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羽ばたきの音が聞こえるまで その1

 彼の、から揚げ弁当にマヨネーズをたっぷりと、それも真っ先に掛ける習慣が、不運を招いた。


 4限の授業が終わり、昼休みに突入する。湯豆腐の弟と呼ばれている波速輝夫は、早々に手作りの弁当を広げる。冷凍食品も使ってはいるが、基本的に早起きをして毎朝作っている弁当だ。


 彼はいつも、友達や知り合いで飯を囲わない。とてもそれが出来るような評判を持っていないからである。しかし彼はそれを悲観することも、嘆く様子すらない。周りの様子に諦めるような顔もしない。彼は何食わぬ顔で、箸を握った。


 そして、波速が小さなパックに入っているマヨネーズをから揚げに掛けた瞬間、突然、頭を叩きつけられ、マヨネーズがたっぷり塗ってあるから揚げに顔を突っ込んだ。


 どんっ! と音が鳴る。


 クラス中の視線が波速に向かう。


 波速の顔面を叩きつけたのは中田だった。その後ろに、取り巻きの2人がいる。3人は波速の様子を笑うもの、ただ見下すものと様々な感情を抱くものがいたが、中田はただ単純に不機嫌そうな顔をしているだけだった。


 突然の出来事に、波速は驚き、訳も分からずにちょろちょろと顔を振って、そして中田の方を見上げた。機嫌の悪い中田は突き刺すように視線を送る。波速は少し怯えたが、すぐにマヨネーズの油まみれの顔で笑みを作る。


「ご、ごめんね」


 波速は困惑していたのだろう。とにかく、彼は中田を刺激しないように謝罪をして、笑みを維持した。


 中田には、それが媚びるような顔に見えたのか、それとも笑みを作る余裕があることが気に食わないのか、続いて右の拳を波速の顔に叩きつけた。波速はそのまま後ろへ吹き飛んで、たまたま空席だった真後ろの机と椅子を巻き込んで倒れた。


「おいゴラァ!」


 カナは怒声と共に中田に食いかかった。


「何にムカついてるか知らんが、弁当食ってるだけのヤツに八つ当たりはないやろ! ぶち殺すぞ!」


 カナは身長が一回りも上の3人へ臆せず文句を説いていると、後ろから血の気の薄い翠が止めに入る。しかし、カナは翠の制止を受け入れるどころか、全く意に介さないという風で、むしろ彼女の激しさは高まっていった。


 ばんっ! と中田は音を立てて波速の机を蹴り飛ばした。机は体勢を崩し、上に乗っていた弁当はおかずや白米を飛ばし、仕舞ってあった教材なんかが飛び出していく。


 カナも急に大きな音が鳴ると、声が消えるくらいには怯んだ。カナの傍にいた翠や、静寂を決めていたクラスメイト、それに中田の取り巻きでさえ驚いている様子だ。


「ムカつくな。いくぞ、2人とも」


「お、おう」


「そうだな……」


 中田は薄暗い顔色を一片も変える様子すらなく、彼は教室を抜けていった。取り巻きの2人はそれに少し遅れて、小走りで中田の後ろを追いかけていく。


 中田が去ったなおも、教室は凍り付いたままだった。しかし、その氷を解かそうと無理に明るい雑談を始め、場は次第に暖まっていく。そして、いつしかその事件がなかったかのように明るい教室になっていた。


「……波速くんも、大丈夫か? ほら。いつまでも尻もちついてないで」


 カナは思い出したかのように、倒れた机を戻し、そして波速に手を差し伸べた。


「あ、ありがとう……」


 波速はカナの手を握り、そしてカナに引かれて立ち上がる。彼はひとたび大きな礼をすると、自身の椅子と巻き込んで倒してしまった後ろの机と椅子を戻す。


「それにしても、ひっどいなぁこれ……」


 カナは零れた弁当のおかずや白米たちを見て、同情をするような顔をした。


「大丈夫です。一食くらい抜いても平気ですから」


 波速が汚れた床の掃除を始めると、カナや翠は箒や塵取り、それに濡れた雑巾なんかを持ってきて、彼を手伝った。掃除が終わると、波速はカナと翠に礼を言い、2人に勧められて学食を食べに教室を出て行った。


「なーんだ。俺の出番なしか」


 そんな様子を見ていた針井は、つまらないという顔で野球ボールを机に置いた。ドンッ、とずっしりと重い鉄球みたいな音が鳴り、それを見ていた古椅子は引くような顔で針井に尋ねる。


「それ、いったい何十キロあるんですか……? そして、それをどう使うつもりだったんです……?」


 「別に……」と、かわすように針井は答えた。針井はワザとらしく余所見するので、古椅子はその顔を見れなかった。古椅子は、針井が最近覚えた磁力の力を思い出し、なお顔を青くした。


「あっ、あの! 先輩! 卵とかどうです!? ほら、たんぱく質! たんぱく質の……踊りか何か類義性を持つダンスです」


「えっ、ああ……ありがとうございます」


 突然に声をかけてきた三野に、古椅子は慌てて対応をした。三野が強いるように手渡す卵が入った皿を手に取り、それを箸で突っつく。


 古椅子の机には、コンロとその上に大きな鍋。そして鍋の中にはグツグツに煮えているおでんの具があった。


「いつものことだが、三野さん、中学生だよね。なんで鍋とコンロと材料を揃えてここに来れるんだ? しかも週3で。というか、食べきれない量あるじゃないか。少しくらい昼飯をこぼした人にお裾分けしようよ」


 針井がそう語りかけると、横からカナと翠がやって来て、


「はぁ~。まったく……針井くんって乙女心が分かっていないなぁ」


「しゃーないわ。ジュンに乙女心の桃色なんて見えへんよ」


 女って、本当に意味不明な生き物だ、と思う針井である。


「にしても、中田はしつこい男やな。イジメなんてして何が楽しいねん」


 カナは仏頂面になって愚痴をたれた。


「イジメと言うか憂さ晴らしだな」


 と、針井。


「何でもええんや、そんなこと! 暴力に訴えている時点でアイツが悪い!」


「まぁ、それはそうなんだがな。本当にその通りなんだがな」


「そう思うやろ? なのに、なんで誰も波速くんを助けないねん」


 針井が何も応えないと、その場はほとんど無音になる。まさにカナの疑問の言葉がフェードアウトをした瞬間、寒気を感じるくらいに周囲は反応に困った。古椅子は三野と談笑しているし、翠はオドオドと目を泳がせているだけ。


「それより、俺らからしたら、あの3人に突っ込んでいける方がビックリだよ。よく怖くないな」


「怖いに決まってるやろ」


「いや、じゃあ止めろよ。エンジンニアの時もそうだ。お前はなんで危ない橋を渡ろうとする」


「カナ……。針井くんの言う通りだよ。少なくともエンジンニアみたいな犯罪者とかは特に危ないって」


「そんなこと言われたってなぁ……。てか、それに関してはジュンだって闘ってたやろ!」


「アホか。俺は少なくとも勝算があったし、負けそうになったらもちろん逃げるつもりだった。人質を取られようが不利になるようなこともしない冷静さもあった。だけどお前は違う。勝てる算段も逃げる算段もなかっただろ? 無茶勝手に横やりを入れに来ただけだ」


「な、なんや。説教するほど威厳はないやろお前も」


「だから、とりあえず、今後は中田にもちょっかいをかけるの止めろ」


「ふん。何にもしていない癖に分かった風のジュンに言われたくないわ」


「……2人とも、何の話をしているの?」


 翠は針井がエレボルである事実を知らないらしく、会話の内容を理解しかねた。針井があの変態なコスチュームで活動している事実を知らされたくなくて、自分がエレボルだと言わなかったのである。


 カナは不機嫌そうに鼻を鳴らし、そっぽを向く。ジュンも冷静を演じてはいたものの、言葉を追撃するような真似もせず、無言で他所を眺めるようになった。翠だけが、妙な緊迫感に心臓を傷めていた。



__________________ΩΩΩΩ__________________



 ついに、エンジンニアの事件から一か月が経つ。しかし、針井が再び、かの黄色いコスチュームを纏うことはなかった。

 

 それは、Gif県のミナミ町が平和であったことが大きな理由だ。暴力団や悪徳宗教団体の活動なんかはそこそこにあったが、しかし黄色い姿をするほどに乱れた治安とは思えず、針井も古椅子も、どちらからも提案はしなかった。


 さてさて。


 であるとすれば、針井と古椅子に残るものはただの普通の日々である。


 



 針井がたまたま訪れた図書室の先に、波速輝夫がいたことは偶然の悪戯であった。


 時は放課後(もちろん、学校の用事がすべて終わった後のこと)。窓から見える景色はすでに橙色の夕日。


 いつもの古椅子はバレー部の体験入部に顔を出し、カナや翠も昼休みのイザコザのせいか顔を合わせても気まずさしか感じない。それにより、針井は暇をつぶすためにトボトボと図書室に向かった。


 室内は波速の他に人はなく、波速は貸出カウンターの中で何かの作業をしていた。針井という来訪者がやって来ると、波速は挙動不審まじりに出迎えたために、針井は必然的に彼と顔を合わせざるを得なくなった。


「あっ、ようこそっ、です」


 波速は驚いた顔を見せ、軽い会釈をした。針井もそれに倣う。


「どうも。……図書委員なの?」


「いえ……。違うんですけど、困っていたから」


「困っていた?」


「今日が当番の図書委員の人、体験入部の準備で部活に出ないといけないらしくて……。それで、どうせ今日は人があんまり来ないだろうから、素人の僕がやっても大丈夫、って」


「さっきから何してるの?」


 針井は、波速が手に持っている新品の本やシールなんかを見て、尋ねた。


「ええっと、新刊が入荷したから、ラベルを張ろうかと……。さっきまで図書館の司書さんがいて、手伝っていたんだ……」


「図書委員でもないんだから、そんな義理はないんじゃないん?」


「えっと、でも……。それで他の人が楽できるなら……」


 針井は「はぁ……?」と、どこか理解できないと言いたげな顔をする。対して波速はオドオドと、申し訳なさそうな顔をしていた。


「ちなみに、サイエンスのコーナーってどこかわかる?」


「あっ、案内します。僕、図書室はよく行くから詳しいんだ」


「電子とか電気の本があればいいんだけど」


「あっ、うん。確か借りられていない奴がいくつかあると思う」


 針井は波速に案内されるままに、その後を追う。波速はもとから興味があったのか、サイエンス系の本棚でいくつかの参考書の中で、どれかお勧めだとか、これは難しいから後で読んだ方がいいとか、そんな紹介を針井にしていた。鈍間な印象しかなかった針井にとって、しどろもどろでも知識を披露できる波速に少し感心した。


針井は特に進められたいくつかの本を立ち読みし、しっくりくるようなものを手に取って、貸出受付に向かう。


「あっ。また来てね」


「……ちなみに、そのラベルを張る新刊の数って結構あるね」


「あ、でも、この辺は廃棄する本だよ」


「そうなのか? じゃあその廃棄する本は……」


「えっと、これから紐で縛って捨てに行くよ」


「おいおい、結構な仕事量だな。もう夕方になるよ。部活の入部体験だってそろそろ終わるような時間なのに」


「う、ううん……でも、司書さんに全部任せるのも……」


 波速はそう言い、申し訳なさそうに笑った。その間に、少しぎこちない手つきで本を取り、後ろのバーコードを読み取って、貸出手続きを完了させた。


「てか司書さんはどこだ? いろいろと放任しすぎだろ」


「えっと、手芸部の体験入部に顔を出しに行ったと思う。手芸部の図書委員の人と仲が良いみたいだから」


「呆れた奴らだな」


 流石の針井も同情と不快感を覚えたのか、眉がピクリと動いた。


「あっ、いや、大丈夫だよ……。別に、僕は良いと思うし……。ああ、この本、2週間後にまた返却してね」


 波速が丁寧に本を針井に渡す。針井は「どうも」と会釈しながらそれを受け取った。


「キミはさ。こんな扱いに嫌々しないの? これって全部、どこの誰かも知らない他人の面倒ごとだ。その他人は、お前を利用して、嫌なこと全部押し付けて、美味しい蜜だけ啜ってるんだ。そいつらがへらへら笑いながら、「都合のいい奴がいてよかったw」なんて仲間内でお前をウワサするんだ、普通はムカつくでしょ」


「いやいやいや、それは言い過ぎだよ」


「悪意ある言い方だが、実際にそう言われても仕方ない行動してるのは事実。もし本人が罪悪感を持っていたとしても、その行動をしている時点で、それがそいつの本性だよ」


「……」


 波速は言葉に困った様子で、しどろもどろをしながら返答を考えている様子だ。針井はそれをただ見つめ、彼の反応を待つ。言葉を急かすとか、詰めるようなことをしなかったのは針井が波速に興味を持ったからかもしれない。


「僕は、どんな形でも、人の役に立てればそれでいいと思う」


「それが、利用されている形でも?」


「うん」


「キミをリンチしてる奴、それを眺めて助けなかった相手でも?」


「中田君は、事情があるから……。怒るのも仕方ないよ。他の人も、それが分かってるから止めるのが辛いんだと思う。僕はただ殴られれば、それで話は終わるし、もしかしたら、僕が殴られる姿を見て、辛いと思う人もいるだろうから、本当は誰もいないところで殴られればそれが一番なのかも」


 __もしや、コイツ、頭のおかしいやつなんじゃないか?


 針井にはこれほどの自己犠牲の考えは理解できず、波速の異様さを感じた。波速はぼんやりとしていて、それでいて可哀想な青年だとくらいの印象だったが、そのイメージはほとんど改まり、ある種で一筋縄のいかない、一見して単純だが、実は妙な複雑さを持つ人格らしい。


「キミの兄ちゃん、湯豆腐って、どんな奴だったの? 逮捕されたんだっけ。もうあんまり会ってないだろうけど」


「う、うーん。良く分かんない……かな。覚えていないっていうか……」


「覚えてない? 兄弟なんだから少しは遊んだりしたんだろ?」


「えっと、それも、あんまり……。ただ、湯豆腐のせいで、両親がものすごく不和になったかな……。父さんが、「この不倫女! 仕事もしていないくせに家のことも息子たちのことも無碍にしていた女のくせに!」とか怒って、母さんはずっと泣いてて、大変なことになったかな……。母さんは、浮気性な人で……、一番ひどい時は、僕の中学の担任の先生と付き合ってたこともあって……。父さんもそんな母さんにいつも怒ってたから、その日は堪忍袋が爆発したみたいに怒って、大変なことに……。それだけは覚えてる」


「……? なんかそれって」


「あっ、ごめんね! 変なこと言っちゃって」


「いや、良いんだけどさ」


 針井は波速が語ったエピソードに何かを感じつつ、彼の謝罪をいなした。


 __てか、自分の兄貴に湯豆腐って読んでるのか? 妙なヤツ。


「あ、本当にごめんね。あんまりおもしろい話とかできなくて。僕、口下手で、あがり症だから……」


「いや、良いよ。俺も悪い質問ばかりしたし……。それに、キミが良いやつだってことはわかったから」


「そ、そう?」


「良いヤツって言っても、あんまりポジティブな意味じゃないかもしれないが。良いヤツって、つまりはそれを呼ぶ奴にとって都合のいいヤツ、ってだけだから。お前は、そういう意味で皆にとって都合のいいヤツ」


「え、えっと……?」


 波速は針井の言葉の真意が読み取れないらしく、頭を混乱させている。


「でも凄いやつだよ。お前は」


「あ、ありがとう……?」


「ああ、波速君ってさ、LINEやってる? また話でもしよう」


「えっ、あ、ごめん」


「やってないの?」


「いや……、校則で……校内にスマートフォンを持ち込むの禁止してるらしいから」


「ああ、そうか」


 針井は苦笑しながら答えた。


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