第448話 足止め作戦開始
愛衣との交流をきっかけに、やや壁のあった距離感もすっかりと薄くなり、竜郎達はイシュタルとさらに仲良くなった。
そのため、公の場でないのならタメ口で話し合うまでの関係に至っていた。
そんなこんな有りながら、魔物船長門に暫く揺られて進む事数時間。
目的地が近づくと同時に、竜郎やカルディナの探査魔法にとんでもない存在の反応が引っ掛かった。
「な、なんだこの力は……」
「どったの、たつろー?」
「ピュィィ……」
エーゲリアを除けば、最強の竜はその眷属、黒竜人セリュウスか紅竜アンタレスだと思っていた。
だがそれよりもさらに強い力も持った巨大な蛇のように細長い竜が、大陸の東端部を覆うようにして海底に鎮座していた。
さすがにエーゲリアと比べれば弱いと断言できるのだが、それでも竜郎達が手出ししていいような竜ではない事だけは確かだ。
そのあまりの迫力に、詳しく調べる事すらできなかった。
そんな竜郎達の様子をいち早く察したエーゲリアが、こちらにそれが何者かを説明してくれた。
「その竜はアルムフェイル。お母様が直接生み出した眷属で、生き残っている二体のうちの一体よ」
「ああ、そういうことですか」
「吃驚するほど強そうだろ? 私も母上を知らなければ、初めて会った時に卒倒していたかもしれない」
「まあ、私よりも長く生きている方だからねぇ。現存する真竜を除いた竜の中では別格でしょうね」
どうやらこの存在が、今現在イフィゲニアの眠る禁足地を守っているらしい。
鉄壁どころの騒ぎではない。まさに最強の守り手だろう。
「それじゃあ、そのまま進んでいって、アルムフェイルの近くまで来たらスピードを緩めていってくれ」
「解った」
まだ公の場ではないので気安い口調で竜郎が返すと、少し嬉しそうにイシュタルは笑っていた。
そのまま穏やかな航海を続けていき、イシュタルに言われたようにアルムフェイルなる竜の近くまでやってきて、動き始めたのを確認したので、竜郎は急いで海上に停止させた。
そうしてしばらく待っていると海が盛り上がっていき、その大きな大きな体の一部が出てきた。
海の中にいたので、竜郎はレーレイファと同じ海竜だと思っていた。
だがそこに現れたのは、竜と言うより海藻のような緑色をした東洋の龍。
その頭部だけでも、竜郎達の乗っている40メートルサイズの魔物船より二回り小さい程度。
そんな巨大な頭と首の一部を海から出して、視力は既に失われているのか、白内障のように白く濁った目をこちらに向けて話しかけてきた。
「お久しぶりですな、エーゲリア様。イシュタル様。
あなた方がここにいらしたという事は、今日、決行なさるのですね」
「ああ、そうだ。だからこの船を通してほしい」
「船……ですか? なにやら珍しいものに乗っているようですな」
「解るか?」
「ええ、ええ。解りますとも。老いて目は見えなくなりましたが、それくらいは造作もない事です。では、お通り下さい」
「感謝するぞ、アルムフェイルよ」
「こちらこそ、感謝いたします。イシュタル様。
我が主、セテプエンイフィゲニア様がアンデッドになる所など見たくはありませんでしたから。
どうか、よろしくお願いいたします」
「任せておけ」
イシュタルは少女の姿のままであったが、まさに竜種の皇帝に相応しい威厳に満ちた表情で笑い、アルムフェイルに別れを告げた。
再びアルムフェイルが海の中に戻っていくのを横目に見ながら、停止していた長門も動き始める。
この辺りには港などは無い為、近くの浜辺に横付けする形で到着を果たした。
皆が下りたの確認した後、竜郎は長門を《強化改造牧場》にしまって振り返る。
するとそこには、イシュタルもエーゲリアも、他の竜種達も元の姿に戻った状態で待ち構えていた。
「では行こう。ばあ様のいる場所にもアルムフェイルと同じような存在がいるが、危険はないから驚く必要は無いからな」
さっきと同じように竜郎やカルディナが驚かないように忠告してくれたイシュタルに礼を言いながら、目的地まで各々の方法で飛んで行く。
するとイシュタルが言った通り、アルムフェイルと同じくらい異常な力を持った存在がいるのが確認できた。
イフィゲニアが眠る場所は、最東端の小高い丘の上に立つ巨大な霊廟の中らしい。魔方陣も当然その中だ。
そしてその異常な存在は、全長は6メートル程と竜種では小柄だが、綺麗な白色の鱗を持った竜であり、霊廟の入り口の前で静かに寝そべっていた。
「いらっしゃいましたね、エーゲリア様、イシュタル様」
老婆のような、しわがれた声。蓄えた力は莫大なれど、老い過ぎたその体はもうろくに動かす事も出来ない様だ。
それでも首だけ動かしてこちらを見てきた。
「なんとかニーリナが死ぬ前に来ることが出来たな」
「本当にようございました。このままでは死んでも死にきれなかったものですから」
真竜の眷属の中でも、側近として生み出された特別な竜は、その主が生きている限り寿命という概念はない。
だがイフィゲニアの側近として生きてきた竜達は、その死を迎えたことにより老いが発生した。
その為、既に生きている眷属は、先のアルムフェイルとニーリナの二体のみとなっている。
さらに目の前の竜は、イフィゲニアの側近として最も長く生きた最古の眷属。
この世界に現存する竜種の中で、最高齢と言ってもいいだろう。
そんな彼女の寿命はもう既に尽きていてもおかしくないほどであったのに、イフィゲニアがアンデッド化するかもしれないと知り、それが解決するまではと精神力だけで生き延びてきたのだ。
「では今から魔法式の修正を行う。ニーリナもついてくるか?」
「そうですね。魔法くらいならまだ使えますので、何かあった時の保険くらいにはなりましょう」
そういうと翼を動かす事も無く宙に浮き、ニーリナが霊廟に厳重に掛けられていた十個の魔法錠を全て開錠した。
すると自動的に押し開いていき、真っ暗だった中に青白い光がみちていき、室内を煌々と照らし始めた。
そこはいたってシンプルな作りであり、巨大な開けた一室があるのみ。
光源になっている青白く光り輝く柱が周囲を囲み、床には血で書かれたような赤黒い魔方陣に、青い色の小さな幾何学模様がびっしりと書き込まれていた。
今回イシュタルたちがやるのは、この無数に書き込まれた幾何学模様にしか見えない魔法式を修正することになる。
しかも一か所を直せばいいと言うわけではなく、修正した個所に対応するように、他の場所も少しずつ書き換えていく事になるので、いくらその道のプロフェッショナルを呼んできたと言っても、かなりの重労働になりそうであった。
竜郎達など自分がやるわけでもないのに、その量を見ただけで眩暈がしそうなほどである。
そしてその中央には、完全にミイラと化した12メートルほどの大きさの遺体が、体を丸くしてうずくまっていた。
干からびてもなおプラチナの鱗は美しく、神々しさすら湛えていた。
光る柱、魔方陣、幾何学模様、そして美しいプラチナ色の竜のミイラという、どこか儀式めいた組み合わせに、竜郎は即身仏の様だなとふと思った。
「それじゃあ皆の者。準備に取り掛かってくれ」
竜郎達も含めた、その光景を見たことが無い者達が呆けていたが、イシュタルの号令にて全員がすぐさま正気に戻り、打ち合わせした通りに動きはじめた。
まずはエーゲリアがイフィゲニアの遺体とコアとしての役割を入れ替えて、魔方陣の維持に努める必要がある。
切り離しと接続はエーゲリアが自分でやってくれるので、ここでは竜郎達の出番はない。
だが切り離したと同時に、竜郎は転移魔法で霊廟から少し離れた場所に転移させる必要があるので、いつでも出来る様に準備はしておかなくてはいけない。
「大丈夫なんだよね? たつろー」
「ああ、エーゲリアさんの話だと、切り離してから半アンデッド状態で動き出すまでには数秒のラグがある。
その間なら、ただの物を転移させるのと変わらないくらい簡単に移動させられるらしいからな」
転移魔法を他人に行使するときに、相手が受け入れてくれるのと、そうでないのとでは難易度がグッと変わってくる。
なのでまだなんの意志も持たない置物の間に、済ませてしまうのが一番確実なのだ。
竜郎が魔力を練っている間にも、全員がそれぞれの担当の修正個所に陣取った。
竜郎達が引き付けている間に、一秒でも早く終わらせてみせるという気概に満ち溢れていた。
それに頼もしさを感じていると、エーゲリアの準備も整ったようだ。
「それじゃあ、皆、準備はいいかしら?」
「ああ、問題ない」
「大丈夫ですよぉ~」
イシュタルと妖精女王プリヘーリヤが、各々に所属する研究者たちを代表して声を上げる。
そして竜郎達も準備は万端だ。
「こちらも、いつでも行けます!」
「解ったわ。では────ふっ」
エーゲリアの体からキラキラとした青い光が噴出したかと思えば、イフィゲニアの遺体に巻き付いていく。
そして向こうからも赤色の光が漏れ出し始め、やがてそれらは混じりあっていく。
まだらだったのが次第に青と赤の光の方向が逆転していき、エーゲリアの方に赤い光が、イフィゲニアの方に青い光が流れていく。
「魔法式転写完了。切り離しまで3秒前、2、1──はい!
今よ! タツロウ君!」
「了解です!」
その合図を聞いた瞬間、竜郎は既に完成していた転移魔法を発動させた。
転移する人員は、竜郎たちのメンバーとイフィゲニアの遺体のみ。
そうして転移した場所は、霊廟から少し離れた開けた草原地帯。
ここなら地形を滅茶苦茶にしてもかまわないと言われているので、思い切りやれるはずだ。
ここまで1秒にも満ちていない。まだイフィゲニアは沈黙を保っている。
「全員作戦通りに!」
竜郎が号令を出す少し前には、解っているとばかりにそれぞれ最高の状態で行動を開始していた。
竜郎も既にすべき事を開始していたので、皆に遅れることなく準備は進んでいく。
まずは初歩的な足止め策として、地形を弄っておく。
カルディナがアテナと共に水と土魔法で草原地帯を泥沼に変えて、イフィゲニアの遺体を沈めていく。
そしてイフィゲニアの遺体が沈んだ真上に、レーラが絶妙な厚さの氷の巨大水槽を作り上げ、その中に奈々と麒麟型の機体に乗ったリアが、上空から白いドロドロとした液体をそこへとドバドバ注いでいく。
愛衣は竜郎と一緒に霊廟のある方角──正面へ立ち、ジャンヌはその真逆に位置する後方へと回って待機。
そして竜郎はいつでも魔法が発動できる状態で停止させ、タイミングを計っていく。
「ピィィイイイーーーー!」
「動き始めたぞ!」
カルディナが土と解魔法による土中探査で、イフィゲニアの遺体が動き出す挙動を確認。
今は体の末端部分、指先や足先がピクリと動いただけではあるが、既に竜郎達は最警戒モードに移っていた。
カルディナとアテナお手製の泥沼が激しく波打ち始める。
「いよいよだ。全員、落ち着いていこう!」
「うん!」「ピュィーー!」「ヒヒーーン」「解ってますの!」「はい!」「了解っす~」「「────!」」「ええ!」
作戦を考える時間はたっぷりとあった。それに準備する時間も。
ならば冷静さを欠かなければ、元最強の真竜の半アンデッドであろうと対処できるはず。
その思いをそれぞれが強く心に留めておき、いつでも誰かのフォローに回れるように視野も広く取っておく。
そうして今なお泥沼からもがきながら這い出そうとする、真竜の遺体へと視線を向けていくのであった。




