ある日の博士たち
テルゲニという町にある、商会ギルドが建てた大きな百貨店。
その一角にある植物を扱っているお店『ローロン』に、彼女──ヘレン・ホッパーは務めていた。
くすんだ金髪を後ろで結んだポニーテール。背は160センチほどで、美人とまでは言わないが、そこそこの顔立ち。歳は17歳。
あちこち動き回るのでズボンにシャツとラフな格好で、緑の葉っぱのマークが描かれ、お腹の部分に大きなポケットが付いたエプロンを着て、本日もいつものように仕事に勤しんでいる。
──というのに、今日は少し違うようだ。
「ホッパー君。ちょっと来たまえ」
「店長? どうされたんですか?」
「いいから来なさい」
「は、はい……」
いつも気難しい顔をしている店長が、いつになく眉間に皺を寄せてヘレンを呼びつけに来た。
いったいなんなんだろうとビクビクしながら後ろをついていき、スタッフルームとなっている一室にある簡素な椅子に座るよう言われた。
ヘレンがおどおどしつつも腰をかけると、目の前に座った店長があからさまなため息を吐く。
その口臭が鼻に届き、顔をしかめるのを我慢しながらヘレンは息を止め次の言葉を待った。
「君かね。カレッジ様の家の情報を、冒険者の少年と少女に話したというのは?」
「え……と、はい? なんのことですか?」
「しらばっくれるんじゃないよ、まったく。
そのとき、種が置いてある場所にいたのは君だと調べはついているんだぞ。
あー……コメ? とかいう植物について聞かれたことを覚えてないのかね?」
「植物の種? コメ……? 冒険者の少年少じょ…………あ、もしかして」
「やっぱり君じゃないか」
非難するよう声音で攻め立てられても、彼女にとっては何が何だか分からない。普通に自分の職務を全うしただけだ。
個人情報がどうのこうのというような世界ではないし、ヘレンが教えた程度の博士の情報など、この町の住民なら誰でも知っている。
彼女がその存在を口にしてしまっても、致し方がないことだろう。
毎日まじめに働いているのにと、理不尽に感じ少し苛立ちもするが相手は雇い主。これくらいで喧嘩していては、やっていけないと我慢する。
「困るんだよね、君ぃ。カレッジ様は、うちのお得意様だぞ? 月にどれだけ、うちから宅配を出しているのか知らんのかね?」
知らないわよ! というのがヘレンの正直な感想だが、それも喉の奥に押し込んで店長の嫌味な声音を聞いていく。
「さきほど話がしたいと手紙が届いた。きっとその冒険者の子供たちに、迷惑をかけられたに決まってる。き み の せ い で な!
私はいかんぞ。君が責任を取って謝罪に行きなさい」
「えっ!? そんな!!」
「そんなもこんなもあるものか。はやく侘びの品でも持って行って来なさい。
もし許してもらえないようなら、明日から来なくていいからな。クビだよクビ」
「──えっ。困ります!」
「困ってるのは私だよ、まったく。近ごろの若者ときたら、常識を知らないんだから。
はぁ~、君なんて雇うんじゃなかったよ。まったくもう」
散々言いたいことだけ言って、店長はさっさと植物博士として知られるヒースコート・カレッジの手紙を置いて出ていってしまった。
「そんなぁ……」
誰もいない部屋で一人項垂れるヘレン。後ろでまとめたポニーテールも、だらんと首を伝って垂れ下がる。
「行かないとダメだよね……。でもお詫びの品なんて分かんないし……お金なんてそんなにないしぃ……。
もー! しょうがない! 当たって砕けろよ!」
パンパンと威勢よく自身の両頬を手でたたき、頬が赤くなったままへレンは仕事用のエプロンを脱いで鞄を持ち、お店を飛び出した。
そのままの足でヒースコートの家に行こうとするが、ピタリと止まる。
「この恰好じゃ不味い……よね。あとあのクソジジ──店長がお詫びの品とか言ってたけど、何を持ってけばいいのかな?」
誰に言うでもなく呟きながら、高級なお菓子を売っているお店に向かうことにする。こういうときに百貨店内に務めていると楽だなと思う。
店員と相談しながらそこそこの値段がする、彼女が普段絶対に買わないであろう四角い缶に入った高級菓子セットを購入し、華美でない包装をしてもらう。
(これだけお金があれば、何食か豪華なものが食べられたのになぁ)
当然自腹である。あのケチが払ってくれるわけがない。
それから家に帰り、一番地味そうなグレーのワンピースに着替えると、すぐにまた出て紙袋に入れたお詫びの品を持って博士の家へと向かう。
どうせ嫌なことがあるのなら、とっとと終わらせたほうがいいと早足で。
その家はすぐに見つかる。玄関へと続く道だけアーチ状に切り抜かれているが、他はまるで樹海のようになって足の踏み場もないほど植物で溢れかえっている。
家の住人を訪ねたことなどないが、通り抜けに見かけたことは何度もあったので、あいかわらずねと驚くこともない。
「あのベルが付いてる植物って──それじゃあ、もしかして」
彼女は半ば確信を持って敷地内に足を踏み入れると、入り口付近の植物が突然震えだし、その枝の先に着いていた鈴が大きな音を立てはじめた。だがヘレンは驚かない。
「やっぱり。あれってシュイブーだもんね。こんな使い方できるんだぁ」
根っこに振動が加わると、その身を震わせる性質のある植物シュイブー。
それを利用して、根を唯一の通路に張り巡らせれば訪問者をいち早く伝える鐘にしていた。
他の場所を植物で覆っているのは、ここ以外から侵入できないようにしていたのかとヘレンは感心する。防犯対策は万全ということだ。
もともと植物が好きで今の仕事についた彼女は、他の植物もついつい気になって家の周りにキョロキョロと視線を向けていると、ガチャリと扉が開いた。
その音で現実に引き戻され、遊びに来たわけじゃなかったと気を引き締めた。
「誰だ? 君は」
中からでてきた少し痩せ型で黒縁眼鏡をかけ、黒がかった青色の髪をした成人男性──ヒースコート・カレッジをみて、「あら、意外と若いのね」と場違いなことを考えながらも何者か口にしていく。
「あ、あの。私はヘレン・ホッパーと申します。商会ギルド百貨店の、ローロンで働いております。
なにやら私がカレッジ様の名前を冒険者の男の子と女の子に教えたことで、話があるということで、伺わせて──」
「ローロンの……? ──ということは君か!」
ヒースコートの大声にビクッと体をすくめ、目を閉じる。
これからいったいどんな罵詈雑言を浴びせられるのだろうかと、恐る恐る目を開けるとその彼が間近まで迫ってきていた。
(まかの暴力コース!? 誰か衛兵さんを呼んでー!!)
声にならない叫びをあげていると、男性にしては繊細な手でヘレンの両手がギュッと包み込まれた。
なにごと!? と目を見開くと、そこには満面の笑みを浮かべるヒースコートの顔が映る。
怒られると思っていたところに無邪気な男性の笑顔を向けられ、思わずどきりと心臓が高鳴った。
「ありがとう! 君のおかげで、君があの二人に僕のことを教えてくれたおかげで、僕の研究を進めることができた!! 本当にありがとう!!
ささっ、ここではなんだ。是非、お茶でも飲んでいってくれ」
「えっ、ええっ!?」
一人暮らしの男性の家に、いきなり女性を連れ込むのは正直どうかと思うが、ヒースコートは喜びでそんなことには頭が回らない。
女性なんて今まで見向きもしなかった彼に、そうじゃなくても気を回せたかは疑問ではあるが。
目を白黒させているヘレンの手を引き、あれよあれよという間に家の中へ。
屋内もやはり植物だらけ。奥へと連れられていく間に見えた珍しい植物に目を奪われながら、ヘレンは四角い箱のような背もたれのない木の椅子に座らされた。
「いいハーブティがあるんだ。飲んでいってくれるか? ああ、それとも普通のお茶のほうがいいかな?」
「えっと、ハーブティがいいです。もしかして自家製ですか?」
「もちろんだとも」
彼女も自宅の小さなプランターでハーブを育てて、ハーブティを飲んでいるので興味を惹かれた。
一本足の木のテーブルにガラスのティーポットが置かれ、ヒースコート手ずからお茶を入れてくれる。
すこし柑橘系にも似た、いい香りが部屋の中に広がりはじめる。
「この香り、プリナーレですか? 育成は難しいって聞いていますが」
「まあ、確かに慣れは必要かもしれないな。だが5つの重要な点に気を付けていれば、そう難しいものでもない。
しかしこれは、ハーブティの中では珍しいんだがな。匂いだけで分かるのか」
「はい興味があって。私も、いくつか自分で育てているんですよ」
「そうなのか! いい趣味をしているな」
「ありがとうございます」
「もし興味があるなら、これの種と育て方を教えようか?」
「いいんですか! ぜひぜひっ!」
それからヘレンは何をしに来たのかも忘れて、ハーブの話にはじまり、入り口の
シュイブーや屋内で見た珍しい植物についても語り合う。
ヒースコートもお礼を言いたくて家の中まで招いたというのに、今まで上手くいかない研究漬けでそんな余裕もなかったというのもあり、解放感でたがが外れたように自分の好きな植物の話を延々とし続けた。
気が付くともうお昼だ。だが関係ない。二人で植物の話をしながら軽食を作って、食べながら会話を楽しむ。
そのようにして何時間も話していると、辺りが暗くなりはじめていたことにようやく気がついた。
「す、すまない。ついつい我を忘れて話しすぎてしまった。こんなに楽しい時間は久しぶりだ」
「私も楽しかったですから、気にしないでください! あ、これ──」
そこでようやく自分の足元に置かれた紙袋を思い出した。
なんだか別に怒っているわけじゃないみたいだし、渡すべきなのだろうかと膝に乗せて考えていると、向こうから話を振ってきた。
「それは?」
「えっと、実は──」
そこでヘレンは、今日ここに来るまでのいきさつをヒースコートに聞かせた。
そして謝罪を求めていたわけではなく、お礼を言いたいから誰なのか教えてくれという意味で手紙を送っただけだと知らされた。
なんだ勘違いか。とヘレンが胸をなでおろしていると、今までずっとにこやかだったヒースコートが申しわけなさそうな顔をしていることに気がついた。
「僕のせいで、君に迷惑をかけてしまったみたいだ。君は僕の恩人だというのに、本当に申し訳ないことをした。すまない」
「い、いえ! 気にしないでください! 元はと言えば勘違いしたクソジ──店長が悪いんですから!」
「それでも君には謝るべきだと思ったんだ。謝罪を受け入れてもらえないだろうか?」
「そりゃあもう、ばんばん受け入れますよ! ですから頭をあげてください!」
「ありがとう」
最初に見せた無邪気な笑顔ではなく、今度は大人の男性の笑顔。これにまたヘレンの胸の鼓動が大きくなる。心なしか顔も熱いような気がする。
「しかし、あの男が自分の部下に、そんな態度を取るやつだとは思わなかった。僕の前では、いつも丁寧だったのに」
「そりゃあ、お客様を粗雑になんて扱えませんよ」
「だとしてもだ。人としてどうかと思う。……ふむ」
そこで顎に手を当て難しい顔をするヒースコートに、ヘレンはどうしたんだろうとジッと見つめる。
なんだかその真面目な顔に見入ってしまっていると、ふと目が合った。
驚いて「うひっ」と変な声が出てしまい、ヒースコートはキョトンとした顔をした後、優しげな笑みを浮かべてくれた。
(ま、まただ……)
かっと顔が熱くなり、胸がドクドクとうるさくなる。いったいこれはなんなのだと、とぼけたことはさすがに思わない。
この男性に惹かれはじめているのだと、ヘレンはこのときハッキリと自覚した。
座り直し目を真っすぐ見てくるヒースコートに、ヘレンも顔を赤く染めながら見つめ返す。
「僕は近い将来リャダスの領都で、ある研究を任せられることになっているんだ」
「──えっ」
先ほどまで感じていた胸の温かさが、さっと冷たくなるのを感じた。もう彼とは会えなくなるのだろうかと。
しかし次の言葉で、また一気に心が沸騰する。
「だから君も、一緒に来ないか?」
「…………え。ええええぇぇぇぇえええええっ!? それって、ぷぷぷプロポーズですか!?」
「ぷらぽーず……? ──っ!?」
そこで自分がなにを言ったのか、どう思われたのか、さすがにヒースコートも気がつき赤面する。
「い、いや。そんな男のもとで働くくらいなら、僕のところで一緒に働いてくれないかなと思ってだな。
そそそそ、それに君の植物に関する知識は深いとは言えないが、とても広い。
きっとその能力が僕の職場でも生かせると思って、──その……あの……だな。えっと──」
さっきまでずっと大人だと感じていた男性が、まるで年頃の少年のように初心な反応を見せたことで、思わず口元が緩んでしまう。
「ふふっ」
「なぜ笑うんだ!」
「いいえ、なんだかおかしくて」
「なにが!?」
「なんでしょう?」
「質問に質問で返さないでくれ!」
「あははっ!」
おかしそうに笑うヘレンに、ヒースコートは憮然とした表情をとるが、なんだか自分自身もおかしくなって吹き出してしまう。
「──────っふ」
「ははははっ!」「あはははっ!」
そして二人は何がツボにはいったのか、それからしばらく笑いあうのであった。
女っ気のない博士、笑った所など見たこともない博士の家から、馬鹿みたいな男女の笑い声が響き渡り、ご近所さんや通行人に、それはそれは驚かれたのは言うまでもない。
ヘレン・ホッパーは翌日、退職の旨を店長に伝え仕事を辞めた。
数日の身辺調査を経て彼女が研究に携わってもいいと判断されると、晴れて博士の助手となった。
その後。ヒースコート・カレッジとともにリャダスへと赴き、彼を公私共に支えることとなる。
二人はその間により一層、仲を深め結婚に至る。幸せな家庭を築き、5人の子供に囲まれ、幸せな生涯を送るのであった──。
前話のあとがきにて『短い話になる予定』と書きましたが、あれは嘘でした。普通に1話分の文量になっています。なんでだろう……。
そして博士の話と言いながら、これではヘレンさんの話ですね(汗
今回の裏設定としましては、竜郎たちが話しかけた女性店員が、実は博士の未来のお嫁さんでしたというものです。
いつか竜郎たちと再会したときには、お礼を言ってもらいましょうかね(笑
そんな店員さんいた? というかたは『第142話 博士』を見返して頂けると、そこでほんの少しだけ登場しています。
お次は元世界最高ランクの冒険者たちの話を予定しております。
現状、大雑把な話の流れは既にできているので、あとは細かく詰めて書いていけば──といった段階ですね。
例によって投稿日は未定ですが、のんびりお待ちいただけると嬉しいです。




