体のない野獣たちはポチポチと足音を鳴らす その1
カナたちと針井が別れ、もう数時間が経った。
3人はすでにたこ焼きパーティーの食材を買い終えていて、古椅子は食材を乗せたデパートのカートを引きながら、カナと翠に並ぶ。女子の2人は食材だけの買い物で満足しないらしく、古椅子に遠慮しつつも、女子らしい小物や衣類のショップを見学するなどの寄り道を楽しんでいた。
「ほんま、ジュンには困ったもんや」
思い出したように、カナは針井に対する愚痴を口にする。
「女の子を殴るなんて、考えられへん。確かに、破天荒で、意味の分からないところもあった奴やで、あのジュンは。でも、知能の低そうな衣装を着てまで人を助けるし、あたしを二度も救ってくれたところを見て、もしかしたら……って思ってたのに」
「人って、色々とあるものだから。ジュン君にもジュン君にとっての考え方があるんじゃ……?」
「考え方っていっても、乙女に傷をつける考え方なんて、とんでもないわ。そんなのあってはならないし、それはエンジンニアやフライアンとおんなじや。極悪人の犯罪者のものでしかない」
「ねぇ……? そういえばなんだけど、ジュン君って誰を叩いたんだっけ?」
「ん? ジュンの母ちゃんやろ?」
当然と言わんばかりにカナが答えるため、翠は疑念を孕みつつも返す言葉を飲み込んだ。
「なぁ、レーサンもそう思わへん? ジュンって、昔から母ちゃんにあんな態度だったん?」
「そうですね……。確かに、彼の母親に対する態度は、以前からあの様子です」
古椅子の言葉を聞いて、カナはまたそのうるさい口を大きく開いて、針井について荒っぽい言葉を並べた。古椅子はそれらを一通り聞き終え、やっとカナが悪口のネタがなくなって静かになると、
「でも、自分は、あの母親のことを、むしろ軽蔑しています」
「は? それはすっごーく失礼なことやで、レーサン。他人の母ちゃんのこと悪く言うなんて、見損なう」
「そうですね。……ただ、あの人がジュンさんにした仕打ちは、とても親のすることではありません。さっきも見てもらいましたが、浮気性は彼が生まれたときから治っていないそうです。一時は、ジュンさんとお父さんの血縁も疑われて……ずっと、彼の悩みの種なんです、母親のこと」
古椅子の言葉は、カナと翠に悲哀さを十分だったのか、カナはひとまず口を閉ざし、翠は短く一言だけ、
「そうなんだ。お父さんとも仲が悪いのかな?」
「いえ、むしろ、お父さんは尊敬しているらしいです。仕事にまじめですが、かといって息子たちを無碍にするような態度はなかったらしいです。ただ……悪い影響も受けたようで」
「悪い影響?」
「お父さん、あの母親が浮気をしたり、何日もジュンさんにご飯を用意しなかったりすると、よく殴ってしつけをしていたらしいです」
「な、それってDVやん!」
カナは大きく荒っぽい声で訴える。しかし、古椅子はさして驚くこともない。
「はい。その通り……なんでしょう。でも、ジュンさんはそうは思わなかったそうです。あの母親は、ジュンさんが小さいころから育児を放棄してきたし、酷いときは父親のいない時を見計らって、自宅でも男性との行為をしたとか。自分の育児を一度としない母親とそれを殴って従える父親……。ジュンさんがどちらを信頼するか、今の彼を見ればわかると思います」
察しの悪いカナではあったものの、その隠喩に頭を悩ませることはなかった。
「だからって、やっぱり納得がいかん」
カナは鬱憤をまき散らすような形相でそう吐き捨てる。
「どんな理由があっても、女性を殴ることはアカン! 男のほうが体も大きくて力も強いんやで! そんなのが暴力をふるう? そんなのは社会が許さへん。社会は女性を守るように常識があるんや、針井とその親父さんは犯罪者や。犯罪者やで、そんなの」
カナは支離滅裂な言葉をまったく疑いもせず、色のない目でボロボロと言葉をこぼす。
「おかしい。悪魔……ジュンは悪魔や。構成するべき、しないとアカン。このままだと、ジュンは一生、その親父さんの悪魔みたいな考えで大人になってしまう。そしたらまた、ジュンはその親父さんと同じように、誰かに暴力をふるう。そんなことになったら、警察に捕まってしまうで、そんなんじゃアカン……」
「カナ……」
翠が横目でカナを見、心配そうな顔をする。
「自分も、確かにそう思います。女性に暴力をふるうこと、それは悪です。……ただ、自分にはあの母親も同様にまぎれもない、悪の所業だとしか思えません」
「そ、そんなのは関係ない。ジュンの母ちゃんだって、色々と大変なんや」
「そう、なのでしょうか。でも、自分はジュンさんの行動が悪であると同時に、彼を理解してあげたいんです。たとえ、彼の行動が悪鬼羅刹たる行為であろうと、自分だけは彼のそばにいて、彼の友人でありたい」
「友達なら、暴力を否定するべきや!」
「……したくないです」
「なんでや!」
古椅子は何か思惟があるように少し黙り、口を開いた。
「純さんが中学生の時、彼の母親は当時ジュンさんの担任の教師と不倫しました」
カナと翠が何も言えず、閉口した。
「当時は、本当にひどかったです。ほら、中学生の頃って、みんな性の話題とか、嘲笑したがるでしょう? そんな時に、クラスメイトの母親が教師と不倫したってなると、みんな淳さんを馬鹿にしたようにからかい、彼は笑わられる良い対象として孤立しました。売春婦の息子とか、平気で言われていましたし、女子はケダモノみたいに彼を見ていました」
「そのときですね。ジュンさんが、初めて母親を殴ったのは」
カナと翠が欠ける言葉を失っているのをいいことに、古椅子は独白を続けた。
「自分までジュンさんを見放したら、彼は孤独になるでしょう。しかし、それこそ彼が荒んでしまう。だから、幼馴染として、付き合いが長かった自分だけでも、彼の隣にいてあげたい」
「別に、暴力っておかしいことかな?」
気まずい雰囲気が蔓延る中、翠が放つ。
「だって、そのお父さんは奥さんを殴ることで、少しは浮気癖が退行したんでしょ?」
「ええ、酷い時期よりは今は全然」
「なら、まぁいいんじゃないかな」
「翠ちゃん!」
「あはは、よく考えれば、私も変な家庭事情あるし、女の子を殴るくらいなんて、変でも全然ないよ」
翠は無垢に笑って見せる。すると、張り詰めていた古椅子とカナは一気に緊張がほどけ、二人の顔はどこか緩んでいるようだった。
__でも、やっぱジュンは更生するべきや
カナはそこだけは譲れないらしく、また会ったときにでも厳しく叱責するつもりらしい。
__だって、今ここで笑ってる翠ちゃんは、誰よりも家族思いなんや。精神病を患ってる姉貴はPTSDで、大きな音に反応してウンコを漏らしながら支離滅裂な言葉を叫んで暴れだす。インド人の義父はほとんど日本語しゃべれんのに意味の分からんカレーを出す。母ちゃんだって良い育児してへん。そんでも、翠ちゃんは笑っとる。
カナはじっと翠を横目に見つつ、そんな風に思っていた。
「そういえば、ジュンくんとは連絡ついた?」
翠が唐突に尋ねる。
「いえ……それが、暴徒が出たらしく、少し遅れると連絡が」
「ホンマかぁ? 気まずくて会わす顔がないとかちゃうん?」
「一応、倉知さんの家で待っているという旨は伝えました。あとは、彼が来てくれるのを待つしかありません。……それにしても、何か少し騒がしくありません?」
「なんか向こうのほうでなんかあったっぽいな」
「ちょっと行ってみようか」
3人は慌ただしく駆けていく人々より少し遅いくらいの速度で、イオンの中心部へと向かっていく。彼らが進むにつれて、人の塊は一層に集中するのがわかり、3人はなにやらただならぬことが起きている実感が強まっていた。
「なんや、アレ」
そこには丈夫そうな一本のクレモナロープが釣り下がっていた。そして、そのロープの下方に、青年男性くらいの体躯がぶら下がっている。
「く、首つり死体……?」
翠が思わず怯えるように声を出す。
「顔に、何か描いてありますね……」
死体の顔面は高熱で焼いたようにグチャグチャで、目玉や鼻、口などの特徴的な部位はのっぺらぼうみたいに塞がっており、代わりに入れ墨で着色したような、手でグッドのポーズをしたようなイラストが顔面に載せてある。
「な、なんかのイベントやろ。悪趣味やなぁ」
「甘いね、そこの姉さん。あれは本物だよ」
その少年は突然、カナの横から粋がるように割って出てくる。
「よく死体を見てごらんよ。ズボンのあたりから、茶色い物体や黄金色の液体が出てるでしょ? アレ、死体が脱糞と失禁をしているんだよ。目立たないけど、射精もしているかな? なんにせよ、公衆のイベントで脱糞や失禁なんてNGだろう? そこから導き出せる俺の推論。それはあれが本物ってことさ」
「なんやこのガキ」
カナは自己紹介もなくベラベラと得意げに話す少年を気味悪がった。
「初めまして、ドモ。
俺みたいな中3でグロに詳しい腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
ここにいる連中の会話
首つり死体がこわいよー とか 早く撤去してー とか
ま、それが普通ですわな
かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
It’a true wolrd. 狂ってる? それ、誉め言葉ね
好きな音楽 Eminem
尊敬する人間、アドルフ・ヒトラー(虐殺行為は……」
「気色悪……」
「場所、移動しましょう」
「ああ、あのコピペの『it’a』って、『it’s a』って言いたかったんだね」
と翠が言うと、
「『wolrd』はまぎれもなく誤字ですが」
古椅子が返しつつ、3人はその中学生から避けるように移動する。しかし、
「中学生だけどネットの知識をひけらかしたいンゴ……せや! その辺にいる高校生相手にイキったろ!」
また別の大学生くらいの、無精ひげが目立つ男が出てきた。
「なんだよおっさん」
と少年が無精ひげに言う。
「はぁ……(クソデカため息)。あのな、あの死体は単にグロ画像を見たいだけの中学生に向けたものやないねん。あの顔面に入れ墨してあるガッツポーズ見てみ。アレで大体察しが付くやろ」
「何を察するんですか?」
「ま、そんなんは別にええねん。それより、あのウンチ、水分の多いぴちゃぴちゃ型。それに、茶色というより、黄色の下痢状の便。あれは生前にストレス溜まってて、下痢だったに違いないわ。ストレスは腸に直結するんやで。キミらも気いつけるんやで」
「なんやねん、コイツ」
脈絡もなく排便の含蓄を披露する無精ひげ。それにカナはまた気分を悪くした。
「すこすこ砲……?」
誰かが幼稚な声でそう放った。幼稚な様子だったが、成熟した男性の声だったので、どこか滑稽になっていた。
「くこけ?」
「くこは罠ばつ」
「くこは安全まる!」
「黙れガイジ底辺高齢ニートアニ豚とうすこ民」
「安全確認します」
「ここはとうふさんのおうちくこ?」
続々と幼稚な声が集まり、やがて一つの群衆となった。
「な、なんやねんコイツら……狂っとる……」