第38話 杖
老人の声が聞こえたはずなのに、振り返ると誰もいない。ホラーである。
二人はいったいなんだったんだと、お互いの顔を見合っているとまた、先ほどよりもイラついた感じの声がしてきた。
「下じゃ馬鹿者!」
「わっ」「ひっ」
言われたとおり下を見ると、八十センチくらいのミニマム老人男性が憤然として立っていた。
見た瞬間はかなり驚いて声を上げてしまった二人だが、相手が人だと解るとホッとしてこちらから話しかけた。
「えーと、何か用ですか?」
「用が無ければ、話しかけとりゃせんわ」
「はあ、それで用とは?」
そこで老人は改めて、竜郎の顔や雰囲気を見ていく。
竜郎は居心地悪そうに立ちつくし、その間、愛衣は話しかけるような空気でもなければ、面倒そうなミニマム老人には関わりたくないと口を噤んでいた。
「ふむ、やはりその若さにしてかなり高いレベルの魔法使いと見えるが、どうだ」
「はあ、まあそこいらの人よりは多少高いのかもしれませんね」
「なら話は早い。小僧は杖を探しておるのだな?」
「ええ、だからここに来たんですし。それで?」
「この店には現在一本だけ特注品の杖がある、それを買っていかんか?」
その言葉に竜郎は、眉根を寄せて警戒を高めた。
特注品と言うのなら、それを頼んだ客がいるはずだ。だというのに、それを竜郎に売ろうとするのは怪しい。
「ほほっ、別にそう警戒せんでもいい。
なにせその相手は造らせておいて、できたらいらんと自分の町へと去っていってしまったのじゃからな」
「いらなくても造っちゃったんだから、無理やりにでも渡してお金を貰えばいいじゃん?」
「それができたら苦労せんわ」
我慢できずに発言した愛衣に、と言うよりその注文した相手に対して呆れたように肩をすくめた。
そこで、竜郎の中でピースが段々と嵌ってきた。
「できないということは、何らかの権力者ですか?」
「そうじゃ、リャダスの領主の馬鹿息子じゃよ」
「「リャダス?」」
「ここオブスルを含めた、四つの町がある地域がリャダス領じゃ」
「そうなんですね」「へえー」
そんなことも知らんのかと鼻息を荒くしながらも、ちゃんと二人に説明してくれた。
「それじゃあ貴方は、そのリャダス領を治めている領主の息子だから払えとは言えず、ちょうど使ってくれそうな奴が客として来たから売りつけようと、こういうことですか?」
「随分人聞きの悪い言い方じゃが、概ね間違っとらんな。
だが仮にも領主の息子が持とうとした代物じゃ、そこいらの量産品がゴミに見えるくらいにはいい杖じゃよ」
「ほんとかなー」
「嘘は言わん!」
心外だとばかりに気炎を上げて愛衣に目を剥き威嚇すると、「まずは見てみろ!」と言って奥に引っ込んで行った。
「どうする? たつろー」
「どんな杖か気になるし、まあ見てみようかな」
「うーん、でもいらないって言われるような杖がそんなに良いものかなぁ」
そんな疑問を愛衣が口にしつつ数分待つと、老人が五十センチほどの細長い木箱を持ってやってきた。
そしてそれを二人の目の前まで持ってくると、どうだと言わんばかりの表情で木箱の蓋を開けた。
「これがその杖…」
「思ったより凄そうな杖ね」
「だろう。これはな───」
そう言って見せてきたのは深紅の杖で、その先端に綺麗な翠色をした羽が巻き付くように融合していた。
老人の説明によると、サラマンダーの骨と外皮と銀を混ぜて杖の部分を作り、ハイアレという風の魔法を使う魔物の羽を先端に融合させたものだという。
素材自体が何かも解っていない竜郎たちには、何がすごいのかよく解らないが、老人の言によれば、火魔法と風魔法に特に恩恵が得られるらしい。
「火魔法と風魔法って、その領主の息子は二属性使いこなせるんですか?」
「使えるには使えるようだが、まったく使いこなしてはおらんみたいだな」
その息子の盆暗具合は有名らしく、魔法を学べる環境にあったにもかかわらず、めんど臭いという理由で貴重なSPをLv.1から消費して、自身のレベルも上げたがらないためSPも増えず、火魔法と風魔法がLv.1とLv.2で止まっているらしい。
「まったく、嘆かわしいものよ。スキルポイントとは本来、乗り越えられない壁に当たった時に、背中を押してもらう唯一の方法だというのに。
軽々に使うなど、とんだ馬鹿者じゃよ。お前たちもそう思うじゃろ?」
「ソウデスネー」「あー……そうねー」
結構簡単に使っている人にとても心当たりがあった二人は、適当に調子を合わせてごまかした。
幸い老人はそんなことには気付かずに、どんどん話を進めていく。
「これは前金で百万シス貰っとるから、残りの差額三十万シスでどうだ!」
「うええっ、百万シス払っといていらないって言ったの?」
「領主様の息子には、はした金なんだろうよ」
「三十万シスですか……、ちょっと使わせてもらってもいいですか?」
「いいぞ、だが壊したら買ってもらうからな」
そう言いながら老人が杖を箱から出して、竜郎に手渡した。
まず長さは四十センチほどで、見た目以上に軽かった。手に持った感触はなかなかいい。次に、火魔法と風魔法の補正が強いようなので、今使える火魔法で試してみる。
杖に魔力を流し、その先端に集めていく。イメージは小さな炎の蛇。
すると魔力は炎に変わり、蛇の形を帯びてくる。形状が固まると、竜郎はそれを空に浮かべて泳がせる。そして、最後にくるっと一回転させて、魔力を霧散させた。
「──ふう」
「──こりゃ、想像以上の魔法使いじゃったな」
「でしょー。たつろーは凄いんだから!」
好きな人が褒められ鼻が高い愛衣は、ニコニコしながら老人に話しかけるが、話しかけられた方は竜郎に意識が向いていて、全く聞いていなかった。
「すごいですね、今までより簡単に魔力が動いてくれた感じがします」
「だろうな。それに今のは火魔法だ、お前さんとも相性が良かったんだろうよ」
「ですね、──これ頂けますか?」
「勿論だ。その杖も、ボンクラに使われるより幸せじゃろうて」
そう杖に微笑みかけた老人の顔は、とても優しげに見えた。
それから竜郎はきっちり三十万シス支払い、杖を手に入れ店を出た。
安い量産品を買う予定だったので出費は大幅に嵩んだが、なかなかいい買い物をしたと竜郎は満足げに頷いた。
それを愛衣は羨ましそうな顔で手に持った杖を見ていたが、自分もちゃんとした物をいつか特注しようと決め、他に目ぼしいものは無いかと周りを見た。
すると冒険者御用達の、アウトドア用品が置かれた店が目に映った。
「たつろー、ああいうのも必要だよね」
「ん? ああ、確かに。ついでに買っていこうか」
そういって店に入ると、まず目についたのは寝袋だった。
それの形状は異世界共通の蓑虫スタイルだが、元の世界の物より二回りほど厚ぼったかった。
これでは嵩張ってしまうじゃないか、と思いながらも竜郎が触ってみると、それは極上のモチモチした柔らかい素材でできていた。
「──っ、なんだこれは!?」
「どしたん?」
「ちょっと、愛衣もこれ触ってみろよ」
「え? いいけど──何これっ、モチモチして気持ちいい!」
二人はあの森で、岩の硬さを嫌と言うほど思い知っていた。しかし、あの時これがあれば快適に安眠できただろうにと、即決で購入を決めた。
次に二人用の箱型テント。材質は硬いプラスチックのようなものなのに、折り曲げても割れることなく曲がってくれる不思議素材。
入り口には魔法で作られた特殊な磁石のようなくっ付きあう薄い石が、テープのように正方形に貼り付けられており、そこにもう一対を蓋のように貼り付けると、完全防水になり、水に沈んでも暫くは何とかなるという何ともハイスペックな仕様になっていた。これも町の外で雨に降られたら便利だと、購入した。
後は一応として、安いアウトドア用の調理器具を見繕い、今日はもういいかと二人は会計を済ませ店を出た。
「これで、これから必要になりそうなのは揃ったよね?」
「そのはずだ。まあ後で欲しい物ができたら、またここに来よう」
「うんっ」
そうして買い物を終えた二人は階段を下っていき、百貨店から出ると、すでに辺りは薄暗くなってきていた。
「まずいな、早いとこ宿をとらないと」
「だね。でも結構買っちゃったから、節約しないと」
「やっぱりあの服が……」
「それはいいんですー」
頬を膨らませて拗ねる愛衣の頭を撫で繰り回しながら、しょうがないなあと竜郎は割り切って、マップを見ながら宿らしき建物を探す。
そのまま三十分くらいの道のりをウロウロして、ようやく宿屋と書かれた場所を見つけた。
その宿屋は、三階建でやはり白かった。古くもなく新しくもなく、特筆すべき所がない宿だった。
「もう、ここでいいんじゃないか?」
「そうだね、そんなに高そうな宿には見えないし」
そう言って宿の扉を通ると、三十代前半くらいの夫婦が目に入った。すると、男の方がこちらに営業スマイルを向けながら、竜郎たちに話しかけてきた。
「いらっしゃいませ。当宿にお泊りですか?」
「はい、二人で泊まれる部屋はありますか?」
「ええ、空いてますよ」
「じゃあ、そこでお願いします。いくらですか?」
「夕食込ですと10,000シス、なしですと8,500シスですね」
ここで言っている、夕食は二人で1,500シスであり、そこそこリーズナブルである。宿代自体も、二人が寝泊まりできる広さのようなので、妥当な値段ではないかと竜郎は思った。
「どうする?」
「今から外に食べに行くのもなんだし、ここで食べよ」
「じゃあ、夕食込でお願いします」
竜郎は一万シスを変換して、宿屋の男に渡す。男はシステムで値段を確かめてから、奥さんに言って鍵を取ってきてもらっていた。
そうしてすぐに、奥さんが鍵を持って竜郎に渡すと、二人は礼を言って二階に上がっていった。
夕食はあと二十分ほどかかるらしく、その間少し部屋にいることにした二人は、自分たちの部屋番を確かめてから中に入った。
「おおっ、最初に比べると広く感じるな!」
「そうだね! 森のせいで麻痺してたけど、さすがに前のは狭すぎだよ……」
そんな評価のこの部屋は、クローゼットなどの簡単な家具が置かれ、ベッドも一人がゆとりを持って眠れる大きさのものが二つ、壁際に備え付けられていた。
二人はさっそくそれぞれのベッドに腰掛けると、息を吐いて今日の疲れを取りつつ、今日のことを語りあっていくのであった。