第35話 鍛冶屋
ギルドを出ると、すでに太陽は真上に上がっていた。そこで空腹を覚えた二人は、どこかで食事をとることにした。
「愛衣、ほらこれ」
「なに?」
竜郎はさっき入金した五百万シスの半分を変換して愛衣に渡した。
「おおう、一気にお金持ちになったね!」
「数日後には、その数倍になってるぞ」
「なんかもう帰れるようになって、もしここと行き来できるなら、こっちで暮らした方がいいんじゃない?」
システムに入った金額を見つめながら、そんなことを愛衣は言った。それに竜郎も「たしかになあ」と思案気に頷いた。こっちの世界なら、黄金水晶を定期的に流していけば死ぬまで豪遊して暮らせるはずだ。それに、イメージするだけで形にしてくれる便利な魔法もある。それらを踏まえて、あちらで頑張って普通に働く気力があるかと言われれば、正直微妙なところである。
「だがまあ、現時点では取らぬ狸の何とやらだ」
「そうだねえ、まずは帰れるようになってから考えろやってねー」
二人はそう言って、今の案を棚に上げた。けれど、しっかりとその未来の選択肢が頭に刻まれた。ちょっと危険だが、心躍る世界で生きる未来図を。
それから町をウロウロしていると、二人の鼻孔をくすぐる実に美味しそうな良い匂いが立ち込めてきた。
二人は思わず生唾を飲み込んで、ほぼ無意識に足をそちらに向けた。
そうして、そこから通りを一つ抜けると広場があった。そして匂いの原因達も。
「これは……屋台?」
「何でもいい、私に何か食べさせてっ」
飢えた狼の手を掴んで飛び出さないようにした竜郎は、広場に何軒も並ぶ車輪の着いた大きな箱といった感じの、日本の屋台とは随分形の違うものの中から、一番手近にあった「肉」の文字が書かれた屋台に入った。
「お肉くださいっ」
「うおっ、なんだい嬢ちゃん、藪から棒に」
入りしなに肉をくれと斬新な注文のされ方をした髭の生えた中年の店主と、数人のお客は目を丸くしていた。
それにため息を吐きながら、腹の虫を鳴らした竜郎は、前に出た愛衣を横に並ばせた。
「驚かせてすみません、注文いいですか?」
「お? おう、何にするんだい」
「えーと、じゃあ店主のお勧めを二人前」
「はいよっ」
そう言って調理に取り掛かる店主を見てから、二人は狭い客席に詰めて座った。
それからほどなくして、皿に乗せられた品が二人の前に置かれた。
それは肉と野菜、黒いソースを混ぜたものを、平たいパンに挟んでできた、バーガーのようなサンドイッチのような何かだった。
その美味しそうな匂いに、二人は早口で「いただきます」と言うや否や、一気にかぶりついて食していった。
「「ごちそうさまでした」」
「良い喰いっぷりだねー、こっちも嬉しくなるよ」
「美味しかったよ!」
「お? そうかい? いやーそれほどでもあるがなあ」
嘘偽りが一切見えない愛衣の純粋な笑顔で、美味しかったと言われた店主は、娘にでも褒められた時のように目じりを下げて喜んだ。
「いくらですか?」
「一個570シスだ」
「安い!」
「だろう!」
どんどんだらしない顔になっていく店主の顔を、周りの客も苦笑いで見つめていた。
そうして二人はそれぞれ代金を支払い店を後にしようとすると、店主から「また来てくれよな!」と言われ「ぜひ」と二人は返して外に出た。
「こう、まさに肉! って感じのお店だったね」
「ああ、また食べに来ような」
「うんっ。──あ、でも」
「ああ」
二人はこの店以外からも立ち込める匂いに、次はまた先になるかもしれないと、無言で辺りを見回した。
そんなこんなで腹も膨れた竜郎たちは、レーラに紹介された鍛冶屋に毛皮を加工してもらおうと、地図を見ながら町を歩いた。
地図によると、冒険者ギルドのすぐ近くとなっているので、もと来た道を逆行していく形となった。
やがて門前の逆T字路に戻ってくると、そこから冒険者ギルドの方にはいかず、直進して二つ目の曲り角を右に曲がり、ちょうど冒険者ギルドの後方に位置する場所にそれはあった。
そこは周りが白い建物にもかかわらず、灰色──というよりただ汚れたままになっており、二階建てで広さはあまりなく、鍛冶屋と書かれた錆びた看板が印象的だった。
「なんか、ぼろっちいね」
「ボロって言うか、メンテ不足なだけな気がするが……。鍛冶屋って書いてあるからここでいいんだろうけど、大丈夫かな」
「でもレーラさんがわざわざ教えてくれたんだから、入るだけ入ってみよ」
「ああ」
恐る恐る扉を開けると、そこには作業台の上でボサボサの黒髪に無精ひげのおっさんが、イビキをかいて寝こけていた。
「帰ろうか」
「ああ、それがいい」
二人が踵を返し扉に手をかけたその時、がたっと音がしたので振り返ると、おっさんが欠伸をしながら丁度起きだしたところだった。
「げっ、起きちゃったよ。早く出よ!」
「そうし──」
「ふぁ……ちょっと待て、あんたら客だろ」
「「違います」」
「いやいやいや、用が無きゃこんなとこ入ってこないでしょ」
自分でこんなとこって言うなよ、と思う二人だったが、確かに用があってきたのは間違いではないので、相手をすることにした。
「えーと、毛皮の加工を頼みに来たんだけど」
「あー毛皮ね。見てみるから、ちょっと出してくれや」
年上には基本敬語の竜郎だったが、なぜかこのおっさんにはその気になれなかった。愛衣など、胡散臭そうな視線を止めようともしない。
しかしそんなことはまるで気にもせず、おっさんはすぐ仕事モードに切り替わると、竜郎が《アイテムボックス》から出した黄金水晶と、青水晶のデフルスタルの毛皮を検品し始めた。
「───この毛皮はっ。…………お前ら、なんでこんなもの持ってんだ?」
「これ、ギルドの紹介状なんだけど」
いらぬ勘繰りをされる前にと、竜郎はレーラに貰った紹介状をおっさんに渡した。おっさんはそれを受け取ると、すぐに疑いの目を解いた。
「レーラの紹介か、んじゃあ問題ねえな。これを鞣せばいいのか?」
「ああ、それから防具に加工したりとかできるか?」
「あ? できねえ」
「できないのかよ…」
「なんでレーラさんは、こんな所を紹介したんだろうね」
愛衣の疑問ももっともだと竜郎が頷くが、目の前で言われたおっさんは、それすら何でもないと胸を張ってニヤリとした。
「レーラが俺を紹介した理由なんて、一つしかないだろ」
「……その一つってなんなの?」
「決まってる。俺がこの町一番の鍛冶屋をやってるからだ!」
親指で自分を指差しながらの壮絶なドヤ顔に、二人はホントかよ……と、胡散臭そうにおっさんを見つめた。
「もしそうなら、鍛冶屋がこの町に一軒しかないんじゃないの?」
「はは、そんなわけ──」
「ぐっ、なぜそれを……」
「ほんとにそうなのかよっ!」「ほらね!」
子供をからかってやろうとしたら、いきなり核心を突かれおっさんは悔しそうに顔を歪めた。
そしてその表情から竜郎は、愛衣の言うとおり鍛冶屋がここしかないのではと思い始めたが、この町一つ分の鍛冶業を、おっさん一人で回すというのは無理があるのでは無いかと結論付く。
「いや、でもさすがに一人じゃ回らないだろ」
「まあなあ。でも商会ギルドがあるからな」
「商会ギルドがあると、鍛冶屋がいなくてもいいの?」
「おいおい、とんだ世間知らずな嬢ちゃんだな」
「なんだとー!」
そこでおっさんは頭をガリガリ右手で掻くと、面倒臭そうに説明しだした。
「あのなあ、今のご時世普通の鍛冶師は商会ギルドが用意した場所で、要求通りの品物を造る。そうすると、鍛冶師は定期的に給料が貰える。んで、客もそこで作られた量産品や加工品を、個人に頼むより安く手に入れられる。そうすると、どうなると思う?」
「えーと、どうなるの?」
解らないことは取りあえず竜郎に聞いてきた愛衣は、いつもの様に質問をタライ回した。
「鍛冶師は商会ギルドの職員になって、自分の店を持たなくなる……か?」
「そうだ。腕が上がったら給料も上げてくれるみたいだし、生活も安泰だ。今じゃ、よっぽどの名工でもない限り鍛冶屋じゃ食っていけねえのよ」
そんな風にしみじみと語るおっさんに、愛衣が遠慮の欠片もなく疑問を思ったまま口にした。
「あれ? じゃあ、よっぽどの名工でもないおっちゃんは、なんで店やれてんの?」
「ぶふっ。おいおい、嬢ちゃん! 俺が名工かもしれねーだろ? ほらっ、この工具の持ち方とか玄人っぽいだろ?」
俺はできる男なんだぜ、と言わんばかりに周りの工具を手に持って取り繕うが、愛衣はそれを見透かしたように、気の毒な物を見る目をして、先ほど竜郎が出した毛皮を撫でた。
「名工だったら、この毛皮たちも防具になれたんだろうなあ」
「ぐっ、何も言い返せない……」
「ちょっとぐらい、言い返してくれよ……」
勝ち誇る少女の前で床に手を突くおっさんが一人、そしてそれを半目で見つめる少年という、なんとも言い難い絵面がここに完成したのだった。