第98話 追跡者
薄暗いワイン蔵の中、一人の男は分厚い扉の前に、もう一人の男は今まさに竜郎達が救出しようとしている商人のギリアン・マクダモットを横目に見ながら、高そうなワインを開けて、椅子にふんぞり返っていた。
「おい、飲むのは不味いだろっ」
「はっ、構うことはねえよ。頭も数日は帰ってこないらしいし、交代までまだ五時間も有るんだぜ? それまで男の面を延々と素面で見てろってか?
それに探査魔法が使える奴が数人がかりで常に見張ってる上に、こわ~い、こわ~いエンニオが庭先をうろついてる。誰がどうやってここまでこれんだよ」
「……それもそうだな。俺にも一杯くれ!」
「よっし、これでお前も共犯だ!」
そうして二人は、呑気に酒盛りを始めてしまった。
そんな様をギリアンは、酒の価値が解っていないこの者達には、勿体ないワインだと、こちらもどこかズレた観点でこっそりと見つめていた。
(あのワインを、あんな安酒をあおるみたいに飲むなんてっ、信じられない!
ああっ、そこはもっと香りを楽しんで………………って、私は何を現実逃避してるんだ。
といっても他にすることも無いんだが。はあ、あの時の二人には悪いことをした)
商人が自分から持ちかけた約束を、一方的に反故にした。
事情はあれど、それをあの二人は知らない。だから、そう思われても仕方がない。
尊敬する父親と同じように、できるだけ誠実な商人であろうと心がけて生きてきたギリアンにとって、そう思われてしまう事が死ぬことよりも恐ろしかった。
(今日は何日目だろうか……。ああ、私はこれからどうなることやら)
行く先の見えない明日に、諦めの混じったため息をついたのであった。
そんな事をギリアンが思っている頃、竜郎達は床下の石の土台の一部を土魔法で避け、木の床板だけになったその真下で聞き耳を立て、酒盛りを始めた二人に呆れ顔になっていた。
『いくらなんでも、気を抜きすぎだろ』
『まあ、こっちとしても、やり易くはなったからいいけどねー』
『このままこっそりギリアンさんを連れて行っても、すぐには気が付かないんじゃないか?』
竜郎がそんな事を言いたくなるほど、二人の見張り番はドンドン酒をあおって酩酊していった。
『うーん。こうなってくると無理に突入するよりも、二人が同じところに座ってくれてるし──よし、床を落とすからその瞬間に気絶させてくれないか?』
『おっけー』
そうして竜郎は、まず酔っ払いが座っている場所の床が落ちてくる場所に、水と闇の混合魔法でクッションの様なマットを造り、衝撃音が鳴らないようにする。
そして闇魔法で、さらに床下のこの空間を暗くしていき、小さな赤い光球を操ってレーザーで床板をゆっくりと円形に焼いていき、風魔法で焦げた匂いが上に昇らないようにもする。
するとだいぶ溝が深くなり、あと一歩で重みで抜けるという段階になると、竜郎は小さな赤い光球を三十個だして、それを溝の隙間にセットしていく。
そして愛衣に念話で合図を送りながら、その小さな光球たちから一斉に極小レーザーを放って穴を開けた。
「「───!?」」
突然の落下に酔っ払いが対応できるわけもなく、何の抵抗もなく愛衣の目の前に落ちてきた。
「ていていっ」
「「ぐぁっ」」
《スキル 棒術 Lv.3 を取得しました。》
その瞬間、愛衣の持った竜郎お手製ただの鉄棒でぶん殴って気絶させた。
念の為に気絶したことを解魔法でも確かめると、竜郎は盗賊の着ている服を破いて、その布きれを口の中につっこんで、さらに口にかませる様に縒った布を口に挟んで首の後ろできつく結んでいった。
そして手足は、ワイヤーで背中側に巻いて身動きも取れないようにしてから、そこに放置して穴から身を乗り出した。
「君たちはっ!?」
「「しー」」
「───っ」
突然見張りが床下に消えたかと思えば、先ほど考えていた二人が目の前に現れ、ギリアンは目を白黒させながら叫んだ。
だが静かにするように促され、うかつに声を上げたことを恥じながら、口に手を当てて黙って頷いた。
それから、竜郎は小さな声で状況説明していく。
「これから貴方を助ける代わりに、一緒にリャダスに付いてきてもらいます」
「それは願ってもないことだ」
「なら、とっととここを出ますよ。一人やばいのがいるらしいですし」
「ああ、エンニオとか言うやつですね。私自身見たことは無いですが、ここに見張りにくる衛兵はこぞってその話をしてましたよ」
「私達でも、なんとかできないわけじゃないと思うけど、そうとうな暴れん坊らしいから会わないようにしないとね」
そうして愛衣に、見張りの二人をワイン蔵の見えにくい場所に置いてきてもらい、床板を嵌め直し、石の土台で支え直し、ぱっと見解らないように偽装してから、来た道を三人で歩いて行く。
『そう言えば私達二人でここまできたから飛んでこれたわけだけど、この人が一緒の場合どうやって帰るの?』
『あ……』
『もしかして……考えて無かったんじゃ……』
『そそそそんなことは無いぞ。えーと、あーと、んーと』
『あんまりこのおじさんと密着したくないよ?』
『そんなことさせるか! …………そうだな、ちょっと重量的に怪しいが仕方ない。ワイヤーで吊るして持ってくか』
『えーできるかなあ』
そう念話で会話しながら、かなりふくよかな体型をお持ちになっている、ギリアンを二人で訝しげに見つめた。
「え? 私が何か?」
「「いえいえ、なんでも」」
「ええぇ……」
明らかに含みのある視線にもかかわらず、はぐらかされ、ギリアンは不安になりながら二人の後をついて行った。
そうしてあと少しで地上だという所で、竜郎と先頭を行くカルディナの探査魔法に、物凄い速さでこちらの目指す出口に向かってくるものがあった。
『誰か来るっ。探査魔法は誤魔化したはずなのに、なんでばれたんだっ』
『そういうのは後にして、今は目の前の事に集中しないと』
『───そうだった。今から道を塞いで、別の道を造る。愛衣、手を!』
『あいあい』
「ん? 急に手なんか繋いでどうしたんですか?」
「なんかやばそうなのが今向かってる出口に来るんで、そこを塞いで別の所から出ます」
「ええっ、わ、解りました」
手を繋いだ理由にはなっていないのだが、切迫した状況だというのは伝わったので、大人しく二人の後に付いてくる。
その間に竜郎は出口を土魔法で埋め直して、新たな道を猛スピードで作り上げていく。
そちらは建物を挟んだ向こう側に位置する場所に出口を開けたので、地下を直線で行ける竜郎達より早くは来れまいと一気に突っ走っていく。
しかし、竜郎は素の運動神経がいいのでステータス補正が無くてもまだいいのだが、ただの商人で、しかも体型からして走るのは得意ではないギリアンは付いて行けなかった。
「はあっ……はあっ……はあっ……も、もうしわ、ない。
こんっ、事なら、ダイエットでも、しておく、べ、だっ。はあっ……はあっ……」
「あ~。まあ、今言ってもしょうがないですよ」
「そうそう」
立ち止まってしまったギリアンを見て、竜郎は致し方ないと歩調を緩めていった。
すると先ほど反応のあった人物が、建物をよじ登り上を真っ直ぐ通ってこちらの出口側に到着してしまった。
「おいおい、それは反則だろ」
「どうしたの?」
「もう出口側に立たれてる、すぐに塞いだが、逃がしてはくれそうにないな」
「はあっ……はあっ、めんぼく、ない」
「いや、ギリアンさんだけでなく、俺が本気で走っても間に合わなかったはずです」
「そう言って、貰えると、助かり、ますっ…はあっ………」
実際問題、向こうが異常なだけで、竜郎とて愛衣に抱えていって貰わねば、確実に追いつかれるほどなので、この場合しょうがない。
となってくると次の手は…と竜郎が考えていくと、ふと今の状況が妙だと思い至る。
邸宅の中には大勢の人間の反応があるにも関わらず、竜郎達を捜索しているのはただ一人。
他の人間は手助けもしないで、目立って行動している者は他に誰もいなかった。
(となると単独で追っているだけって事だが、意味が解らないな。
皆で一斉に捜索すれば直ぐに見つけられるだろうに……。
まあ、いいか。相手が一人なら、いくらでもやりようがある)
そうして竜郎は再び愛衣と手を繋いで、あえて向こうからも入ってこられるように通路を通し直した。
そして、さらにこの場の土を押し固めて広い地下部屋を作っていく。
「ここに、来てもらうの?」
「ああ。どうやら誰にも手伝わせずに一人で行動してるみたいだから、ここで寝ていてもらおう」
出口をあけると、罠だとも思わないのか、即断して相手が竜郎の造った通路をかけてくるのがうかがえた。
「愛衣、戦闘準備を。ギリアンさんは、あそこに小さい部屋を造っといたんで、そこに隠れてて下さい」
「はいよー」「解りました!」
愛衣は宝石剣を出して、ギリアンは良く見ないと気付けない程解り辛い部屋の扉、と言うより蓋を取ってそこに身を入れると、再びそこを閉じて大人しくした。
それから一分もしないうちに、相手の姿が見えてきた。
それは二メートル近い背丈に、体中に赤みの強いオレンジに黒の虎縞の毛を生やした獣人で、顔は人間と言うよりほぼ虎そのもの。
その特徴から、件のエンニオだと判断した。
そしてエンニオが、自前の尖った爪をこちらに向かって振りぬいてきた。
「はあっ!」
どう見ても気力の斬撃だったので、それは愛衣が宝石剣で打ち壊す。
そうこうしている間にも、目にもとまらぬ速さで地下の大部屋に入ってきて、まるで猛虎の様に部屋に響き渡る大きさで吠えた。
「ぐるああああああああああああああああああああ」
「「………………」」
この世界に来たばかりの二人なら、この声を聴いただけで身を竦ませそうな迫力ある雄たけびであったが、今のなら金のクマゴローや魔竜の雄たけびの方が恐かった。
なので平然と耳に手を当て、五月蠅そうに顔を顰めただけだった。
その反応がエンニオには意外だったのか、威勢が薄れ首を傾げた。
「おまえたち、なんで、えんにお、こわがらない? えんにお、こわいんだぞ」
「……そうか? 恐いというより、大きくてカッコいいぞ」
「かっこいい? えんにお、かっこいいのか? そんなことは、はつめめだぞ」
「はつめめ? 初耳の事かな?」
「それだぞ。えんにお、いいまちがえた。はつみみ?だといいたかった」
『サルマンが知能は五、六歳と言っていたが、外見に反して本当に幼いな』
『うん、幼稚園の子と話してるみたい』
巨漢で自前の毛皮を纏った虎男だが、言い間違いだと言い張って、胸を反らすその中身は、やんちゃな園児そのままだった。
なので竜郎は、どうにか今回は出来るだけ傷付けることなく、穏便に済ませられる方法があるのではないかと思考を巡らせてゆくのであった。




