第445話 慈愛の竜イフィゲニア
真竜セテプエンイフィゲニアは、人間たちが大好きだった。
そして色々な種がいがみ合うことなく、仲良くできたらと素敵だなと、常日頃から考えている様な竜だった。
だが軽々に種族間の諍いに竜が、ましてや真竜が介入する事など出来なかった。
何故なら世界力の消費に戦争というのは非常に効率の良い方法であり、そうして大々的に国を挙げて消費してくれるのなら、世界の安定を地上において担っている真竜からすると、むしろ推奨してもいいはずなのだ。
もちろん神も起きないなら起きないで、魔物と戦ってくれればいいのでどちらでもいいのだが、消費機会が多いに越したことは無い。
だから彼女も手を出さなかった。
「その、聞いていいのかどうか解らないんですが、具体的に真竜という存在は世界の安定の為に何をやっているんでしょうか?」
「別に話してはいけない事じゃないわ、タツロウ君。
私たち真竜は、簡単に言ってしまえば、世界中に溢れるエネルギーがムラなく出来るだけ均一になる様に循環を促しているの」
「んーと、でっかい換気扇みたいな?」
「こら愛衣。換気扇は失礼だろうが」
「あっと、ごめんなさい」
「ふふ、いいのよアイちゃん。それに言っている事はそう間違ってもいないしね」
何もしなければ世界力は多い場所や少ない場所が特別な要因無く生じ、空間の罅割れや異常気象などが起きやすくなる。
そこで神々は真竜という存在を作り、世界力を均一に巡らせるよう仕事を与えた。
そのおかげで特殊な条件下でもない限り、世界力が一か所に集まる事も無く、世界中に均一に広がるようになった。
それでも他世界に比べれば異常に多いのだが、そうやって均一化した上で知的生物たちに消費を手伝わせれば、安定度は大幅に増す。
「だがまだ私には、母上のように一人で循環を促す事は出来ないのだがな」
世界力循環という仕事は、世界中に溢れる膨大な力を制御しなくてはいけない。
そのため年若いイシュタルでは、まだ全ての世界力を扱うことが出来ずに、エーゲリアがほぼ全てを担って、そのおこぼれをイシュタルが──という風になっている。
けれどこの循環の過程では、先に言った通り莫大な世界力を扱うために、自身にも少なからず世界力が吸収されていく。
その為、真竜はこれをしているだけでどんどん強くなっていく。
竜郎達で言うのなら、四六時中経験値を稼いでいるようなものなのだ。
だからイシュタルも今はおこぼれだけだが、それでも着実に扱える量は増えていき、レベルも上昇している。
このまま何もしなくても、イシュタルは一万歳になる頃には確実にエーゲリアの跡を継ぐことが出来るだろう。
「でもそうなったら、エーゲリアさんはどうするの?
イシュタルさんのお手伝い?」
「いいえ。完全に隠居させてもらうわ。それで好きな事だけして生きるのよ!」
「なるほど、子に全てを任せられるようになれば、真竜は完全な自由の身になると言うわけですか」
「ええ、そうよ。だからこの子も言ってたでしょ?
子供を作るのは早い方がいいって」
「……ああ、こういう事は早い方がいいだろって言ってましたの」
「え? 早く自由になりたいからって理由なんすか?」
「ああ、そうだ。少なくとも引き継ぎだけで約一万年かかるからな。
私もお母様と同じように隠居して、自由気ままに生きてみたいのだ」
「まだ千歳やそこらの癖に生意気ねぇ。私が何百万年続けてきたと思っているのよ。まったく」
そんなエーゲリアの愚痴を耳にしながら、竜郎はだからあの時エーゲリアは呆れたような表情をしていたのかと納得がいった。
「とまあ、少し話がそれたわね。それについては、また後で話しましょう。
それで今回の件なんだけど、私の母にしてイシュタルの祖母セテプエンイフィゲニアは、世界平和を願い心を痛めながら生きていたの。
けれど、それは私が完全に仕事を引き継げるようになった時代くらいから、段々と情勢も変わってきたの」
具体的に言うと、異種族を受け入れるという国が出てき始めたのだ。
戦争というものは今もなお完全になくなったわけではないが、それでも種族の違いだけでいがみ合うような世界から、あらゆる種族が混ざり合って生活し助け合う世の中に徐々に変化していった。
それは何も博愛主義に目覚めたと言うわけではない。
ただ単に国を率いる者達が、様々な種族同士でお互いの長所を生かし、短所を補いあう事で、今まで以上に発展を遂げられることに気が付いたというのが一番の理由だった。
だがその考えによって、結果的に受け入れなければ他国に劣ってしまうと考える国家が増え、他種族を受け入れる国家が増え、他種族で愛し合う者も増えた。
そしてその逆に、他種族を受け入れられないと主張した国は、その殆どが受け入れた国家との戦争で消えていき、その輪は世界中に広がって行く事になった。
「それはまさに、お母様の理想の世界だったと思うわ。
隠居してからも毎日のように私の所までやってきて、どこそこの国がずっといがみ合っていた種族同士を和解させただの。
迫害されていたあの種族たちを受け入れる国が出てきただのと、そんな事ばかりを世界中を巡って見てきては嬉しそうに報告してくれたものよ」
エーゲリアは、つい最近の出来事を語るかのように、亡き母を思い出しながら目を細めていた。
だがその表情は直ぐに一転し、話の続きを口にしていく。
「けれどね。その流れに大きなヒビを入れる事件が発生したの」
「事件ですか? 今の話だと、もうすっかりと他種族混合国家が優勢になって、揺るぎない地位を確立したように思えますが……」
竜郎の問いに、エーゲリアもイシュタルも頷いていた。
実際にもう完全に世界の流れは、他種族混合国家推進状態だったのだ。
大きなその流れに乗り遅れまいと、どの国もこぞって積極的に他種族を受け入れ初めていた。
だが、そんなものを一撃で粉砕するほどの出来事が起こったのだ。
「天魔病。当時そう呼ばれた致死率が極めて高い伝染病が、世界中に──それも爆発的に大流行し始めたの」
「天魔病……ですの?」
天魔の姿形をした奈々は、少し嫌そうに顔を歪めた。
竜郎は少し手を伸ばして、そんな奈々の頭を撫でてあげると、ふにゃっと直ぐに和らいだ。
その光景にイシュタルもエーゲリアも微笑ましそうに見つめながらも、再び気を引き締めて話を再開する。
「名前の由来は、天魔が最初に罹患し広めたからとされているわ。
今ではその名称は差別用語になっているから、外では言っちゃだめよ」
「それじゃあ今はなんと言えば?」
「全身がゆで上がったように真っ赤になって死ぬことから、赤死病なんて呼ばれるのが一般的かしら」
「覚えておきます。まあ、話題になる事もそうは無いと思いますが」
天魔の国に再び行く事があっても、それについては絶対に口に出さないように気を付けようと皆で頷きあった。
「それでね。当時はその致死率の高さと感染力の高さから世界中が大混乱し、あらゆる情報を躍起になって集めていったせいで、天魔が流行らせたという事実かどうかも確認が取れないままに、その情報だけが同じように世界中に広まっていったの。
そうなると、どうなったと思う?」
「天魔の人達は迫害を受けそうですね。お前たちのせいでって……」
リアはその情景を想像して、悲しそうに目を伏せてそう口にした。
そしてそれは間違いではなかった。
「世界中で天魔種の迫害が始まったわ。そして他種族混合を反対していた国家や勢力の人達は、それに乗じて異種族が混ざり合う危険性について唱え始めたの」
「そしてそのせいで、ばあ様の理想でもあった他種族が手と手を取り合う国家も揺らぎ始めた。
今回は天魔が原因だったが、もしかしたら次は別の種族が……なんてな」
「けど、実際に広めたのは天魔だったんすか?」
それだけの目にあわせておいて、今さら誤報では済まされない。
火のない所に煙は立たないとも言うので、何かしらのきっかけはあったのかもしれない。
だが、そんな混乱した状況で、ちゃんとした情報が流れるとも思えない。
「ある意味では天魔のせいでもあるが、それは天魔だけのせいでもない。
他の全ての種族が引き起こした、ともいえるな」
「それってどーゆーこと?」
「それはね、アイちゃん。私のお母様が原因の特定に乗り出したのだけれど、その研究の結果、本来ならそこまで悪質な病毒ではなかったものが、あらゆる種族の体を変異しながら感染していったせいで悪質化。
そうして全種族に対応し致死性も大幅に上がった、史上最悪の病毒に至ったというわけなの」
「つまりその……イフィゲニアさんが思い描いた、理想の世界が引き起こした悪夢……という事なんですか?」
「その通りだ」「その通りね」
それはあまりにも救いがない。
結局は多種族で暮らさない方がいいと、世界自身が訴えかけているようだと竜郎は思った。
「当然お母様は、その研究結果に愕然としたわ。
原因は特定できて魔法での治療法も確立できたけれど、病毒が強すぎて一人治すだけで莫大な力が必要となるの。
それに魔法も生魔法だけでなく、解魔法、闇魔法、解毒魔法を17レベル相当まで最低限使いこなせるようなものでなくてはいけない。
そんなの普通の人間たちが出来る訳なんかなく、無抵抗に人々は感染して死んでいったわ。
まさか自分の理想がこんな形で崩れ去るなんて思っていなかったお母様は、必死に事態の収拾に努め、天魔の迫害を無くし、異種族同士が混在して生活しても今回のような事がおきないようにする、そんな冗談みたいな解決方法を模索し始めたの」
それはまさに夢物語だと、当時のエーゲリアは思ったのだと言う。
幸い中級竜以上の竜だけはその抵抗力の強さで感染の心配はなかったが、力の弱い一部の下級竜達まで感染し始めていた。
下級とはいえ他の種よりも頑丈であるはずの竜でも殺せる病毒を抑えるだけでも大変だと言うのに、さらにその先までとは求めすぎだ。
だからエーゲリアは母にそんな方法なんて有るわけがない。
最低限種の存続が出来る数だけ残して治療して、事態が収拾するまで隔離。
そして今後他種族が多数混ざり合った国家を作るのは止めるよう、こちらから呼びかけるべきだと進言した。
だが頑なにエーゲリアの言葉に首を振り、自分の理想を守るために研究に没頭した。
それから全人口の半分以上が既にいなくなり、地上は死屍累々と化した時。
イフィゲニアは、ついに自分の理想を掴み取る唯一の方法を編みだしたのだ。
「その方法をとることで、病毒の根絶。感染防止。病状回復。致死性の高い病毒への変異が今後一切起きない様にする法則を、この世界に刻むことが可能になるの」
「すごい、すごーい! それならイフィゲニアさんの理想も叶うね、たつろー!」
「あ、ああ。だが……そんな事をするのなら当然……」
「……当然?」
愛衣が隣に座る竜郎を見上げるように覗き込んでいると、竜郎の言を繋ぐかのようにエーゲリアが言葉を発した。
「タツロウ君の思った通りよ。それだけのことを成し遂げようとするのなら、とんでもない量のエネルギーが必要となるわ。
そう例えば、最も長く生きた真竜一体分の持つ力と同等程度のね」
「──それじゃあ、まさか」
愛衣はようやく話の先を理解して、思わず口に手を当てて絶句した。
「お母様は自分の命まるまる一個全てをエネルギー核として使い、この世界に新たな法則を生み出し、全ての人を癒す魔法を行使する事にしたのよ」
幸い引き継ぎはとうの昔に済んでおり、世界力の循環はエーゲリア一人で問題なくこなせるようになっていた。
そして力もイフィゲニア以外はもう手出しが出来ない程に成長しており、種の存続の問題はないだろう。
ならば自分が死んでも世界に大した影響は与えまい。そう、イフィゲニアは考えたのだ。
「私や周りの説得にも応じずに、お母様は全人類に向けて、天魔のせいではないと断言し、自分が今生きている全員を癒し、今後このようなことは二度と起きないようにして見せようと声明を出した。
そして魔法を敢行し、その命を代償に望んだ未来を掴んだのよ」
「でもそれじゃあ、イフィゲニアさんは見れないじゃん……」
出会った事も見たことも無いイフィゲニアに対して、まるで自分の事の様に悲しそうな顔をする愛衣。
竜郎はそんな愛衣の肩を抱き寄せた。
「そうだな。だが、ばあ様はそれでも自分の理想を貫き通したかったのだろう」
「例え自分で見る事ができないとしても、私にその世界を見守ってほしいと最後に言っていたわ。
だから私もこの世界の人間たちが愛おしいの。お母様が守り、愛した大切な子達なのですもの」
その時のエーゲリアの顔は、まさに全ての母であるかのような慈愛に満ち溢れていたのであった。




