第526話 リャダス防衛戦
竜郎たちがリャダスに向かうより少し前に遡る。
リャダスの町長であるマリッカ・シュルヤニエミは、今日も役所の町長室で書類仕事に励んでいた。
「え~っと、これは……よし。んでこっちは~」
元来聡明だった彼女は書類の山をドンドンと崩していき、仕事は順調だ。
この調子なら今日もヨルンとエンニオに構ってあげられるわね~なんて思っていた矢先に、ノックもしないで一人の男が乱暴に扉を開けて入ってきた。
なんだとそちらに目をやると見知った秘書の男性──ロンだったので、咄嗟に手に握った木の種を《アイテムボックス》にしまいなおす。
普段冷静沈着で頼りがいのあるはずのロンが、今は余裕も無く取り乱して真っ青な顔をしている。
これはただ事ではないと察したマリッカは姿勢を正し、こちらは慌てないようにと気を引き締めて問いかけた。
「ロンさん。突然どうしたんですか?」
「まっ魔物が──こちらに向かってきているんです!」
「それはどの方角から、どんな魔物で何体ほどですか?
この領都の騎士団でも敵わない程の存在ですか?」
「い、1体1体なら対処は可能でしょうが、量が尋常でないんです!
領主様と騎士団には既に連絡がいっているはずです。町長も住民の避難誘導を──」
「いいえ。それは、あなたたちだけでやってください」
「……は? では貴女は何をすると──まさか、お一人で逃げる気ですかっ!?」
「そんなわけないでしょ!」
お前は私をそんな奴だと思っていたのかと、マリッカはロンを睨み付けた。
普段温厚な彼女からは感じた事のない強い怒りの視線に、ロンは現状も忘れて背筋を震わせた。
「し、失礼いたしました……。ではいったい何をなさると言うのですか?」
「私も前線に出て戦います。だから戦えないあなた方文官は住民の避難を──」
「危険です! 貴女はこの町に無くてはならないのですから、そういう事は騎士団の方々に──」
「自分の身くらい自分で守れます。それに私には心強い相棒もいます」
「ですが……」
空を飛べる亜竜ヨルン。紅霧の血虎エンニオ。この2体は見るからに強そうである。
確かに上記の2体を連れて行けば戦力にもなるだろうが、いかんせんロンにはマリッカ自身がひ弱に見えてしょうがなかった。
なにせ戦っている所など見たこともないし、見た目も150センチほどと少女の様に小さく愛らしい。
町長として優秀なのは既に嫌と言うほど理解しているが、戦士としてみたら碌に戦った事すらないロンでも勝てそうに思えてしまう。
だが実際には彼女単体でもレベル50オーバーのリャダス領の騎士団長や副団長とも余裕で渡り合えるし、そこに従魔も加われば王国騎士団長にすら勝てるだろう。
ドラゴンの次に優秀な種族は天魔種だという者も多いが、妖精だってそれに比肩するほど優れた種なのだ。
ましてマリッカは妖精種の暮らす妖精郷でも屈指の名門シュルヤニエミ一族。
彼女の実力を真に理解している者がここにいたのなら、そんな戦力をここで使わないなど間抜けだと言うだろう。
しかし妖精種という存在は普通の国家ではお目にかかる事が少ない上に、見た目の愛らしさもあって戦闘能力の高さは一般人には有名ではなかった。
現に彼女の実力を知っているのは、領主の一族や騎士団の上層部くらいだろう。
なので彼女もここで言い合っていてもしかたがないと、3階の部屋の窓を開け放ち飛び出した。
「町長!」
「文句は後で聞きます。あなたは自分の仕事を優先してください。──ではっ」
そう言ってマリッカは我が家の庭まで急いで飛んで行き、ヨルンとエンニオと合流。
すると高い城壁を超えて空を飛べる魔物が入りこんでくるのが見えた。
「ヨルン! エンニオ! 蹴散らすよっ!!」
「シャーーー!」「グガァアアッ」
ヨルンは空から入ってくる魔物を優先的に倒していき、エンニオは地上に降りてきた魔物から人々を守るべく奔走。
マリッカ自身は空へ地上へと自由に動き回り魔物を駆逐し始めたのだった。
マリッカ達が奮戦している中で、竜郎たちはようやく転移によって町の上空にまでやって来た。
普通なら空に注目が集まっている今、騒がれそうなものだが認識阻害の魔道具が効果をもたらしているので誰も気がつかない。
どんな酷いありさまになっているのかと眼下を見下ろすと、外壁はキッチリと仕事をして羽を持たない魔物からの脅威に耐えていた。
空から侵入してくる魔物も数は多いが地上の魔物よりは少ない上に、それほど町中に被害が見られない。
「マリッカさんとエンニオ達が戦ってくれていたのかっ。
俺達も行動開始だ。愛衣達はまず空からの魔物の駆除に!
生魔法が使える俺、奈々、月読は怪我人の手当をしながら地上に降りてきた魔物を倒す!」
「うん!」
現在マリッカとヨルン、そして騎士団の魔法使い達だけしか対処できていない空からの魔物を愛衣達が一掃していく。
竜郎は探査を飛ばして怪我人、逃げ遅れている者などいないか調べながら、魔物を誰にも見られることなく排除していく。
そのおかげで魔物によって負わされていたはずの怪我が、いつの間にか無くなっていた。
さっきまでいたはずの魔物が消滅した──などなど余人からすると奇怪な現象があちこちで発生する事になる。
空からの侵入者は壁を乗り越える前に愛衣達に駆逐され、侵入された魔物達もあらかた排除が完了。
あとは壁の外で暴れている魔物だけだ。
竜郎達は合流してそちらを叩きに行こう──としたところで、いつの間にか外に出ていたマリッカ、ヨルン、エンニオ達が掃討戦に臨んでいた。
マリッカ達が町門の前の敵を一掃してくれたことで、騎士団も一気に外へ出て参戦していく。
現状は非常に優勢だ。けれど数も多い上に人間側は疲労がどんどん蓄積されていき、いずれ数の暴力に屈する事だろう。
「俺達もばれない様に参戦するぞ」
どさくさに紛れて竜郎たちも認識阻害がかかったまま参戦していき、魔物の躯を積み上げていく。
怪我をした者がいれば直ぐに癒しに飛んで行く。
明らかに魔物の掃討速度がおかしい事に誰もが気付く。
先ほど腕を噛み千切られたはずなのに生えている。
などなど竜郎たちの存在を認識できない者たちからしたら怪現象としか言いようのない事態が相次ぐが、こちらにとっては好都合なので今は無視して目の前の魔物へ注意を払っていく騎士団。
これにより最終的な怪我人はゼロ、無限にいるとも思えた魔物達は思っていた以上にあっさりと片付けられた。
一体なんだったんだろうと狐に抓まれたような心持で、今回の魔物の集団暴走事件は一応の終息をみせた。
マリッカも何かおかしいと思いながらも、被害が少なかったのだから良しとするかとヨルンやエンニオを連れて帰ろうとしたところで、突如誰かに手の中に何かを握らされた。
「──え?」
手をみると、それは1通の手紙だった。
深夜。混乱極まる町中で英雄だとヨルン達も含めてもてはやされ、へとへとになった状態でマリッカは自分の家の門の前にたどり着いた。
「タツロウ君。アイちゃん。いるんでしょ?」
「はい」「うん」
そこで認識阻害の魔道具を切った竜郎と愛衣が現れた。
誰もいないと思っている時には解らなかったが──もしくは違和感ぐらいは感じていたのかもしれないが、そこにいるだろうと当たりが付いていれば誰かがいるくらいは解る程度にマリッカは優秀だった。
「それで、説明してくれるんでしょ? 中に入って」
二人はマリッカに促されるままに家の中に入っていった。
その際にエンニオが二人と遊びたそうにしてきたが、また後でねと言って別れた。
相変わらず大きな木──を模した家。
マリッカの叔母イェレナの本物の木の家を見てからだと、どこか温もりを感じない様な気がした。
階段を上っていき客間に通された二人は、マリッカとテーブルを挟んで対面に座り、話せる範囲で今回のあらましを伝えて行った。
「というわけで、少なからず僕らにも今回の騒動に関わりがあったんです」
「なるほどねぇ。でも、もしタツロウ君たちが対処しなければ魔王種、もしくはそれに匹敵する化物が産まれていたかもしれないんでしょ?
さすがに魔王種なんてこられたら私も逃げるしかないし、あの程度の魔物の大群で済んだと思えばいいんじゃないかしら」
迅速な避難とマリッカ達による守護もあって死者は0人。
怪我をした者も竜郎たちがコソコソと片っ端から治していったので、現在は0人。
強いて被害を述べるとしたら、町中を暴れた魔物による建物や道路、戦った者達の装備品、町人の所有物などの物的被害だけだった。
だからいいだろと言うつもりもないが、もしこれが魔王種だったらこんな物では済まなかったと言う事実もある。
それを考えると、むしろ礼の一つも言いたいところ。
まあ、何か危険な事をするのなら、知らない仲でもないのだから事前に連絡くらいしてほしかったというのが、マリッカの心情なのだが。
「それでも被害にあった人もいると思うので、とりあえず物的被害に遭われた人たちや損傷した壁や建造物の修繕費として受け取ってください」
そう言いながら竜郎は億単位の金額が詰まったコインをテーブルの上に置いて、マリッカの方へと差し出した。
「子供がそんなこと気にしなくても……──あれ? そういえば、あなた達あれから10年以上経ってるのに全然変わらないわね。じゃあ、大人? でも子供? んん?」
どうしても妖精種の基準が根底にあるので、たかだか数十年で姿が変わらない事に疑問すら感じていなかったが、よく考えてみればこの2人は妖精でもなければエルフでもない。
どういうこっちゃと思いながらコインを受け取り、気もそぞろなまま金額を確かめる。
すると、とんでもない額が入っていた事に驚き椅子から落ちそうになった。
「おっ、多すぎるわよ!」
「気にしないでください。最近始めた事業が大当たりしてドンドン資産が増えていってるくらいなので、足が出たなら町のためにでも使って下さい」
「この数十年の間に何をしていたのよ……」
観察してみれば明らかに以前とは比べ物にならないくらい、威圧感が増している2人をみれば、このくらいの金額は大したことは無いのかもしれない。
そう思いながら、呆れた顔で彼女は押し切られるような形で受け取ることになった。
「はぁ~解ったわ。これは魔物襲来に心を痛めた善意のお金持ちさんが寄付してくれたことにして、町のために使わせてもらうわ。
ほんとにそれでいいのね?」
「ええ、そうしてください。これくらいはしないと僕らも心苦しいので」
それから軽くいくつか世間話をすると、マリッカも連れてエンニオに会いに行く。
「グァア~」
「お~よしよし~」
家の玄関を出るなり直ぐにエンニオの巨体が進行方向を塞いでいた。
どうやらいつ竜郎達が出てくるのかと、ずっとそこで待っていたようだ。
甘えるように鳴きながら、エンニオは手を伸ばした愛衣の方へと摺り寄っていった。
それからレベル1ではないダンジョンボスの竜肉を上げると凄く嬉しそうにじゃれついてくれ、しばらく2人はエンニオと戯れた。
時刻は深夜の中でもさらに深い頃合いになって来た。
マリッカもだが、エンニオも今日は疲れたのか、そろそろおねむの様子。
「それじゃあ、そろそろお暇しよーか。たつろー」
「そうだな。マリッカさん。そろそろ僕らは帰ろうと思います。
夜分遅くまで付きあわせしまってすいませんでした」
「いいのよ。エンニオも久しぶりに2人に会えて嬉しかったみたいだしね」
「ゴォ~~~ゴォ~~~」
全力で甘えていた為、力尽きていびきをかいて寝てしまったエンニオ。
その姿に3人ともに顔を見合わせ笑ってしまった。
「またいつでも来てね」
「そう──ですね。おそらく23年後くらいには、またお邪魔しに来ると思います」
「え? なにそれ、どういうこと?」
「ふふっ、今はな~いしょ!」
現在いる時代から23年後。妖精樹の件が落ち着いたら、竜郎達の領地内で暮らしているマリッカの叔母イェレナ、そして母マルファを連れて会いに行こうなどと話していたのはつい最近の話。
けれどそれを知らないマリッカは、最後まで不思議そうな顔をしながら2人を見送った。
妖精魔王を倒した辺りに愛衣と共に転移すると、そこにはカルディナ達が待っていた。
そちらに歩いて合流すると、竜郎はとある資料を《無限アイテムフィールド》から出して口を開いた。
「それにしても、この資料にあったこの項目も俺達が関わっていたのか」
その資料とは、ダンジョンによって生まれた36年間の空白の期間に起きた出来事が書かれた資料。
以前、レベルが上がったダンジョンの情報と交換で得たものの一つだ。
そしてその『関わったとされる人物たちの現在』について書かれた資料集の中で、マリッカ達について書かれていた項目があった。
曰く──。
ヘルダムド国歴1006年にリャダスの近郊で起こった魔物の大量発生。
それをマリッカ主導の元、ヨルンとエンニオが大活躍して魔物を次々に討伐。
町を縦横無尽に駆け抜けて町人を助けていったその姿から、遠巻きに恐れられていたヨルンとエンニオは忽ち町の英雄となった。
と、ある。
そして今来ている時代こそヘルダムド国歴1006年。
今回、竜郎達が引き金を引いたこの事件の事で間違いはないだろう。
「なんだかわたくし達のやっている事が、あちこちに波及している気がしますの」
「やっぱり、過去や未来に干渉する事で私たちの身近な人や関わった人にも少なからず影響が及ぶのかもしれないわ」
「でも最低でもあと数回は行かなきゃいけませんし、結局は流れに身を任せるほかないんですけどね」
何が何処でどう繋がっているかなど、所詮人間の枠に捕らわれている竜郎たちが考えた所でしょうがない。
結局はそう結論付けて、竜郎の転移で現代へと帰っていくのであった。




