春のト音記号
これは、とても、とても、とても、遠いむかしのお話かもしれませんし、つい最近のお話かもしれません。
そして、とても、とても、とても、遠い町でのお話かもしれませんし、すぐ近くでのお話かもしれません。
一雨ごとにあたたかさを感じられるようになってきたころ、お日さまの光が小さなゆきどけ水にあたり、水面がふるんとゆれたとき、そこから春の妖精は生まれます。
春の妖精たちは生まれて来ると、ゆっくりとせなかの翅をのばします。これからたくさんとび回るので、ていねいに、のばします。春の妖精たちは、寒い冬のあいだねむっていた、生きものたちを起こすのです。
「ふぁ~」
春の妖精のプティーは、大きく口をあけてあくびをしました。そんなプティーを、みんながからかうように笑います。
「プティーは、ねぼすけだなぁ」
「なんだ、ねむいのか?」
プティーははずかしくなり、顔を赤くして、笑ってごまかしました。
「えへへ」
そこへ最初にうまれたデイブがやって来ました。
「からかうのはよくないぞ。プティーもわらってていいのか?」
「いいのよ、デイブ。だって私が、あくびをしちゃったのがいけないんだもん」
「それはプティーがみんなよりおそく生まれて、まだ小さいから、しかたがないとおもうよ」
デイブはそういってくれましたが、プティーは首をよこにふるのでした。
デイブの次にうまれてきた、ロジィがやってきました。
「何をいってるの、プティー。デイブのほうが正しいわ。からかうのはいけないことだし、プティーが小さいのは本当のことなのだから、プティーがえんりょすることはないのよ」
デイブやロジィの言うとおりでした。デイブやロジィや、みんなの体は大きくて、それはどれくらいかと言うと、プティーよりも、頭一つ分も大きいのでした。
そこへふわりと、あたたかなやさしいかぜがふきました。お日さまがほほえんでいるかのように、やわらかな日ざしが水たまりに当たり、水面がきらりとかがやきました。
「おっと、こうしちゃいられない。そろそろ始めなくちゃ、お日さまが空のまん中へ、のぼってしまう」
デイブはみんなに向かって、大きな声で、「さあ、生きものを起こそう」と言いました。
妖精たちは、水たまりの上にたちのぼる、ゆらいだ空気から魔法の杖を作り、あちらこちらで、春のト音記号を描きました。
しばらく待って杖をひっぱり上げると、ぽんっ、とはじけるような音がして、冬眠していた動物たちが、まるで魚つりのようにつり上げられてきました。
ぽんっ。ぽんっ。ぽぽぽんっ。
うさぎたちはとび出ると長い耳をあちらこちらに向けて、春のおとずれをかくにんしました。
ぽんっ。ぽんっ。ぽぽぽんっ。
リスたちはとび出てくると、長いしっぽの毛先を、やわらかな春の風が、なでるのを感じました。
ぽんっ。ぽんっ。ぽぽぽんっ。
ムササビたちはとび出てきたと思ったら、手足を伸ばしてそのまま空をとび、お日さまの光を体中にあびました。
「みんな、すごいなぁ。わたしもがんばらなくちゃ」
プティーはそう言いながら、みんなと同じように、杖でト音記号をかきました。
土の中のいきものを、やさしく起こすつもりで、ゆっくりと心をこめてかきました。
そして、ゆっくりと杖を引き上げると、地面からぼんっという音がしました。
「おい! 見ろよ!! プティーのやつがまた、へんなことをしてるぜ!!」
「ほんとうだ!!」
みんながこちらを見て、大きな声でわらいました。なぜなら、プティーが起こしたのは、大きなミミズだったのです。
「あれ? おかしいな。もう1回」
みんなに笑われて、プティーははずかしくて、かなしい気持ちになりました。
プティーはもう1回、生きものを起こすことにしました。ところがーー。
「何やってるんだよ! プティー!!」
「またミミズじゃないか!!」
「あれ? 何でだろう。がんばってるのに」
プティーはあわてて、何ども杖をふりますが、出てくるのはミミズばかり。みんなはいきものを起こしながら、プティーの方を見て、大笑いしました。
プティーは泣きそうになりながら、ありったけの力をこめて、杖をふりました。
すると、ひときわ大きなミミズが出てきました。
「うわあっ! 何だあれ!!」
みんなもその大きさにびっくりです。すると、その大きなミミズがゆったりと言いました。
「やあ、起こしてくれて、ありがとう」
これには、プティーもみんなも、とてもおどろきました。
「きみたちは春の妖精だね。いつもはボクのことは10人で起こすのに、今年は君1人で起こしてくれたんだね。とてもやさしい魔法だったから、きもちが良かったよ」
ミミズの言葉にみんなは、さらにおどろきました。
「ボクたちミミズを、起こしてくれてありがとう。ボクたちが土をたがやすことで、草や花や木の、根っこが元気になるんだよ。そうすると、他の生きものも、元気になれるのさ。君のなまえは?」
「プティー、です」
「そう、プティー。小さいのにがんばり屋さんだね。プティー、今はがんばっても、上手くいかないって、思うときもあるかもしれない。けれど、けっかをみたら、がんばって良かった、と思えることもあるんだよ。それをおぼえているんだよ」
ミミズはやさしく言いました。プティーは、ミミズの言葉がうれしくて、何度もうなづきました。
「さて、春の妖精さんたち。そろそろしあげの魔法の時間じゃないのかな? お天気雨をふらしてくれないか? ボクたちミミズが、土をたがやしやすくするために」
それでプティーたちは、空へと飛び上がることにしました。
「デイブ、プティーにやってもらおうぜ」
「そうだな。大きな春のト音記号は、プティーが描くべきだ。プティー、やってくれないか?」
「わたし? 本当に良いの?」
みんなは、さっきとはちがって、やさしくほほえみました。
「さあ! プティー。春のはじまりの魔法を描いて!!」
ロジィがやさしく、背中をおします。プティーはうなづくと、魔法の杖で、大きな大きなト音記号を描きました。小さな体を、大きく動かしながら描きました。
みんなが五線譜と音符を描いて、スタッカートを描き足します。
音符がお日さまの光にてらされて、かがやくと、音符はつらなって、春のはずむような音楽になりました。春の音楽は地面に近づくと、はじけて、あたたかな雨になりました。
「妖精さんたち、ありがとう。さあ、みんな、土をたがやかしに行くよ!」
ミミズたちはうれしそうに、土へもぐっていきました。
小さなプティーは今まで、がんばっていても上手く出来ないことが多くて、いつも悲しくはずかしかったのですが、今は晴れやかな気持ちで、ミミズたちを見送りました。
どうぶつたちは木の下で、うっとりと春の音楽を、聴いているのでした。
おしまい