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初めましての方は初めまして。
そうでない方はこんにちは。
以前書いていたものに手を加えたもので、名称を一部変更してます。
内容はほぼ変わってません。
楽しんでいただければ幸いです。
恵まれているとか、いないとか。
そんなことはどうだってよかった。
家族と呼べる人々に囲まれて、楽しかったし、彼らのことが大好きだったからだ。
その日あったことを語り合って、時には喧嘩をして仲直りをして、笑い合う。
当たり前の日常。
大切な子供時間。
けれどやがてやってくる。
険しく、高い、大人という階段が。
1.予言
エラード。
とこの世界はそう呼ばれている。
幾つかの大陸に、たくさんの島々。
そこに住む、人。
武術、魔術、芸術と多岐に渡る才能を得た人間。
体力、腕力に優れ、獣と人間と両方の姿を行き来する獣人。
百年を超える寿命と高い魔力を有し、それを操ることに長けた魔人。
自然から生まれ、自然を育む力を持つ精霊。
大まかに分けて四種族、さらに細かく分ければ数え切れないほどの人々が住んでいると言われる世界。
幾千の逸話、伝説を経て至った現在。世界は国同士、大陸同士の交流を得て発展の途を辿るその一端。
これは今より約千年の昔のこと。
魔術という力が浸透していなかった時代。
大陸全土の覇権を様々な国が争い合ったハッシュガルド戦役と呼ばれる戦いがあった。
戦いは三十年以上に及び、人々の心は荒み、大陸は疲弊していた。
負の感情が全て詰め込まれたような泥沼の戦い。
《魔王》と呼ばれる者はその末期に現れた。
全ての事象を自在に操り、人心すら操ることの出来ると言われる赤い瞳、魔眼。
神話にある古の民の力を持って、かろうじて中立を保っていた国を滅ぼしたのが最初であるとされている。
それから年を経て、魔王はその力と軍勢を持って大陸全土を飲み込まんとした。
魔眼の力に飲み込まれ、味方が敵となる恐怖は戦役で疲弊しきった人々から抗う術を奪っていく。
小さな一国でしかなかった魔王の国はそうして勢力を伸ばし、その当時巨大な帝国と化していたエルメーニュ王国と衝突を繰り返した。
だが互いに一歩も引かぬまま一進一退の攻防は数年に及び、両者共に憔悴の色が見え始めた頃。
「《勇者》は現れた」
かつん、と黒板をチョークで叩いて歴史の教師は興奮気味に語った。
「勇者の名はシャル・フランケット。どこの出身で、どうして勇者となったのか。誰もその真相は知らない。が、彼は強い魔力を秘めており様々な魔術を操ったという。その彼の補助を務めたのは後にエルメーニュの聖騎士と呼ばれることとなったジュラノー・ド・ファルケン。そして今日の魔術の基礎を作ったとされる魔術師の母ニース・ケライヤン。この二人だ」
教室内を見渡した教師は生徒たちの「そんなの知ってるよ」という視線に耐えながら続きを話す。
「まあ、勇者と言っても歴史的見地からすれば彼らは魔王へ対する刺客だな。わずかに残る文献から察するにエルメーニュの命令で動いていたことは間違いない。そして皆も知るように、勇者一行は無事魔王を討ち果たした。その中心人物であったシャル・フランケットが英雄……いや、勇者として有名なのは魔王と相打ちになったから、というところが大きいな。躯はエルメーニュ本国へ持ち帰られ、今でも現在のベルセリアに安置されている。あちらでは有名な観光地にもなっているから中には行ったことのある者もいるだろうが……」
と、教師はここまで言ってため息をついた。
見なくてもわかるほど生徒たちの反応は薄い。
この大陸では有名すぎる話――子供が寝物語にせがむことも多い――だからだ。
だから今更こんな話を聞かされたところで彼らには再確認程度の認識しかないだろう。
事実、教師自身もその程度の認識だった。
ちらりと教室の窓から覗いた空は晴れ渡っている。
今日これから、何かが起こるとは思えないほどに。
しかし彼は言わなければならなかった。
「皆も知っているとおり、今の話には続きがある」
彼自身馬鹿げていると思ってはいることを、憂鬱ながらに告げる。
「魔王は勇者に討ち取られた。これは事実。そして魔王は最後に『千年の時を経て、月が生まれ変わるその夜に、私は再びこの世界に蘇るだろう』という言葉を残した」
これが歴史に残されていた史実でなければ、それを残したのが魔術師の始祖である人でなければ、馬鹿馬鹿しいと切って捨てていただろう。
だが、彼女の残したそれはこの大陸の全ての国にとって重要な事柄だった。
生まれ変わり、あるいは転生。封印からの覚醒。
研究者たちによって、様々に研究し尽くされたが解明できずに終わったとされているそれら。
それが、よりによって。
「真偽は定かではないが、月の生まれ変わる夜というのは月食のことであり、今夜だ」
今日がその日などとは、なんという嫌がらせだと思わずにはいられない。
「せんせー。それガセネタだろー?」
「魔王復活とかどこの演劇だよ、って感じだよなぁ」
どこかから、からかうようなヤジが飛ぶ。
すると、立て続けに生徒たちから笑い声があがった。
確かに、魔王は倒されたのだからそれで大団円でいいではないか。というところではあるのだが、残念ながらそれで済む話ではなかった。
「お前たち……それを我がレンドール王国の国王陛下に言えるか?」
今夜の月食はこの国で起こる。
つまり、レンドール王国で魔王が蘇ることを示しているのだ。
それを警戒して現在レンドール王国は国境付近を閉鎖。国内外の動きもそれに合わせて騒がしい。
王都から離れたこの街ですら、軍隊が常駐して厳戒態勢だ。
ここ数日は特に緊張感もあって、空気がピリピリと肌に刺すように感じる。
それを馬鹿馬鹿しいと一蹴するのは国を、敷いては国王陛下を侮辱するのと同じ。
ヤジを飛ばした生徒たちも流石にそれに気づいたのか慌てて両手で口をふさいだ。
「信じる、信じないはお前たちの勝手だが。今日明日は戒厳令が敷かれてるんだぞ。今日の授業もこれで切り上げだしな……と」
そこまで言ったところで終業の鐘が鳴り響いた。
「む」
タイミングが良すぎだろう、と教師は苦い顔をしたが今日は授業の延長を認められていない。
太陽はまだ頂上から少し傾いた程度ではあるが、自分で言ったように今夜は戒厳令が敷かれる予定となっている。
商店なども夕暮れ前には店じまいするはずだ。
「いいか!」
無邪気に早く帰れると喜び合う生徒たちを直帰させるため、教師は一喝した。
「今日は絶対に夕方以降の外出はするな。見回りの憲兵隊に見つけられでもしたら牢屋にぶちこまれるからな。そうしたら明日以降ここには来られないと思え!」
脅し文句を口にすると「はあい」と不承不承という感じで生徒の何人かが返事をし、へらへらと笑っていた生徒が口を押し曲げた。
「では、解散!」
世界の歴史を綴った教科書を閉じ、教師は授業の終了を告げた。
途端に鞄を背負い、がらっと扉を開けて飛び出していくのが数名。「ばいばい」「さようなら」を友人に告げて退出していくのが数名。友人同士、放課後のおしゃべりを楽しもうと教室に居残るのが数名。
いつも通りの風景ではあるが、どこかぎこちなく浮いた空気がそこにはあった。
それもこれも、伝説、そして伝承されてきた魔王復活の話のせいだ。
歴史というものは虚偽と真実が混ざり合ったもの。自分が過去を見たわけではない。過去に記されたものを現代人が見て予想するしかないものだ。しかもこれが千年も前の話となると、残された文献や証拠の品々も劣化していて少ない。
その数少ない品々から察するに魔王と呼ばれる存在と勇者と呼ばれる存在が居たのは確かだ。しかし、魔王が言い残したという『月の生まれ変わる夜に復活』説はどうにもうさんくさい。
確かに転生という理念や概念はこの世界に存在する。
とはいえ、実際にそういった人物に噂は聞いても教師自身出会うことはなかったし、あったとしても自分が生まれる前のことなどその時代の人間にしか真実はわからないことだ。それを聞いたからといって簡単に信じられるものではない。
まあ、作り話としてはおもしろくあるが。
その手の本は去年、一昨年ぐらいから今年にかけて大量に出版された。
「魔王は生まれ変わって恋に落ちて、世界征服を諦める」
「魔王復活。世界は滅びを迎えた」
「魔王は心を入れ替えて世界平和のためにその力を振るった」
いわゆるトンデモ本はいくらでも存在する。
だが古い伝承はこの国、レンドール王国にとって重要な意味を成す。
伝承の中で語られる魔女ニース・ケライヤン。彼女が生まれ、没した土地が過去のレンドール王国であるからだ。
彼女は年老いてからある書物をしたためている。
魔王の復活についての考察だ。
古い言語で書かれているために完全に解読できたわけではないが、そこには未来の人々への警告のような言葉があったという。
『転生、あるいは復活。そのどちらも今の私には信じがたい。しかし、その概念は世界の各地に存在する。ある土地では、強い願いや思いを抱えたまま死した者はその意思を抱えたまま生まれ直すことができると言われている。またある土地では前世の記憶を持って生まれてくる者は、世界がその人の思いに応えたその形だという。私は忘れられない。魔王が言ったその言葉を、強い意志を。千年の時を経て、月が生まれ変わるその夜に再びこの世界に甦る。恐ろしくも、美しく感じてしまったあの瞬間、私は確信した。彼は必ずそれを果たすだろう。あの全ての事象を自在に操るという赤い瞳が……《古の民》の力がそれを助けるに違いない。私は後年の者たちにそれを伝え続けなければならない。これが災いとならぬように。その時に私はもう存在しないのだから』
この一説はこの書物が見つかってからずっと王宮で保管されてきた。
そして最近になってやっとその重要性を見いだすこととなったのだ。
月の生まれ変わる夜とは月蝕。
満月でもある今夜、それは起こる。
伝承通り魔王は復活するのか、しないのか。
どちらにせよ、と教師は思う。
今の平穏な日々が終わらなければそれでいい。
子供たちと歴史の教科書に囲まれた日々は彼にとってとても心地の良いものだからだ。
それを脅かすものなど歓迎できない。
「寄り道しないで帰れよ」
残っておしゃべりに興じようとしていた生徒たちにひと言かけ、教師は教室を後にした。