第446話 今回のミッション
と、ここまでの話は理解できた。
初代真竜のセテプエンイフィゲニアは、その身を犠牲にして天魔たちの尊厳を守り、他種族同士の手が離れそうになるのも防ぎ、今後一切の致死率の高い疫病が流行らない様にまでした。
だが、それと今回竜郎達この時代にやって来た理由がまだつながらない。
その事を伝えると、エーゲリアとイシュタルもここからが本題だと言って、今回の竜郎達がしなければならないことについて語り始めた。
イフィゲニアは長寿の真竜という破格の存在をエネルギー源に、奇跡とも呼べる魔法を行使した。
そして自身を核として巨大な魔方陣を描き、永続的に世界に働きかけて魔法の効果を保ち続けると言う荒業までやって見せた。
そのおかげで今日に至るまで、天魔病は発症せず、またそれと同程度の規模と危険度を持った疫病も発生もしていない。
まさにイフィゲニアが命を張ってまで臨んだ結末だった。
だが今から約30年ほど前に、その魔法陣に描かれている魔法式に致命的な記述ミスがある事を妖精郷の研究者たちが発見した。
そのミスは当時の──イフィゲニアが魔法を行使した時代の魔法学では常識とされていたものだったのだが、近代魔法学によってその常識がくつがえされたからだ。
なので昔の常識ではミスではなかったので、厳密にはミスとは言い難いのだが。
「そのミスがあると、具体的にどんな事が起きるんですか?」
何やらきな臭くなって来たぞと、竜郎はエーゲリアとイシュタルにそう問いかける。
「このまま放置して行けば、お母様の死体がアンデッド化して暴れまわる事になるわ」
「真竜のアンデッドって……それ大丈夫なんすか?」
「全然大丈夫ではないな。色々こちらでもどの程度のアンデッドになるかを調査してみたのだが、史上最強の魔物となることは間違いない。
おそらく純粋な力だけなら母上と同等……とまではいかないだろうが、それに近いほどだろう」
「うわー……絶対戦いたくないよ~」
愛衣のその言葉に、竜郎達一行どころか、イシュタルやその眷属たちですら頷いていた。
純粋な力だけなら~とはいうが、エーゲリアの名前が引き合いに出ている時点で戦っていい相手ではない。
戦うくらいなら、いかに逃亡するか考えた方がまだ建設的だ。
だがそこまで場の雰囲気が悲観的ではないのは、こちらの陣営にはエーゲリアがいるからだ。
彼女が前に出て、イシュタルや竜郎達が後方からサポートすれば勝てない相手ではない。
──と、思っていたのだが、どうもそうはいかないらしい。
「そうなった場合、私や母上も死体とはいえ、ばあ様には本能的に手が出せない。
それは、ばあ様の眷属たちやその眷属たちから生まれた系譜の者達も同様にだ。
だからもしそうなってしまったのなら、竜種の助力はほぼ得られないと思ってほしい」
「そうなったら世界の破滅と同義な気がしてきましたの」
「だろうな。いくらクリアエルフとはいえ、全員集まる事が出来ても勝つのは難しいだろう。
私や母上、そしてその眷属たちなら絶対に攻撃できないと言うわけではないが、それでも全力とは程遠い力しか出せないだろう」
ここまで聞いた限りでは、かなり不味い状態であるようだ。
だがエーゲリアもイシュタルもそこまで焦った様子は見られない。
ということは、そうしないでいい方法は既に見つけてあるのだろうと竜郎は察した。
「それを話してくるという事は、もしかして僕らの今回の目的は、イフィゲニアさんの遺体がアンデッド化しないように何かする──と言うことと関係があるんですか?」
「概ねそうだな。よし、そこのところをもう少し細かく説明しよう。
現在、ばあ様がいる場所は──」
イシュタルの話によれば、今イフィゲニアの遺体がある場所は、イフィゲニア帝国の東、イルルヤンカ大陸の最東端にある。
そこで禁足地として厳重に守られているのだという。
そしてその場所で魔法陣の核として、世界力を吸収しながらある程度志向性を持った生体部品として機能し、魔力頭脳のように自己調整しながらアンデッド化することなく永続的に起動し続けるという仕組みになっていた──はずだった。
太古の魔法学の常識では永続的に保たれるようになっていたのだが、最新の研究により、それは永続的ではなく時間と共に効果が薄れていってしまうと判明。
さらにそのミスと正常な部分が組み合わさり、世界力の吸収という箇所は正常であるにもかかわらず、消費という箇所にエラーが徐々に発生し始め出していた。
その為、消費しきれなかった世界力が淀みアンデッド化を加速させ、さらに強力な世界力溜まりへとその場を変化させている最中なのだそう。
「そこでだ。我々は正しい魔法式を作り上げることに成功した。
あとは魔方陣の中に書かれた間違った式の部分だけを、その正しい記述に書き換えれば正常に動作し始め、ばあ様のアンデッド化も止まり、時間経過とともにただのコアへと戻っていく」
「それじゃあ僕らは、そこに溜まったままの世界力を消費してしまえばいいと?」
「式さえ正常なものに書き直せば、数百年で戻るから放っておいてもそこまで影響はないと言えば無いが、そういうのは無いにこしたことは無いからな。
やれるのなら頼みたい」
「じゃあ、あたしらはその魔法式ってやつの修正作業が終わるまで、のんびり待っていればいいんすか?」
「いいや。そんな呑気な事にはならないな」
でしょうね。といった雰囲気で竜郎達は苦笑した。
ひょいと行ってぱぱっと修正できるものならば、式が出来あがり次第とっとと実行していただろう。
けれど未だにそれを行っていないのだから、何か軽々にそうできない理由があるのは間違いない。
「じつはな。その修正作業を行うには、一度ばあ様を魔方陣から切り離す必要があるのだ」
「それは……切り離しても大丈夫なものなんですか?」
自分でも魔方陣を描くリアの考えでは、それだけしっかりと魔方陣に組み込まれたコアであるイフィゲニアを切り離した場合、魔方陣そのものが崩壊──もしくは周囲の世界力を使って暴走してもおかしくはない。
そんな考えから、リアはどこか不安そうな顔でイシュタルを見つめた。
「大丈夫だ。一時的にそのコアをばあ様から母上に移す。
そうして疑似的なコアになって魔方陣を保っている間に、私やイフィゲニア帝国、妖精郷の研究者達数名で、問題の個所の修正に当たる予定だ」
確かにそれが出来るのはエーゲリアしかいないだろうし、そうする事が出来るのなら魔方陣への影響も最小限で済みそうではある。
「なので問題はない──と言いたいところなんだが、切り離されたばあ様が厄介な事になると予想されている」
「具体的にはどんな感じになるの?」
「まあ、有態に言ってしまえば、動いて周りにいるものを攻撃し始める。おそらく、魔方陣を維持しようとする一種の防衛本能の様なものだろう。
タツロウたちには、ばあ様の遺体から母上や私、魔法学の研究者たちの防衛が主に頼みたい仕事だな」
「えーと……当時のイフィゲニアさんは、どれくらい強かったんですかね?」
「あの頃のお母様は、今の私よりも強かったと思うわ」
「……俺達に死ねとおっしゃる?」
エーゲリアもイシュタルも、死体とはいえ母や祖母に向かって全力での攻撃が出来ない。
その上、そもそも二人はその時忙しくて手が出せない。
そんな中ですでに死んでいるとはいえ、エーゲリアよりも強かった存在と戦えなど自殺行為だとしか竜郎には思えなかった。
けれどエーゲリアは、「いやぁねぇ」と手をおばさんのようにパタつかせて笑った。
その時「ばばくさいな……」と小さくイシュタルが呟いていたのを地獄耳で捕えて、尻尾で軽く娘をはたいていた。
「今のお母様は完全にアンデッド化、つまり魔物化してはいないのよ。
だからいくら素体が優れていると言っても、所詮は操り人形のようにしか動けないわ。
当然真竜たる力も一切使えないし、膂力も全盛期には遠く及ばない程度しか出せないはず。
だからタツロウ君たちの実力なら、多少苦労はするでしょうけど防衛は可能だと思うの」
「そうなんですか? それなら、まあ、なんとか……なるかな?」
今一判断が付かない所だったので、竜郎はレーラの意見を仰いでみる。
すると少しだけ考える様な素振りをしてから、やがて口を開いた。
「たぶん大丈夫だと思うわ。それにエーゲリアがここまで言いきるのなら、間違いはないはずよ」
「そうか。なら、受けると言う方向で皆もいいか?」
視線をぐるりと巡らせて皆の顔を見ていくと、全員頷き返してくれた。
まあ、ここでやらないと言う選択肢はそもそもないのだが。
「ではその方法で進めてください」
「ああ、恩にきる」
「いえ、こちらも必要な事なので、この件はお互い様という事で」
「そういってくれるとありがたいわぁ」
大よその今回のミッションの流れが解り、互いに何とかなりそうな目途も立ってきたので、少し場の雰囲気も和らいで一度、何故か全く冷めていないテーブルの上のお茶に手を伸ばした。
そうして色々入ってきた新情報を頭の中で纏めていると、ふとリアが気が付いたかのように口を開いた。
「あの、そういえば一時的にエーゲリアさんがコアの代替になると言ってましたけど、その後はイフィゲニアさんをまた元に戻すんですよね」
「あ」「うむ、そうだな」「そうね」
竜郎はリアの言いたい事に気が付いて、思わず声を上げる。
それと同時にエーゲリアもイシュタルも相槌を打った。
「防衛すると言うのは解りましたけど、いったいどれだけやってもいいんでしょうか?
万が一にもイフィゲニアさんの遺体を破壊してしまっては、意味がありませんよね?」
「そうねぇ。できるだけ無傷で抑えて欲しいと言うのが理想ね」
「ええ!? そんなことできるかなあ」
「足止めだけに専念すればあるいは……でも向こうは好き勝手に攻撃してくるでしょうし、無傷となると難しいのではないかしら。
ねえ、エーゲリア。最悪どれくらいならやっても大丈夫なのかしら?」
「そうねぇ。表層に傷や焦げ目がつくくらいなら大丈夫だと思うわ。
あとは体の末端部が少し欠けた~とかなら何とかなるはず。
けれど大きく破損──例えば手足が千切れたりしたら修復に苦労するでしょうし、もしも消失させてしまうようなことがあれば、もうコアとして置くことは難しくなるでしょうね」
「なら、とーさんの修復魔法とかで何とかならないっすかね?
それなら消失はまだしも、くっつけるくらいなら出来るんじゃないっすか?」
それは竜郎も思った事だったが、それと同じこと、もしくは似たようなことはエーゲリアにだって出来るはずだ。
だというのに、その本人が苦労すると言うのだから何かあるのだろうとあえて口を挟まなかったのだが、アテナが代わりに聞いてくれていた。
「それがそうもいかないのよ。完全に魔方陣の部品として機能させるために、体の中にも魔法式が張り巡らされているの。
だからただくっつけただけ、修復しただけでは意味が無く、その千切れた部分の魔方陣を繋ぎ直す必要があるのよ。ここが苦労するポイントなの」
「ひぇ~なんだか大変そうっす~」
それには竜郎たちも頷かざるをえない。
どちらかというと竜郎たち一行は攻撃的な戦法をとる事が多く、防御よりも叩きのめすことを考えて戦ってきていた。
だというのに今回は強そうな相手に対して、なるべく攻撃を仕掛けないで、なるべく無傷で足止めするという完全な防衛戦。
慣れない戦闘に苦労しそうなのは目に見えていた。
だが──。
「だが、やるしかない。今のうちに皆で作戦を練っておこう。
それで決行はいつになりますか?」
「明日には妖精郷の協力者たちも到着するだろうし、そこから顔合わせやら打ち合わせやらで一日とるとしても、明後日には出発できるだろう。
あとはそちらの都合次第だ」
それならば明後日でいいだろうと話がまとまった所で、どこか意地の悪い顔で、それでいて拗ねたような声音でエーゲリアが口を開いた。
「随分と手回しがいいのね、イシュタル。そういう気遣いをママにもして欲しかったわ」
「べ、別にいいではないか。は・は・う・え、は、もう細かな内容は知っていたし、あとは防衛線の人員確保だけだったのだから」
「別にいいなんて、ママは寂しいわぁ。
昔はママ、ママ~あのねあのね~って、何でも話してくれたのにぃ……」
「まままままママなど、よよよよ呼んだことは無いぞ。よいか! お前たちも信じるなよ!」
「はあ」
別に母親の事を何と呼ぼうと竜郎はさして気にしないのだが、どうやらイシュタル的には恥ずかしい事らしい。
銀色の美しい鱗をやや赤く染めながら、竜郎たちや自分の眷属に向かって念押ししていた。
『ふふっ。なんだかママって呼ぶのを恥ずかしがってる男の子みたいだね』
『ああ、それは俺も思った。というか、やっぱりこの二人も親子なんだな。
生まれ方が特殊だから、もう少し突き放した関係かと思っていたが』
『まあ、仲がいいのはいい事だよ。私も早くお母さんに会いたいな……』
『お父さんもな!』
『お、おう。解ってるよぉ。だから今回も頑張らなきゃね』
『あたぼーよ。絶対に帰って見せるさ』
『だね!』
そんな事を二人で念話で話し合いながら、親子仲睦まじく戯れ始めたエーゲリアとイシュタルを微笑ましげに眺めていくのであった。




