誰も知らない物語
某年某月某日──日本。
「では、ごきげんよう。愛佳さん」
「ええ、ごきげんよう。菫さん」
そこは日本でも有数の、お嬢様学校。
それなりに顔だちの整った愛佳と呼ばれた少女は、後ろでまとめた長い髪を揺らし、しとやかに微笑みを浮かべ級友と別れの挨拶を交わすと、レンガ状の美しく掃き清められた道を優雅に歩き校門へと向かう。
足取りも楚々としていて、この女学院においても模範的な生徒像を体現していた。
校門に辿り着くと、彼女は慣れたように学園の敷地内のとある場所に並ぶ女学生たちの列の後ろについた。
そこはタクシー乗り場のような場所で、並ぶ生徒たちが迎えの車を待つ場所である。
順に入ってくる車は並んでいる生徒と同じ順番で、その家の車がちゃんと入ってきて彼女たちを乗せて去っていく。
そんな当たり前の光景を横目にしながら、愛佳は時計を見るように左手首を持ち上げ、そこについているブレスレットの小さな宝石のようなものに向けて口を開いた。
「着いたわ」
言葉に呼応するように宝石がピカリと一度点滅したのを確認したところで、彼女は腕を下ろして静かに背筋を伸ばし停滞することなく進む列で待った。
愛佳が最前列に出るとすぐに、エンジン音に模した音を鳴らす一台の高級車が彼女の前に止まる。
愛佳が一歩踏み出すと自動で後部座席のドアが開き、彼女を招き入れる。
ここでも背筋を伸ばし文句のつけようもない美しい動作で車内に入り腰を下ろすと、ドアがまた自動でしまる音がした。
「どちらへ向かいますか?」
「ふぅ。今日は寄り道しちゃダメみたいだから、そのまま家に帰って」
外からは見えないように特殊な加工がされている窓なのもあって、彼女は他の視線がなくなったことを確認するや否や座席に背をもたれかけ、胸元のリボンタイを緩めながら話しかけてきた存在へそう言った。
「了解しました。ご自宅へ向かいます」
運転席には誰もいない。それどころかこの車の中には愛佳しかいない。
喋りかけてきたのは、この車に搭載されているAIによる機械音声。運転するのも車に搭載されたAIが自動で動かし、言った通りの場所へ届けてくる。
今のご時世、それなりの資産を持っている家なら自動運転の車は珍しくない。
愛佳の前に並んでいた少女たちも、同じように運転手のいない車に乗って家に帰って行ったのだから。
AIは愛佳の命令を受け取り、揺らすことなく丁寧な運転で車を動かし出発した。
それなりに顔だちの整った少年──竜児は背を丸め、だるそうな顔つきでトボトボと1人帰路を歩いていた。
そして竜を模したブレスレット型端末から空中に投影されているモニターを見ながら、ため息をつく。
「はぁ、今日は速攻でイベント回る予定だったんだけどなぁ」
「家の用事があるんだろ? 仕方ねーって。夜から、もしくは明日からでも間に合うべ。俺も手伝うからよ」
「そうそう。まぁ、俺たちは一足先にお前よりもいい装備着けさせてもらうけどな」
「くそぉ……」
そのモニターには、竜児がはまっている『Wish to God』という題名のファンタジーVRMMO、つまりゲームの仲間たちのチャットネームが表示されており、今日からはじまるゲームイベントについて語りあい盛り上がっていた。
ちなみにここでいうVRMMOは、自動運転が当たり前になったこの時世でもゲームの世界に実際に没入できるわけではないので、あくまでもより進化したHMDによるリアルな仮想現実体験レベルのものである。
しかしVR技術も映像技術もかなりの進化を遂げているので、ゲームといえど馬鹿にできないレベルのリアルさは出すことができるようになっていた。
そんなゲーム内である本日のイベントに向け、クランメンバーたちと準備をしてきた竜児。
しかし今日、両親から大事な話があるから寄り道をしないで家に帰って来い──と言われているので、帰宅してもすぐにゲームの世界へ没入──というわけにはいかず管を巻いているのだ。
ひとしきりゲームのことで盛り上がると、ボイスチャットを切って腕をだらんと下に下ろしながら、竜児はまたため息をついた。
「………………はぁ。大事な話ってなんだよ、いったい」
竜児は歩きながら腕を組み、両親の話とやらが何なのか想像してみる。
子供から見て微妙な夫婦仲であったのなら離婚話かと勘違いするくらい、まじめな雰囲気で「大事な話がある」と言われた。
しかし幸い竜児の両親は無駄に仲が良く、年がら年中いちゃついているのでその心配はない。
では実は実子ではなかった──、などということもないだろう。
竜児はどう見ても2人の子だと思えるくらいに、しっかりと双方の面影を宿しているのだから。
「うーん……」
道中暇だからと答えに辿り着くことのない想像を無駄に広げていると、左手に巻かれていたブレスレットが振動した。
なんだと手首に視線を向けると──そこには姉の名前が表示されていた。
「姉ちゃん?」
「おーい。竜児」
「んあ?」
間の抜けた声をあげながら斜め後ろに振り返ると、彼の実姉──愛佳が車の窓ガラスを開け、竜児に手を振っているのが見えた。
「あんたも家に帰るとこでしょ。一緒に乗ってく?」
「あー……うん。乗ってく」
姉弟なのだから、どうせ帰る場所は同じだ。竜児はのそのそと車に近付くと、自動で開くドアから入り、愛佳が奥へとスライドして空いた後部座席へドカッと座り込んだ。
「竜児も車通学にすればいいのに。楽ちんよ? どうせうちは車余ってるんだしさ」
「俺の学校で毎日、車で送迎されてる奴なんてほとんどいねーよ。それに姉ちゃんより学校近いし」
姉は有名な私立のお嬢様学校に通っているせいもあり、同級生のほとんどが資産家の娘だらけ。娘のために送迎車を用意することくらい訳はない。
一方竜児は普通の公立高校へ通っている。理由は家から近いから。
当然在校生たちも姉の学校のように資産家の子供たちがごろごろいるわけもなく、大抵はバスや自転車、徒歩での移動。
毎日車で送迎されている生徒のほうが稀であり、竜児は目立つのが嫌で徒歩通学をしていた。
「ふーん、まあ竜児がいいなら別にいいけどさ。ほい、お茶でいいよね」
「あんがと」
愛佳が備え付けの冷蔵庫から飲み物を自分の分と一緒に取り出し、竜児に渡す。
さすが兄弟と言えばいいのか、ほとんど同じ動作で同時に蓋を取り口をつけて一息ついた。
その間に既に車は勝手に進みはじめ、彼女たちの家へと向かいだしていた。
「そんで竜児は今日のパパたちの話、なんだと思ってる?」
「俺もそのこと考えてたけど、まったく見当もつかんかったわ」
「だよねぇ。でも今までにないくらい真剣そうだったから、けっこう大きな話になるんじゃないかなぁ」
「あ! 実は父さんの会社が倒産したとか?」
「それはないでしょ」
弟の言葉をバッサリと切り捨てる。
「その前兆があるなら、私のお友達が何かしら察知して噂してるでしょ。
中にはパパの会社と繋がりのある企業の子だっているんだから。
今のところ順風満帆なのは変わんないよ」
「だよなぁ。けど成り立ちが胡散臭すぎてよく分からんから、そういうこともあるかなって思ってな」
「あー胡散臭いのは私も同意。どこの世界に気づいたら大企業の社長になってたーなんて状況が生まれるのよってね」
この2人は父親に何故今の仕事をすることになったのかと、幼少期に訊ねたことがあった。
すると父はこう言った──。
「気がついたら会社ができていて、気がついたらCEOの椅子が用意されていて、気がついたら大企業にのし上がっていたんだ……。
何を言っているのか分からないと思うが、俺も分からない……」
──と。幼い子供でなくとも意味不明である。
「あ、なら新しい兄弟が増えるとか? ママとパパ、今でもすっごい仲いいし」
「そうじゃなくても、血のつながらない兄弟ってのもあり得るからな。案外それかもしれない」
いわゆる実子と呼ばれるのはこの2人だけだが、竜児と愛佳には養子として迎え入れられた戸籍上の兄弟が多数いる。
前例がいくつもあるのなら、今回の大事な話もそうであっても不思議ではない。
普段の両親の様子から、新たな実子という線も十分にあり得る話でもある。この時代、高齢出産のリスクもかなり軽減されているので心配いらない。
これが一番ありそうだと散々車内で盛り上がっていると、あっという間に自宅が見えてきた。
洋風な豪邸の前にあるゲートに近づくと自動で開いていき、スッと車が通り抜けるとすぐに閉まる。
そのまま真っすぐ敷地内の煉瓦調に舗装された美しい道を進んでいき、玄関の前に車が横付けになる形でゆっくりと停止する。
2人がごそごそとカバンを手に持ち降りると、カチャンと軽い音を鳴らしてドアが閉まり、無人のまま車庫へと車は去っていった。
大きく重そうな玄関扉に付いたプレートに竜児が手の平をぺたりとつけると、手首のブレスレット型端末がピカリと輝き、プレートもチカチカと一瞬点滅する。
そしてガチャンガチャンガチャン──と複数の鍵が外れる音を響かせた後、音もなく扉が自動で開いたので2人は大理石でできた美しく広い玄関へと足を踏み入れた。
靴を脱ぎ箱型のロボットが愛佳と竜児が帰ってきたのを感知して持ってきた、それぞれ専用のスリッパに履き替え大理石の廊下の上をペタペタと歩いていく。
その後ろでロボットが脱ぎ捨てた靴を回収し、下駄箱の中に綺麗に収納している音がするが、いつものことなので気にしない。
「おかえりー」
「今日もお迎えにきてくれたの? ありがとね、ニーナちゃん」
「ほんとに頭いいよな。反応もこっちが言ってる言葉を理解してるみたいだし。さすが新種のトカゲだ」
実際にはちゃんと「おかえり」と言っているのに、2人の脳は低いうなり声のようなものと感じ何も違和感を覚えていない。
愛佳が生まれた頃からいる"ニーナ"は、新種のトカゲとして認識されていた。
「ヒヒーーン(あ、帰って来たー)」
「ジャンヌちゃんも来てくれたの? ただいまー」
「ヒヒーーン(おかえりー)」
どう見ても小さなサイにしか見えない、しかも鳴き声が馬そっくりな"ジャンヌ"を見て、竜児も愛佳も『犬だからこの反応は普通だ』と脳が認識し軽く頭を撫でてからリビングへと向かう。
その間"新種のトカゲのニーナ"と"犬のジャンヌ"は、ぽてぽてと2人の後ろをついていく。
「あれ? 楓姉、菖蒲姉も東京から帰ってたんだ」
「「おひさー」」
双子だと一目分かるほどには似ている顔をした2人の女性が、愛佳たちに軽く手を振り返事をした。
愛佳よりも少しだけ年上だろう見た目をした黒髪の、やや釣り目気味で迫力のある美人が──『楓』。
楓とほぼ同じ顔立ちながら、こちらはややたれ目の美人──『菖蒲』が、大きなソファにぐてーと横たわっている。
ちなみに周りからぱっと見では見間違えやすいとよく言われるので、ロングヘアーのほうが楓、セミロングのほうが菖蒲という風に髪形を少し変えている。
「僕もいるよ」
「お! アヴィー兄、久しぶりじゃん」
さらに奥の方の竜児たちからは死角になっていたソファに座り、ゆったりと紅茶を飲みながら休んでいたのは、黒に近い深緑色の髪に緑の目をした優しい顔立ちの美青年──アヴィー。こちらも軽く手を振りながら挨拶をしてきた。
「久しぶりだね、竜児。それに愛佳も」
「おっひさー、アヴィー兄」
この3人の美形の男女は戸籍上、愛佳と竜児の兄と姉となっている人物たちの一部であり、他にも大勢いる。それもなぜか似たような顔をした双子ばかり。
しかしそのことに2人はこれまで疑問を抱いていないし、周りの人間たちもそのことに疑問を感じることもない。
竜児はアヴィーに微笑みながら近付き、周りをきょろきょろと見渡しはじめる。
「あれ? アヴィー兄はいるのに、ヴィータ兄はいないのか?」
「昔みたいにいつも一緒にいるわけじゃないし、兄さんは僕と違ってあちこち飛び回っているからね。今もどこかで放浪しているんじゃないかな」
「相変わらずだねぇ、ヴィータ兄は。あっ私、紅茶ね」
「俺はコーラ」
「紅茶、と、コーラ、で、ございますね。かしこまりました」
愛佳は楓と菖蒲の間に、竜児はアヴィーのほうに腰かけながら、寄ってきた給仕ロボットに注文をして話に戻っていく。
"犬"のジャンヌと"新種のトカゲ"のニーナは、ソファの近くでゴロゴロしはじめる。
「確かこの前はインドにいたよね。その前はアフリカだっけ」
「あー、そうだったそうだった。俺にも写真送ってきてたし。現地の人とめっちゃ仲良くピースしたやつ」
「アヴィー兄はアメリカの大学で勉学にいそしみ、ヴィータ兄は当てのない放浪の旅人。ほんと双子なのに全然違う道にいってるよね」
「生まれたときから大分、性格が違ったらしいからね」
「けどそれを言うなら私たちもけっこう違うけどね。私は医大で菖蒲は──」
「──美大だし。とはいっても、こっちは住んでるところは一緒なんだけどね」
楓は国立の医学部へ、菖蒲は国立の美大に通い、ヴィータはアメリカの有名な工科大学に通う大学生として生活している。
愛佳たちとは住んでいる場所が離れてしまっているので、最近はなかなか会う機会がなかった。
他の兄弟たちの何人かも日本や海外の学校に通っていたりするが、愛佳たちからすると何をしているのかよく分からない兄姉も沢山いる。
けれどやはり、そのことについて疑問を抱くことはない。
久しぶりに会った兄と姉たちとの会話に少しばかり花を咲かせていると、両親からもうすぐ家に着くという連絡が入った。
「ねぇ、3人は今日なんの話があるか知ってる?」
「「「知ってるよ」」」
「知ってんだ! 一体なんなんだ?」
「それはパパたちから直接聞いてよ。私たちが話すことじゃないからね」
「そうそう。大人しく待ってなさいな」
「ちぇー」
「それより2人とも着替えてきたらどうだい? 制服のままじゃないか」
「「あっ、そうだった」」
給仕ロボットが入れた紅茶とコーラをそれぞれ受け取りながら机に置くと、2人は立ち上がってそれぞれの部屋へといったん去っていく。
その後姿を5人はじっと見つめていた。
「僕らの正体を知ったら、あの子たちはどんな顔をするんだろうね」
「それを見たくて帰ってきたまである」
「ふふっ、私も同じく。パパとママにも会いたかったっていうのもあるけど」
「楓も菖蒲も悪い顔してるー」
パタパタと小さな翼をはためかせソファに乗ってきた小さなニーナに、からかうような声音で楓と菖蒲はそう言われるが、双方気にした様子もなく切り返す。
「そういうニーナお姉ちゃんは見たくないの?」
「そりゃ見たいってのもあるけど、もう普通のトカゲさんのふりも飽きちゃったし、そろそろ本当の姿も受け入れてもらわないとって気持ちの方が大きいかな」
「私も犬ごっこは、もういいかなぁ」
ぴょんと飛んでアヴィーの膝の上に乗ったジャンヌの口から、ヒヒーン以外の可愛らしい声音の言葉がでてくるが、今のニーナたちにとってはそれが普通なので誰も気にした様子はなく話は続いていく。
「ジャンヌ姉さんの今の姿は飛んだりできるタイプじゃないですし、基本的にいつも通りだった気がしますけど」
「そんなことないよー、アヴィー。私もすごーく、犬のフリをしてたんだよー」
ほんとかなぁ? という4人の視線もお構いなしにジャンヌは目の前にあるコップをガブッと咥え、竜児が頼んだコーラを一気に飲み干した。
「だって、こんなこともできないでしょ?」
「……はぁ、そうですね。追加でコーラを持ってきてくれるかい?」
「コーラ、ですね。かしこまりました」
給仕ロボットが空になったコップを回収し、再び奥へと去っていく。
「だけど僕は少し心配だよ」
「なにが心配なの? アヴィー。ニーナお姉ちゃんに相談してみなさい」
「……いやね。楓や菖蒲はほとんど姿は変わらないし、ジャンヌ姉さんやニーナ姉さんは人種のふりをしていたわけでもないから受け入れやすいだろ?
けど僕の場合は完全に人型じゃないから、拒絶されたらと思うと……ちょっと怖い」
「なんだそんなことかぁ。アヴィーは真面目だねぇ」
「そうそー、ニーナの言う通りだよー」
「そんなことって……」
あまりにも軽く言うニーナとジャンヌに、少しだけ苛立ちを見せるアヴィーに対し、菖蒲が困ったやつだとばかりに大きくため息を1つついた。
「たとえ私たちがどんな姿をしていようと、どんな力を持っていようと、そんなことくらいであの子たちは引いたりしないよ」
「そうそう。私たちが信じなきゃはじまんないからね」
「………………それは、………………ああ、そうだね。その通りだ」
そう言われてしまうとアヴィーには何も言い返すことができず、思わず身を乗り出していた体をゆっくりとソファーに押し付けた。
するとこの場にいる全員の鋭敏な知覚が、見知った反応をとらえた。
「あ、帰ってきたよ」
「あとは待つばかりってね」
そう気軽に言ってクッキーをポリポリと食べる楓と菖蒲に、アヴィーはここまで楽観的でいられたらどれだけ楽だったかと、久しぶりに自分の性格を呪うのだった。
愛佳と竜児が制服から着替えて戻り人心地ついていると、彼女たちの両親たちがリビングへとやってきた。
「ただいま」「たっだいまー!」
挨拶をしながら最初に入ってきたのは、愛佳と竜児には40代前半に見える父──波佐見竜郎と、母──波佐見愛衣。
結婚から子供を産むまでに長い期間があったので、実年齢は50以上だということを考えれば、かなり若々しい見た目を保っていると言ってもいいだろう。
「かえったですの」「戻りました」
次に来たのは40代そこそこの可愛らしい印象を受ける女性──波佐見奈々と、美しい印象を受ける女性──波佐見理亜の2人。
この2人は愛佳や竜児にとって叔母……ということになっている。
4人は愛佳と竜児がちゃんといることを確認した後、2人に対面に座るよう言って自分たちもソファに腰を掛けた。
先ほどまで気楽に話していたアヴィーたちも静かに黙って見守る態勢で、いつになく真面目な雰囲気に愛佳と竜児の表情は緊張で硬くなる。
「竜児も今年高校に入学して、先月の誕生日で16になった。……早いもんだ」
「そうだねぇ。私なんか昨日、愛佳を産んだ気すらするよ」
「あはは、なにそれ。それはさすがに言いすぎだよ、ママ」
相変わらずお気楽な様子の母親に、少し緊張がほぐれた愛佳がホッとしながら微笑んだ。
「えーそうかなぁ? たつろーはどう?」
「愛衣ほどじゃないが、俺もまだまだ小さな子供だと思ってたんだがな。
けど現実はもう高校生。ある程度、自分たちで自分たちのことを決められる年齢だと思っている。そこんとこどうだ?」
「どうだって聞かれても、まだそんな立派な高校生になったつもりはねーよ」
「うーん、私も竜児と一緒かなぁ」
「なんだか頼りないですの。本当にもう打ち明けてしまってよろしいんですの?」
「まぁまぁ、2人とも16を過ぎたらって前々から話し合っていたじゃないですか、奈々。
それにここで話さないと、このことが気になって2人が夜眠れなくなっちゃいそうですし」
「リアさんの言う通りだ。ここまで場を作っておいて、やっぱまた今度は流石にねーよ」
「そうだよ、奈々さん。私も気になるし」
「そうですの。なら、心しておとーさまのお話を聞くといいですの」
「「おとーさま?」」
奈々の父といえば、愛佳と竜児にとっては父の父──波佐見仁だ。
けれど彼のことを奈々が『おとーさま』などと呼んでいるところを、どちらも聞いたことがない。
いったいどういうことだと疑問の言葉を挟む前に、父親の咳払いによって意識が戻される。
「その疑問についても、すぐ分かることだ。まずは父さんの話を聞いてほしい。
そしてその後で、お前たちがどうしたいか聞かせてくれ」
「「わ、わかった」」
雰囲気どころかその場の空気すら入れ変えたかのように、今までに感じたことのない威圧感を父から感じ、ブルリと背筋が震える子供たち。
その様子に気が付きながらも、竜郎はゆっくりと口を開いた。
「さて、これから語るのは我が波佐見家最大の秘密。
今から言うことは身内以外には他言無用……なんだが、まぁ言っても誰も信じてくれないだろうから、それが愛佳たちのためでもある──ということを肝に銘じてほしい」
我が子が頷くのを確認してから、竜郎は話を続ける。
「実はな──」
「え?」「ん?」
突然どこからともなくドゥルルルルル──というドラムロールが周囲から鳴り響き、思わず愛佳と竜児が周囲を見渡していると、──テン!という小気味いい締めの音が鳴り響いた。そして──。
「父さんは魔法が使えるんだ」
「「は?」」
父がいきなり大真面目な顔で魔法使い宣言したことに、阿呆のように口を開く2人。
「ママは指一本でビルが吹き飛ばせるの♪」
「「はい?」」
さらに母親は「きゃっ、言っちゃった!」とばかりに、これまた意味不明な宣言と共に両手を頬に当てて恥ずかしそうに顔を背けるしまつ。
幼児の頃なら「すごーい!」とでも反応していたかもしれないが、高校生の2人は「何言ってんだ? この人たち」とドン引き状態である。
しかし竜郎は「まぁ、そうなるよな」と呟くと、何もない虚空からコップを取り出し目の前に置くと、飲み口に近づけた人差し指の一センチ先から水を出し注ぎ込んで見せる。
なみなみと水が注がれると、そのコップはフワフワと浮いて愛佳と竜児の目の前を右へ左へとゆらゆら揺らめいてから、テーブルの上にゆっくりと着地した。
何が何だが分からないと目を丸くしている愛佳と竜児だが、ミシミシッ──という音が不意に聞こえそちらへ視線が動く。
「えい」
「「──っ!?」」
母がテーブルの端を親指と人差し指で摘まんでいたかと思えば、何の抵抗もなく分厚い石のテーブルの角をガリッとえぐり取った。
そしてその破片を摘まんだまま、それでテーブルをコンコンと叩き、硬質的な音から柔らかくないことを証明し、今度は包み込むように手の中へと握りこむ。
グキュギュキュ──という聞いたこともない音が2人の耳に届く。
愛衣が「見ててねー」とゆっくり手の平を下に向け拳を開けば、パラパラと粉みじんになった哀れなテーブルの破片がサラサラと砂の小山を作った。
「復元」
いちいち口に出す必要はないが、子供たちに分かりやすいよう竜郎がそう言葉を発すると、砂の小山が逆再生するかのように破片に戻り、破片は欠けたテーブルの元居た場所へ何事もなかったかのようにくっついた。
「ど、どどどどっ、どんなトリックだよ……」
「な、何か仕掛けがあるんだよね? あっ、もしかして、なんかパパの会社で新しく開発したびっくり技術……とか?」
「期待にそえず悪いが、種も仕掛けもない。俺は色んな魔法が使えるし、愛衣はその身一つで一国を滅ぼせる戦闘能力を持っている」
一国どころか愛衣なら武器も持たずに世界を更地にすることだって可能だろう。それは魔法を使った竜郎にも言えることではあるのだが。
しかしそこまで言っても規模が大きすぎて実感が湧かないだろうと、よく分からない配慮がここで働いた。
どちらにせよ、実感など湧かぬだろうに……。
しかしここで、竜児は別のベクトルで受け入れようと頭が働きはじめた。
「──っ、まてよ。もしこれが本当に魔法やらなんやらだったとするのなら、父さんも母さんも異能力者ってやつってことになる。
ってことは、その血を受け継いでいる俺も──っ!? いでよ! ファイヤーボール!」
「………………なにやってんの? 竜児」
「あっははははははっ!」
ソファから立ち上がり、天井に向けて万歳するように手を掲げるが、微妙な沈黙が訪れるのみ。
恥ずかしい行動をとる竜児に姉の愛佳はジトっとした視線を向け、母である愛衣は爆笑しながらテーブルをバシバシ叩く。
ちなみに父である竜郎は、見ていられないっ──と恥ずかしそうに顔を両手で覆った。
だが当の本人は気にした様子もなく、不敵に笑う。
「ふふふ、そうか、俺に炎魔法の適性はなかったか。
ならばっ──ウォーターボール! …………エアカッター! …………アースウォール! ………………ダークショット! ……………ホーリーアロー!
……………………なるほど、魔法適性自体俺にはないのか。
まぁ俺はゲームでも物理専門だったからな、一度は魔法とやらを使って見たかったが、そっちは諦めるとしよう」
「なーにが『諦めるとしよう』よ。まじで、やめなって。数年後、ママにからかわれる材料になるだけだよ?」
愛衣に視線を向けてみれば、目の端に涙を浮かべるほど笑いながら、腕輪型端末で一部始終を録画している姿が視界に入る。
確実に弟の黒歴史と化すだろうと、姉心からの忠告だったが……彼はもうテンションが振り切れていた。
「何言ってんだ。姉ちゃんもやろーぜ! 一族に宿る、眠れる力を一緒に呼び起こすんだよ!
うおーーー! 輝け! 俺の拳よ! シャイニングッアッパー!」
「あはっ、あっはははっ! ほら! くっくくっ、愛佳もやってやって! ねむれるちからをよびおこすんだー!」
「何言ってんの!? ママ! 私はやんないからね!」
もはや当初の真面目な雰囲気は吹き飛び、遠巻きに見ていた奈々やリアはもちろん、ジャンヌたちも何やってんだと苦笑い。
ただ楓と菖蒲だけは愛衣と同じように自分の端末で竜児の黒歴史を笑いながら撮影し、アヴィーに「止めてあげなよ」と諫められても気にした様子も見せなかったが。
それからひとしきり漫画やゲームで有名な技名を叫び暴れていた竜児だが、当然ながら眠れる力が呼び覚まされることはなく……、憮然とした態度でソファにどかりと座りなおした。
「──解せぬ」
「げ せ ぬ。──あはははっ! もっかい言って! もっかい言ってよ、竜児!」
「なんで私の弟と母はこんななのぉ……」
見ているこっちが恥ずかしいと、愛佳は頭を抱えてしまう。
「あー、いろいろ頑張っていたところ非常に言いにくいんだが、一族に眠る力なんてものはないから、そんなことをしても力に目覚めることはないぞ、竜児」
「──っえ」
「ほらぁ、だから言ったじゃん。やめときなって」
「じゃ、じゃあ、なんで父さんたちはそんな力を持ってんだよ! 俺も欲しい! ずるいぞ!」
「あんたねぇ……」
あまりにも欲望に忠実な竜児に愛佳は何度目かの呆れた表情を見せ、竜郎はもう少し成長してからのほうがよかったのではないかと息子の反応にため息をつきたくなった。
「……まぁ、いいか。もう話すと決めたわけだしな。
それでな。今日俺たちがこんな力をもっていることを教えようと思った理由なんだが──……ん? どうした愛衣?」
竜郎の言葉を遮るように愛衣の手の平がスッと、彼の口元を隠すように顔の前に差し出された。
何だろうと竜郎が視線を向ければ、「そこは私がやりたい」とわざわざ念話で伝えてきたので「どうぞ」と譲る。
すると愛衣は先ほどまで笑い転げていた時とは打って変わり、真面目くさった表情をとるとテーブルに両肘を乗せ指を組むと、どこぞの司令官よろしく顔を付け、もったいぶるように口を開いた。
「…………力が、ほしいか?」
「力が──、力が欲しいっ!」
「ノリいいなぁ、この母子……って、え? 私たちもそういう力が使えるようになれるの?」
「なんだよ。姉ちゃんも興味あるんじゃんか」
「えーだって、ねぇ?」
愛佳も竜児ほどではないにしても漫画を読むし、ゲームだってする。
特殊能力が使えるのなら、こういうのがいいな──なんていうことを幼いころに考えたこともあった。
心が大人に近づいたとはいえ、もっというのなら大人になったとしても、そうした憧れのようなものは持っていたのだ。
そんな娘の心が理解できる竜郎は、うんうんと大きく頷いた。
「ただこれだけは言っておきたいんだが、お前たちに力を使えるようにすることはできるが、それは簡単に人を害することができるだろう。
それをもってもし倫理観を大きく欠いた行動に出るのなら、いくら自分の子供であっても相応の対処をせざるを得なくなる。
それだけは肝に銘じておいてほしい。遊びでは済まされないことだからな」
「「は、はい」」
対処──というものがどんなものかは不明だが、竜郎から放たれる冷たい雰囲気から、ろくなことではないだろうと愛佳たちは心から悟った。
もちろん自分たちの子がそんなことはしないだろうとは思っていたので、半分以上脅しも兼ねて言っただけではあるのだが。
「まあ、どんな力を得るかはママたちにも分からないから、どういったことに気を付ければいいのかは後々一緒に考えていこうね」
「うん」「ああ」
そして愛衣が雰囲気を軟らかくしたところで、いよいよもう一つの本題へと切り込んでいく。
「力を得るためには、一緒にとあるところへ行ってもらう必要がある」
「とあるところ……? なんぞ霊験あらたかな神社とか、海外のパワースポットとかにでも行けばいいのか?」
「えー、明日も学校あるし遠出はちょっとなぁ。今のところ無遅刻無欠席の優等生できてるんだから」
「安心してくれ。日帰りで行けるところだ。
というか、そもそもこことは時間の進みがイコールじゃないから、そこで何日過ごそうが、今日に戻ってくれば関係ない」
「「んん?」」
要領を得ないといったように、2人は竜郎の言葉に首を傾げる。
「つまりね、2人とも。ようは異世界に行こーって話なのよ」
「「……いせ……かい? ────って、もしかして異世界!?」」
「おー、さすが姉弟。息ぴったりだねぇ。そうそう、2人が思い浮かべてる異世界であってると思うよ。
なんてったって、ママたちも異世界に行ったことで、凄い力が使えるようになったんだからね」
「まじかよ……。そんなラノベ展開を、こんな身近な人たちが体験してたのか……」
「えっ、てかそれもそうだけど、異世界ってそんな行って帰ってこられる身近な存在だったんだ」
「いや、別に身近な存在ってわけでもなかったんだが……。
そもそも俺たちが異世界に行くことになった切っ掛けは──」
全部話していては日が暮れてしまうので、簡潔に大分簡略化した竜郎と愛衣の異世界へ落ち、戻ってきた話を語って聞かせる。
ここまできて疑うことはないようで、愛佳も竜児も真剣にその話に耳を傾けた。
「──てなわけで、俺も愛衣も無事にこの世界へと帰って来れましたさ。どうだ? だいたい分かったか?」
「あーうん、なんとなく?」
「おいおい理解していけばいいから、今はそれでいいよ。2人とも」
「あ、ああ。分かったよ、母さん」
大分端折って語ったので疑問点も多いことだろうが、今はとにかく異世界という存在について"ある"と認識してもらえればいい。
そう割り切って、竜郎は今回一番の懸念事項へと話題を踏み出すことにする。
「ここまで聞けば、俺と愛衣が大分こちらの『人』という概念から外れてしまったってのは分かってくれたと思う。
それでもう1つの暴露話なんだが……ぶっちゃけて言ってしまえば、愛佳と竜児が今見ている俺と愛衣の姿は本当の姿ではない」
「「……はい?」」
不老の存在になったことは説明に入っていなかったため、2人は何言っているんだとばかりに口を開けポカンとする。
こうしてみるとやっぱり血のつながった姉弟だなぁ、などとどうでもいいことを考えながら、竜郎は愛衣と視線を交わし頷きあって、これまで2人の前では一度もきったことのない他者の認識をごまかす魔道具を切った。
「「────え」」
愛佳と竜児の目の前にいるのは、当たり前に歳を重ねてきた両親の姿ではなく、自分たちと同年代にしか見えない少年少女。
けれどその2人にはちゃんと両親の面影があり、若かった頃はこんな姿だったんだろうなぁと察することができる姿。
「ママもたつろーも、異世界に行ってから歳をとらなくなったんだ。だから今まで見ていた姿は偽物なの。ごめんね、2人とも」
「いくら何でも歳を取らない、取っていない親ってのも変だろ?」
それを普通だと認識させることもできなくはなかったが、そちらよりも全方位で見た目を誤認させるほうが単純かつ簡単だったので、そうしようと決めたのだ。
未だにポカンとしながら若すぎる両親の顔を見つめる2人。
竜郎はまだしも愛衣に至っては、童顔なせいもあって娘の愛佳よりも幼く見えるほど。
下手に魔法や異常な力を見せられるより、よほどインパクトがあったようである。
「これはもう飲み込めていないうちに、一気に見せてしまったほうがいいかもしれないな」
「それがいいかもしれませんね、兄さん。ということで、次は私も」
「なら、わたくしもですの」
「「………………」」
次に認識をごまかす魔道具を切ったのは、奈々とリア。
奈々は竜郎が生み出したときとそれほど変わらない、《成体化》状態の幼女姿を。
リアは先ほどまでの40代日本人女性から、上に見ても高校一年生ほどにしか思えない、背は低く浅黒い肌に尖った耳、深紅の瞳をもつ可愛らしい少女の姿をさらけ出す。
もはや言葉も出ないのか、愛佳も竜児も目を丸くしたまま相変わらずポカンと口を開けてそちらを見入っていた。
しかし、まだまだ終わらない。
「「なら、次は私かな」」
「じゃあ僕も」
あんたらもかいっ、という愛佳たちの心のツッコミを無視するように声を挙げたのは楓と菖蒲、そしてアヴィー。
それぞれが認識をごまかしていた魔道具のスイッチを切っていく。
「「えー………………」」
姉として、兄として慕っていた人たちが、愛佳たちの目の前で文字通り縮んだ。
3人とも小学校に入学しているか、いないかくらいの幼い子供の姿になっていたのだ。
また楓はもうそのまま幼い子供といった様子だが、菖蒲には額から小さなプラチナ色の角が2本つき出ている。
そしてアヴィーはと言えば、もっと人間離れしていた。
背中には体つき相応の大きさをした竜翼、腰の当たりからは竜の尻尾が伸びている。そしてエルフのように長くとがった耳に、額からはプラチナ色のユニコーンのような鋭い角が生えていた。
偽物ではないとばかりに、アヴィーは翼を軽く扇ぐように動かして2人の顔に風を当てる。
「じゃー次は私ねー」
「ニーナもー!」
もはや驚きを通り越して呆れすら感じはじめていた愛佳と竜児であるが、予想だにしないところから声が聞こえぎょっとする。
「おいおい、うそだろ……」
「…………サイに、…………ドラ……ゴン?」
「可愛いでしょー」
「ニーナも可愛いでしょー?」
「普通に喋ってるし……。いや、可愛いんだけどさぁ」
「……今まで我が家のワンコとトカゲだと思ってたが、まさかそこすらも違ってたのか。波佐見家まじ半端ねぇな」
「まだまだいるぞ。今も、お前たちのすぐ側にな」
「「え?」」
ジャンヌとニーナについても驚きはしたが、それでもこの場にいた存在だ。
けれど今現在、この場にいる本当の姿を見せた者たちはこれで全て。まだいるのだとしたら物理的に数が足りない。
もしや今座っているソファーも何らかの不思議生物なのかと愛佳たちが疑いはじめたところで、竜郎はずっと2人を見守ってくれていた者たちへ声をかける。
「コロネ。アイアース。もう隠れる必要はなくなった。2人にも姿を見せてやってくれ」
「あい!」「ハニィ~」
「「──っ!?」」
もう驚きすぎて疲れてきてしまっている中で、さらにそれぞれの真後ろから甲高い声が1つずつ聞こえ、ビクンと体を跳ね上げながら後ろへ振り返る。
「あい!」と舌ったらずで可愛らしい声をあげ、愛佳の後ろから姿を現したのは、20センチほどの身長で緑の長い髪、アイヌの民族衣装のようなものを身にまとった小人の少女──『コロネ』。コロポックルのような見た目を想像すれば分かりやすいか。
「ハニィ~」と気の抜ける鳴き声を上げ竜児の後ろから出てきたのは、50センチほどの大きさをした、足の生えた埴輪といった見た目の──『アイアース』。
「これまで2人が外にいるときは、後ろで認識阻害の魔道具で姿を消したまま護衛についててもらっていたんだ。
もちろん、プライベートなところは覗いていないから安心してくれ。
何度か愛佳や竜児の誘拐未遂事件があったから、万が一を備えてのことだったんだ」
この2人は天照や月読の下の妹。つまり竜郎が月読たちの後に生み出した魔力体生物たち。
守りとしては、むしろ過剰すぎるとさえいえる布陣である。
「えっ、私たち誘拐されかけたことがあったの!?」「まじかよ!?」
「海外からわざわざ誘拐しに来る、お馬鹿もいたしねぇ。まぁ……、もう二度とうちの子に近付きたいと思えないように対処したけど」
愛衣にしては珍しい冷たい笑顔に、守られている側であるはずの愛佳たちの背筋ですら寒くなる。
愛佳がまだ1人で立つこともできないほど幼いころに起きた誘拐未遂事件のときは、怒り狂った愛衣をなだめるのに一番苦労したなぁと竜郎は懐かしそうに当時を振り返る。
竜郎が社長の椅子に座らされている会社は、今や海外にも名が知れ渡る大企業と化している。
飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しているあの会社の社長のところには、大金が唸るほどあるという噂が広がり、それに比例して馬鹿も群がってくるようになってしまったのだ。
「えっと、今までありがとね。ころね?ちゃん?」
「あい! ととさまの子ってことはコロネの妹なのよ。気にしないでいーのよ!」
「あー……、あいあーす? も、今まで俺を守ってくれてありがとう」
「ハニ、ハニィ~♪」
コロネは満面の笑顔で、アイアースは細長い腕をくねくねと動かして礼を受け取った。
そんなどこからどうみても人外な2人を含め、改めて今までとは違う姿をした家族たちに視線を巡らせていく愛佳と竜児。
自分たちの周りに会った日常と常識が、大きく音を立てて崩壊していくような錯覚さえ感じてしまう。
けれど非日常的な──まるで物語でしか語られない空想の世界に足を踏み入れだしていることを如実に感じ、どこかワクワクしている自分がいることも認めざるを得ない心境だった。
驚きからか、理解できない現状からか、はたまたこれからの非日常的な未来に興奮してか、無意識的に2人の口角が上がりはじめる。
その表情に、竜郎もこれなら問題なくこの2人は受け入れてくれそうだと安堵した。
「えっと、理亜さんは私たちとは違う種族……だよね?」
「ええ、いわゆるドワーフというやつです。実は兄さんとは異世界で出会って、そこで義理の妹になったので血は繋がっていないんです。なので2人の祖父母は、どちらも普通の人間ですからね。
けれど私は、あなたたち2人を自分の姪と甥だと思っています。困ったことがあったら、なんでも相談してください」
「ドワーフか! すげぇ!! じゃあ、エルフとかもいるのか?」
「竜児が知っている範囲で言えば、レーラさんがエルフだよ」
「レーラさんって、エルフだったの!?」
たまに遭遇する優しいお姉さんくらいに思っていただけに、愛佳の衝撃も大きかったが、初恋の相手だった竜児はそれ以上に仰天していた。
小学生の頃に告白してフられたことで、今でこそレーラに対して恋心は抱いていないが、やはり初恋の相手というのは意識してしまうものなのだろう。
「ちなみに私たちも含めて、あんたたちの双子のにーちゃんやねーちゃんたちは、皆ドラゴンだったりもするからね」
「そうそ。私と楓はもともと人と同じ姿をした竜だけど、他の兄弟姉妹たち──それこそ、そこにいるアヴィーの本当の姿は人型ですらないから」
「「そうなの!?」」
「そうだね。楓たちは人竜という種族に分類されるから、人型の姿からあんまり変わらない。
けれど僕や他の兄弟姉妹たちは竜人系──ゲームとかイメージするならリザードマンみたいな人型ドラゴンもいるけど、基本ドラゴンと言われて想像するような姿だから。
……えーと、僕の本当の姿も見たいかい? 2人とも」
「見たい見たい!」「見たい!」
「なら………………えっと、この辺ならいいかな。ほっ」
「「でっかぁ~!」」
物が置いていない広い場所に移動してから、アヴィーは人化を解いて竜の姿へと戻る。
すると5メートルほどの大きさをした、エメラルド色の鱗にユニコーンのような大きな角を付けた竜が愛佳たちの視線の先に現れた。
2人の純粋なキラキラとした視線に、アヴィーは少し居心地悪そうにしてからすぐに人化して元の場所に戻ってしまう。
もう少しだけ見ていたかった愛佳たちは残念そうにしながらも、改めて両親の方へと視線を戻した。
「いやぁ、いよいよ異世界ってのが現実味を帯びてきたな!」
「だね! あっ、けどみんな若かったり幼かったりしてるってことは、もしかして異世界に行くと歳を取らなくなったりする副作用?みたいなのがあるの?」
「いや、俺や愛衣の場合は向こうで得た称号……力のおかげで、不老の存在になっただけだ」
「それにリアちゃんは元々私たちより寿命が長い種族だったうえに、特殊な称号を得たから余計に長生きになったってのもあるし、楓たちはドラゴンだから成長が遅いってだけ。
だから愛佳たちは向こうで寿命が延びたりする力を手に入れたりでもしない限り、普通に歳を重ねていくからね」
「不老とか、いかにも特殊能力っぽくて良かったのになぁ」
「特殊能力は置いとくにしても、若い姿を保ったまま生きていけるのは女としては羨ましいかも」
「ん? 若返らせる方法はあるから、お前たちが望むのならいくらでもそのままの姿を維持することはできるぞ?
現にお前の祖父ちゃんたちや祖母ちゃんたちは、今もその方法で見た目年齢は俺たちと同じくらいになってるし」
「「えぇ!?」」
異世界って何でもありなんだなと、このとき2人は強く心の中で思ったのだった。
ひとしきり混乱が解け落ち着いたところで、いよいよ愛佳と竜児にとって、はじめての異世界転移の時間がやってきた。
今まであることすら知らなかった地下室へとゾロゾロ皆でやってくると、クリスタルのように美しく煌めく室内にまず驚く愛佳たち。
そしてその室内の中央にある大きな黒いキューブが3つ積み重なり、途切れることなく不思議な文様を点滅させながら横回転する物体に視線が吸い込まれる。
「あの四角いのは、私が作った異世界へと行く転移装置です。
あれなら兄さんがいなくても異世界に行くことができますが、まだお2人は未登録なので使えません。
魔力などの力がないと登録もできなければ、作動すらしないようにもなっているので、その設定は向こうの世界に慣れたら改めてやりましょうね」
「あ、ああ。ありがとう理亜さん。にしても家の地下に転移装置まであったのか……。
あっ、そういえば父さん。先にちょっと聞いておきたいんだが、向うはどんな感じの世界なんだ?」
「ん? 世界観は竜児が毎日のようにやっている、『Wish to God』とほぼ同じだぞ。
お前たちが抵抗なく受け入れられるように、わざわざ似た世界観と地形を再現して作ったんだからな」
「えっ? そうだったの? てか、そんな前から私たちが異世界に行く準備をしてくれてたんだ」
『Wish to God』というゲームの開発に、竜郎たちの会社が深く関わっていることを愛佳も竜児も知っていた。
何故なら若者の意見も聞きたいから、ちょっとやって見てくれないかと勧めてきたのは両親たちだからだ。
なので当然のように愛佳も竜児ほどではないが、そのゲームをプレイしており、ちょくちょく感想を竜郎たちに話したりもしていた。その世界観も大よそ掴んでいると言っていい。
そしてその話を聞いた竜児はと言えば──ドクン。と胸がよりいっそう高鳴りはじめる。
竜児がそのゲームに嵌まったのは、『Wish to God』の世界が好きになったからだ。
「実際にこんな世界に行けたらなー」なんてことを、ゲーム仲間たちと面白おかしく話していたことだってあった。
(あの世界に、本当に行けるのか──!!)
突然黙り込む竜児にどうしたのかとも思ったが、今更ながら緊張してきたのだろうと竜郎は彼の肩をポンと叩いた。
「最初は1人では危険なことも沢山あるが、俺や愛衣──家族たちが周りにいるから大丈夫だ」
「ああ、分かってる。それより、早く行こうぜ!」
「急に元気になったな。まあ、いい。それじゃあ、いくぞ──異世界へ」
「うん!」「おう!」
2人の返事と同時に、竜郎は異世界への転移魔法を発動した。
ふわっと浮かび引っ張られるような、はじめての転移の感覚に「うっ」と愛佳と竜児は声を出し目を閉じてしまうが、すぐに足の底に地面の感覚が伝わってきたことでゆっくりと瞼を開いていく。
「いらっしゃいませ、愛佳さん、竜児さん」
「ウリエルさん!?」
ウリエル自体には地球の方で何度も会ったことはあったので、その顔はよく知っていた──が、今のように背中から天使の翼は生えていなかった。
この人も別の種族だったのかと驚きつつも、どこか超然とした雰囲気も普段から感じられる人物だったので、やはりそうかという思いも浮かび納得する。
改めて周りを見渡せば、そこは転移前にいたクリスタル調の部屋と瓜二つの場所で、本当に異世界に来たのかまだ実感はわかない。
「しばらくじっとしていれば、システムがインストールされるはずです。
それまではここで、ゆっくりとお待ちください」
「「はいっ」」
「インストールされた後も、ふとした動作で発動したり新しいスキルを覚えちゃうかもしれないから、とりあえず確かめるまではじっとしてるんだよ。
《天衣無縫》の称号は、絶対に取っておいた方がいいからね」
「うん」「分かった」
ウリエルと母の言葉に素直に頷く愛佳と竜児。既にシステムについては大よそ、こちらに来る前に聞いているので慌てた様子はない。
この世界において、知的生命体ならば誰でも恩恵にあずかれる力。そして最初にこの世界の人間たちの運命すら左右することのある初期スキル。
いったい自分たちにはどんな初期スキルが与えられるのだろうかと、胸をワクワクさせながら愛佳たちはソワソワ体を揺らす。
その様子に竜郎や愛衣たちも、微笑ましげな表情になりながら静かに見守った。
《規定値内の知的生命体を感知いたしました。》
《これよりシステムをインストールいたします。》
「きたっ!」「っよし!」
驚きよりも興奮が勝り思わず声を挙げてしまうが、言いつけ通りじっとその場から動かず時を待つ。そして──。
《システムのインストールを完了いたしました。》
《これよりシステムを起動します。》
--------------------------------
ステータス
所持金:0
パーティ
スキル
ヘルプ
--------------------------------
「「お、おぉ……」」
拡張現実《AR》のように目の前に表示された項目に、うめき声をあげながら次にどうしたらいいのか両親へと顔を向ける。
「今からパーティ申請するから受け取ってくれ。それから一緒にステータスを見ていこう」
「うん」「ああ」
竜郎がシステムから子供たちにパーティ申請し、受諾されたところでいよいよ2人のステータスのお披露目となった。
「じゃあ、まずは私から行くよ。竜児の方が先がいい?」
「いや、俺は後でいい」
「そっか。それじゃあ、いいの来てよ~…………ほい!」
--------------------------------
名前:マナカ・ハサミ
クラス:-
レベル:1
気力:50
魔力:50
筋力:10
耐久力:10
速力:5
魔法力:10
魔法抵抗力:10
魔法制御力:5
◆取得スキル◆
《重力極適性》《重力魔法+1》
◆システムスキル◆
《アイテムボックス+4》《マップ機能+4》
残存スキルポイント:3
◆称号◆
なし
--------------------------------
「いきなり2つスキルがありますの」
「それは初期スキルの影響のようですね」
--------------------------------------
スキル名:重力極適性
レアリティ:20+7
タイプ:アクティブスキル
効果:重力魔法に、極めて高い適性を得る。
重力魔法自動獲得。重力魔法、常時+1。
重力魔法使用時、消費魔力大減少。
ただし重力魔法以外の適性は減少。
--------------------------------------
「おぉー、前提条件すべて無視して最初から重力魔法が使えるのか。
俺が覚えたときは苦労したんだがなぁ」
「やったね、愛佳! かなり強いと思うよ。何より汎用性も高そうだし」
「え? そうなんだ。ふへへ」
月並みではあるが、強い能力といえば──と愛佳が考えていたのが、まさに重力操作系能力であった。
ついでに身体測定の時に、体重を誤魔化せたりも──なんて邪念もあったが、神々の方でそこをくみ取ってくれた結果この初期スキルになったようだ。
「ふ、ふーん。やるやん」
「どこ目線なのよ、あんたは」
「羨ましくなんて、ないんだからな!」
「どこのツンデレよ……。弟のツンデレなんて可愛くないし」
「んだとー! くそっ、俺にも、なんかカッコいいやつ──こいっ!」
--------------------------------
名前:リュウジ・ハサミ
クラス:-
レベル:1
気力:50
魔力:50
筋力:10
耐久力:10
速力:5
魔法力:10
魔法抵抗力:10
魔法制御力:5
◆取得スキル◆
《属性纏気・雷》
◆システムスキル◆
《アイテムボックス+4》《マップ機能+4》
残存スキルポイント:3
◆称号◆
なし
--------------------------------
「字面だけじゃ、なんなのか分からないね。気ってついてるから、ママや私たちみたいに物理系っぽくはありそうだけど」
「私も楓に同意見かなぁ。でも属性って言ったら魔法だし……雷? うーん、はてさてどんなのやら」
楓と菖蒲を筆頭に、皆が興味深げにその能力について詳しい情報を開いていった。
--------------------------------------
スキル名:属性纏気・雷
レアリティ:ユニーク
タイプ:アクティブスキル
効果:気力に属性を宿らせ、追加で強化することができる。
※属性はスキルポイント消費で増やすことが可能。
魔法への全適性は失われるが、武術系の適性が大上昇。
--------------------------------------
「つまり気力だけで雷パンチとかが、できるようになったってことかな? いいなぁ。
でも魔法が選べない純物理職ってことは、ママとお揃いだよ? やったね、竜児。嬉しい?」
「この歳になって母親とお揃いで嬉しいとかないわ。だがこれでいくとシャイニングアッパーもできそうだな……。ふむふむ……悪くない!」
「だからあんたは、どこ目線なのよ」
竜児はゲームにおいても魔法で後衛を務めるよりも、ガンガン前へ突貫していく前衛タイプだった。
さらに子供の頃にはまっていた特撮ヒーローが、火や水、雷なんかを纏って攻撃するシーンは今でもカッコいいと思っている。
そのあたりの深層心理をくみ取って、今回竜児用に神々がスキルをアレンジして授けてくれたのだ。
もちろん愛佳や竜児にこれだけ神々が忖度してくれたのも、竜郎と愛衣たちがこれまでにこの世界の手伝いをして恩を売っておいたからに他ならない。
けれど子供たちが嬉しそうにしている姿を観れただけで、竜郎も愛衣も苦労が報われたように思えた。
「確認も終わったようですし、ひとまず上に上がりましょうか」
「ああ、そうだな。2人とも、とくに竜児は格闘技の真似事をするだけでスキルを覚える可能性もあるから、50レベルになるまでは大人しくしているんだぞ」
「はーい」
「おうよ! 称号ってのも大事らしいからな。ちゃんと大人しくしとくよ」
元気のいい返事を聞きながら出迎えに来てくれていたウリエル先導の元、愛佳たちも静かに両親の後をついていく。
奇妙なエレベーターのようなものにのって、カルディナ城の一階へと到着。
物珍し気にキョロキョロと見回す2人が連れてこられたのは、カルディナ城の広いリビングだった。
そしてそこに待ち受けていたのは、まさに様々な形態をした人間たちだ。
天使に悪魔、獣人にエルフ。妖精にドラゴンなどなど、ゲームでしか見たことのない特徴を持った、けれど顔だけは見たことのある人物たちが大勢いて、愛佳も竜児も驚きの声が上がる。
近所のコンビニ店員さんも異世界人さ、なんて今ここで言われれば、間違いなく信じてしまっていただろう。
竜児はバクバクと高鳴る胸に手を当てて、歓迎してくれる人たちに笑いかけながら周囲を見渡していく──と、とある1人の少女に視線が釘付けになった。
美しい銀のボブヘア。エルフのように尖った耳、勝気な瞳。背中からは銀の竜翼を生やし、銀の尻尾が座席の間からチラチラと見え隠れしている。
そちらも見られていることに気が付き、「なにかしら?」と美しい声をこぼしながらコテンと首を傾げた。
その愛らしさに竜児の胸の鼓動はさらに加速し、顔が熱くなっていく。
彼女の隣には姉妹のように同じような容姿だが、クリっとした大きな目と長い銀髪をポニーテールにした同年代らしき女の子もいたのだが、竜児を惹きつけてやまないのは勝気な瞳をした方だった。
それが何故なのか自分でも分からない。けれど本能とでもいうのか、ビビッと電撃が走ったかのような衝撃をその子を見たときに感じたのだ。
「ん? 竜児どうしたの? 顔赤いよ──ってまさか、あんた、あの子!? ちょっと、まじなの!? やめてよっ!?」
「なになにどうしたの、愛佳。竜児がどうかしたの?」
「どうもこうもないよ、ママ! 竜児があの子に──」
「あの子って……ユスティティアちゃんのこと? それとも隣のパルテノスちゃん?」
「たぶんボブの方の子だよ、ママ」
「じゃあ、ユスティティアちゃんだね。あの子がどう………………あぁ、そうきたかぁ。まさかうちの子がねぇ」
息子の顔を覗き込み、愛衣も状況を察したようだ。そして愛衣もまた微妙な表情をしていた。
「な、なんだよ! その目は!」
「「だって、ねぇ?」」
母と姉が互いに見つめ合い頷きあう。竜郎もその後ろで状況を察して、「えー……」という顔をしていた。
愛佳も愛衣も竜郎も、別に竜児が誰を好きになろうと構わない。自由恋愛万歳。よほどの地雷女でもない限り、反対することはない。
それで言えばユスティティア。彼女の母親とは親友といってもいいほどに仲がいい。また彼女の祖母ともいい関係を築けている。
彼女自身も少々元気がよく小生意気なところもあるが、根はとてもいい子で優しい性格の持ち主ということもよく知っている。それくらい竜郎と愛衣とも、親しい間柄なのだ。
そんな条件の子が息子の嫁候補になるのであれば、喜んで家族として応援し受け入れていただろう。
──ただし、その子の見た目がどう見ても小学校に入学しているかどうかも怪しいほどに幼くなければ、の話であるが。
「「「ロリコンだったかぁ……」」」
想像してみてほしい。高校生男子が幼稚園の卒園式、もしくは小学校の入学式に並んでいる少女を真っ赤な顔でじぃっと見つめている様を。
下手をしたら保育士さんや先生、父兄に通報されてしまうところだ。
「ちゃ、ちゃうねん」
「いや、でもさ。小さいときはレーラさんが好きだったよね? 少なくともそのときは年上好きだったはずだよ」
「なんで母さんが知ってんだ!?」
「年上にフられたショックで、一気に逆ベクトルに向かってしまったのかもしれないな……」
「フられたことまで、よくご存じで!? てか両親に筒抜けだったんかいっ」
「私と違って共学で出会いも沢山あって顔も別に悪くないのに、浮いた話一つ聞かなかったのはそういうことだったのね。
なんとも業の深い弟を持ったものだよ……。」
「業が深いて……。俺はロリコンじゃない、好きになった人がちょっとロリ気味なだけだ!」
「ロリコンはみんなそう言うんだ。言い訳は署で聞こう」
「署ってどこだよっ!?」
「はははっ、なんだか愉快な声が聞こえるな。いったいどうしたんだ?」
「「あ、母親登場だ」」
「お、お母さま!?」
「お母さま? 私はリュージの母親ではないぞ?」
リビングに入ってくるなり家族のコント? に加わってきたのは、人化した状態のイフィゲニア帝国皇帝──イシュタル。
今では人化した姿も竜郎たちと出会った時よりずっと大人に成長し、髪もすっかりプラチナ色に変化していた。
「ママー」「お姉さまー」
「おお、ユスティティア。パルテノス。いつになく甘えてどうした?」
そんなイシュタルのことを『ママ』と呼ぶのはユスティティア。『お姉さま』と呼んだのはパルテノス。
2人は飛びつくようにイシュタルの足に抱きついた。
──そう、何を隠そうユスティティアはイシュタルの実の娘であり、この世界最大の勢力であるイフィゲニア帝国の次期皇帝と目される皇女殿下。
対してパルテノスは、この世界最強の存在──先帝エーゲリアの次女であり、現イフィゲニア帝国皇帝イシュタルの実の妹である皇妹殿下だ。
この世界において、最上級の地位にいる2人と言ってもいい。
「あの子がずっと私を見てくるの」
「そうなの。ユスティティアをずっと見てるの」
「ん? どういうことだ?」
今来たばかりのイシュタルには状況が上手く伝わらず、娘たちから竜郎たちの方へと顔を向けた。
「あー……実はな、イシュタル──」
竜郎が父親として息子の現状を、相手方の母親へできるだけ分かりやすく説明することに。
隣にいた竜児は赤裸々に語られる内容のせいで真っ赤になった顔を、いやいやと首を振りながら両手で覆った。
「あはははははっ! まさかリュージが、うちの子をか。くくくっ、あははははっ!」
「いや、笑いごとじゃないよー。イシュタルちゃん」
「あのー、ていうか、イシュタルさん……でしたっけ? 竜児のことを知っていたんですか?」
「ん? ああ、マナカ。もちろんだ。それに、お前のこともな。
まともに顔を合わせたのは2人ともかなり幼い頃だったから、覚えてないのも無理はないか。
だがタツロウやアイから話はよく聞いていた。よく来たな、マナカ、リュージ」
「あぁ、そうなんですね。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
「よ、よろしくっす!!」
「ああ、よろしく。にしても、そうか……。話としてはなかなかに面白かったが、現実問題としてかなり難易度は高いと言えるだろうな」
「え? というかイシュタルちゃん的に、ロリコンでも婿入りはオッケーなの?」
「ロリコンと言っても、実年齢で言えばうちの子たちの方が数十年単位で上じゃないか。
我々の種族からしたら歳の差などないと言ってもいいほどだし、人種の感覚からしたら年上だろう?」
「「え!? 数十年!?」」
未だにイシュタルの足にへばりついているユスティティアとパルテノスは、どう見ても年下にしか見えない。
けれどよくよく考えたらと後ろを振り返れば、自分の兄や姉と呼んでいた人たちの見た目も、やはりどう見ても年下だった。
種族的に同じではないだろうし、そういうのも異世界では常識なのだろうとすぐにイシュタルの言葉に納得の色を示す。
そして竜児は、これでロリコンではないと言い張れると急に元気になりはじめた。
「えっと、それじゃあ絶対に反対ということじゃないということでしょうか? イシュタルさん」
「まぁ、そこいらの連中ならまずありえないと一笑に付すところだが、タツロウとアイの実子となると話は変わってくる。
少なくとも私の個人的感情を抜きにして、帝国の未来のことだけを考えても、タツロウたちと親戚関係になるメリットはかなり大きい」
「まあ、そうなるわな」
竜郎がイシュタルの言葉に頷いている間に、愛佳がこっそりと愛衣の耳に口を近づけた。
「ねぇ、ママ。今帝国の未来とか聞こえたんだけど、イシュタルさんて何者?」
「こっちの世界で、一番強くて影響力のあるドラゴンたちの帝国の女帝さんだよ?」
「──ぶっ」「────」
愛佳は吹き出し、こっそりと耳をそばだてていた竜児は白目をむいた。
ただの男子高校生が、竜の国の皇女様にホレただなんだと言っていたことに気が付いたのだ。
「けどその女帝様が、うちのママとパパの実子ならありえないこともない的なことを言ってたけど、ママたちはこっちではどういう存在なの?」
「えーと、ある特定の人物さえ除けば、イシュタルちゃんの国にも引けを取らない武力を持った商業集団ってとこかな?」
「……なにそれ? えっと、ちなみになんだけど、イシュタルさんたちの国を除いて、ママたちと善戦できそうな国ってあるの?」
「いやぁ、ないねぇ。イシュタルちゃんたち以外の国なら、他全ての国家を敵に回しても圧勝する自信があるよ」
「とんでもねぇな、私の両親」
地球でもそれなりに知られ、相応の社会的地位を築いている両親であるが、まさか異世界でのほうが影響力が強いとは思ってもみなかった。
しかしそうなると確かに、イシュタルが両親たちと縁戚関係を結びたいと思う気持ちも理解できた。
ぶっちぎりで世界一位と二位の勢力が、親戚になりましょうと言っているようなものなのだから。
「良かったじゃん、竜児。絶対に無理じゃなさそうだよ?
なんかいちおう年上らしいし、お姉ちゃんも応援してあげよう。合法ロリ万歳♪」
「お、おう。けど合法ロリ言うな。…………あれ? でもさっきイシュタルさんが、難易度が高いって言ってたような?」
今の話を聞く限りでは、向うもこちらもwin-winとなる美味しい話に聞こえる。
それのどこが難易度が高いというのだろうと、先ほどのイシュタルの言葉を竜児は思い出す。
その思わず零れた竜児の言葉を、イシュタルがしっかりと耳に捕らえた。
「それはだな、リュージ。そもそも我が帝国の皇族は皆、真竜という始まりの竜種──言ってしまえば真祖であり、竜の中でも特別な存在なのだ。
それにそもそも婿など取る必要もないし、子を産むのに男が必要──ということもない。
並び立てる者がいないからこそ、結婚という概念すらそこには生まれない存在なのだ。
そんな真竜が婿を取るとなったとき、いくら強かろうとも竜ですらないただの人種である存在を、それも次期皇帝のユスティティアの婿になどと言えば、周りは誰も賛成してくれないだろう。
もちろん私がそれでいいと強権をふるえば、無理やりにでも周囲を納得させることはできるが、そうしたとき辛くなるのは私の娘やお前となってしまう。
さすがに我が子に、親友の子に、そんな思いはしてほしくはない」
「つまり、俺がただの人という種族であるのが問題……だと?」
「ハッキリと言ってしまえばそうだな。せめて竜でなければ誰であろうと認められない」
竜でなければ──。生まれ持った種族のせいで、そもそも土俵に立つことすら許されないと知り、竜児は目の前が真っ黒になったように感じた。
普段おちゃらけた雰囲気の息子のその姿に、竜郎もさすがに胸が痛む。
出会ったばかりの子を一目見て好きになった。それがどれほど本気の好きなのか測りかねていたのだが、かなり本気なのだとそこで理解したのだ。
だからこそ、竜郎は彼を応援してみることを決意した。
「なぁ、竜児。竜でなければならないのなら、竜になれるようになればいい」
「……はぁ? 今、そういう冗談は──」
「冗談でも何でもない。現に俺も愛衣も竜になれるぞ」
「「はい?」」
「──カルディナ!」
「──────────ピューーーイ!」
どこからともなく、地球の方の家でも見たことのある大きな鳥がリビングに入ってきたかと思えば、そのまま竜郎の中へと吸い込まれていく。
その光景に唖然としていると、竜郎の背中から竜の翼がにょきっと生えた。
もっと近くにいたジャンヌや奈々、コロネやアイアースの誰かでも竜種の状態になることもできたが、翼が生えたほうが見た目にも分かりやすかろうと、城の上でくつろいでいたカルディナに来てもらったのだ。
「はあっ!」
その竜郎を見て、今度は愛衣が気合の声をあげる。
すると愛衣の全身が白黒のモノトーンの鱗に覆われた──かと思えば、その鱗は形を変えていき、黒と白のドレスへと変化していき、背中から左は黒の、右は白の竜翼が生える。
またこめかみのあたりから牛の角のような立派の竜角が、やはり翼と同じように左右で黒と白に分かれたものが生えてきた。
鋭くとがった爪もよくみれば、交互の指で白黒にマニキュアでも塗ったかのようになっている。
「どうだ?」「どうよ?」
「「ええっ?」」
どうと言われても、今の2人には竜かどうか判断する感覚も力もない。
本当にこれならいいのかという意味を込めて、イシュタルへと2人の視線が集まった。
「ああ。この状態の2人ならば、真竜の私から見ても、間違いなく竜種だと言えるだろう。
このようにお前たちの両親は、人種でありながら竜種になることができる。
だから絶対に人種が竜種になることはできない──ということはないと、誰あろうお前たちの両親が証明してくれている」
「お、おおおぉ! そっか、異世界だから、そんなこともできるのかっ!!」
「はえぇー、じゃあ私も頑張れば、ママやパパみたいに翼が生やせるようになるのかなぁ」
「ただ言わせてもらうのなら、人種で竜に至った者はこの世界の創世以来この2人がはじめてだということだ」
「「えっ」」
ここまで来る前に聞いた話では、竜郎と愛衣はいろいろな状況が重なって、普通ではありえない強力なユニークスキルを与えられていたという。
となると、そんな2人だったからこそ竜になることができるようになったとも言えるのではないだろうか。
イシュタルの補足に、本当に竜になんてなれるのかと竜児が両親の方へと向き直る。
「まぁ、道のりは長いとは思う。だが俺も可愛い子供のためだ、できる限り骨は折らせてもらうさ」
「たつろーが手伝うなら、たぶんアレで竜に成れるようになるかもしれないし」
「「アレ?」」
「まあ、愛衣の言うアレができるようになるまでの前提条件として、《神格者》の称号は必須なんだ。
変な期待を持たせてもなんだし、もしかしたら竜児なりの竜への道が開けるかもしれない。
とりあえず何の当てもなく竜になるという目標を掲げるくらいなら、《神格者》の称号取得を目指すことを勧めたい」
「えっと、私も神格者って称号が手に入ったら、そのアレってやつはできるの? パパ」
「もちろんだ。望むのなら愛佳にだってやろう。
ただ愛佳の場合、必ずしも竜になる必要はないから、竜児とはまったく違った形になるかもしれないがな」
「へぇ、なんだか面白そう。私は真竜さんの花婿になる予定はないけど、できるならチャレンジしてみようかな。
それで《神格者》って称号はなにしたら取得できるの? レベル100とかになったら自動で取得できる感じ?」
竜児もそこが気になるようで、竜郎の言葉を聞き漏らさぬよう真剣な表情になる。
「いや、こればっかりはこうすれば取れる! っていう称号ではないんだ。
ぶっちゃけて言うのなら、どの神でもいいから注目を引けるかどうかが鍵になってくる」
「うーん?」
真剣に聞いてみたものの、なんだか条件がふんわりしすぎていまいちどういう行動をすればいいのかピンとこず竜児は首をひねる。
しかしそんな彼を見て、愛衣がバシッと人並みの手加減をしてその背を叩いた。
「うわっ」
「そんなに難しく考えなくていーよ。ようは、俺はこの世界にいるぜ! って感じで目立てばいいんだよ! ド派手に決めてこーぜ!!」
「なるほど! 目立てばいいのか!」
「え? 今ので納得したの?」
「──っし、そうと決まれば」
未だに戸惑う姉をスルーし、竜児は気合を入れるようにパンパンと両頬を自分で叩いてイシュタルの前、もっと言えばその足元にいるユスティティアの前までやってきた。
「はじめまして。俺、竜児、波佐見っていいます」
「うん、知ってる。タツロウたちから、たまに話を聞いていたもの。ね? パルテノス」
「うん。リュージは、お調子者だってタツロウが言ってたし」
(おぉおおいっ、父さぁあああああん!?)
竜郎の方へ勢いよく振り向けば、明後日の方角を向いて口笛を吹きしらばっくれていた。
「あー……まあ、お調子者かどうかはさておき。ユスティティアさん」
「なぁに? リュージ」
「俺、この世界で頑張るって決めたんで、よろしくおねがいしまっす!!」
「え? う、うん。よろしく?」
自分より圧倒的に弱い相手だというのに、なぜか異常に熱量のある気迫を感じ若干のけぞるユスティティア。
そんな彼女が抱いたリュージへの現在の感想は──『変なやつ』。
とてもいいとは言えない第一印象なのだが、竜児は気づきもしないし気にもしない。ただ愚直に前を見つめるだけである。
「よっしゃ! それじゃあ、こんなところで油を売ってる暇はねぇ!
父さん! すぐに俺たちのレベル上げを手伝ってくれ!」
「はいよ」
「姉ちゃんも、俺と一緒に目立ちまくろうな!」
「は、はぁ!? 私はあんたほど、がっつりやってこうとは思ってないんだけど!」
「楽しくなってきたぜぇ!」
「ちょっと! 私の声、聞こえてる!?」
波佐見竜児は、1人の真竜に恋をした。
その道中で姉からはじまり、さまざまな者たちを次々に巻き込んで、ただがむしゃらに止まることなく、好きな女性と一緒になることだけを夢見て世界中を駆け巡る。
その果てに何が待ち受けているのか、どんな結果が待ち受けているのか。
それは誰も知らない未来の物語──。
今回も、お読みいただきありがとうございました。
このお話は竜郎と愛衣の子供たちのことを描いた、エピローグから30年以上先の物語でしたが、起こりうる可能性が高い未来の一つ──くらいの気持ちで受け取っていただけると嬉しいです。
今回出てきた『楓』と『菖蒲』というキャラクターは、本作『レベルイーター』とつながりのある現在連載中の『食の革命児』の方で既に登場しているので、気になった方はそちらも読んでみてもいいかもしれません。
さて、思っていた以上に昨年からリアルのほうが慌ただしくなり、こちらにさける時間があまり取れないということもあって、なかなか更新できないことが多かったので、ひとまず短編の投稿の方も『完結』とさせていただきます。
まだマクダモット家やトラウゴットのその後、アーレンフリートの最後などの短編の構想もあるにはあるのですが……残念です(泣
そちらは本当に気が向いたときに少しずつ書き溜めて、いつか載せられたらなぁくらいの気持ちでやっていこうと思います。
完全新作の方も本当にもう出さないと、ただのやるやる詐欺状態になってしまっていますしね……。1日48時間欲しい……。
最後に、私自身はぼちぼち活動はしていますので、気が向いたらそちらの方も覗いてみてもらえると嬉しいです。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




