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盲目

作者: チャゲ

何の役に立つの?

そんな疑問を子供の頃、ふと思うことがあった。例えばそれは学校教育の科目であったり、日本の行事であったり、宗教であったり。

そして、その役に立つことに関しての疑問は私以外にも考えたことのある者はいるだろう。この研究は何の役に立つのか、という疑問を投げかけているのがニュースであったりする。

皆考えることは同じか。

しかし、役に立つことについて自分が問われた時どうするのかと、少し考えてみると、なんとエグい質問なのかと思う。要するにその内容が良い影響をもたらすこと前提なのだ。恐らくだが、貢献というやつがその役に立つという言葉に含まれているのだろう。

役に立つことがとても良いことなのはわかる。しかし、全てがそれで語れないだろう。

では、逆に役に立たないというのはどうだろうか。

役に立たぬものは良くないものか、その判断は正確なのだろうか。

役に立たないと思った時点でそれは本当に意味のないものになってしまうようなそんな気がする。

役立たずとは良くある言葉だろう。

それが一番使われるのはどこだろう。

最近私は自問自答することがある。

私は役に立つ人間なのかと。

答えるとそれはNOだ。

なぜなら私がそう思っていないから。

そうじゃないという人もいるかもしれないが、本人が思わなければその限りではない。自覚というものがあってこその役が成り立つのだ。

だから、私は役に立つことはないと言える。そして、さらに重要なのが、私は人間社会においてその役割とも言えることへの取り組みを行っていないというものある。

いわゆる、日本國が定める法に書いてある、小学生の時に何の気なしに聞いていたアレだ。

知らない人はいないだろうが、日本には義務があり、権利がある。そして、その義務や権利は私には使い道の分からぬものなのだ。

例えばの話、私たちは選挙権をある一定の年齢に達すると得ることができる。しかし、その使い道に関して深掘りしたことが私にはない。

これの意味することは、その価値を知らないということだ。更には、その価値に気づいていないことは自身の価値にも大きく関わってくるのだ。

私は現在もその価値を明確にわかってはいない。自身の取り巻く環境にすら興味がない。

ただ目先のことを見るだけ。

それもまた明確に見えているものではない。

いずれ、見えて来る時が来ることを期待をしていただいても構わないが、私の視力は0.01以下なので厳しい現状であることを理解していただいきたい。

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