イカれちまった平均棍 その3
「あっ、ありがとう」
「ああ。ほら。さっさとどっか行け」
針井は突き飛ばすように波速をしっしと追い払った。波速は何度も礼をし、前に進んでは礼をし、を繰り返すために、針井はしつこさに腹が立って、放電で大きな音を発生させて驚かし、無理矢理にどこかへやった。
「よっし! ナイスや、ジュン!」
教室の窓からその様子を眺めていたカナはガッツのポーズと共に喝采を上げる。
「えっ、あの変態ってジュン君なの!?」
カナの隣にいた翠が驚いた声色で尋ねる。
「えっ、いや……。勘違いしちゃあかんで? ジュンの奴も心にいろいろと負担があるだけで、別にああいう趣味じゃなくて」
「病気……ってこと?」
「せやな……」
「あの、すいません。ジュンさんも頑張っているので、その辺りにしてあげてください」
コスチュームを制作した本人である古椅子も傷心とともに2人を鎮めようとする。
「なんか良からぬ評判が確立している気がする」
針井は衆人に囲まれる羞恥心をそこそこに感じつつ、電撃のダメージが徐々に回復しているフライアンの方へ意識を構えた。
「なぁ。この場は抑えて、とりあえず帰ってくれないか? フライアン」
「ふざけろ」
フライアンは怒気を混じった声で拒む。針井はフライアンと目が合い、少し怯む。
「お前を知ってるぞ。ネットで見た覚えがある。エンジンニアと闘った変態黄色男だ。精神病な社会の闇だと言われていた」
「俺もお前を知ってる。ネットで見た覚えある。クラス替えで特別学級を指定されたショックで肛門から勢いよく散乱した男だ」
「死ねっ!」
フライアンは爪を突き立てて針井に飛びかかる。針井はそれを難なく空へ避け、距離を取りながら放電攻撃をする。もちろん、それがフライアンに当たることが無い。
『いやはや。大変なことになりましたね』
教室の古椅子は針井が残したスマートフォンにて、波速博士の生放送がそのまま点けたままになっていることに気付いた。古椅子は気になってそれを手に取る。
『かの変態黄色男は、確かエンジンニアを打ち破ったというエレボルですね。電気、つまり電子を司る変態野郎。どのような戦いを見せるか楽しみです』
『あの、波速さん。1つ気になるのですが』
波速の隣からフライアンの番組に出ていた女性が顔を出す。
『フライアンって、確かIchからミナミ町まで時速約60キロで飛んでいたと聞きますが、随分と遅いのですね。ほら、ハエはもっとすばしっこくて、捕まりにくいじゃないですか』
『いえ。そもそもハエが出せる速度なんて時速10キロくらいなものですよ。むしろ、フライアンはあの大きさであの速度が出せるのですから、随分とナガノの環境によって進化していると言えるでしょう』
『そうなのですか!?』
『ええ。フライアン自体の直進速度はそこまでですよ』
古椅子が窓から顔を出し、針井と交戦しているフライアンを観察し始める。波速博士の言う通り、フライアンの爪を使った攻撃は、針井に当たることはなく、むしろ距離を取られることの方が多かった。目で追える程度の速度しかフライアンは出さないし、そもそも加速が足りないから時速60キロなんてなかなか出ない。
『では、ハエがあそこまで鬱陶しいのは、デザインの気持ち悪さと小さいからなんでしょうか?』
『むーん。それは少し違いますね。フライアンは速度こそ出ませんが、エレボルの攻撃は巧みにかわしています』
「本当だ」
これも波速博士の言う通り、波速の攻撃は中々フライアンに直撃しない。近くに校舎があり、誤射の可能性があるために針井も威力が高くて広範囲の攻撃に制限もあるが、それにしても放電を全ていなすのは難しい。
『フリッカー融合頻度、をご存知ですか?』
『いえ。全く知りません』
『フリッカーとは、ディスプレイに生じる細かいちらつきの現象です。つまり、フリッカー融合頻度とは、光点の点滅を識別できる限度のこと。人間は60Hz……つまり一秒間に60回の点滅を識別するのが限界ですが、ハエはその6倍以上に大きい。いえ、ナガノ育ちの生物的エリートのフライアンなら、7倍や8倍……もっとあるかもしれませんね』
『はぁ。しかし、それが大きいとどうなるんです?』
『この頻度が大きいほど、視界はスローモーションに見えます。エレボルの攻撃なんて、止まっているように思えるでしょう』
「なるほど!」
古椅子はこそこそと教室を出て、人の雪崩のような流れを遮り、誰もいないトイレの様式便所の中に入る。そして、事前にポケットの中に忍ばせていた通信機を手に取ると、
「聞こえますか!? ジュンさん」
「あーっ、聞こえるよ」
マスクの耳付近につけてあるスピーカーから古椅子の声がして、針井は小さな声でマイクへ応答した。
「ハエの攻撃がなかなか当たらないんですよね?」
「おう。突進の攻撃はなんとか避けれるが、なぜかアイツより速度があるはずの放電攻撃は連続して出しても当たらない。ムカついたしエンジンニアの時より速さを上げているんだが、かすりもしないんだ。おかげで校舎がちょっと……な?」
「ハエは自身の速さはそれほどですが、動体視力がとても高いんです。だから、ジュンさんの攻撃に対する反応は素早い!」
「なるほどな」
古椅子の説明は少々の言葉足らずであったが、針井の疑問を解消するには充分であった。
フライアンと針井の闘いは、一見して、フライアンは物理的な攻撃をするために針井に近づくが、針井は放電攻撃でそれをいなし、距離を取るという形。針井が距離を保っている間は彼の有利な状況と思えるから、観戦をしている野次馬たちはエレボルに余裕がある状況だと判断するだろう。
しかし、針井のこめかみに嫌な感触の汗が流れる。
波速博士の言葉の通り、フライアンには常人をはるかに超える動体視力を持っている。つまり、フライアンにとって針井の動きはスローモーション。戦闘に不慣れなフライアンではあったが、次第に針井が逃げるルートに最短で爪を捧げる方法を計算し始める。スピードの利に頼って安易に逃げた先には、すでにフライアンがしたりな顔で待ち伏せる。事実、針井のイオンエンジンによる推進は次第に強まっているが、フライアンの爪は針井のもう一歩のところを通り過ぎる。針井にはまるで、棋士を前に、駒の音が鳴っているがごとく、詰みの状況を感じる。
「いっそのこと、一発貰うのを覚悟して、最大出力で小人をぶつけてやるか……?」
「あっ! それは絶対にダメです!」
「えっ?」
古椅子は強い語気でそれを拒んだ。
「今、波速博士の生放送を見ているんですが、フライアンには最悪の武器を持っているんです。それは……」
『蠅蛆症、です』
古椅子が針井に直撃を避けるように言った少し前の生放送にて、波速博士は語る。
『簡単に言えば、ハエの幼虫が動物の皮膚に寄生することですね』
『ああ、戦争映画なんかで、傷を負った兵士だとかが傷口に侵入した蛆に苦しんでいる描写なんかありますね』
『それも一種ですね。皮膚の中で、幼虫は成熟幼虫となり、やがて皮膚から出て着て地面に落ち、また成虫になる。その後、蚊や人間の生活の中に卵を仕掛け、また繰り返す……。幼虫も酸素が必要なので、深い場所に潜り込まず、わりと見てわかる場所にいます』
『それが、今のフライアンにどんな影響を?』
『ええ。まずはフライアンが殺した男性の死体を見てください』
そう波速博士が言うと、男性の死体が映った写真をホログラムで表示する。その死体には、所々が数匹の小さな猛獣に食われたように肉が抉れ、瞳孔は大きく開き、まるでもがき苦しんだ後のような顔をしていた。
『エグいですねー』
『これ、フライアンが皮膚に仕掛けた卵から孵った幼虫が、宿主である男性の肉を食ったんですよ。しかも、卵は皮膚に入ってからすぐに孵ります。親のハエがナガノ製なら子供もそれ相応にわんぱくですねー。あはは。エレボルが食らったら即死ですわw』
「なにわろうとんねん! 死ね!」
古椅子のかみ砕いた説明を聞いて、針井は呪うように叫ぶ。
「おいフライアン! マジでゴメン! お前を挑発したことは謝る! 俺が調子に乗り過ぎてたわ! イキっててすまん! キリトに影響され過ぎたわ!」
「……ようやく分かったか」
フライアンは突然に発せられた針井の言葉に虚を突かれたものの、しかし彼は攻撃をストップし、満更悪い気がしない、どこか誇らしげに顔を緩ませた。
「よく考えればわかることだ。俺はお前たちより何倍も強く、人間は僕に支配されても不思議ではないんだ。だけれど、人の絆を信じ、僕はみんなと共に歩もうと努力した。なのに、キミらは僕を何度と裏切る。ほらな? よく考えてみれば、間違っているのはどう考えてもお前らだ」
「ああ、痛みは計り知れない。人と人が助け合う社会になればいいな」
「ああ。その為に、僕はお前たちを支配してやる」
「ファッ!?」
「当たり前の話。人間は助け合いの社会なんて作れない。人間に支配の権利を渡せば奢ることのみ考える。だから、僕がお前たちを支配する。質の良い女は僕の子を孕み、人とハエが共に生きる社会を作る」
フライアンの言葉は野次馬たちにも聞こえていたようで、彼らは「絶滅しろ―っ!」だとか「気持ち悪いから死んでーっ」などと罵詈雑言をフライアンにぶつける。フライアンは顔に表情筋こそ付いていないから、どんな感情でいるのかを針井は読み取ることが出来なかったが、悲壮と確信を抱いているように思えた。
「ああやって俺を否定する人間も、俺よりずっと弱い。あそこにいる男はすぐに俺に腸を抉られ、女は俺の子供を孕むだろう」
「それがお前の望む支配なのか?」
「不満か? しかし、他に何がある。人間の心を持っていた俺を不細工と拒絶し、受け入れなかった奴らを説得する術が」
「殺し、犯しの支配に人間の心が?」
「逆に、お前たちこそ善たる心があるのか? 倫理や道徳を持つ心が。僕はお前たちを模倣しているだけ。まぁ、孕ませる女は美人が良い。特に、ここにいる高校生は質が良い。支配を終えたら、ヒトリヒトリ吟味してみよう」
「うーん、それはマズいな」
「貴様の取り分がなくなるからか? フン! そんなものは、お前が弱い人間だから悪い。しかし、俺のいないところで支配をすればいい。それが弱肉強食だろう?」
「いや、違うよ」
その言葉を合図にしたみたいに、フライアンの背後に放電が走る。
「ぼっぼぼげッ!?」
見えないところやって来た攻撃を避けることは、動体視力を持っても難しいらしい。激しい光がフライアンの振動をしてた翅に直撃し、その翅の半分以上が焼かれて塵になる。フライアンはとてもホバリングの出来る状況ではなくなり、頭を下にしてそのまま落下していく。
針井の攻撃はそれに留まるはずがない。落下していくフライアンを目がけ、腕や脚を小人たちの激しい動きを使って焼いていく。フライアンが頭から落下する頃には、彼の腕や脚はボロボロに焦げていてとても動かせる様子ではなかった。
「動くな。ピクリとでも動いた瞬間に小人でお前を焼く」
「こ、小人……?」
フライアンが小さく呟くと、彼の長い唇を小人たちが走り回り、皮膚を焼く。高熱が神経を撫でるような痛みに、フライアンは腹の空気を全て抜くくらいの声で「あぎゃうばびゆゆゆううう!」と、悲鳴を上げる。
「いいか、許可が出るまで喋るな。頼む。お前本当に怖いんだよ。お前を自由にして逃げられたら敵わん」
フライアンの複眼から一滴の涙が零れる。ほとんどの細胞がハエになった彼の目だったが、強いストレスにより、人間の涙を流す機能を回帰させた。
「いいか!? 良く聞け! 俺はこの学校の大半の人間が死んでも構わない! てか死んでくれたら、次の日休校になるし、むしろ死んでくれたらラッキーだ!」
「ハァっ!?」「ふざけんな! お前ヒーローだろ!」「ヒーローなら私たちの代わりに死ねーっ!」と野次馬たちが鳴く。
「うるせーっ! 俺がいつ自分をヒーローなんて言った! ただダサいコスチュームを着ているだけだろ!」
「やっぱり自分でもダサいと思っているのですか……」
古椅子は小さく呟く。マイクはそれを拾ったため、針井の耳にも届き、少し悪い気になった。
「大いなる力には大いなる責任が伴うなんてよく言ったものだ。けどなピーターパーカーはベン叔父さんとメイ叔母さんだけでなく、ニューヨークを愛していただけだ。ついでに、全世界の人間や弱い生き物が大好きな博愛主義者。だから力を得たからには、それを振るって彼らを守る責任がある。だが、俺は違う。俺は別に全世界の人間も弱い生き物も、好きでも嫌いでもない。ちょっとGif県、それにミナミ市に愛着はあるが、命を懸けて守ろうなんて思わない。フライアンだって、この気持ちはわかるだろう?」
「わ、わからなくもない。し、しかしなんで僕の邪魔をす……」
針井はフライアンが口を開いたのを見て、反射的に小人を走らせて、フライアンの胴体を焼いた。フライアンはまたも「びぎゃががややあ!?」絶叫する。
「あっ、ごめん。今のは普通に俺が尋ねたから答えただけか。マジですまん」
フライアンは恐怖でビクビクと体を震わせる。
「ああ、お前の邪魔をする理由は、俺の知り合いに女の子がいるってだけだよ。ついでに、お前が彼女を悲しませたらフライアンに突っかかるだろう人物もいる。もしそうなればお前はそいつを殺すだろ? だから止める。もし俺に力があるのに、それを止めなかったら俺は後悔するだろう。これが力を得ると同時に備わった大いなる責任」
フライアンは何も答えない。
「まぁ、そう言う事だからエンジンニアみたく、俺に人質とかされると困るんだよな。別に、俺の知らない奴なら、人質もろとも殺してもいいんだけど、罪悪感自体はあるんだよ。だから、そう言うのは本当にめいわ……」
針井のふくらはぎ辺りに、小石がぶつかった。
「ん?」
野次馬が投げ飛ばしたのかと辺りを見渡すが、それらしい人影もない。そもそも、針井のいる上空十数メートルの位置からすれば、彼に小石をぶつける人数もごく限られ、難易度も高い。
「気のせいだったか?」
「エレボル! フライアンが逃げたで!」
針井が気を取り戻すと、カナの大きな声を上げた。
針井は咄嗟にフライアンを確認するが、そこに彼の姿はない。
「しまった!」と言わんばかりに彼はカナの方を向く。針井はカナに対し、「どこへ行った?」と暗にサインを送ると、カナは「あっちやあっち!」と、針井に対して時計でいえば5時の方向を指さす。
針井がそちらを向くと、女子生徒の一人を抱え、針井へと突進するフライアンの姿があった。彼は欠損されていた腕や翅を辛うじて機能するレベルまで回復させたらしい。
「ついさっき人質は止めろ、って言った傍からこれかよ!」
針井は戸惑い、挙動が遅れるが、止む無しと放電でフライアンを迎える。
__マズイ!
針井の飛ばす小人たちは全くフライアンに命中しない。フライアンは得意の反射神経で巧みにそれを避けていく。
フライアンの爪がそろそろ針井の喉元に届こうかと言う位置になり、針井は小人たちを広範囲で飛ばそうと彼らを配置する。しかし、それを発射するよりも早く、フライアンの爪が針井の肌に触れようとする。
__やっばっ……
と、針井が諦めかけていたその時。
黒いクナイ状の刃物がフライアンの腕を刈り取る。
一瞬の出来事だったが、フライアンの攻撃は失敗し、そのまま速度を停止させる。針井はその隙に彼の体を小人たちで焼いた。
__なんだ? 今の
クナイが飛んで来た方向を見ると、一瞬だけ、少女の姿が映る。そしてすぐにその少女は消えた。
どっ! と重く鈍い音がする
フライアンが落下した音だろう、と思いつつそれを確認すると、フライアンの死体の近くに女子生徒が1人倒れていた。
「あっ」
フライアンがさっきまで人質にしていた女子生徒だと針井はすぐに気づく。そして、よく見れば女子生徒の足はあらぬ方向に捻じ曲がっていた。
「すまんかった。……まぁ、生きてるっぽいしいいよね」
針井はそう謝罪してその場を去った。