第416話 昔々のお話
それは遠い遠い昔の事。
元々ピアヤウセ族は定住せずに狩りをして暮らす狩猟民族で、動物や弱い魔物を狩って生活していた。
ところがある時を境に、その生活は一変する事となる。
いつも通りに狩りをしていると、運悪く三匹の狼の魔物に目を付けられてしまう。
それは到底人種の一部族が敵うような存在ではなく、あっさりと部族の中でも腕利きで鳴らした者達が食われていった。
ただ幸か不幸か、一遍に全員を食おうとはしなかった。
一日に必要な分、腹が満たされれば目の届く範囲まで離れて監視するかのような行動を見せたのだ。
当然昼夜問わずに逃げようとするが、振りきれずに毎日少しずつピアヤウセ族はその数を減らしていった。
来る日も来る日も逃げ続け、明日は誰が死ぬのか、自分が食われるのかと恐怖しながら精神的にも肉体的にもその身をすり減らしていった。
そんな地獄の日々を何日過ごしただろうか、フラフラになりながら移動し続けたその先にあったのは崖だった。
とてもではないが向こう側まで渡れるような距離ではないし、谷底は見通せぬほど暗く深い。
かと言って戻ろうにも狼たちがこちらを逃がすまいと囲ってしまい、どうしようもない袋小路に迷い込んでしまった。
──終わった。そう誰もが確信した。
中には気が狂ったのか、はたまた狼に喰われて死ぬくらいならと思ったのか、谷底へと飛び込み自死していく者もいた。
そうして大体時間にして昼頃だろうか、毎回決まって太陽が真上にくるくらいの時間が狼たちの食事時だ。
そしてその餌はピアヤウセ族の人々。
ゆっくりと迫って来る狼たちに、絶望しながら目を閉じて、その時が過ぎ去るのを待った──のだが、何時まで経っても何も起きない。
ピアヤウセ族の人々は目を開けて、恐る恐る狼たちの様子を伺うと、こちらに来る途中で引き返していくではないか。
何が起こったのか解らなかったが、それから向こうがこちらにやってくることはなかった。
まるでこの周囲に結界でも張ってあるのかと思いたくなるほどで、こちらから石を投げたりしても決して向こうからは近寄ってくることは無くなった。
だが向こうは向こうでみすみす目の前の食料を逃すのも惜しいと思ったのか、こちらに来ずとも遠巻きにいつでも襲い掛かれるように見張っていた。
そうなると碌に狩りにも出られず、今度は狼ではなく飢えに殺されてしまう事になる。
こちらにやってきそうな獣は皆狼達が食らっていくので、ここにいても獲物がやってくることは絶対に無いだろう。
再び窮地に陥ったピアヤウセ族だったが、一人の男が近くに芋の群生地を見つけた。
掘り返すと小ぶりながら芋が数珠なりに出てきた。
だが食べてみるとパサパサで、食べられないことは無いが喉が渇いてしまう。
水も満足に呑めないこの場所で、それを食べるのは躊躇われた。
けれど芋を見つけた男が大地に手を付けて、魔法を使った。
すると見る見るうちに瑞々しい芋となり、搾れば水分が出てくる程だ。
満足いく水の量ではないが、それでもこれだけで食いつないで行く事が出来そうだった。
男はそれをきっかけに、皆から神のように敬われた。
今までは狩猟民族として暮らし、植物を肥やし成長させるという何の役にも立たない魔法だと思い黙っていたのだが、こんなに感謝されるのかと男も喜んだ。
狼は何故かここまで来れない。芋も男さえいれば無限に手に入り、飢える心配も無くなった。
ピアヤウセ族は心から安堵し、その日は久しぶりにぐっすりと気絶するように眠った。
日が昇り目を覚ますピアヤウセ族。狼たちはまだ遠くに見えるが、やはりこちらにはやって来れない様子に改めて皆が安堵していると、そのうち一人が奇妙なものを発見した。
それは昨日までは、そこに無かったものだった。
なんと、いつの間にか水路が出来ており、遠くにある川から流れる綺麗な水が芋の群生地の横を通りぬけていたのだ。
皆唖然とした。それはそうだろう。一晩寝て起きたら、どうやっても自分たちでは何年もかかるであろう立派な水路が出来あがっているのだから。
だがそれよりもまずは、そこに水があるという事が重要だった。
芋から水分を取る事は出来たが、それは満足できる量ではない。
我先にとその水路に手を伸ばし喉を潤し、偶に流れてくる川魚を捕えて皆で分けて食った。
その時ピアヤウセ族の民はこう思ったのだそうだ。
これは神が我らの為に用意してくれたのだろうと。
誰もそれを疑わない。とてもではないが人のみでは、こんな真似が出来るはずがないのだから。
そう盲目的に信じ込み、あれだけ辛い思いをしたのだから、このような事をして貰ってもいいはずだと納得し受け入れてしまった。
水路が出来たことにより朝からはしゃぎ過ぎたせいか、はたまたこれまでの疲れが残っていたのか、その夜も全員が深い眠りについた。
すると朝目覚めた時には、石を積み上げた塀が出来あがっていた。
見た目はちゃちな作りにみえるが、大の男が数人がかりで押しても崩れることは無く、そこいらの獣や魔物では打ち破れない程の強度を持っていた。
それが崖側を背に弧を描くように扇型に広がって、暮らすには最適な広さの安全な場所になっていた。
またこれは神が与えてくれたものだ。そう納得し受け入れた。
次の夜、皆はその神に感謝を伝えようと一晩中起きていた。
けれど、その晩には何も起きなかった。
だが次の日、一晩寝ずに過ごしたせいで皆が眠りつくと、その朝には自分たちでは到底倒せないであろう大きな魔物の骨を使って箱型に組み、獣の皮をそこにかぶせた家が三軒出来上がっていた。
しかも中に入ると血抜きされた新鮮な動物の死骸が一匹ずつ置いてあった。
芋ばかりで飽きてきたピアヤウセ族は、嬉々としてそれを食らった。
そして同時に気が付いた。自分たちが起きていると何もしてくれないが、寝ていればこうして何かをくれるという事を。
それからは毎晩しっかりと全員眠りにつき、その度に畑が整備され、家が出来、たき火が用意され、くべる薪が置かれ、肉が置かれ、武器が置かれ──と、一晩経つごとにその地での生活がどんどん楽になっていった。
やがて主食の芋を肥え生やす魔法を使うことが出来る男が族長になり、その男を中心にまとまっていくピアヤウセ族。
そしてその頃になると、狼たちはいつの間にかいなくなっていた。
だがもう、この生活を手放す事が出来なくなっていた。
だってそうだろう。住む家もあり、飲み食いするにも困らない。さらに何故か、ここには獣も魔物も近寄って来ない。
そんな場所を手放せるはずがないのだ。
ピアヤウセ族は、その日暮らしの狩猟生活を捨て去り、ここに定住することを決めたのだ。
狼がいなくなった事で狩りにも出られるようになり、家も人数分よりも多いほど出来あがっていた。
大した不自由も無く、芋を食い、狩ってきた獣を食い、呑気に暮らしていった。
やがて族長は妻を儲け、子が産まれ、その子にも同じ魔法の才能を持つものが産まれた。
これでピアヤウセ族は安泰だ。誰もがそれを喜び、族長一族を崇めた。
それからまた日が立って、族長はちょうど20歳になった。
魔法が使える子供も成長し、族長の男ほどではないが、十分に畑を肥やす事が出来るようになっていた。
その頃には、もう神からの贈り物も無くなっていたが、それでもピアヤウセ族の暮らしは安定し、皆幸福を感じていた。
そんなある日。ピアヤウセ族が全員眠りにつき、朝起きると、ピアヤウセ族の男の一人が奇妙な物を発見した。
それは、あれば当然気が付くほどに大きな黒い石。それも明らかに何者かによって加工された、五メートル四方はあろうサイコロ型の。
そんな物が、崖の縁にいつの間にか置かれていたのだ。
さらにその周り。そこには細長い円錐形の真っ黒な槍のような置物が地面からいくつも突き出ており、まるで剣山の様。
そしてそれは、サイコロ型の大石の周りから離れるにつれて段々に小さくなって囲っていた。
そんな異様な風景に唖然としながら近寄っていくと、円錐形の置物の存在感で見落としていたが、石の上へと続く階段が出来あがっていた。
族長の指示により、当時の一の戦士がその階段を上っていくと、大石の天井部にはコウモリの様な翼のマークが描かれていただけで、他には何もなかった。
見えるものと言ったら、大石のせいで余計に深く見える谷底くらいである。
これは久しぶりに来た神の贈り物だろうという事は解ったが、ピアヤウセ族には何のための物なのか、何に使えと言うのか全く解らなかった。
かといって壊したり傷つけたりする事も出来ずに、取りあえず放っておくことにした。
その夕方。ピアヤウセ族が夕食を集まって食べている際に話していたのは、やはりあの謎の石の事だった。
一人の男が、その事について族長に話しかけた。
「それで族長。アレは一体なんですかね?」
「解らん。だが今までの事から考えても、きっと俺達にとっていいものに違いないだろう。
案外あれはまだ一部分でしかなく、今夜一晩寝たら完成し、それが何か解るかもしれないぞ?」
「おー。そう言う事もあるかもしれないな! さすが族長だぜ」
「まったくだ。やはり魔法が使える人間は一味違いますな!」
「「「はははは!」」」
部族内に笑いが溢れる。自分たちの神ならば、きっと素晴らしい物を送ってくれたに違いない。
それは今までずっとそうであったから。盲目的に受け取っていただけの者達であったから。
決して悪いものではないと思ったのだ。
けれどそんな長閑な時間は、笑いに満ちた幸せだけがあるピアヤウセ族の時間は──ここで終わりを告げる。
「……なんだ?」
初めに気が付いたのは誰であったかは定かではない。というよりも、それは全員同時であったのかもしれない。
暗くなる前には基本的に就寝するので、夕食と言っても食事時はまだまだ日が陰るには早い時間。
であるというのに、まるで深い夜空のように空が暗く闇に呑まれていく。
だがそれが決して自分たちの知っている夜では無い事は、星も何もない上空を見れば明らかで、さらに自分たちの集落から外に出た所はまだ夕方で、ちゃんと夕日に赤く大地が染まっている事からも、普通ではないと誰でも理解できた。
その光景に皆が驚愕し、慌てふためく。そんな中でも族長や戦士たちはいち早く立ち上がり、周囲を警戒し始めた。
そして女子供は家の中に避難させようと、族長が口を開いた所で──不意に怖気が走るような、男とも女ともとれるキーキーとした耳障りな声が、ピアヤウセ族全員の耳に届く。
「対価を払って貰おぅかぁ」
「──だ、誰だ!」
空から降り注ぐように聞こえた声に、族長がいち早く上空を見上げ叫んだ。
それにつられる様に全員が空を見上げれば、そこには夜の闇よりなお深い闇が密集し、唯一光る赤い瞳に悪魔の翼を背中に生やした影がいた。
その影は集落と同じくらいの大きさで、愉快そうに口を歪ませ笑い声をあげた。
「あははははっ! 誰かだって? お前たち家畜を世話してやった──お前たちの神様だよぉ。
ぶふっ。神様だって──ぎゃっはははははははははっ! さいっこーに馬鹿な奴らだなぁ」
「か、家畜だと! 貴様のような奴が俺達の神のはずがないだろう! 化物め!」
周りの住人は声を聴いただけで竦んでしまい、体を丸めて震えていた。
だが唯一自分と同じ魔法が使える息子だけは、何とか耐えて母や兄弟たちを心配していた。
「へぇ……。やっぱり人種の──ただの獣から進化しただけの奴の癖に、そこそこの魔力があるんだぁ。
やっぱり飼ってみて正解だったみたい。うれしいなぁうれしいなぁ。ぎゃはは♪」
「その薄気味悪い声でしゃべりかけるな! この神を騙る悪魔め!
我らに手を出してみろ! 本物の神がお前に鉄槌を下すだろう! それが嫌なら今すぐ立ち去れ!!」
「──ぶひゃっ。ぎっぎっぎゃははははははははははははははははっ!
ばぁーかなのかなぁ? ばぁーかなんだろうなぁ。ここまで滑稽だと笑うしかないよねぇ。ぎゃははははははっ!
ほーんもののカミサマさーん、出てきてよぉー。こわぁーい悪魔から、僕たちをまもってよぉー──ってことぉ?
ぎゃはははは! 傑作、傑作だよぉ! 笑い死にさせる気なのかなぁ!
あっ、これがぁお前のゆー神の鉄槌かなぁ? ぎゃはははははははっ!!」
「ばっ馬鹿にするなっ!! 神はいつだって我々を見守り、助け、住まう土地まで与えてくれた!
きっと今に助けに来てくれるに違いないのだ!」
「…………へぇ? じゃあ、何時まで待ってれば来てくれるのぉ?
それとも誰かに手を出せば来てくるのかなぁ? カ・ミ・サ・マは、さぁっ!」
空に浮かんでいた影が伸びてきて、族長の体に巻きついた。
ギリギリと締め付けられて、呼吸もままならない。
「さぁ! ピンチだよぉ? 神様ー、この哀れな家畜を助けてあげてぇー!
………………あれれぇー? おかしいねぇ? 来ないねぇ? 不思議だねぇ?」
「──っぐぅ」
「とーさん!」
体を影に締め付けられながら宙にぶら下げられた父に、唯一魔法が使える息子が駆け寄り手を伸ばすが、幼い彼の手は届かない。
「でぇーー? もぉいいかなぁ? お前らと遊ぶのも飽きちゃったぁ」
「がはっ──」
急に愉快そうな声音から冷めた声に変わり、族長を影の拘束から解き放ち地面に適当に放り出した。
2メートルほど上空から投げ出され、強く背中を打ち付けながらも、族長はやっと呼吸が出来る様になり咳き込んだ。
それを心配そうに息子が背中をさすっていた。
「別にさぁ? てめーらが信じよぉーが信じまいがぁ? どーでもいいんだよぉ。
けどぉー真実あのチャチな魔物が近寄れない様に威嚇したのはワタシ。
水路を引いてやったのもワタシ。塀を建てたのも、家を建てたのも、食料を用意したのもみぃーーーーーんなワタシなのぉ。
だからぁ、その恩をぉ、これからさぁ、子子孫孫と永遠に返してねぇーってことぉ。わかるぅー?」
「何を馬鹿な……」
信じたくはなかった。それはピアヤウセ族の誰もがそうだ。
だが実際に今に至っても自分たちの信じる神は来てくれない。
その事が重くのしかかって、強く否定できなくなる。
「はぁーい。だからぁ、これからお前たちには年に二回の御奉仕をしてもらいまぁーすぅ」
「奉仕だと……? 狩りの得物でも献上すればいいのか? それとも身の回りの世話をしろとでも?」
「そんなものいーらなーいよぉ? ふふふ、そんなに不安そぉーな顔しなくても大丈夫♪
とってもカ・ン・タ・ン! な、お仕事でぇ、それこそ生まれてすぐのガキにだって出来る事なんだからさぁ!」
そんな事を言われても、逆に族長たちの心は不安に満たされていく。
むしろここで無理難題を吹っかけられた方が、まだ安心できるというものだ。
それだけの得体の知れなさが、その簡単には込められていた。
いったいコイツは自分たちに何をさせようと言うのだろうかと。
「それでは発表しまぁーす! これからお前たちの中で年に二回!
私に感謝の意を込めてぇ、一人あそこの台座から崖へ飛び降りて貰いまぁーす!
どぉ? 簡単でしょぉー? そ・れ・もぉ、たった年に二回でいいんだよぉ? 年に二人でいいんだよぉ?
お得だねぇ? 嬉しいねぇ? ほら喜べよぉ! ぎゃははははっ」
「何を馬鹿な──」
「そ・し・てぇー。これよりお前たちの部族は子子孫孫と、ここより四日以上離れる事を禁止しまぁーす!
よかったねぇ! ずっとずっとずぅぅぅっと、ここで暮らせるよぉ?
でもでもぉ……もーしも恩知らずにも逃げ出すような奴がいた場合はぁ……くふっ…………お楽しみぃって事で、言うのは止めとくねぇ! ぎゃはははは!」
「──なっ」
「そしてぇ、栄えある飛び降り第一号はぁ、そこの元気な君だよぉ! よかったねぇ!」
その元気な君と言うのは、勿論族長の事だ。
それには震えて丸くなりながらも会話を聞いていたピアヤウセの者たちも、目を見開いた。
今の話から瞬時にピアヤウセ族の皆々は、一番仕事の出来ない──言うなれば足手まといな人間を差し出せばいいのではと考えていたのだ。
けれど向こうが提示してきたのは自分たちの支柱でもあり、悪魔に立ち向かえるだけの力を持つ存在でもある族長。
とても看過できるはずもない──とは思うのだが、誰も彼も声一つ上げられない。
「……俺一人で許して貰えないだろうか。今後ずっとは酷すぎる……」
「えー? お前一人ぃ? うーーん、どうしよっかなぁ。どぉしよぉかなぁ」
態と溜めるようにして唸って見せるが、やはり悪魔だった。
「うん。やっぱり、だぁーめぇ! ああ、でもでもぉ、お前が飛び降りた後は、しばらく誰でもいいよぉ?
使えない奴でも間引きすると思って、気軽に飛び込ませるといいよぉ! ぎゃはっぎゃはははっ」
余りにも自分たちの扱いが軽すぎて怒りがこみ上げるが、それよりも、この悪魔が言った『しばらくは』という言葉が皆引っかかっていた。
それを察したかのように、影の悪魔は口をニタァーと歪ませる。
「皆、察しがいいねぇ。いーこいーこぉ!
これから魔法が一番使える奴が二十歳を迎えるまでに、子を残し魔法使いを産んでおいてねぇ。
そんでぇ、そいつはその年に崖から飛び降りて貰うからぁ、そのつもりでぇ、よろしくぅー」
「──なっ! 我が子まで俺と同じような末路をたどらせる気かっ!」
「そぉだよ? 文句あるぅ? ないよねぇ? 散々私にお世話して貰ったんだからさぁ!!」
悪魔の語調が強くなると同時に、族長ですら恐怖に震えて地面に尻を付けてしまう。
「うん♪ 文句はないみたいだねぇ! 解って貰えてうれしいよぉ!
それじゃあ、十日以内には飛び降りてねぇ。ばぁいばぁーい」
それから星の無い闇夜は、まるで全部幻だったかのように跡形も無く消え去り、影の悪魔は谷底の方へと吸い込まれる様にして去って行った。
そしていつの間にそんなに時間が過ぎていたのか、周囲は本物の夜になっていたのだという。




