
針井は閉口し、カナはそれがおかしくて笑った。
古椅子も返答に困ったように苦笑して見せ、翠も「許してあげてね」っと小声で言って見せる。
「まぁ、今のところは大丈夫、ってところでしょうか」
「それっぽいな。もっと言えば、遠目で見ていた春野も少し心配だったが」
「私? 私も覚えがないなぁ……」
先日からの記憶を翠はおさらいしてみるが、しばらく経ってもそれらしい異常現象は見つからなかったらしい。それを聞き、針井と古椅子はとりあえずの納得をした。
「あ、中田くんだ」
針井は少し離れたところで、中田信二と取り巻き2人が雑談をしつつ、学校へ向かっていた。遅れて古椅子、翠、カナの順にそれに気付く。カナは彼らを見た瞬間、まるで親を殺されたタイガーみたいに小さくうなり、威嚇して見せた。
「おーい。おっはー」
剣呑としているカナに対し、針井は愉快な挨拶を言ってのけた。それは、すごい剣幕をしているカナに対してバランスを取るつもりだったのだろうか。
「ちっ」
中田は聞かせるように舌打ちをし、針井を無視して先へ進む。取り巻き二人も、決して楽しい感情のない視線を送りつつ、中田に倣って針井を背いて去っていく。
「嫌われたっぽいな」
針井は一人で呟いた。
「当たり前やろ」
カナ、冷静な突込み。
「あはは。針井くんってけっこう抜けてるの?」
「これ、たぶん煽ってるだけだと思います……」
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「ジュンさん、話が……」
「はぁ。なんとなくは予想がつくが言ってみろ」
「こう、ジュンさんが能力を得たのは何か意味があるのではないかと」
「無いと思うが」
「しかし……」
「えぇ……。そんな顔をするなよ」
「ですが、やはりジュンさんに大いなる力を得たことならば、責任とまでは言いません。しかし、大いなる行為の選択肢があるのだと思います。だから……」